2022年8月31日水曜日
大機小機
日本は「衰退途上国」になった、と書いてあったね。
アメリカや東南アジアなどは、
激しいインフレに見舞われているが、
賃金の伸びがそれを上回るので、
結果的に
経済成長する。
ところが、
日本は、インフレは
政府によって抑制されているものの、
反面、賃金は上がらない。
したがって、経済成長もしない。
他の国並みのインフレを許容すれば、
中小企業は潰れる、
付加価値の6割が人件費である以上、
賃上げをすれば
インフレで庶民の生活が成り立たない。
・・・そうやって、
経済成長を犠牲にしながら、
都合の悪いことを見て見ぬ振りをして、
ダラダラと他の国においてけぼりにされていく。
もしかしたら、
そんな状態が長く続くのかも知れない。
日本人のメンタリティからすれば、そんなものかも知れない。
下手に頑張って
体力を使い果たすより、
ひたすら
安全パイを選び続け、
挑戦もせず、
身の丈に合った暮らしを選択し続ける。
そうやって、
陽だまりの樹のように、
ゆっくりゆっくり朽ち果てていき、
もうどうにもならなくなって、爆発する。
そんなものかも知れない。
https://www.youtube.com/watch?v=ED322cpspko
青空文庫
いずこへ
坂口安吾
私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた。もっともそれは注意を集中しているという意味ではないので、あべこべに、考える気力というものがなくなったので、耳を澄ましていたのであった。
私は工場街のアパートに一人で住んでおり、そして、常に一人であったが、女が毎日通ってきた。そして私の身辺には、釜かま、鍋なべ、茶碗、箸はし、皿、それに味噌みその壺つぼだのタワシだのと汚らしいものまで住みはじめた。
「僕は釜だの鍋だの皿だの茶碗だの、そういうものと一緒にいるのが嫌いなんだ」
と、私は品物がふえるたびに抗議したが、女はとりあわなかった。
「お茶碗もお箸も持たずに生きてる人ないわ」
「僕は生きてきたじゃないか。食堂という台所があるんだよ。茶碗も釜も捨ててきてくれ」
女はくすりと笑うばかりであった。
「おいしい御飯ができますから、待ってらっしゃい。食堂のたべものなんて、飽きるでしょう」
女はそう思いこんでいるのであった。私のような考えに三文さんもんの真実性も信じていなかった。
まったく私の所持品に、食生活に役立つ器具といえば、洗面の時のコップが一つあるだけだった。私は飲んだくれだが、杯さかずきも徳利とっくりも持たず、ビールの栓ぬきも持っていない。部屋では酒も飲まないことにしていた。私は本能というものを部屋の中へ入れないことにしていたのだが食物よりも先まず第一に、女のからだが私の孤独の蒲団ふとんの中へ遠慮なくもぐりこむようになっていたから、釜や鍋が自然にずるずる住みこむようになっても、もはや如是我説にょぜがせつを固執するだけの純潔に対する貞節の念がぐらついていた。
人間の生き方には何か一つの純潔と貞節の念が大切なものだ。とりわけ私のようにぐうたらな落伍者らくごしゃの悲しさが影身にまで泌しみつくようになってしまうと、何か一つの純潔とその貞節を守らずには生きていられなくなるものだ。
私はみすぼらしさが嫌いで、食べて生きているだけというような意識が何より我慢ができないので、貧乏するほど浪費する、一ヶ月の生活費を一日で使い果し、使いきれないとわざわざ人に呉くれてやり、それが私の二十九日の貧乏に対する一日の復讐ふくしゅうだった。
細く長く生きることは性来私のにくむところで、私は浪費のあげくに三日間ぐらい水を飲んで暮さねばならなかったり下宿や食堂の借金の催促で夜逃げに及ばねばならなかったり落武者おちむしゃの生涯は正史にのこる由よしもなく、惨さん又惨、当人に多少の心得があると、笑いださずにいられなくなる。なぜなら、細々と毎日欠かさず食うよりは、一日で使い果して水を飲み夜逃げに及ぶ生活の方を私は確信をもって支持していた。私は市井しせいの屑くずのような飲んだくれだが後悔だけはしなかった。
私が鍋釜食器類を持たないのは夜逃げの便利のためではない。こればかりは私の生来の悲願であって――どうも、いけない、私は生れついてのオッチョコチョイで、何かというとむやみに大袈裟おおげさなことを言いたがるので、もっともこうして自分をあやしながら私は生きつづけてきたのだ。これは私の子守唄こもりうたであった。ともかく私はただ食って生きているだけではない、という自分に対する言訳のために、茶碗ひとつ、箸一本を身辺に置くことを許さなかった。
私の原稿はもはや殆ほとんど金にならなかった。私はまったく落伍者であった。私は然しかし落伍者の運命を甘受していた。人はどうせ思い通りには生きられない。桃山城で苛々いらいらしている秀吉と、アパートの一室で朦朧もうろうとしている私とその精神の高低安危にさしたる相違はないので、外形がいくらか違うというだけだ。ただ私が憂うれえる最大のことは、ともかく秀吉は力いっぱいの仕事をしており、落伍者という萎縮いしゅくのために私の力がゆがめられたり伸びる力を失ったりしないかということだった。
思えば私は少年時代から落伍者が好きであった。私はいくらかフランス語が読めるようになると長島萃ながしまあつむという男と毎週一回会合して、ルノルマンの「落伍者ラテ」という戯曲を読んだ。(もっともこの戯曲は退屈だったが)私は然しもっと少年時代からポオやボードレエルや啄木たくぼくなどを文学と同時に落伍者として愛しており、モリエールやヴォルテールやボンマルシェを熱愛したのも人生の底流に不動の岩盤を露呈している虚無に対する熱愛に外ほかならなかった。然しながら私の落伍者への偏向は更にもっとさかのぼる。私は新潟中学というところを三年生の夏に追いだされたのだが、そのとき、学校の机の蓋ふたの裏側に、余よは偉大なる落伍者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろうと、キザなことを彫ほってきた。もとより小学生の私は大将だの大臣だの飛行家になるつもりであったが、いつごろから落伍者に志望を変えたのであったか。家庭でも、隣近所、学校でも憎まれ者の私は、いつか傲然ごうぜんと世を白眼視するようになっていた。もっとも私は稀代きたいのオッチョコチョイであるから、当時流行の思潮の一つにそんなものが有ったのかも知れない。
然し、少年時代の夢のような落伍者、それからルノルマンのリリックな落伍者、それらの雰囲気的な落伍者と、私が現実に落ちこんだ落伍者とは違っていた。
私の身辺にリリスムはまったくなかった。私の浪費精神を夢想家の甘さだと思うのは当らない。貧乏を深刻がったり、しかめっ面をして厳しい生き方だなどという方が甘ったれているのだと私は思う。貧乏を単に貧乏とみるなら、それに対処する方法はあるので、働いて金をもうければよい。単に食って生きるためなら必ず方法はあるもので、第一、飯が食えないなどというのは元来がだらしのないことで、深刻でもなければ厳粛でもなく、馬鹿馬鹿しいことである。貧乏自体のだらしなさや馬鹿さ加減が分らなければ文学などはやらぬことだ。
私は食うために働くという考えがないのだから、貧乏は仕方がないので、てんから諦あきらめて自分の馬鹿らしさを眺めていた。遊ぶためなら働く。贅沢ぜいたくのため浪費のためなら働く。けれども私が働いてみたところでとても意にみちる贅沢豪奢ごうしゃはできないから、結局私は働かないだけの話で、私の生活原理は単純明快であった。
私は最大の豪奢快楽を欲し見つめて生きており多少の豪奢快楽でごまかすこと妥協することを好まないので、そして、そうすることによって私の思想と文学の果実を最後の成熟のはてにもぎとろうと思っているので、私は貧乏はさのみ苦にしていない。夜逃げも断食も、苦笑以外にさしたる感懐はない。私の見つめている豪奢悦楽は地上に在あり得ず、歴史的にも在り得ず、ただ私の生活の後側にあるだけだ。背中合せに在るだけだった。思えば私は馬鹿な奴であるが、然し、人間そのものが馬鹿げたものなのだ。
ただ私が生きるために持ちつづけていなければならないのは、仕事、力への自信であった。だが、自信というものは、崩れる方がその本来の性格で、自信という形では一生涯に何日も心に宿ってくれないものだ。此奴こいつは世界一正直で、人がいくらおだててくれても自らを誤魔化すことがない。私とておだてられたり讃ほめたてられたりしたこともあったが、自信の奴は常に他の騒音に無関係なしろもので、その意味では小気味の良い存在だったが、これをまともに相手にして生きるためには、苦味にあふれた存在だ。
私は貧乏を意としない肉体質の思想があったので、雰囲気的な落伍者になることはなく、抒情的じょじょうてきな落伍者気分や厭世観えんせいかんはなかった。私は落伍者の意識が割合になかったのである。その代り、常に自信と争わねばならず、何等か実質的に自信をともかく最後の一歩でくいとめる手段を忘れることができない。実質的に――自信はそれ以外にごまかす手段のないものだった。
食器に対する私の嫌悪は本能的なものであった。蛇を憎むと同じように食器を憎んだ。又私は家具というものも好まなかった。本すらも、私は読んでしまうと、特別必要なもの以外は売るようにした。着物も、ドテラとユカタ以外は持たなかった。持たないように「つとめた」のである。中途半端な所有慾しょゆうよくは悲しく、みすぼらしいものだ。私はすべてを所有しなければ充みち足りぬ人間だった。
★
そんな私が、一人の女を所有することはすでに間違っているのである。
私は女のからだが私の部屋に住みこむことだけ食い止めることができたけれども、五十歩百歩だ。鍋釜食器が住みはじめる。私の魂は廃頽はいたいし荒廃した。すでに女を所有した私は、食器を部屋からしめだすだけの純潔に対する貞節を失ったのである。
私は女がタスキをかけるのは好きではない。ハタキをかける姿などは、そんなものを見るぐらいなら、ロクロ首の見世物女を見に行く方がまだましだと思っている。部屋のゴミが一寸の厚さにつもっても、女がそれを掃はくよりは、ゴミの中に坐っていて欲しいと私は思う。私が取手とりでという小さな町に住んでいたとき、私の顔の半分が腫はれ、ポツポツと原因不明の膿うみの玉が一銭貨幣ぐらいの中に点在し、尤もっとも痛みはないのである。ちょうど中村地平と真杉静枝が遊びにきて、そのとき真杉静枝が、蜘蛛くもが巣をかけたんじゃないかしら、と言ったので、私は歴々と思いだした。まさしく蜘蛛が巣をかけたのである。私は深夜にふと目がさめて、天井と私の顔にはられた蜘蛛の巣を払いのけたのであった。私は今でも不思議に思っているのであるが、真杉静枝はなぜ蜘蛛の巣を直覚したのだろう? こんなことを考えつくのは感嘆すべきことであるよりも、凡およそ馬鹿馬鹿しいことではないか。
新しい蜘蛛の巣は綺麗きれいなものだ。古い蜘蛛の巣はきたなく厭いやらしく蜘蛛の貪慾どんよくが不潔に見えるが、新しい蜘蛛の巣は蜘蛛の貪慾まで清潔に見え、私はその中で身をしばられてみたいと思ったりする。新鮮な蜘蛛の巣のような妖婦ようふを私は好きであるが、そんな人には私はまだ会ったことがない。日本にポピュラーな妖婦の型は古い蜘蛛の巣の主人が主で、弱さも強さも肉慾的であり、私は本当の妖婦は肉慾的ではないように思う。小説を書く女の人に本当の妖婦はいない。「リエゾン・ダンジュルーズ」の作中人物がそう言っているのだが、私もそれは本当だと思う。
私は妖婦が好きであるが、本当の妖婦は私のような男は相手にしないであろう。逆さにふってふりまわしても出てくるものはニヒリズムばかり、外ほかには何もない。左様さよう。外にうぬぼれがあるか。当人は不羈独立ふきどくりつの魂と言う。鼻持ちならぬ代物しろものだ。
人生の疲労は年齢には関係がない。二十九の私は今の私よりももっと疲労し、陰鬱いんうつで、人生の衰亡だけを見つめていた。私は私の女に就ついて、何も描写する気持がない。私の所有した女は私のために良人おっとと別れた女であった。否いなむしろ、良人と別れるために私と恋をしたのかも知れない。それが多分正しいのだろう。
その当座、私達はその良人なる人物をさけて、あの山この海、温泉だの古い宿場の宿屋だの、泊り歩いていた。私は始めから特に女を愛してはいなかった。所有する気持もなかった。ただ当あてもなく逃げまわる旅寝の夢が、私の人生の疲労に手ごろな感傷を添え、敗残の快感にいささかうつつをぬかしているうちに、女が私の所有に確定するような気分的結末を招来してしまっただけだ。良人を嫌いぬいて逃にげ廻まわる女であったが、本質的にタスキをかけた女であり、私と知る前にはさるヨーロッパの紳士と踊り歩いたりしていた女でありながら、私のために、味噌汁をつくることを喜ぶような女であった。
女が私の属性の中で最も憎んでいたものは不羈独立の魂であった。偉い芸術家になどなってくれるなと言うのである。平凡な人間のままで年老い枯木の如ごとく一緒に老いてみたいというのである。私が老眼鏡をかけて新聞を読んでいる。女も老眼鏡をかけて私のシャツのボタンをつけている。二人の腰は曲っている。そして背中に陽ひが当っている。女はその光景を私に語るのである。そうなりたいのは女の本心であった。いくらかの土地を買って田舎いなかへ住みましょうよ。頻しきりに女はそう言うのだ。
そういう女だから私が不満なわけではない。元々私が女を「所有」したことがいけないので、私は女の愛情がうるさくて仕方がなかった。
「ほかに男をつくらないか。そしてその人と正式に結婚してくれないかね」
と私は言うが、女がとりあわないのにも理由があり、私は甚だ嫉妬しっと深く、嫉妬というより負け嫌いなのだ。女が他の男に好意をもつことに本能的に怒りを感じた。そんな怒りは三日もたてば忘れ果て、女の顔も忘れてしまう私なのだが、現在に処して私の怒りの本能はエネルギッシュで、あくどい。女が私の言葉を信用せず、私の愛情を盲信するにも一応自然な理由があった。
私が深夜一時頃、時々酒を飲みに行く十銭スタンドがあった。屋台のような構えになっているので二時三時頃まで営業してもめったに巡査も怒らない仕組で、一時頃酒が飲みたくなる私には都合の良い店であった。三十ぐらいの女がやっており、客が引上げると戸板のようなものを椅子いすの上へ敷いてその上へねむるのだそうで、非常に多淫たいんな女で、酔っ払うと客をとめる。けれども百万の人にもましてうすぎたない不美人で、私も時々泊れと誘われたが泊る気持にはとてもならない。土間に寝るのが厭なんでしょう、私があなたの所へ泊りに行くからアパートを教えて、と言うが、私はアパートも教えなかった。
この女には亭主があった。兵隊上りで、張作霖ちょうさくりんの爆死事件に鉄路に爆弾を仕掛けたという工兵隊の一人で、その後の当分は外出どめのカンヅメ生活がたのしかった、とそんな話を私にきかせてくれた。無頼の徒で、どこかのアパートにいるのだが、女は亭主を軽蔑しきっており、客の中から泊る勇士がない時だけ亭主を泊めてやる。亭主は毎晩見廻りに来て泊る客がある時は帰って行き、ヤキモチは焼かない代りに三、四杯の酒と小づかいをせびって行く。この男が亭主だということは私以外の客は知らない。私は女に誘われても泊らないので亭主は私に好意を寄せて打ち開けて話し、女も私には隠さず、あのバカ(女は男をそうよんだ)ヤキモチも焼かない代りに食いついてエモリみたいに離れないのよ、と言った。私と男二人だけで外ほかに客のない時は、今晩泊めろ、泊めてやらない、ネチネチやりだし、男が暴力的になると女が一そう暴力的にバカヤロー行ってくれ、水をひっかける、と言いも終らず皿一杯の水をひっかけ、このヤロー、男がいきなり女の横ッ面をひっぱたく、女が下のくぐりをあけて這はいだしてきて武者ぶりつき椅子をふりあげて力まかせに男に投げつけるのだ。女は殺気立つと気違いだった。ガラスは割れる、徳利ははねとぶ。男はあきらめて口笛を吹いて帰って行く。好色多淫、野犬の如くであるが、亭主にだけは妙に意地をはるのである。
男は立派な体格で、苦味走った好男子で、汚い女にくらべれば比較にならず、客のなかでこの男ほど若くて好い男は見当らぬのだから笑わせる。天性の怠け者で、働く代りに女を食い物にする魂の低さが彼を卑しくしていた。その卑しさは女にだけは良く分り、又、事情を知る私にも分るが、ほかの人には分らない。彼がムッツリ酒をのんでいると、知らない客は場違いの高級の客のように遠慮がちになるほどだ。彼は黒眼鏡をかけていた。それはその男の趣味だった。
ある夜更よふけすでに三時に近づいており客は私と男と二人であった。女はかなり酔っており、その晩は亭主を素直に泊める約束をむすんだ上で、今晩は特別私におごるからと女が一本男が一本、むりに私に徳利を押しつけた。そこへ新米の刑事が来た。新米と云っても年齢は四十近い鼻ヒゲをたてた男だ。酒をのんで露骨に女を口説くどきはじめたが、以前にも泊りこんだことがあるのは口説き方の様子で察しることが容易であった。女は応じない。応じないばかりでなく、あらわに刑事をさげすんで、商売の弱味で仕方なしに身体をまかせてやるのに有難いとも思わずに、うぬぼれるな、女は酔っていたので婉曲えんきょくに言っていても、露骨であった。刑事は、その夜の泊り客は私であり、そのために、女が応じないのだと考えた。
私はそのときハイキング用の尖端せんたんにとがった鉄のついたステッキを持っていた。私はステッキを放したことのない習慣で、そのかみはシンガポールで友達が十弗ドルで買ったという高級品をついていたが、酔っ払って円タクの中へ置き忘れ、つまらぬ下級品をつくよりはとハイキング用のステッキを買ってふりまわしていた。私の失った籐とうのステッキは先がはずれて神田かんだの店で修繕をたのんだとき、これだけの品は日本に何本もない物ですと主人が小僧女店員まで呼び集めて讃嘆して見せたほどの品物であった。一度これだけのステッキを持つと、まがい物の中等品は持てないのだ。
貴様、ちょっと来い。刑事はいきなり私の腕をつかんだ。
「バカヤロー。貴様がヨタモノでなくてどうする。そのステッキは人殺しの道具じゃないか」
「これはハイキングのステッキさ。刑事が、それくらいのことを知らないのかね」
「この助平」
女が憤然立上った。
「この方はね、私が泊れと言っても泊ったことのない人なんだ。アパートをきいても教えてくれないほどの人なんだ。見損うな」
そこで刑事は私のことはあきらめたのである。そこで今度は男の腕をつかんだ。男は前にも留置場へ入れられたことがあり、刑事とは顔ナジミであった。
「貴様、まだ、うろついているな。その腕時計はどこで盗んだ」
「貰もらったんですよ」
「いいから、来い」
男は馴なれているから、さからわなかった。落付いて立上たちあがって、並んで外へでた。そのとき女は椅子を踏み台にしてスタンドの卓をとび降りて跣足はだしでとびだした。卓の上の徳利とコップが跳はねかえって落ちて割れ、女は刑事にむしゃぶりついて泣なき喚わめいた。
「この人は私の亭主だい。私の亭主をどうするのさ」
私はこの言葉は気に入った。然し女は吠ほえるように泣きじゃくっているので、スタンドの卓を飛び降りた疾風しっぷうのような鋭さも竜頭蛇尾であった。刑事はいくらか呆気あっけにとられたが女の泣き方がだらしがないので、ひるまなかった。
「この人は本当にこの女の人の旦那だんなさんです」
と私も出て行って説明したが、だめだった。男は私に黙礼して、落付いて、肩をならべて行ってしまった。そのときだ、ちょうどそこに露路ろじがあり、露路の奥から私の女が出てきたのだ。女は黒い服に黒い外套がいとうをきており、白い顔だけが浮いたように街燈のほの明りの下に現れたとき、私はどういうわけなのか見当がつかなかったが、非常に不快を感じた。私達のつながりの宿命的な不自然に就て、胸につきあがる怒りを覚えた。
私の女は私に、行きましょう、と言った。当然私が従わねばならぬ命令のようなものと、優越のようなものが露骨であった。私はむらむらと怒りが燃えた。私は黙って店内へ戻って酒をのみはじめた。私の前には女と男が一本ずつくれた二本の酒があるのだが、私はもはや吐き気を催して実際は酒の匂いもかぎたくなかった。女は帰らないの、と言ったが、帰らない、君だけ帰れ、女は怒って行ってしまった。
ところが私は散々で、私はスタンドの気違い女に追いだされてしまったのである。この女は逆上すると気違いだ。行って呉れ、このヤロー、気取りやがるな、と女は私に喚いた。なんだい、あいつが彼女かい、いけ好かない、行かなきゃ水をぶっかけてやるよ。そして立ち去る私のすぐ背中にガラス戸をガラガラ締めて、アバヨ、もううちじゃ飲ませてやらないよ、とっとと消えてなくなれ、と言った。
私の女が夜更の道を歩いてきたのには理由があって、女のもとへ昔の良人がやってきて、二人は数時間睨にらみ合っていたが、女は思いたって外へでた。男は追わなかったそうである。そして私のアパートへ急ぐ途中、偶然、奇妙な場面にぶつかって、露路にかくれて逐一ちくいち見とどけたのであった。女の心事はいささか悲愴ひそうなものがあったが、私のようなニヒリストにはただその通俗が鼻につくばかり、私は蒲団をかぶって酔いつぶれ寝てしまう、女は外套もぬがず、壁にもたれて夜を明し、明け方私をゆり起した。女はひどく怒っていた。女は夜が明けたら二人で旅行にでようと言っていたのだ。然し、私も怒っていた。起き上ると、私は言った。
「なぜ昨日の出来事のようなときに君は横から飛びだしてきて僕に帰ろうと命令するのだ。君は僕を縛ることはできないのだ。僕の生活には君の関係していない部分がある。たとえば昨日の出来事などは君には無関係な出来事だ。あの場合君に許されている特権は僕の留守の部屋へ勝手に上りこんで僕の帰りを待つことができるというだけだ。君が偶然あの場所を通りかかったということによって僕の行為に掣肘せいちゅうを加える何の権力も生れはしない。君と僕とのつながりには、つながった部分以上に二人の自由を縛りあう何の特権も有り得ないのだ」
女は極度に強情であったが、他にさしせまった目的があるときは、そのために一時を忍ぶ方法を心得ていた。彼女は否応いやおうなしに私を連れだして汽車に乗せてしまい、その汽車が一時間も走って麦畑の外ほかに何も見えないようなところへさしかかってから
「自由を束縛してはいけないたって、女房ですもの、当然だわ」
もはや私は答えなかった。私が女を所有したことがいけないのだ。然し、それよりも、もっと切ないことがある。それは私が、私自身を何一つ書き残していない、ということだった。私はそのころラディゲの年齢を考えてほろ苦くなる習慣があった。ラディゲは二十三で死んでいる。私の年齢は何という無駄な年齢だろうと考える。今はもう馬鹿みたいに長く生きすぎたからラディゲの年齢などは考えることがなくなったが、年齢と仕事の空虚を考えてそのころは血を吐くような悲しさがあった。私はいったいどこへ行くのだろう。この汽車の旅行は女が私を連れて行くが、私の魂の行く先は誰が連れて行くのだろうか。私の魂を私自身が握っていないことだけが分った。これが本当の落伍者だ。生計的に落魄らくはくし、世間的に不問に附ふされていることは悲劇ではない。自分が自分の魂を握り得ぬこと、これほどの虚むなしさ馬鹿さ惨みじめさがある筈はない。女に連れられて行先の分らぬ汽車に乗っている虚しさなどは、末の末、最高のものを持つか、何物も持たないか、なぜその貞節を失ったのか。然し私がこの女を「所有しなくなる」ことによって、果してまことの貞節を取戻し得るかということになると、私はもはや全く自信を失っていた。私は何も見当がなかった。私自身の魂に。そして魂の行く先に。
★
私は「形の堕落」を好まなかった。それはただ薄汚いばかりで、本来つまらぬものであり、魂自体の淪落りんらくとつながるものではないと信じていたからであった。
女の従妹いとこにアキという女があった。結婚して七、八年にもなり良人がいるが、喫茶店などで大学生を探して浮気をしている女で、千人の男を知りたいと言っており、肉慾の快楽だけを生いき甲斐がいにしていた。こういう女は陳腐であり、私はその魂の低さを嫌っていた。一見綺麗きれいな顔立で、痩やせこけた、いかにも薄情そうな女で、いつでも遊びに応じる風情ふぜいで、私の好色を刺戟しげきしないことはなかったが、私はかかる陳腐な魂と同列になり下さがることを好まなかった。私が女に「遊ぼう」と一言ささやけばそれでよい。そしてその次に起ることはただ通俗な遊びだけで、遊びの陶酔を深めるための多少のたしなみも複雑さもない。ただ安直な、投げだされた肉慾があるだけだった。
そう信じている私であったが、私は駄目であった。あるとき私の女が、離婚のことで帰郷して十日ほど居ないことがあり、アキが来て御飯こしらえてあげると云って酒を飲むと、元より女はその考えのことであり、私は自分の好色を押えることができなかった。
この女の対象はただ男の各々おのおのの生殖器で、それに対する好奇心が全部であった。遊びの果はてに私が見出さねばならぬことは、私自身が私自身ではなく単なる生殖器であり、それはこの女と対する限り如何いかんとも為なしがたい現実の事実なのであった。もしも私が単なる生殖器から高まるために、何かより高い人間であることを示すために、女に向って無益な努力を重ねるなら、私はより多く馬鹿になる一方だ。事実私はすでにそれ以上に少しも高くはないのである。だから私はハッキリ生殖器自体に定着して女とよもやまの話をはじめた。
女は私が三文文士であることを知っているので、男に可愛かわいく見えるにはどうすればよいかということを細々こまごまと訊たずねた。女は主として大衆作家の小説から技術を習得している様子であったが、その道にかけては彼等の方が私より巧者にきまっているから私などそれに附つけ足す何もない、私がそう言うと女は満足した様子に見えた。女は学生達の大半は物足らないのだと言った。私がハズをだまし、あなたがマダムをだまして、隠れて遊ぶのはたのしいわね、と女が言った。私は別にたのしくはない。私はただ陳腐な、それは全く陳腐それ自体で、鼻につくばかりであった。
女の肉体は魅力がなかった。女は男の生殖器の好奇心のみで生きているので、自分自身の肉体的の実際の魅力に就て最大の不安をもっていた。けれども、そういうことよりも、自分の肉慾の満足だけで生きている事柄自体に、最も魅力がないのだということに就て、女は全然さとらなかった。
単なるエゴイズムというものは、肉慾の最後の場でも、低級浅薄なものである。自分の陶酔や満足だけをもとめるというエゴイズムが、肉慾の場に於おいても、その真実の価値として高いものでは有り得ない。真実の娼婦は自分の陶酔を犠牲にしているに相違ない。彼女等はその道の技術家だ。天性の技術家だ。だから天才を要するのだ。それは我々の仕事にも似ている。真実の価値あるものを生むためには、必ず自己犠牲が必要なのだ。人のために捧げられた奉仕の魂が必要だ。その魂が天来のものである時には、決して幇間ほうかんの姿の如く卑小賤劣ひしょうせんれつなものではなく、芸術の高さにあるものだ。そして如何なる天才も目先の小さな我慾だけに狂ってしまうと、高さ、その真実の価値は一挙に下落し死滅する。
この女は着物の着こなしの技巧などに就て細々と考え、どんな風にすればウブな女に見えるとか、どの程度に襟えりや腕を露出すれば男の好色をかきたてうるとか、そしてそういう計算から煙草たばこも酒も飲まない女であった。然しながら、この女の最後のものは自分の陶酔ということだけで、天性の自己犠牲の魂はなかった。裸になれば、それまでだ。どんなにウブに見せ、襟足や腕の露出の程度に就て魅力を考えても、裸になれば、それまでのことだ。その真実の魂の低さに就て、この女はまったく悟るところがなかった。
私はそのころ最も悪魔に就て考えた。悪魔は全てを欲する。然し、常に充ち足りることがない。その退屈は生命の最後の崖がけだと私は思う。然し、悪魔はそこから自己犠牲に回帰する手段に就て知らない。悪魔はただニヒリストであるだけで、それ以上の何者でもない。私はその悪魔の無限の退屈に自虐的な大きな魅力を覚えながら、同時に呪のろわずにはいられなかった。私は単なる悪魔であってはいけない。私は人間でなければならないのだ。
然し、私が人間になろうとする努力は、私が私の文学の才能の自信に就て考えるとき、私の思想の全部に於て、混乱し壊滅せざるを得なかった。
するともう、私自身が最も卑小なエゴイストでしかなかった。私は女を「所有した」ことによって、女の存在をただ呪わずにいられなかった。私は私の女の肉体が、その生殖器が特別魅力の少いことに就てまで、呪い、嘆かずにいられなかった。
「あなたのマダムのからだ、魅力がありそうね」
「魅力がないのだ。凡そ、あらゆる女のなかで、私の知った女のからだの中で、誰よりも」
「あら、うそよ。だって、とても、可愛く、毛深いわ」
私は私の女の生殖器の構造に就て、今にも逐一語りたいような、低い心になるのであったが、私自身がもはやそれだけの屑のような生殖器にすぎないことを考え、私はともかく私の女に最後の侮辱ぶじょくを加えることを抑えている私自身の惨めな努力を心に寒々と突き放していた。
「君は何人の男を知った?」
「ねえ、マダムのあれ、どんな風なの? ごまかさないで、教えてよ」
「君のを教えてやろうか」
「ええ」
女は変に自信をくずさずに、ギラギラした眼で笑って私を見つめている。
私はそのときふと思った。それは女のギラギラしている眼のせいだった。私はスタンドの汚い女を思ったのだ。あの女は酔っ払うといつも生殖器の話をした。男の、又、女の。そして、私に泊らないかと言う時には、いつもギラギラした眼で笑っていた。
私は今度こそあのスタンドへ泊ろうと思った。一番汚いところまで、行けるところまで行ってやれ。そして最後にどうなるか、それはもう、俺おれは知らない。
★
私はあの夜更にスタンドを追いだされて以来、その店へ酒を飲みに行かなかった。そのころは十銭スタンドの隆盛時代で、すこし歩くつもりならどんな夜更の飲酒にも困ることはなかったのだ。夜明までやっている屋台のおでん屋も常にあった。もっとも、この土地にはヨタモノが多く、そのために知らない店へ行くことが不安であったが、私はもはやそれも気にかけていなかった。
ある朝、私はその日のことを奇妙に歴々と天候まで覚えている。朝といっても十時半、十一時に近い頃であった。うららかな昼だった。私は都心へ用たしに出かけるため京浜電車の停留場へ急ぐ途中スタンドの前を通ったのだが、私はその日に限って、なにがしかまとまった金をふところに持っていた。ちょうどスタンドの女が起きて店の掃除そうじを終えたところであった。ガラス戸が開け放されていたので、店内の女は私を認めて追っかけてきた。
「ちょっと。どうしたのよ。あなた、怒ったの?」
「やあ、おはよう」
「あの晩はすみませんでしたわ。私、のぼせると、わけが分らなくなるのよ。又、飲みにきてちょうだいね」
「今、飲もう」
私はとっさに決意した。ふところに金のあることを考えた。用たしも流せ。金も流せ。自分自身を流すのだ。私はこの女を連れて落ちるところまで堕おちてやろうと思った。私は落付いて飲みはじめた。女は飲まなかった。私は朝食前であったから、酔が全身にまわったが、泥酔でいすいはしていなかった。
「泊りに行こうよ」
と私は言った。女は尻込しりごみして、ニヤニヤ笑いながら、かぶりを振った。
「行こうよ。すぐに」
私は当然のことを主張しているように断定的であったが、女の笑い顔は次第に太々ふてぶてしく落付いてきた。
「どうかしてるわね。今日は」
「俺は君が好きなんだ」
女の顔にはあらわに苦笑が浮んだ。女は返事をしなかったが、苦笑の中には言葉以上の言葉があった。私は女の顔が世にも汚い、その汚さは不潔という意味が同時にこもった、そしてからだが団子のかたまりを合せたような、それはちょうど足の短い畸型の侏儒と人間との合の子のように感じられる、どう考えても美しくない全部のものを冷静に意識の上に並べなおした。そして、その女に苦笑され、蔑さげすまれ、あわれまれている私自身の姿に就て考えた。うぬぼれの強い私の心に、然し、怒りも、反抗もなかった。悔いもなかった。そういう太虚たいきょの状態から、人はたぶん色々の自分の心を組み立て得、意志し得る状態であったと思う。私は然し堕ちて行く快感をふと選びそしてそれに身をまかせた。私はこの日の一切の行為のうちで、この瞬間の私が一番作為的であり、卑劣であったと思っている。なぜなら、私の選んだことは、私の意志であるよりも、ひとつの通俗の型であった。私はそれに身をまかせた。そして何か快感の中にいるような亢奮こうふんを感じた。
私は卓の下のくぐりをあけて犬のように這入はいろうとした。女は立上って戸を押えようとしたが、私の行動が早かったので、私はなんなく内側へ這入った。けれども女を押えようとするうちに、女はもうすりぬけて、あべこべに外側へくぐり出ていた。両方の位置が変って向き直った時には私はさすがにてれかくしに苦笑せずにいられなかった。
「泊りに行こうよ」
と私は笑いながらも、しつこく言いつづけた。
「商売の女のところへ行きな」
と女の笑顔は益々ますます太々しかった。
「昼ひなか、だらしがないね。私はしつこいことはキライさ」
と女は吐きだすように言った。
私の頭には「商売の女のところへ」という言葉が強くからみついていた。この不潔な女すら羞はずかしめうる階級が存在するということは私の大いなる意外であった。私はアキを思いだした。その思いつきは私を有頂天にした。アキなら否む筈はない。特別の事情のない限り否む筈は有り得ない。この侏儒と人間の合の子のような畸型な不潔な女にすら羞しめられる女がアキであるということをこの畸型の女も知る筈はなく、もとよりアキも、私以外に誰も知らない。この発見のたのしさは私の情慾をかきたてた。私はもう好色だけのかたまりにすぎなかった。そして畸型の醜女しこめの代りにアキの美貌びぼうに思いついた満足で私の好色はふくらみあがり、私は新たな目的のために期待だけが全部であった。
私は改めて酒を飲んだ。女は酒をだし渋ったが、私が別人のように落付いたので、意味が分らぬ様子であった。私はビール瓶びんに酒をつめさせた。それをぶら下げて、でかけた。
アキは気取り屋であった。金持の有閑マダムであるように言いふらして大学生と遊んでいたが、凡そ貧乏なサラリーマンの女房で、豪奢な着物は一張羅だった。その気取りに私は反撥はんぱつを感じていた。気取りに比べて内容の低さを私は蔑んでいたのである。思いあがっていた。そのくせ常に苛々していた。それはただ肉慾がみたされない為ためだけのせいであり、常に男をさがしている眼、それが魂の全部であった。
私はアキをよびだして、海岸の温泉旅館へ行った。すべては私の思うように運んだ。私はアキを蔑んでいると言った。そしてこの気取り屋が畸形の醜女にすら羞しめられる女であることを見出した喜びで一ぱいだったと言った。そういう風に一度は考えたに相違ないのは事実であったが、それはただ考えたというだけのことで、私の情慾を豊かにするための絢あやであり、私の期待と亢奮はまったく好色がすべてであった。私は人を羞しめ傷きずつけることは好きではない。人を羞しめ傷けるに堪たえうるだけの自分の拠よりどころを持たないのだ。吐くツバは必ず自分へ戻ってくる。私は根柢的こんていてきに弱気で謙虚であった。それは自信のないためであり、他への妥協で、私はそれを卑しんだが、脱けだすことができなかった。
私は然し酔っていた。アキは良人の手前があるので夜の八時ごろ帰ったが、私はチャブ台の上の冷えた徳利の酒をのみ、後姿を追っかけるように、突然、なぜアキを誘ったか、その日の顛末てんまつを喋りはじめた。私はアキの怒った色にも気付かなかった。私は得意であった。そしてアキの帰ったのちに、さらに芸者をよんで、夜更けまで酒をのんだ。そして翌日アパートへ帰ると、胃からドス黒い血を吐いた。五合ぐらいも血を吐いた。
然し、アキの復讐はさらに辛辣しんらつだった。アキは私の女に全てを語った。それはあくどいものだった。肉体の行為、私のしわざの一部始終を一々描写してきかせるのだ。私の女のからだには魅力がないと言ったこと、他の誰よりも魅力がないと言ったこと、すべて女に不快なことは掘りだし拾いあつめて仔細しさいに語ってきかせた。
★
私は女のねがいは何と悲しいものであろうかと思う。馬鹿げたものであろうかと思う。
狂乱状態の怒りがおさまると、女はむしろ二人だけの愛情が深められているように感じているとしか思われないような親しさに戻った。そして女が必死に希ねがっていることは、二人の仲の良さをアキに見せつけてやりたい、ということだった。アキの前で一時間も接吻せっぷんして、と女は駄々をこねるのだ。
こういう心情がいったい素直なものなのだろうか。私は疑うたぐらずにいられなかった。どこかしら、歪ゆがめられている。どこかしら、不自然があると私は思う。女の本性がこれだけのものなら、女は軽蔑すべき低俗な存在だが、然し、私はそういう風に思うことができないのである。最も素直な、自然に見える心情すらも、時に、歪められているものがある。先ず思え。嫌われながら、共に住むことが自然だろうか。愛なくして、共に住むことが自然だろうか。
私はむかし友達のオデン屋のオヤジを誘ってとある酒場で酒をのんでいた。酒場の女給がある作家の悪口を言った。オデン屋のオヤジは文学青年でその作家とは個人的に親しくその愛顧に対して恩義を感じていた。それで怒って突然立上たちあがって女を殴り大騒ぎをやらかしたことがある。義理人情というものは大概この程度に不自然なものだ。殴った当人は当然だと思い、正しいことをしたと思って自慢にしているのだから始末が悪い。彼が恩義を感じていることは彼の個人的なことであり、決して一般的な真実ではない。その特殊なつながりをもたない女が何を言っても、彼の特殊な立場とは本来交渉のないことだ。私は復讐の心情は多くの場合、このオデン屋のオヤジの場合のように、どこか車の心棒が外はずれているのだと思う。大概は当人自体の何か大事な心棒を歪めたり、外したままで気づかなかったりして、自分の手落の感情の処理まで復讐の情熱に転嫁して甘えているのではないかと思う。
まもなく私と女は東京にいられなくなった。女の良人が刃物をふり廻しはじめたので、逃げださねばならなかったのだ。
私達はある地方の小都市のアパートの一室をかりて、私はとうとう女と同じ一室で暮さねばならなくなっていた。私は然しこれは女のカラクリであったと思う。私と同じ一室に、しかも外ほかの知り人から距へだたって、二人だけで住みたいことが女のねがいであったと思う。男が私の住所を突きとめ刃物をふりまわして躍りこむから、と言うのだが、私は多分女のカラクリであろうと始めから察したので、それを私は怖れないと言うのだが、女は無理に私をせきたてて、そして私は知らない町の知らない小さなアパートへ移りすむようになっていた。
私は一応従順であった。その最大の理由は、女と別れる道徳的責任に就て自分を納得させることが出来ないからであった。私は女を愛していなかった。女は私を愛していた。私は「アドルフ」の中の一節だけを奇妙によく思いだした。遊学する子供に父が訓戒するところで「女の必要があったら金で別れることのできる女をつくれ」と言う一節だった。私は、「アドルフ」を読みたいと思った。町に小さな図書館があったが、フランスの本はなかった。岩波文庫の「アドルフ」はまだ出版されていなかった。私は然し図書館へ通った。私自身に考える気力がなかったので、私は私の考えを本の中から探しだしたいと考えた。読みたい本もなく、読みつづける根気もなかった。私は然し根気よく図書館に通った。私は本の目録をくりながら、いつも、こう考えるのだ。俺の心はどこにあるのだろう? どこか、このへんに、俺の心が、かくされていないか? 私はとうとう論語も読み、徒然草つれづれぐさも読んだ。勿論もちろん、いくらも読まないうちに、読みつづける気力を失っていた。
すると皮肉なもので、突然アキが私達をたよって落ちのびてきたのだ。アキは淋病りんびょうになっていた。それが分ると、男に追いだされてしまったのだ。もっとも、男に新しい女ができたのが実際の理由で、淋病はその女から男へ、男からアキへ伝染したのが本当の径路なのだというのだが、アキ自身、どうでもいいや、という通り、どうでもよかったに相違ない。アキは薄情な女だから友達がない。天地に私の女以外にたよるところはなかった。
私の女が私をこの田舎町へ移した理由は、私をアキから離すことが最大の眼目であったと思う。それは痛烈な思いであったに相違ない。なぜなら、女はその肉体の行為の最大の陶酔のとき、必ず迸ほとばしる言葉があった。アキ子にもこんなにしてやったの! そして目が怒りのために狂っているのだ。それが陶酔の頂点に於おける譫言うわごとだった。その陶酔の頂点に於て目が怒りに燃えている。常に変らざる習慣だった。なんということだろう、と私は思う。
この卑小さは何事だろうかと私は思う。これが果して人間というものであろうか。この卑小さは痛烈な真実であるよりも奇怪であり痴呆的ちほうてきだと私は思った。いったい女は私の真実の心を見たらどうするつもりなのだろう? 一人のアキは問題ではない。私はあらゆる女を欲している。女と遊んでいるときに、私は概おおむねほかの女を目に描いていた。
然し女の魂はさのみ純粋なものではなかった。私はあるとき娼家に宿り淋病をうつされたことがあった。私は女にうつすことを怖れたから正直に白状に及んで、全治するまで遊ぶことを中止すると言ったのだが、女は私の遊蕩ゆうとうをさのみ咎とがめないばかりか、うつされてもよいと云って、全治せぬうちに遊ぼうとした。それには理由があったのだ。女の良人は梅毒であり、女の子供は遺伝梅毒であった。夫婦の不和の始まりはそれであったが、女は医療の結果に就て必ずしも自信をもっていなかった。そして彼女の最大の秘密はもしや私に梅毒がうつりはしないかということ、そのために私に嫌われはしないかということだった。そのために女は私とのあいびきの始まりは常に硫黄泉いおうせんへ行くことを主張した。私が淋病になったことは、女の罪悪感を軽減したのだ。女はもはやその最大の秘密によって私に怖れる必要はないと信じることができた。彼女はすすんで淋病のうつることすら欲したのだった。
私はそのような心情をいじらしいとは思わなかった。いじらしさとは、そのようなことではない。むしろ卑劣だと私は思った。私は差引計算や、バランスをとる心掛こころがけが好きではない。自分自身を潔く投げだして、それ自体の中に救いの路みちをもとめる以外に正しさはないではないか。それはともかく私自身のたった一つの確信だった。その一つの確信だけはまだそのときも失われずに残っていた。私の女の魂がともかく低俗なものであるのを、私は常に、砂を噛かむ思いのように、噛みつづけ、然し、私自身がそれ以上の何者でも有り得ぬ悲しさを更に虚しく噛みつづけねばならなかった。正義! 正義! 私の魂には正義がなかった。正義とは何だ! 私にも分らん。正義、正義。私は蒲団をかぶって、ひとすじの涙をぬぐう夜もあった。
私の女はいたわりの心の深い女であるから、よるべないアキの長々の滞在にも表面にさしたる不快も厭いやがらせも見せなかった。然し、その復讐は執拗しつようだった。アキの面前で私に特別たわむれた。アキは平然たるものだった。苦笑すらもしなかった。
アキは毎日淋病の病院へ通った。それから汽車に乗って田舎の都市のダンスホールへ男を探しに行った。男は却々なかなか見つからなかった。夜更けにむなしく帰ってきて冷つめたい寝床へもぐりこむ。病院の医者をダンスホールへ誘ったが、応じないので、病院通いもやめてしまった。医者にふられちゃったわ、とチャラチャラ笑った。その金属質な笑い方は爽さわやかだったが、夜更にむなしく戻ってきて一人の寝床へもぐりこむ姿には、老婆のような薄汚い疲れがあった。何一つ情慾をそそる色気がなかった。私はむしろ我が目を疑った。一人の寝床へもぐりこむ女の姿というものは、こんなに色気のないものだろうか。蒲団を持ちあげて足からからだをもぐらして行く泥くさい女の姿に、私は思いがけない人の子の宿命の哀れを感じた。
アキの品物は一つ一つ失なくなった。私の女からいくらかずつの金を借りてダンスホールへ行くようになった。しかし男は見つからなかった。それでも働く決意はつかないのだ。踊子や女給を軽蔑し、妙な気位をもっており、うぬぼれに憑つかれているのだ。
最後の運だめしと云って、病院の医者を誘惑に行き、すげなく追いかえされて戻ってきた。夕方であった。私が図書館から帰るとき、病院を出てくるアキに会った。私達はそこから神社の境内けいだいの樹木の深い公園をぬけてアパートへ帰るのである。公園の中に枝を張った椎しいの木の巨木があった。
「あの木は男のあれに似てるわね。あんなのがほんとに在ったら、壮大だわね」
アキは例のチャラチャラと笑った。
私はアキが私達の部屋に住むようになり、その孤独な姿を見ているうちに、次第に分りかけてきたように思われる言葉があった。それはエゴイストということだった。アキは着物の着こなしに就て男をだます工夫をこらす。然し、裸になればそれまでなのだ。自分一人の快楽をもとめているだけなのだから、刹那的せつなてきな満足の代りに軽蔑と侮辱を受けるだけで、野合以上の何物でもあり得ない。肉慾の場合に於ても単なるエゴイズムは低俗陳腐なものである。すぐれた娼婦は芸術家の宿命と同じこと、常に自ら満たされてはいけない、又、満たし得る由もない。己れは常に犠牲者にすぎないものだ。
芸術家は――私はそこで思う。人のために生きること。奉仕のために捧げられること。私は毎日そのことを考えた。
「己れの欲するものをささげることによって、真実の自足に到ること。己れを失うことによって、己れを見出すこと」
私は「無償の行為」という言葉を、考えつづけていたのである。
私は然し、私自身の口によって発せられるその言葉が、単なる虚偽にすぎないことを知っていた。言葉の意味自体は或いは真実であるかも知れない。然し、そのような真実は何物でもない。私の「現身うつしみ」にとって、それが私の真実の生活であるか、虚偽の生活であるか、ということだけが全部であった。
虚しい形骸けいがいのみの言葉であった。私は自分の虚しさに寒々とする。虚しい言葉のみ追いかけている空虚な自分に飽き飽きする。私はどこへ行くのだろう。この虚しい、ただ浅ましい一つの影は。私は汽車を見るのが嫌いであった。特別ゴトンゴトンという貨物列車が嫌いであった。線路を見るのは切なかった。目当のない、そして涯はてのない、無限につづく私の行路を見るような気がするから。
私は息をひそめ、耳を澄ましていた。女達のめざましい肉慾の陰で。低俗な魂の陰で。エゴイズムの陰で。私がいったい私自身がその外ほかの何物なのであろうか。いずこへ? いずこへ? 私はすべてが分らなかった。
(附記 私はすでに「二十一」という小説を書いた。「三十」「二十八」「二十五」という小説も予定している。そしてそれらがまとめられて一冊の本になるとき、この小説の標題は「二十九」となる筈である)
底本:「風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇」岩波文庫、岩波書店
2008(平成20)年11月14日第1刷発行
2013(平成25)年1月25日第3刷発行
底本の親本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
初出:「新小説 第一巻第七号」
1946(昭和21)年10月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:酒井裕二
2015年5月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
●図書カード
青空文庫
風と光と二十の私と
坂口安吾
私は放校されたり、落第したり、中学を卒業したのは二十の年であった。十八のとき父が死んで、残されたのは借金だけということが分って、私達は長屋へ住むようになった。お前みたいな学業の嫌いな奴が大学などへ入学しても仕方がなかろう、という周囲の説で、尤もっとも別に大学へ入学するなという命令ではなかったけれども、尤もな話であるから、私は働くことにした。小学校の代用教員になったのである。
私は性来放縦で、人の命令に服すということが性格的にできない。私は幼稚園の時からサボることを覚えたもので、中学の頃は出席日数の半分はサボった。教科書などは学校の机の中へ入れたまま、手ぶらで通学して休んでいたので、休んで映画を見るとか、そんなわけではない。故郷の中学では浜の砂丘の松林にねころんで海と空をボンヤリ眺めていただけで、別段、小説などを読んでいたわけでもない。全然ムダなことをしていたので、これは私の生涯の宿命だ。田舎の中学を追いだされて、東京の不良少年の集る中学へ入学して、そこでも私が欠席の筆頭であったが、やっぱり映画を見に行くなどということは稀で、学校の裏の墓地や雑司ぞうしヶ谷やの墓地の奥の囚人墓地という木立にかこまれた一段歩たんぶほどの草原でねころんでいた。私がここにねころんでいるのはいつものことで、学校をサボる私の仲間はここへ私を探しにきたものだ。Sというそのころ有名なボクサーが同級生で、学校を休んで拳闘のグラブをもってやってきて、この草原で拳闘の練習をしたこともあるが、私は当時から胃が弱くて、胃をやられると一ぺんにノビてしまうので、拳闘はやらなかった。この草原の木の陰は湿地で蛇が多いのでボクサーは蛇をつかまえて売るのだと云って持ち帰ったが、あるとき彼の家へ遊びに行ったら、机のヒキダシへ蛇を飼っていた。ある日、囚人墓地でボクサーが蛇を見つけ、飛びかかってシッポをつかんでぶら下げた。ぶら下げたとたんに蝮まむしと気がついて、彼は急に恐怖のために殺気立って狂ったような真剣さで蛇をクルクルふりまわし始めたが、五分間も唸うなり声ひとつ立てずにふり廻していたものだ。それから蛇を大地へ叩きつけて、頭をふみつぶしたが、冗談じゃないぜ、蝮にかまれて囚人墓地でオダブツなんて笑い話にもならねえ、と呟つぶやきながらこくめいに頭を踏みつぶしていたのを妙に今もはっきり覚えている。
私はこの男にたのまれて飜訳をやったことがある。この男は中学時代から諸方の雑誌へボクシングの雑文を書いていたが、私にボクシング小説の飜訳をさせて「新青年」へのせた。「人心収攬しゅうらん術」というので、これは私の訳したものなのである。原稿料は一枚三円でお前に半分やると云っていたが、その後言を左右にして私に一文もくれなかった。私が後日物を書いて原稿料を貰うようになっても、一流の雑誌でも二円とかせいぜい二円五十銭で、私が三円の稿料を貰ったのは文筆生活十五年ぐらいの後のことであった。純文学というものの稼ぎは中学生の駄文の飜訳に遠く及ばないのである。
私はこの不良少年の中学へ入学してから、漠然と宗教にこがれていた。人の命令に服すことのできない生れつきの私は、自分に命令してそれに服するよろこびが強いのかも知れない。然し非常に漠然たるあこがれで、求道のきびしさにノスタルジイのようなものを感じていたのである。
凡およそ学校の規律に服すことのできない不良中学生が小学校の代用教員になるというのは変な話だが、然し、少年多感の頃は又それなりに夢と抱負はあって、第一、その頃の方が今の私よりも大人であった。私は今では世間なみの挨拶すらろくにできない人間になったが、その頃は節度もあり、たしなみもあり、父兄などともったいぶって教育家然と話をしていたものだ。
今新潟で弁護士の伴純という人が、そのころは「改造」などへ物を書いており、夢想家で、青梅の山奥へ掘立小屋をつくって奥さんと原始生活をしていた。私も後日この小屋をかりて住んだことがあったが、モモンガーなどを弓で落して食っていたので、私が住んだときは小屋の中へ蛇がはいってきて、こまった。この伴氏が私が教員になるとき、こういうことを私に教えてくれた。人と話をするときは、始め、小さな声で語りだせ、というのだ。え、なんですか、と相手にきき耳をたてさせるようにして、先ず相手をひきずるようにしたまえ、と云うのだ。
私の学校の地区に、伴氏の友人で藤田という、両手の指が各々三本ずつという畸形児で鯰なまずばかり書いている風変りな日本画家がいる。一風変った境地をもっているから一度訪ねてごらんなさい、と紹介状をくれたので、訪ねてみたことがある。今日はただ挨拶にきただけだ、いずれゆっくり来るからと私が言うのに、いや、そんなことを云わずに、サイダーがあるから、ぜひ上れという。無理にすすめるので、それでは、と私が上ると、奥さんをよんで、オイ、サイダーを買ってこい、と言うので、これには面喰ったものだ。
★
私が代用教員をしたところは、世田ヶ谷の下北沢というところで、その頃は荏原えばら郡と云い、まったくの武蔵野で、私が教員をやめてから、小田急ができて、ひらけたので、そのころは竹藪だらけであった。本校は世田ヶ谷の町役場の隣にあるが、私のはその分校で、教室が三つしかない。学校の前にアワシマサマというお灸きゅうだかの有名な寺があり、学校の横に学用品やパンやアメダマを売る店が一軒ある外は四方はただ広茫かぎりもない田園で、もとよりその頃はバスもない。今、井上友一郎の住んでるあたりがどうもその辺らしい気がするのだが、あんまり変りすぎて、もう見当がつかない。その頃は学校の近所には農家すらなく、まったくただひろびろとした武蔵野で、一方に丘がつらなり、丘は竹藪と麦畑で、原始林もあった。この原始林をマモリヤマ公園などと称していたが、公園どころか、ただの原始林で、私はここへよく子供をつれて行って遊ばせた。
私は五年生を受持ったが、これが分校の最上級生で、男女混合の七十名ぐらいの組であるが、どうも本校で手に負えないのを分校へ押しつけていたのではないかと思う。七十人のうち、二十人ぐらい、ともかく片仮名で自分の名前だけは書けるが、あとはコンニチハ一つ書くことのできない子供がいる。二十人もいるのだ。このてあいは教室の中で喧嘩けんかばかりしており、兵隊が軍歌を唄って外を通ると、授業中に窓からとびだして見物に行くのがある。この子供は兇暴で、異常児だ。アサリムキミ屋の子供だが、コレラが流行してアサリが売れなくなったとき、俺のアサリがコレラでたまるけえ、とアサリをくって一家中コレラになり、子供が学校へくる道で米汁のような白いものを吐きだした。尤もみんな生命は助かったようである。
本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。子供はみんな可愛いいものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい思いや郷愁をもっている。こういう子供に無理に頭の痛くなる勉強を強いることはないので、その温い心や郷愁の念を心棒に強く生きさせるような性格を育ててやる方がいい。私はそういう主義で、彼等が仮名も書けないことは意にしなかった。田中という牛乳屋の子供は朝晩自分で乳をしぼって、配達していたが、一年落第したそうで、年は外の子供より一つ多い。腕っぷしが強く外の子供をいじめるというので、着任のとき、分教場の主任から特にその子供のことを注意されたが、実は非常にいい子供だ。乳をしぼるところを見せてくれと云って遊びに行ったら躍りあがるように喜んで出てきて、時々人をいじめることもあったが、ドブ掃除だの物の運搬だの力仕事というと自分で引受けて、黙々と一人でやりとげてしまう。先生、オレは字は書けないから叱らないでよ。その代り、力仕事はなんでもするからね、と可愛いいことを云って私にたのんだ。こんな可愛いい子がどうして札つきだと言われるのだか、第一、字が書けないということは咎とがむべきことではない。要は魂の問題だ。落第させるなどとは論外である。
女の子には閉口した。五年生ぐらいになると、もう女で、中には生理的にすら女でないかと思われるのが二人いた。
私は始め学校の近くのこの辺でたった一軒の下宿屋へ住んだが、部屋数がいくつもないので、同宿だ。このへんに海外殖民しょくみんの実習的の学校があって、東北の田舎まるだしの農家出の生徒と同宿したが、奇妙な男で、あたたかい御飯は食べない。子供の時から野良仕事で冷飯ばかり食って育ったので、あたたかい御飯はどうしても食べる気にならないと云って、さましてから食っている。ところが、この下宿の娘が二十四五で、二十貫もありそうな大女だが、これが私に猛烈に惚れて、私の部屋へ遊びにきて、まるでもうウワずって、とりのぼせて、呂律ろれつが廻らないような、顔の造作がくずれて目尻がとけるような、身体がそわそわと、全く落付なく喋しゃべったり、沈黙したり、ニヤニヤ笑ったり、いきなりこの突撃には私も呆気あっけにとられたものだ。そして私の部屋へだけ自分で御飯をたいて、いつもあたたかいのを持ってくるから、同宿の猫舌先生がわが身の宿命を嘆いたものである。この娘の狂恋ぶりには下宿の老夫婦も手の施す術がなく困りきっていた様子であったが、私はそれ以上に困却して、二十日ぐらいで引越した。同宿者があっては勉強ができないから、と云って、引越しの決意を老夫婦に打ち開けると、そのホッとした様子は意外のほどで、又、私への感謝は全く私の予想もしないものだった。だからこの老夫婦はそれ以来常に私を賞揚し口を極めてほめたたえていたそうで、私にとっては思いもよらぬことであったが、ところがここの娘の一人が私の組の生徒で、これが誰よりマセた子だ。親が私をほめるのが心外で、私に面と向って、お父さんやお母さんが先生をとてもほめるから変だという。先生はそんないい人じゃないと言うのだ。こういう女の子供たちは私が男の悪童を可愛がってやるのが心外であり、嫉ねたましいのである。女の子の嫉妬深さというものは二十の私の始めて見た意外であって、この対策にはほとほと困却したものだった。
私が引越したのは分教場の主任の家の二階であった。代田橋にあって、一里余の道だ。けれども分教場の子供達の半数はそれぐらい歩いて通っていて、私が学校へくるまでには生徒が三十人ぐらい一緒になってしまう。私は時に遅刻したが、無理もねえよ、若いんだからな、ゆうべはどこへ泊ってきたかね、などとニヤニヤしながら言うのがいる。みんな家へ帰ると百姓の手伝いをする子供だから、片仮名も書けないけれども、ませていた。
分教場の主任は教師の誰かを下宿させるのが内職の一つで、私の前には本校の長岡という代用教員が泊っていたが、ロシヤ文学の愛好者で、変り者であったが、蛙デンカンという奇妙な持病があって、蛙を見るとテンカンを起す。私のクラスが四年の時はこの先生に教わったのだが、生徒の一人がチョークの箱の中へ蛙を入れておいた。それで先生、教室でヒックリ返って泡を吹いてしまったそうで、あの時はビックリしたよ、と牛乳屋の落第生が言っていた。彼が蛙を入れたのかも知れぬ。お前だろう、入れたのは、と訊いたら、そうでもないよ、とニヤニヤしていた。
この主任は六十ぐらいだが、精力絶倫で、四尺六寸という畸形的な背の低さだが、横にひろがって隆々たる筋骨、鼻髭はなひげで隠しているがミツクチであった。非常な癇癪かんしゃくもちで、だから小心なのであろうが、やたらに当りちらす。小使だの生徒には特別あたりちらすが、学務委員だの村の有力者にはお世辞たらたらで、癇癪を起すと授業を一年受持の老人に押しつけて、有力者の家へ茶のみ話に行ってしまう。学校では彼のいない方を喜ぶので、授業を押しつけられても不平を言わなかった。腹が立つと女房をブン殴ったり蹴とばしたり、あげくに家をとびだして、雑木林や竹藪へはいって、木の幹や竹の木を杖でメチャクチャに殴っている。それはまったく気違いであったが、大変な力で、手が痛くないのか、五分間ぐらいも、エイエイエイ、ヤアヤアヤアと気合をかけて夢中になぐっている。
この節の若者は、とか、青二才が、とか口癖であったが、私は当時まったく超然居士こじで、怒らぬこと、悲しまぬこと、憎まぬこと、喜ばぬこと、つまり行雲流水の如く生きようという心掛であるからビクともしない。尤も私に怒ると転居されて下宿料が上らなくなる怖れがあるから、そういうところは抜目がなくて、私にだけは殆ど当りちらさぬ。先生は全部で五人で、一年の山門老人、二年の福原女先生、三年の石毛女先生、この山門老人が又超然居士で六十五だかで、麻布からワラジをはいて歩いて通ってくる。娘には市内で先生をさせ、結婚したがっているのだそうだが、ドッコイ、許されぬ、もう暫しばらくは家計を助けて貰わねばならぬ、毎日もめているから毎日私達にその話をして、イヤハヤ色気づいてウズウズしておりますよ、アッハッハと言っている。子供が十人ちかいから生活が大変で、毎晩一合の酒に人生を托している。主任は酒をのまない。
小学校の先生には道徳観の奇怪な顛倒がある。つまり教育者というものは人の師たるもので人の批難を受けないよう自戒の生活をしているが、世間一般の人間はそうではなく、したい放題の悪行に耽ふけっているときめてしまって、だから俺達だってこれぐらいはよかろうと悪いことをやる。当人は世間の人はもっと悪いことをしている、俺のやるのは大したことではないと思いこんでいるのだが、実は世間の人にはとてもやれないような悪どい事をやるのである。農村にもこの傾向があって、都会の人間は悪い、彼等は常に悪いことをしている、だから俺たちだって少しぐらいはと考えて、実は都会の人よりも悪どいことを行う。この傾向は宗教家にもある。自主的に思い又行うのでなく他を顧て思い又行うことがすでにいけないのだが、他を顧るのが妄想的なので、なおひどい。先生達が人間世界を悪く汚く解釈妄想しすぎているので、私は驚いたものであった。
私が辞令をもらって始めて本校を訪ねたとき、あなたの勤めるのは分校の方だからと、分校の方に住んでいる女の先生が送ってくれた。これが驚くべき美しい人なのである。こんな美しい女の人はそのときまで私は見たことがなかったので、目がさめるという美しさは実在するものだと思った。二十七の独身の人で、生涯独身で暮す考えだということを人づてにきいたが、何かしっかりした信念があるのか、非常に高貴で、慎しみ深く、親切で、女先生にありがちな中性タイプと違い、女らしい人である。私はひそかに非常にあこがれを寄せたものだ。本校と分校と殆ど交渉がないので、それっきり話を交す機会もなかったが、その後数年間、私はこの人の面影を高貴なものにだきしめていた。
村のある金持、もう相当な年配の男だそうだが、女房が死んでその後釜にこの女の先生を貰いたいという。これを分校の主任にたのんだものだ。何百円とか何千円とかの謝礼という約束の由で、そのときのこの主任の東奔西走、授業をうっちゃらかして馳け廻って、なにしろ御本尊の女先生が全然結婚自体に意志がないので無理な話だ。毎日八ツ当りで、その一二ヶ月というもの、そわそわしたこの男の粗暴というより狂暴にちかい癇癪は大変だった。
私は行雲流水を志していたから、別段女の先生に愛を告白しようとか、結婚したいなどとは考えず、ただその面影を大切なものに抱きしめていたが、この主任の暗躍をきいたときには、美しい人のまぼろしがこんな汚らしい結婚でつぶされてはと大変不安で、行雲流水の建前にも拘かかわらず、主任をひそかに憎んだりした。
石毛先生は憲兵曹長だかの奥さんで、実に冷めたい中性的な人であったが、福原先生はよいオバサンであった。もう三十五六であったろうが、なりふり構わず生徒のために献身するというたちで、教師というよりは保姆ほぼのような天性の人だ。だから独身でも中性的な悪さはなく、高い理想などはなかったが、善良な人であった。例の高貴な先生の親友で、偶像的な尊敬をよせていることも、私には快かった。多くの女先生は嫉妬していたのである。私が先生をやめたとき、お別れするのは辛いが、先生などに終ってはいけない、本当によいことです、と云って、喜んでくれて、お別れの酒宴をひらいてうんとこさ御馳走をこしらえてくれた。私は然し先生で終ることのできない自分の野心が悲しいと思っていた。なぜ身を捧げることが出来ないのだろう?
私は放課後、教員室にいつまでも居残っていることが好きであった。生徒がいなくなり、外の先生も帰ったあと、私一人だけジッと物思いに耽っている。音といえば柱時計の音だけである。あの喧噪けんそうな校庭に人影も物音もなくなるというのが妙に静寂をきわだててくれ、変に空虚で、自分というものがどこかへ無くなったような放心を感じる。私はそうして放心していると、柱時計の陰などから、ヤアと云って私が首をだすような幻想を感じた。ふと気がつくと、オイ、どうした、私の横に私が立っていて、私に話しかけたような気がするのである。私はその朦朧もうろうたる放心の状態が好きで、その代り、私は時々ふとそこに立っている私に話しかけて、どやされることがあった。オイ、満足しすぎちゃいけないぜ、と私を睨むのだ。
「満足はいけないのか」
「ああ、いけない。苦しまなければならぬ。できるだけ自分を苦しめなければならぬ」
「なんのために?」
「それはただ苦しむこと自身がその解答を示すだろうさ。人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。満足は誰でも好むよ。けだものでもね」
本当だろうかと私は思った。私はともかくたしかに満足には淫していた。私はまったく行雲流水にやや近くなって、怒ることも、喜ぶことも、悲しむことも、すくなくなり、二十のくせに、五十六十の諸先生方よりも、私の方が落付と老成と悟りをもっているようだった。私はなべて所有を欲しなかった。魂の限定されることを欲しなかったからだ。私は夏も冬も同じ洋服を着、本は読み終ると人にやり、余分の所有品は着代えのシャツとフンドシだけで、あるとき私を訪ねてきた父兄の口からあの先生は洋服と同じようにフンドシを壁にぶらさげておくという笑い話がひろまり、へえ、そういうことは人の習慣にないことなのか、と私の方がびっくりしたものだ。フンドシを壁にぶら下げておくのは私の整頓の方法で、私には所蔵という精神がなかったので、押入は無用であった。所蔵していたものといえば高貴な女先生の幻で、私がそのころバイブルを読んだのは、この人の面影から聖母マリヤというものを空想したからであった。然し私は、あこがれてはいたが、恋してはいなかった。恋愛という平衡を失った精神はいささかも感じなかったので、せめて同じこの分校で机を並べて仕事ができたらいいになアと、私の欲する最大のことはそれだけであった。この人の面影は今はもう私の胸にはない。顔も思いだすことができず、姓名すら記憶にないのである。
★
私はそのころ太陽というものに生命を感じていた。私はふりそそぐ陽射しの中に無数の光りかがやく泡、エーテルの波を見ることができたものだ。私は青空と光を眺めるだけで、もう幸福であった。麦畑を渡る風と光の香気の中で、私は至高の歓喜を感じていた。
雨の日は雨の一粒一粒の中にも、嵐の日は狂い叫ぶその音の中にも私はなつかしい命を見つめることができた。樹々の葉にも、鳥にも、虫にも、そしてあの流れる雲にも、私は常に私の心と語り合う親しい命を感じつづけていた。酒を飲まねばならぬ何の理由もなかったので、私は酒を好まなかった。女の先生の幻だけでみたされており、女の肉体も必要ではなかった。夜は疲れて熟睡した。
私と自然との間から次第に距離が失われ、私の感官は自然の感触とその生命によって充たされている。私はそれに直接不安ではなかったが、やっぱり麦畑の丘や原始林の木暗い下を充ちたりて歩いているとき、ふと私に話かける私の姿を木の奥や木の繁みの上や丘の土肌の上に見るのであった。彼等は常に静かであった。言葉も冷静で、やわらかかった。彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。
だが私は何事によって苦しむべきか知らなかった。私には肉体の慾望も少なかった。苦しむとは、いったい、何が苦しむのだろう。私は不幸を空想した。貧乏、病気、失恋、野心の挫折、老衰、不知、反目、絶望。私は充ち足りているのだ。不幸を手探りしても、その影すらも捉えることはできない。叱責を怖れる悪童の心のせつなさも、私にとってはなつかしい現実であった。不幸とは何物であろうか。
然し私はふと現れて私に話しかける私の影に次第に圧迫されていた。私は娼家へ行ってみようか。そして最も不潔なひどい病気にでもなってみたらいいのだろうか、と考えてみたりした。
私のクラスに鈴木という女の子がいた。この子の姉は実の父と夫婦の関係を結んでいるという隠れもない話であった。そういう家自体の罪悪の暗さは、この子の性格の上にも陰鬱な影となって落ちており、友達と話をしていることすらめったになく、浮々と遊んでいることなどは全くない。いつも片隅にしょんぼりしており、話しかけるとかすかに笑うだけなのである。この子からは肉体が感じられなかった。
私は不幸ということに就て戸惑いするたびに、この十二の陰鬱な娘の姿を思い出した。
石津という娘と、山田という娘がいた。私はこの二人は生理的にももう女ではないのだろうかと時々疑ったものだが、石津の方は色っぽくて私に話しかける時などは媚こびるような色気があったが、そのくせ他の女生徒にくらべると、嫉妬心だの意地の悪さなどは一番すくなく、ただやがて弄もてあそばれるふくよかな肉体だけしかないような気がする。これも余り友達などはない方で、女の子にありがちな、親友と徒党的な垣をつくるようなことが性格的に稀薄なようだ。そのくせ明るくて、いつも笑ってポカンと口をあけて何かを眺めているような顔だった。
山田の方は豆腐屋の子で、然し豆腐屋の実子ではなく、女房の連れ子なのである。その妹と弟は豆腐屋の実子であった。この娘は仮名で名前だけしか書けない一人で、女の子の中で最も腕力が強い。男の子と対等で喧嘩をして、これに勝つ男はすくないので、身体も大きかったが、いつも口をキッと結んで、顔付はむしろ利巧そうに見える。陰性というのとも違う、何か思いつめているようで、明るさがなく、全然友達がない。喋ることに喜びを感じることがないように人と語り合うことがすくなく、それでも沈黙がちに遊戯の中へ加わって極めて野性的にとび廻っている。笑うことなどはなく、面白くもなさそうだが、然し跳ね廻っている姿は他の子供に比べると格段にその描きだす線が大きく荒々しく、まったく野獣のような力がこもっていて、野性がみちていた。そのくせ色気が乏しい。大胆不敵のようだが、実際は、私は他の小さなたわいもない女生徒の方に実はもっと本質的な女自体の不敵さを見出していたもので、嫉妬心だの意地の悪さだの女的なものが少いのである。今は早熟の如くでも、すべてこれらの子供達が大人になったときには、結局この娘の方が最後に女から取り残され、あらゆる同性に敗北するのではないかと私は思った。
この娘の母親がある一夜私を訪ねてきたことがある。この娘の特別の事情、つまり、何人かの妹弟の中でこの娘だけが実子でないために性格がひねくれていることを説明して、父母の方では別に差別はしていないのだから、もっと父に打ちとけるように娘にさとしてくれというのだ。この母親は淫奔な女だという評判で、まったく見るからに淫奔らしい三十そこそこの女であった。いや、ひねくれてはおりません、と私は答えた。ひねくれたように見えるだけです。素直な心と、正しいものをあやまたずに認めてそれを受け入れる立派な素質を持っています。私の説教などは不要です。問題はあなた方の本当の愛情です。私がいちばん心配なのは、あの娘は、人に愛される素質がすくない。女として愛される素質がすくない。ひねくれのせいではないのです。あの娘は人に愛されたことがないのではありませんか。先ず親に、あなた方に愛されたことがないのではありませんか。私に説教してくれなんて、とんでもないお門違いですよ。あなたが、あなたの胸にきいてごらんなさい。
この母親はちっとも表情を表わさずに、私の言葉をとりとめのない漠然たる顔付できいていた。これも仮名で名前しか書けない一人だろうと私は思った。ただ、子供とはあべこべに、徹頭徹尾色っぽく、肉慾的だ。最も女であった。その淫奔な動物性が、娘の野性と共通しているだけだった。娘は大柄であるのに、母親はひどく小柄であった。顔はどちらも美人の部類である。二三分だまっていたが、やがてひどく馴れ馴れしく世間話をして帰って行った。
鈴木と並べて石津と山田を私は思いだす習慣になっていた。この三人の未来には不幸のみが待ち構えているように思われてならない。私は不幸というものを、私自身に就てでなしに、生徒の影の上から先ず見凝みつめはじめていたのだ。その不幸とは愛されないということだ。尊重されないということだ。石津の場合はただオモチャにされ、私はやがて娼婦となって暮している喜怒哀楽の稀薄な、たわいもない肉塊を想像した。私は実際の娼家も娼婦も知らなかったが、まったく小説などから得たものの中で現実を組み立てていたのである。然し私の予感は今でも当っていたように考えている。
石津は貧しい家の娘で、その身体にはいっぱい虱しらみがたかっていた。外の子供がそう云って冷やかす。キリリと怒るような顔になるが、やがて又たわいもない笑い顔になってしまう。善良というよりも愚かという魂が感じられる。読み書きはともかく出来て、中くらいの成績なのだが、人生の行路では、仮名も知らない女よりも処世に疎うとくて、要するに本当の生長がないような愚な魂がのぞけて見えるのだ。そのくせ、ひどく色っぽい。ただ、それだけだ。
私は先生をやめるとき、この娘を女中に譲り受けて連れて行こうかと思った。そうして、やがて自然の結果が二人の肉体を結びつけたら、結婚してもいいと思った。まったくこれは奇妙な妄想であった。私は今でも白痴的な女に妙に惹ひかれるのだが、これがその現実に於ける首はじまりで、私は恋情とか、胸の火だとか、そういうものは自覚せず、極めて冷静に、一人の少女とやがて結婚してもいいと考え耽っていたのである。
私は高貴な女先生の顔はもうその輪郭すらも全く忘れて思い描くよしもないが、この三人の少女の顔は今も生々しく記憶している。石津はオモチャにされ、踏みつけられ、虐しいたげられても、いつもたわいもなく楽天的なような気がするのだが、むろん現実ではそんな筈はない。虱たかりと云われて、やっぱり一瞬はキリリとまなじりを決するので、踏みしだかれて、路上の馬糞のように喘あえいでいる姿も思う。私の予感は当っていて、その後娼家の娼婦に接してみると、こんな風なたわいもない楽天家に屡々しばしばめぐりあったものである。
★
私は近頃、誰しも人は少年から大人になる一期間、大人よりも老成する時があるのではないかと考えるようになった。
近頃私のところへ時々訪ねてくる二人の青年がいる。二十二だ。彼等は昔は右翼団体に属していたこちこちの国粋主義者だが、今は人間の本当の生き方ということを考えているようである。この青年達は私の「堕落論」とか「淪落りんらく論」がなんとなく本当の言葉であるようにも感じているらしいが、その激しさについてこれないのである。彼等は何よりも節度を尊んでいる。
やっぱり戦争から帰ってきたばかりの若い詩人と特攻くずれの編輯者がいる。彼等は私の家へ二三日泊り、ガチャガチャ食事をつくってくれたり、そういう彼等には全く戦陣の影がある。まったく野戦の状態で、野放しにされた荒々しい野性が横溢おういつしているのである。然し彼等の魂にはやはり驚くべき節度があって、つまり彼等はみんな高貴な女先生の面影を胸にだきしめているのだ。この連中も二十二だ。彼等には未だ本当の肉体の生活が始まっていない。彼等の精神が肉体自体に苦しめられる年齢の発育まできていないのだろう。この時期の青年は、四十五十の大人よりも、むしろ老成している。彼等の節度は自然のもので、大人達の節度のように強いて歪ゆがめられ、つくりあげられたものではない。あらゆる人間がある期間はカンジダなのだと私は思う。それから堕ちるのだ。ところが、肉体の堕ちると共に、魂の純潔まで多くは失うのではないか。
私は後年ボルテールのカンジダを読んで苦笑したものだが、私が先生をしているとき、不幸と苦しみの漠然たる志向に追われ、その実私には不幸や苦しみを空想的にしか捉えることができない。そのとき私は自分に不幸を与える方法として、娼家へ行くこと、そして最も厭な最も汚らしい病気になっては、と考えたものだ。この思いつきは妙に根強く私の頭に絡からみついていたものである。別に深い意味はない。外に不幸とはどんなものか想像することができなかったせいだろう。
私は教員をしている間、なべて勤める人の処世上の苦痛、つまり上役との衝突とか、いじめられるとか、党派的な摩擦とか、そういうものに苦しめられる機会がなかった。先生の数が五人しかない。党派も有りようがない。それに分教場のことで、主任といっても校長とは違うから、そう責任は感じておらず、第一非常に無責任な、教育事業などに何の情熱もない男だ。自分自身が教室をほったらかして、有力者の縁談などで東奔西走しているから、教育という仕事に就ては誰に向っても一言半句も言うことができないので、私は音楽とソロバンができないから、そういうものをぬきにして勝手な時間表をつくっても文句はいわず、ただ稀れに、有力者の子供を大事にしてくれということだけ、ほのめかした。然し私はそういうことにこだわる必要はなかったので、私は子供をみんな可愛がっていたから、それ以上どうする必要も感じていなかった。
特に主任が私に言ったのは荻原という地主の子供で、この地主は学務委員であった。この子は然し本来よい子供で、時々いたずらをして私に怒られたが、怒られる理由をよく知っているので、私に怒られて許されると却かえって安心するのであった。あるとき、この子供が、先生は僕ばかり叱る、といって泣きだした。そうじゃない。本当は私に甘えている我がままなのだ。へえ、そうかい。俺はお前だけ特別叱るかい。そう云って私が笑いだしたら、すぐ泣きやんで自分も笑いだした。私と子供とのこういうつながりは、主任には分らなかった。
子供は大人と同じように、ずるい。牛乳屋の落第生なども、とてもずるいにはずるいけれども、同時に人のために甘んじて犠牲になるような正しい勇気も一緒に住んでいるので、つまり大人と違うのは、正しい勇気の分量が多いという点だけだ。ずるさは仕方がない。ずるさが悪徳ではないので、同時に存している正しい勇気を失うことがいけないのだと私は思った。
ある放課後、生徒も帰り、先生も帰り、私一人で職員室に朦朧もうろうとしていると、外から窓のガラスをコツコツ叩く者がある。見ると、主任だ。
主任は帰る道に有力者の家へ寄った。すると子供が泣いて帰ってきて、先生に叱られたという。お父さんが学務委員などをして威張っているから、先生が俺を憎むのだ。お父さんの馬鹿野郎、と云って、大変な暴れ方で手がつけられない。いったい、どうして、叱ったのだ、と言うのである。
あいにく私はその日はその子供を叱ってはいないのである。然し子供のやることには必ず裏側に悲しい意味があるので、決して表面の事柄だけで判断してはいけないものだ。そうですか。大したことではないけれど、叱らねばならないことがあったから叱っただけです、じゃ、君、と、主任はいやらしい笑い方をして、君、ちょっと、出掛けて行って釈明してくれ給え。長い物にはまかれろというから、仕方がないさ、ヘッヘ、という。主任はヘッヘという笑い方を屡々つけたす男であった。
「僕は行く必要がないです。先生はお帰りの道順でしょうから、子供に、子供にだけです、ここへ来るように言っていただけませんか」
「そうかい。然し、君、あんまり子供を叱っちゃ、いけないよ」
「ええ、まア、僕の子供のことは僕にまかせておいて下さい」
「そうかい。然し、お手やわらかに頼むよ、有力者の子供は特別にね」
と、その日の主任は虫の居どころのせいか、案外アッサリぴょこぴょこ歩いて行った。私は今まで忘れていたが、彼はほんの少しだがビッコで、ちょっと尻を横っちょへ突きだすようにぴょこぴょこ歩くのである。だが、その足はひどく速い。
まもなく子供はてれて笑いながらやってきて、先生と窓の外からよんで、隠れている。私はよく叱るけれども、この子供が大好きなのである。その親愛はこの子供には良く通じていた。
「どうして親父をこまらしたんだ」
「だって、癪しゃくだもの」
「本当のことを教えろよ。学校から帰る道に、なにか、やったんだろう」
子供の胸にひめられている苦悩懊悩おうのうは、大人と同様に、むしろそれよりもひたむきに、深刻なのである。その原因が幼稚であるといって、苦悩自体の深さを原因の幼稚さで片づけてはいけない。そういう自責や苦悩の深さは七ツの子供も四十の男も変りのあるものではない。
彼は泣きだした。彼は学校の隣の文房具屋で店先の鉛筆を盗んだのである。牛乳屋の落第生におどかされて、たぶん何か、おどかされる弱い尻尾があったのだろう、そういうことは立入ってきいてやらない方がいいようだ、ともかく仕方なしに盗んだのである。お前の名前など言わずに鉛筆の代金は払っておいてやるから心配するなと云うと、喜んで帰って行った。その数日後、誰もいないのを見すましてソッと教員室へやってきて、二三十銭の金をとりだして、先生、払ってくれた? とききにきた。
牛乳屋の落第生は悪いことがバレて叱られそうな気配が近づいているのを察しると、ひどくマメマメしく働きだすのである。掃除当番などを自分で引受けて、ガラスなどまでセッセと拭いたり、先生、便所がいっぱいだからくんでやろうか、そんなことできるのか、俺は働くことはなんでもできるよ、そうか、汲んだものをどこへ持ってくのだ、裏の川へ流しちゃうよ、無茶言うな、ザッとこういうあんばいなのである。その時もマメマメしくやりだしたので、私はおかしくて仕方がない。
私が彼の方へ歩いて行くと、彼はにわかに後じさりして、
「先生、叱っちゃ、いや」
彼は真剣に耳を押えて目をとじてしまった。
「ああ、叱らない」
「かんべんしてくれる」
「かんべんしてやる。これからは人をそそのかして物を盗ませたりしちゃいけないよ。どうしても悪いことをせずにいられなかったら、人を使わずに、自分一人でやれ。善いことも悪いことも自分一人でやるんだ」
彼はいつもウンウンと云って、きいているのである。
こういう職業は、もし、たとえば少年達へのお説教というものを、自分自身の生き方として考えるなら、とても空虚で、つづけられるものではない。そのころは、然し私は自信をもっていたものだ。今はとてもこんな風に子供にお説教などはできない。あの頃の私はまったく自然というものの感触に溺れ、太陽の讃歌のようなものが常に魂から唄われ流れでていた。私は臆面もなく老成しきって、そういう老成の実際の空虚というものを、さとらずにいた。さとらずに、いられたのである。
私が教員をやめるときは、ずいぶん迷った。なぜ、やめなければならないのか。私は仏教を勉強して、坊主になろうと思ったのだが、それは「さとり」というものへのあこがれ、その求道のための厳しさに対する郷愁めくものへのあこがれであった。教員という生活に同じものが生かされぬ筈はない。私はそう思ったので、さとりへのあこがれなどというけれども、所詮名誉慾というものがあってのことで、私はそういう自分の卑しさを嘆いたものであった。私は一向希望に燃えていなかった。私のあこがれは「世を捨てる」という形態の上にあったので、そして内心は世を捨てることが不安であり、正しい希望を抛棄している自覚と不安、悔恨と絶望をすでに感じつづけていたのである。まだ足りない。何もかも、すべてを捨てよう。そうしたら、どうにかなるのではないか。私は気違いじみたヤケクソの気持で、捨てる、捨てる、捨てる、何でも構わず、ただひたすらに捨てることを急ごうとしている自分を見つめていた。自殺が生きたい手段の一つであると同様に、捨てるというヤケクソの志向が実は青春の跫音あしおとのひとつにすぎないことを、やっぱり感じつづけていた。私は少年時代から小説家になりたかったのだ。だがその才能がないと思いこんでいたので、そういう正しい希望へのてんからの諦めが、底に働いていたこともあったろう。
教員時代の変に充ち足りた一年間というものは、私の歴史の中で、私自身でないような、思いだすたびに嘘のような変に白々しい気持がするのである。
底本:「坂口安吾全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1990(平成2)年3月27日第1刷発行
底本の親本:「いづこへ」真光社
1947(昭和22)年5月15日発行
初出:「文芸 第四巻第一号(新春号)」
1947(昭和22)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、以下に限って、大振りにつくっています。
「その一二ヶ月というもの」
入力:砂場清隆
校正:伊藤時也
2005年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
いずこへ
俺も
統一教会
勧誘されたことあるんだよね。
韓国語の先生探してるときに、
伊勢崎で待ち合わせて、
赤城山にドライブに連れてかれて、
結構しつこく勧誘された。
あの時は、
英語だけじゃなくて、
韓国語も出来ないと、
父親が死んだら
俺も野垂れ死ぬ!
て半ば本気で思ってたから、
毒も喰らわば皿まで!
ぐらいの勢いで、
ちょっと付き合ってみるかな、
と思ったんだけど、
親があまりにも
困惑し切った表情するもんだから、
諦めた。
中国語の教室って、
割と高崎みたいな地方都市でもあるんだけど、
韓国語の教室って、
少なくとも
あの当時は
適当なのがなかったね。
結局
大宮の手前の宮原で、
韓国料理屋のかたわら
韓国語教室もやってるところで
少し勉強させてもらった。
贅沢。
あれ、確か放送大学
始める前だったかな?
ほんと、俺の人生どうなっちまうんだか・・・?
て感じだった。
ほんと放送大学に救われた。
精神病んで
大学中退して、
社会のレールから外れて
トシだけ喰った
無職の男なんて、
わびしいなんてもんじゃないよ。
少しぐらい
慶応恨んだっていいだろ?
そうじゃないか?
2022年8月30日火曜日
GAFA恐るべし
気付いたら、ノートパソコン、メール、ブログまでグーグル。
アマゾンのヘビーユーザー。
facebookも使ってる。
アップルのタブレット端末も持ってる。
グゥの音も出ねえ。
2019年のロイターの記事で、
日本の経常収支黒字は縮小が予想されるから、
稼げる
プラットフォーム産業の構築が急務、
と書いてあったけど、
結局育たなかったね。
文化的資本にしても、
過去の蓄積を食いつぶすだけ。
あっ、スマホを初めて世に出したのも、アップルだったね。
もうお手上げです。
アメリカさんには敵いません。
https://jp.reuters.com/article/japan-economy-idJPKCN1QP0DX
放送大学
自分も入る前は、
果たして正規の大学なのか?
カルチャーセンターじゃないのか?
と思ってたけど、
運営費の6割が国から出てるらしいし、
山岡先生がいうには、
放送大学は
「文科省の手先」
らしいし、
カルチャーセンターどころか、
まさに大学のなかの大学と言っても過言ではない。
全都道府県に漏れなく学習センターがあって、
面接授業の講師も質が高い、
のみならず、
放送授業も
東大を始めとした、
文句のつけようのない
質の高い陣容。
それを、並の私学では考えられない
格安の授業料で受けられるんだから、
穴場中の穴場としか言いようがない。
しかも無試験。
まさに
学びのセーフティーネット。
慶応SFCの強みって、
色々な分野の優秀な教授の研究会に入れることなのに、
せっかくSFCに居ながら
研究会に入らないとか意味分かんない。
どうせ高い学費払うなら、
研究会に入らないと、
まじ無駄。
SFCに限った話じゃないだろうが、
メシを一人で食ってるだけで、
”ぼっち”だなんだと騒いでるようじゃ、
到底話しにならない。
バカじゃねーの?
メシぐらい一人で食わせろ!
気の毒
厚生労働省が頑張って、
待機児童を半減させたらしいけど、
世間が騒いで、
役人が頑張って解決した頃には、
みんな忘れてる。
天下りもできないし、
マスコミからは、
官僚(行政)はバッシングするための鉄板ネタ扱いされてるし。
これじゃ優秀な人材なんか集まるわけがない。
身分が保障されてるっていうけど、
それは政治的活動が事実上禁止されてることの裏返しでもあるからね。
公務員に口なしじゃないけど、
俺はそんな人生は絶対イヤだね。
世の中そんなに甘くない
ネット上の文章は、
ある程度機械的に、価値があるかどうかを判断できるけど、
動画はまだそこまで行ってないのかな?
でも、
技術が進んで、
動画の価値もある程度機械的に判断できるようになれば、
日本のユーチューバーは、壊滅的な打撃受けるんじゃないの?
ガーシーみたいに、
芸能人の裏話暴露して大金得て、
しかも
勢いで国会議員にまでなる、なんて事態は、
グーグルに対して
相当な危機感を抱かせたと思う。
オラオラ
グーグルブログに広告乗っけるのって、
意外と難易度高いらしいから、
乗っけることにした。
鬱陶しいし、どうせカネにもならないんだけど、
マトモなサイトであるとグーグルが判断した
証拠にもなるので。
特に、カネに関する内容の記事は、
厳しく審査されるらしい。
https://www.iscle.com/web-it/g-drive/adsense/no-diary.html
泥縄
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d5a3386a7472b355ce257f695bba6b97bdb996c
そらそうだよな。
2億で済むはずがない。
海外から要人がわんさか来るんだから。
警備費とか考えれば、かなりの額になるよな。
死んだ後まで嘘で塗り固めるのか。
いよいよ安倍らしいな。
岸田さんも、案外バカだね。
墓穴掘ったわ。
2022年8月29日月曜日
通りすぎた夏の匂い 思い出して 懐かしいね
7・8月の二ヶ月は大変だったな。
単位認定試験が終わった直後から
勉強し始めたし、
単位認定試験の結果次第で
2回目の卒業が決まるから、
気を揉んだし。
山崎豊子の「華麗なる一族」も
ハードだった。
安倍ちゃん銃撃のあとの
統一教会がらみのネット記事を
ジョンさんに
分かるように加工してエキサイトしたりとか。
振り返れば、結構がんばった。
8月が終われば、
同時に科目登録も終わるし、
2学期なにを履修するかも
気をもまないで済む。
少なくとも9月は
なにもない春です。
前にも書いたけど
武蔵っていう場所は、
言い訳の効かない
「お前、自分の頭で考えろよ?」
っていう
場面を、必ず一度は突きつけられる場所だと思う。
別に武蔵じゃなくてもいいんだけど、
ぶっちゃけ
サニチだったら、少なくとも勉強に関しては
いくらでも
逃げられる。
「自分の頭で考える」と言えば、そら誰だって自分の頭で考えてるだろ、と思うだろうが、
実際には、逃げ場がある、言い訳が効く環境では、なかなか身につくもんじゃない。
それは、
教師が頑張ってどうこう出来るもんじゃなく、
カルチャーを含めて、武蔵という学校の環境だと思う。
単に大学受験のことだけ考えれば、武蔵よりサニチのほうが遥かにいい環境だろう。
お山の大将でいられるし。
しかし、武蔵は逃げを許してくれない。
現にいまだって、
下手なことを書けば、
え、それはどういうことなの?
と厳しいツッコミが友達から容赦なく飛んでくるのは覚悟してる。
そういうツッコミを、
自分の中で想定していること、
つまり、自分が表明することに対してどのような批判があり得るか、を考える思考回路を
内製化できていることが、
自分の強みでもある。
日本の未来予想図
財政危機の度合いから言ったら、
既に終戦直前を上回る最悪のレベルなんだけど、
終戦直後のハイパーインフレが起きるか?
と言ったら、そんなことにはならないと思う。
なぜなら、IMFがお金貸してくれるから。
とはいえ、めちゃくちゃ厳しいコンディショナリティ科されると思うけど。
ブレトンウッズ体制ってそういうもん。
それに、アメリカからすれば、
日本は対中国の地理的要衝だから、
日本が破滅するようなことにはさせないと思う。
とはいえ、
人口減少はどうにもならないから、
移民受け入れは避けられないだろうし、
既にその傾向は現れている。
言葉あそびーdeliverの意味の覚え方
The day Professor Kim delivered a speech about how to deliver the earth from global warming, the delayed delivery of pizza made him deliver a blow to a delivery staff.
キム教授が「地球を温暖化から救う方法」について講演した日、ピザの配達が遅れたため、配達員に一撃を加えてしまったのです。(Deepl訳)
2022年8月28日日曜日
旬報社(再掲)
1990年代以降、企業のグローバル展開が加速していくのに合わせて、国内では非正規雇用への切り替えや賃金の削減など、生産コスト抑制が強まりました。大企業はグローバル展開と国内での労働条件引き下げにより、利潤を増加させてきたのです。しかし、その増加した利潤は再びグローバル投資(国内外のM&Aを含む)に振り向けられます。そして、グローバル競争を背景にした規制緩和によって、M&Aが増加していきますが、これによって株主配分に重点を置いた利益処分が強まり、所得格差の拡大が生じています。また、国内の生産コスト抑制により、内需が縮小していきますが、これは企業に対してさらなるグローバル展開へと駆り立てます。 このように、現代日本経済は国内経済の衰退とグローバル企業の利潤拡大を生み出していく構造になっているのです。1990年代以降、景気拡大や企業収益の増大にも関わらず、賃金の上昇や労働条件の改善につながらないという問題を冒頭で指摘しましたが、このような日本経済の構造に要因があるのです。 新版図説「経済の論点」旬報社
まとめ
あ〜あ、思い出せるだけ〜思い出して、あそびたぁぁぁぁい!
てなわけで、
放送大学「現代の国際政治」第5回の放送授業内容を、出来る限り思い出しながら、要点をまとめてみたいと思います。
まず、第二次大戦を教訓として、
ブロック経済が日独伊の枢軸国を侵略戦争に駆り立てた、
という反省のもとに、
GATT-IMF体制、いわゆるブレトンウッズ体制が確立された。
第四次中東戦争がきっかけとなり、
第一次石油危機が起こると、
中東産油国が石油利権を掌握し、
莫大な富を得るようになる。
そのオイル・マネーの運用先として、
南米へ投資資金が流入するが、
うまくいかず、
債務危機を引き起こした。
しかし、
債務危機が世界へ波及するのを防ぐために、
国際金融の最後の貸し手としてのIMFによる、
厳しい条件つきの再建策を受け入れる
状況がうまれたが、
これは、
国家主権を侵害しかねないものであり、
反発から、
南米では
ポピュリズム政治がはびこるようになった。
自由貿易体制を標榜するアメリカも、
固定相場制により、
相対的にドル高基調になり、
日欧の輸出産品の輸入量が増大したことにより、
ゴールドが流出し、
金ドル兌換制を維持できなくなり、
ニクソンショックにより、
変動相場制へ移行した。
また、この背後には、アメリカが掲げた
「偉大な社会」政策による、高福祉社会の負担や、ベトナム戦争による、国力の低下も起因していた。
日米関係に眼を転じると、
日本からの輸出が貿易摩擦を引き起こし、
自由主義経済の盟主としてのアメリカは、
自主的に日本に輸出規制させるために、
日本は安全保障をアメリカに依存していることをテコにして、
日本国内の商慣行の改変、
たとえば中小企業保護のための大規模商業施設規制の撤廃など、
アメリカに有利な条件に改め、ネオリベラリズム的政策を受け入れさせた。
その一方、
日本企業は、アメリカに直接投資することで、
アメリカに雇用を生み出しつつ、アメリカの需要に応えた。
その後、更に国際分業が進展すると、
知識集約型産業は先進国に、
労働集約型の産業は発展途上国に、
という役割分担が生まれ、
グローバルサプライチェーンが確立されるなか、
国際的な経済格差が生まれた。
一方、
先進国でも、
工場を海外移転する傾向が強まる中、
産業の空洞化が進展し、
国力の衰退を招くケースも見られた。
経済の相互依存が進展し、
「グローバル化」という状況が深化すると、
アメリカのような先進国においても、
グローバル主義経済に対抗する
右派的ポピュリズム政治が台頭するようになった。
ま、こんなとこかな。
地域間経済協定については割愛した。
現代の国際政治
放送大学すばらしすぎる!!!!
「現代の国際政治」の
第5回
『相互依存とグローバル化』は
東京大学教授の鈴木一人先生の
担当でしたが、
自分が、
これまで
面接授業で受けたことや、
放送授業で受けた内容、
なにより、
自分がさんざんこだわってきた
「グローバル化」について、
総ざらいしてくれていて、
自分のやって来たことは間違いじゃなかった!
と確信を持てました。
俺、案外ナウいことやってんじゃん!
https://www.youtube.com/watch?v=JCU2rQlULwY
下巻
万俵鉄平も可哀想にな。
ほんと同情するわ。
これじゃイジメだろ。
会社経営ってのは、
上手くいってる時は有頂天だろうが、
転がり落ちるときは、悲惨だな。
鉄平がほんの少し
過度に
高炉建設にこだわり過ぎただけなのに。
まあ、どっちにせよ、
経済の勉強になるわ。
・・・第一章読み終えたところで、
先も見えたし、とりあえず
一段落。
2022年8月27日土曜日
民主主義への挑戦?
検察は、
山上被告?容疑者?に対して、
死刑を求刑する、と息巻いているそうだが、
1人殺害で死刑とは、
穏やかではない。
それでも
死刑を求刑する根拠は、
「民主主義への挑戦」だという。
なるほど、
選挙活動中に銃撃されて死んだんだから、
確かに民主主義への挑戦だ。
しかし、
民主主義に挑戦していたのは、
むしろ安倍のほうなのではないか?
宗教団体という、
信者たちが自分で主体的に考えて投票できるか疑わしい
組織を集票マシーン化しているほうが、
よっぽど
民主主義に対する挑戦だと思うが。
厚生経済学では、
組織の大小を問わず、
独裁者が出現する可能性があることを、数学的に証明している。
古代ギリシャでは、
僭主を陶片追放(オストラシズム)する制度があった。
これは、
独裁者を排除する方法として、やや粗っぽいとはいえ、
古代ギリシャ人の政治的知恵の水準の高さを示している。
翻って、
安倍は、
アベノミクスというイカサマ、
これがイカサマだということを、日本人はこれから知ることになるだろう。
このイカサマを使って、
日本の政界、のみならず
日本全体を支配していたのだ。
このような人間が排除されることは、
むしろ
民主主義に資することだ。
それが銃撃によって死亡する、というのは野蛮だったが。
NHKの経済コラム
海外資本の日本国債保有割合が高まってるって話だけど、
経常収支がみかけ上黒字でも、
実態はもう海外資本に頼らなければ、
日本国債を円だけではファイナンス出来なくなってるんじゃないか?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220826/k10013788391000.html
今更だけど
山川賞とった
大澤くんみたいなのが
部活の後輩にいるとね、
大学生にもなって
自分の研究テーマを持ってないってのは、
凄く恥ずかしい、
と思ってたよ。
多くの大学生の意識はそうでもないってことに
しばらくしてから気付いたけど。
そこらへんが、
武蔵がアカデミズム重視の学校と言われるゆえんだろうね。
会報で、
大昔のOBの回顧録で、
中1で同級生に初めてかけられた言葉が、
「ご専門はなんですか?」
だった、なんて話も載ってた。
もともとそういう学校なんだね。
つっても、自分みたいなザコは
高校の現国でレポート書けなくて、
教師にキレられたり、
小論文が書けなくてSFC2回も落ちたり、
SFC入ったら入ったで、レポート書けなくて四苦八苦したり。
今みたいに守備範囲内だったら書ける、
というレベルになるまでは、相当な労力と時間がかかったよ。
贅沢な話だけどね。
でも、高校入ってからずーっと劣等感抱えて生きてきた。
正味の話。
https://www.youtube.com/watch?v=y4vzWSzNqZ0
深夜番組
父親の夜間採尿してた頃は、
夜中の1時半くらいまでは
普通に寝ないで、テレビつけてたけど、
キスマイ超ブサイクは
めちゃくちゃ面白い。
宮田くんとか、もう下手な芸人より
全然面白い。
二階堂とかも狂気じみてるし。
安定して面白い。
2022年8月26日金曜日
このひとをみよ。
狩野英孝は、お笑い業界にとって
物凄い貴重な存在だと思う。
あれだけ
リスク背負って
ガンガン笑い取りに行けるヤツは他にいない。
最近のお笑い芸人は、
セーフティーな笑いに終始してて、微塵も面白くない。
芸人業界の内輪ネタで盛り上がるとか、話にならない。
とにかく、
リスク取らないで
オイシイ汁だけ吸おうとする奴が多すぎる。
芸人に限らず。
https://www.youtube.com/watch?v=Qp3b-RXtz4w
ふと思った。
理系って、
文系、とくに歴史とかバカにするけど、
歴史って、
過去のデータベースだよね?
人工知能だって、
膨大なデータベースなかったら、
何も出来ないじゃん。
歴史は解釈によっていくらでも変わる、というけど、
人工知能だって、
専門家がちょっと画像を細工すれば、
リンゴをバナナと
判定してしまうらしい。
その程度のもんよ。
立憲民主党
新執行部に、
岡田克也氏、
長妻昭氏、
安住淳氏、
などの
顔ぶれが揃ったらしいね。
ま、いいんじゃないの?
いくらイメージ刷新て言われたって、
アホが雁首揃えて
お花畑談義されても、
支持しようがないわ。
上記の方々も、
安倍には太刀打ち出来なかったけど、
今の自民党相手なら
まだどうにかなるでしょ。
とにかく
選択肢がなさすぎる。
日本人は
政治学を軽視し過ぎだ。
政治は学問の対象ではない、と思っているフシさえある。
古代ギリシャの時代から、
政治学は学問だったが、
アリストテレスが、
よき統治者になるためには、統治される経験が必要だ、と
説いたらしいが、
あんまり子供をおだてて、ガキになんでも出来ると思わせないほうがいい。
放送大学には山岡龍一先生という
政治学の大家がいらっしゃるが、
ラジオで授業が公開されているから、
ぜひ一度聴いて見て欲しい。
統一教会
仲正昌樹先生は、
10年くらい旧統一教会に関わってたそうだけど、
マルクス主義を悪魔扱いする
旧統一教会の教義に触れるなかで、
実は
マルクス主義がキリスト教の転倒であることに気付いた、
みたいなことを何かの著作で書いてあったけど、
そこを気づきの出発点として、
もともとは
バリバリの理系である
仲正先生が、
今では
一般人でもついていける
現代思想の水先案内人のような役割を果たしているんだから、
少なくとも
その面においては、旧統一教会は存在意義があったと思うんだよね。
日本において無惨にも忘れられていた
マルクス主義を、それが現代思想の潮流の川上であることを
濃厚に意識しながら、
日本人の知的レベルの向上に多大なる貢献をしている
仲正先生を自分は尊敬しているし、
何かしらの価値体系(旧統一教会)で世界を説明し尽くそうという試みが、
それがどんなに有害であろうとも、
それが有害であるという気づきを齎すという一点において、
価値のある試みだと思うのよ。
だから、
宗教を否定してはいけない、と思う。
意外と効く
森永製菓のブルーベリーのサプリと、
小林製薬の眼のサプリ飲んで
寝ると、
かなり
眼の見え具合が善くなるね。
サプリなんて、
とバカにしてたけど、
あながち
悪くないじゃないか。
さすがに眼を酷使しすぎて、
視力が落ちるのは仕方ないと
思ってたけど、
これだったら、
日常生活は問題なく送れる。
実際に視力が回復してるかどうかは知らないが。
中巻もうちょいで読み終わる
万俵鉄平可哀想だな。
こら死にたくもなるわ。
それにしても、
読み始めは
弟の万俵銀平のほうが
メインに見せておいて、
話の本筋からすれば、
完全に鉄平のほうがメインじゃん。
・・・ようやく中巻読み終わった。
下巻もかなりの分量があるようだけど、
話の筋立ては出揃ったから、
あとは下り坂を下るだけだろう。
たぶん。
2022年8月25日木曜日
青空文庫
不良少年とキリスト
坂口安吾
もう十日、歯がいたい。右頬に氷をのせ、ズルフォン剤をのんで、ねている。ねていたくないのだが、氷をのせると、ねる以外に仕方がない。ねて本を読む。太宰の本をあらかた読みかえした。
ズルフォン剤を三箱カラにしたが、痛みがとまらない。是非なく、医者へ行った。一向にハカバカしく行かない。
「ハア、たいへん、よろしい。私の申上げることも、ズルフォン剤をのんで、氷嚢をあてる、それだけです。それが何より、よろしい」
こっちは、それだけでは、よろしくないのである。
「今に、治るだろうと思います」
この若い医者は、完璧な言葉を用いる。今に、治るだろうと思います、か。医学は主観的認識の問題であるか、薬物の客観的効果の問題であるか。ともかく、こっちは、歯が痛いのだよ。
原子バクダンで百万人一瞬にたゝきつぶしたって、たった一人の歯の痛みがとまらなきゃ、なにが文明だい。バカヤロー。
女房がズルフォン剤のガラスビンを縦に立てようとして、ガチャリと倒す。音響が、とびあがるほど、ひゞくのである。
「コラ、バカ者!」
「このガラスビンは立てることができるのよ」
先方は、曲芸をたのしんでいるのである。
「オマエサンは、バカだから、キライだよ」
女房の血相が変る。怒り、骨髄に徹したのである。こっちは痛み骨髄に徹している。
グサリと短刀を頬へつきさす。エイとえぐる。気持、よきにあらずや。ノドにグリグリができている。そこが、うずく。耳が痛い。頭のシンも、電気のようにヒリヒリする。
クビをくくれ。悪魔を亡ぼせ。退治せよ。すゝめ。まけるな。戦え。
かの三文々士は、歯痛によって、ついに、クビをくくって死せり。決死の血相、ものすごし。闘志充分なりき。偉大。
ほめて、くれねえだろうな。誰も。
歯が痛い、などゝいうことは、目下、歯が痛い人間以外は誰も同感してくれないのである。人間ボートク! と怒ったって、歯痛に対する不同感が人間ボートクかね。然らば、歯痛ボートク。いゝじゃないですか。歯痛ぐらい。やれやれ。歯は、そんなものでしたか。新発見。
たった一人、銀座出版の升金編輯局長という珍妙な人物が、同情をよせてくれた。
「ウム、安吾さんよ。まさしく、歯は痛いもんじゃよ。歯の病気と生殖器の病気は、同類項の陰鬱じゃ」
うまいことを言う。まったく、陰にこもっている。してみれば、借金も同類項だろう。借金は陰鬱なる病気也。不治の病い也。これを退治せんとするも、人力の及ぶべからず。あゝ、悲し、悲し。
歯痛をこらえて、ニッコリ、笑う。ちっとも、偉くねえや。このバカヤロー。
ああ、歯痛に泣く。蹴とばすぞ。このバカ者。
歯は、何本あるか。これが、問題なんだ。人によって、歯の数が違うものだと思っていたら、そうじゃ、ないんだってね。変なところまで、似せやがるよ。そうまで、しなくったって、いゝじゃないか。だからオレは、神様が、きらいなんだ。なんだって、歯の数まで、同じにしやがるんだろう。気違いめ。まったくさ。そういうキチョウメンなヤリカタは、気違いのものなんだ。もっと、素直に、なりやがれ。
歯痛をこらえて、ニッコリ、笑う。ニッコリ笑って、人を斬る。黙って坐れば、ピタリと、治る。オタスケじいさんだ。なるほど、信者が集る筈だ。
余は、歯痛によって、十日間、カンシャクを起せり。女房は親切なりき。枕頭に侍り、カナダライに氷をいれ、タオルをしぼり、五分間おきに余のホッペタにのせかえてくれたり。怒り骨髄に徹すれど、色にも見せず、貞淑、女大学なりき。
十日目。
「治った?」
「ウム。いくらか、治った」
女という動物が、何を考えているか、これは利巧な人間には、わからんよ。女房、とたんに血相変り、
「十日間、私を、いじめたな」
余はブンナグラレ、蹴とばされたり。
あゝ、余の死するや、女房とたんに血相変り、一生涯、私を、いじめたな、と余のナキガラをナグリ、クビをしめるべし。とたんに、余、生きかえれば、面白し。
檀一雄、来る。ふところより高価なるタバコをとりだし、貧乏するとゼイタクになる、タンマリお金があると、二十円の手巻きを買う、と呟きつゝ、余に一個くれたり。
「太宰が死にましたね。死んだから、葬式に行かなかった」
死なない葬式が、あるもんか。
檀は太宰と一緒に共産党の細胞とやらいう生物活動をしたことがあるのだ。そのとき太宰は、生物の親分格で、檀一雄の話によると一団中で最もマジメな党員だったそうである。
「とびこんだ場所が自分のウチの近所だから、今度はほんとに死んだと思った」
檀仙人は神示をたれて、又、曰く、
「またイタズラしましたね。なにかしらイタズラするです。死んだ日が十三日、グッドバイが十三回目、なんとか、なんとかゞ、十三……」
檀仙人は十三をズラリと並べた。てんで気がついていなかったから、私は呆気にとられた。仙人の眼力である。
太宰の死は、誰より早く、私が知った。まだ新聞へでないうちに、新潮の記者が知らせに来たのである。それをきくと、私はたゞちに置手紙を残して行方をくらました。新聞、雑誌が太宰のことで襲撃すると直覚に及んだからで、太宰のことは当分語りたくないから、と来訪の記者諸氏に宛て、書き残して、家をでたのである。これがマチガイの元であった。
新聞記者は私の置手紙の日附が新聞記事よりも早いので、怪しんだのだ。太宰の自殺が狂言で、私が二人をかくまっていると思ったのである。
私も、はじめ、生きているのじゃないか、と思った。然し、川っぷちに、ズリ落ちた跡がハッキリしていたときいたので、それでは本当に死んだと思った。ズリ落ちた跡までイタズラはできない。新聞記者は拙者に弟子入りして探偵小説を勉強しろ。
新聞記者のカンチガイが本当であったら、大いに、よかった。一年間ぐらい太宰を隠しておいて、ヒョイと生きかえらせたら、新聞記者や世の良識ある人々はカンカンと怒るか知れないが、たまにはそんなことが有っても、いゝではないか。本当の自殺よりも、狂言自殺をたくらむだけのイタズラができたら、太宰の文学はもっと傑すぐれたものになったろうと私は思っている。
★
ブランデン氏は、日本の文学者どもと違って眼識ある人である。太宰の死にふれて(時事新報)文学者がメランコリイだけで死ぬのは例が少い、たいがい虚弱から追いつめられるもので、太宰の場合も肺病が一因ではないか、という説であった。
芥川も、そうだ。支那で感染した梅毒が、貴族趣味のこの人をふるえあがらせたことが思いやられる。
芥川や太宰の苦悩に、もはや梅毒や肺病からの圧迫が慢性となって、無自覚になっていたとしても、自殺へのコースをひらいた圧力の大きなものが、彼らの虚弱であったことは本当だと私は思う。
太宰は、M・C、マイ・コメジアン、を自称しながら、どうしても、コメジアンになりきることが、できなかった。
晩年のものでは、――どうも、いけない。彼は「晩年」という小説を書いてるもんで、こんぐらかって、いけないよ。その死に近きころの作品に於ては(舌がまわらんネ)「斜陽」が最もすぐれている。然し十年前の「魚服記」(これぞ晩年の中にあり)は、すばらしいじゃないか。これぞ、M・Cの作品です。「斜陽」も、ほゞ、M・Cだけれども、どうしてもM・Cになりきれなかったんだね。
「父」だの「桜桃」だの、苦しいよ。あれを人に見せちゃア、いけないんだ。あれはフツカヨイの中にだけあり、フツカヨイの中で処理してしまわなければいけない性質のものだ。
フツカヨイの、もしくは、フツカヨイ的の、自責や追悔の苦しさ、切なさを、文学の問題にしてもいけないし、人生の問題にしてもいけない。
死に近きころの太宰は、フツカヨイ的でありすぎた。毎日がいくらフツカヨイであるにしても、文学がフツカヨイじゃ、いけない。舞台にあがったM・Cにフツカヨイは許されないのだよ。覚醒剤をのみすぎ、心臓がバクハツしても、舞台の上のフツカヨイはくいとめなければいけない。
芥川は、ともかく、舞台の上で死んだ。死ぬ時も、ちょッと、役者だった。太宰は、十三の数をひねくったり、人間失格、グッドバイと時間をかけて筋をたて、筋書き通りにやりながら、結局、舞台の上ではなく、フツカヨイ的に死んでしまった。
フツカヨイをとり去れば、太宰は健全にして整然たる常識人、つまり、マットウの人間であった。小林秀雄が、そうである。太宰は小林の常識性を笑っていたが、それはマチガイである。真に正しく整然たる常識人でなければ、まことの文学は、書ける筈がない。
今年の一月何日だか、織田作之助の一周忌に酒をのんだとき、織田夫人が二時間ほど、おくれて来た。その時までに一座は大いに酔っ払っていたが、誰かゞ織田の何人かの隠していた女の話をはじめたので、
「そういう話は今のうちにやってしまえ。織田夫人がきたら、やるんじゃないよ」
と私が言うと、
「そうだ、そうだ、ほんとうだ」
と、間髪を入れず、大声でアイヅチを打ったのが太宰であった。先輩を訪問するに袴をはき、太宰は、そういう男である。健全にして、整然たる、本当の人間であった。
然し、M・Cになれず、どうしてもフツカヨイ的になりがちであった。
人間、生きながらえば恥多し。然し、文学のM・Cには、人間の恥はあるが、フツカヨイの恥はない。
「斜陽」には、変な敬語が多すぎる。お弁当をお座敷にひろげて御持参のウイスキーをお飲みになり、といったグアイに、そうかと思うと、和田叔父が汽車にのると上キゲンに謡をうなる、というように、いかにも貴族の月並な紋切型で、作者というものは、こんなところに文学のまことの問題はないのだから平気な筈なのに、実に、フツカヨイ的に最も赤面するのが、こういうところなのである。
まったく、こんな赤面は無意味で、文学にとって、とるにも足らぬことだ。
ところが、志賀直哉という人物が、これを採りあげて、やッつける。つまり、志賀直哉なる人物が、いかに文学者でないか、単なる文章家にすぎん、ということが、これによって明かなのであるが、ところが、これが又、フツカヨイ的には最も急所をついたもので、太宰を赤面混乱させ、逆上させたに相違ない。
元々太宰は調子にのると、フツカヨイ的にすべってしまう男で、彼自身が、志賀直哉の「お殺し」という敬語が、体をなさんと云って、やッつける。
いったいに、こういうところには、太宰の一番かくしたい秘密があった、と私は思う。
彼の小説には、初期のものから始めて、自分が良家の出であることが、書かれすぎている。
そのくせ、彼は、亀井勝一郎が何かの中で自ら名門の子弟を名乗ったら、ゲッ、名門、笑わせるな、名門なんて、イヤな言葉、そう言ったが、なぜ、名門がおかしいのか、つまり太宰が、それにコダワッているのだ。名門のおかしさが、すぐ響くのだ。志賀直哉のお殺しも、それが彼にひゞく意味があったのだろう。
フロイドに「誤謬の訂正」ということがある。我々が、つい言葉を言いまちがえたりすると、それを訂正する意味で、無意識のうちに類似のマチガイをやって、合理化しようとするものだ。
フツカヨイ的な衰弱的な心理には、特にこれがひどくなり、赤面逆上的混乱苦痛とともに、誤謬の訂正的発狂状態が起るものである。
太宰は、これを、文学の上でやった。
思うに太宰は、その若い時から、家出をして女の世話になった時などに、良家の子弟、時には、華族の子弟ぐらいのところを、気取っていたこともあったのだろう。その手で、飲み屋をだまして、借金を重ねたことも、あったかも知れぬ。
フツカヨイ的に衰弱した心には、遠い一生のそれらの恥の数々が赤面逆上的に彼を苦しめていたに相違ない。そして彼は、その小説で、誤謬の訂正をやらかした。フロイドの誤謬の訂正とは、誤謬を素直に訂正することではなくて、もう一度、類似の誤謬を犯すことによって、訂正のツジツマを合せようとする意味である。
けだし、率直な誤謬の訂正、つまり善なる建設への積極的な努力を、太宰はやらなかった。
彼は、やりたかったのだ。そのアコガレや、良識は、彼の言動にあふれていた。然し、やれなかった。そこには、たしかに、虚弱の影響もある。然し、虚弱に責を負わせるのは正理ではない。たしかに、彼が、安易であったせいである。
M・Cになるには、フツカヨイを殺してかゝる努力がいるが、フツカヨイの嘆きに溺れてしまうには、努力が少くてすむのだ。然し、なぜ、安易であったか、やっぱり、虚弱に帰するべきであるかも知れぬ。
むかし、太宰がニヤリと笑って田中英光に教訓をたれた。ファン・レターには、うるさがらずに、返事をかけよ、オトクイサマだからな。文学者も商人だよ。田中英光はこの教訓にしたがって、せっせと返事を書くそうだが、太宰がせッせと返事を書いたか、あんまり書きもしなかろう。
しかし、ともかく、太宰が相当ファンにサービスしていることは事実で、去年私のところへ金沢だかどこかの本屋のオヤジが、画帖(だか、どうだか、中をあけてみなかったが、相当厚みのあるものであった)を送ってよこして、一筆かいてくれという。包みをあけずに、ほッたらかしておいたら、時々サイソクがきて、そのうち、あれは非常に高価な紙をムリして買ったもので、もう何々さん、何々さん、何々さん、太宰さんも書いてくれた、余は汝坂口先生の人格を信用している、というような変なことが書いてあった。虫の居どころの悪い時で、私も腹を立て、変なインネンをつけるな、バカ者め、と、包みをそっくり送り返したら、このキチガイめ、と怒った返事がきたことがあった。その時のハガキによると、太宰は絵をかいて、それに書を加えてやったようである。相当のサービスと申すべきであろう。これも、彼の虚弱から来ていることだろうと私は思っている。
いったいに、女優男優はとにかく、文学者とファン、ということは、日本にも、外国にも、あんまり話題にならない。だいたい、現世的な俳優という仕事と違って、文学は歴史性のある仕事であるから、文学者の関心は、現世的なものとは交りが浅くなるのが当然で、ヴァレリイはじめ崇拝者にとりまかれていたというマラルメにしても、木曜会の漱石にしても、ファンというより門弟で、一応才能の資格が前提されたツナガリであったろう。
太宰の場合は、そうではなく、映画ファンと同じようで、こういうところは、芥川にも似たところがある。私はこれを彼らの肉体の虚弱からきたものと見るのである。
彼らの文学は本来孤独の文学で、現世的、ファン的なものとツナガルところはない筈であるのに、つまり、彼らは、舞台の上のM・Cになりきる強靭さが欠けていて、その弱さを現世的におぎなうようになったのだろうと私は思う。
結局は、それが、彼らを、死に追いやった。彼らが現世を突ッぱねていれば、彼らは、自殺はしなかった。自殺したかも、知れぬ。然し、ともかく、もっと強靭なM・Cとなり、さらに傑れた作品を書いたであろう。
芥川にしても、太宰にしても、彼らの小説は、心理通、人間通の作品で、思想性は殆どない。
虚無というものは、思想ではないのである。人間そのものに附属した生理的な精神内容で、思想というものは、もっとバカな、オッチョコチョイなものだ。キリストは、思想でなく、人間そのものである。
人間性(虚無は人間性の附属品だ)は永遠不変のものであり、人間一般のものであるが、個人というものは、五十年しか生きられない人間で、その点で、唯一の特別な人間であり、人間一般と違う。思想とは、この個人に属するもので、だから、生き、又、亡びるものである。だから、元来、オッチョコチョイなのである。
思想とは、個人が、ともかく、自分の一生を大切に、より良く生きようとして、工夫をこらし、必死にあみだした策であるが、それだから、又、人間、死んでしまえば、それまでさ、アクセクするな、と言ってしまえば、それまでだ。
太宰は悟りすまして、そう云いきることも出来なかった。そのくせ、よりよく生きる工夫をほどこし、青くさい思想を怖れず、バカになることは、尚、できなかった。然し、そう悟りすまして、冷然、人生を白眼視しても、ちッとも救われもせず、偉くもない。それを太宰は、イヤというほど、知っていた筈だ。
太宰のこういう「救われざる悲しさ」は、太宰ファンなどゝいうものには分らない。太宰ファンは、太宰が冷然、白眼視、青くさい思想や人間どもの悪アガキを冷笑して、フツカヨイ的な自虐作用を見せるたびに、カッサイしていたのである。
太宰はフツカヨイ的では、ありたくないと思い、もっともそれを咒っていた筈だ。どんなに青くさくても構わない、幼稚でもいゝ、よりよく生きるために、世間的な善行でもなんでも、必死に工夫して、よい人間になりたかった筈だ。
それをさせなかったものは、もろもろの彼の虚弱だ。そして彼は現世のファンに迎合し、歴史の中のM・Cにならずに、ファンだけのためのM・Cになった。
「人間失格」「グッドバイ」「十三」なんて、いやらしい、ゲッ。他人がそれをやれば、太宰は必ず、そう言う筈ではないか。
太宰が死にそこなって、生きかえったら、いずれはフツカヨイ的に赤面逆上、大混乱、苦悶のアゲク、「人間失格」「グッドバイ」自殺、イヤらしい、ゲッ、そういうものを書いたにきまっている。
★
太宰は、時々、ホンモノのM・Cになり、光りかゞやくような作品をかいている。
「魚服記」、「斜陽」、その他、昔のものにも、いくつとなくあるが、近年のものでも、「男女同権」とか、「親友交驩」のような軽いものでも、立派なものだ。堂々、見あげたM・Cであり、歴史の中のM・Cぶりである。
けれども、それが持続ができず、どうしてもフツカヨイのM・Cになってしまう。そこから持ち直して、ホンモノのM・Cに、もどる。又、フツカヨイのM・Cにもどる。それを繰りかえしていたようだ。
然し、そのたびに、語り方が巧くなり、よい語り手になっている。文学の内容は変っていない。それは彼が人間通の文学で、人間性の原本的な問題のみ取り扱っているから、思想的な生成変化が見られないのである。
今度も、自殺をせず、立ち直って、歴史の中のM・Cになりかえったなら、彼は更に巧みな語り手となって、美しい物語をサービスした筈であった。
だいたいに、フツカヨイ的自虐作用は、わかり易いものだから、深刻ずきな青年のカッサイを博すのは当然であるが、太宰ほどの高い孤独な魂が、フツカヨイのM・Cにひきずられがちであったのは、虚弱の致すところ、又、ひとつ、酒の致すところであったと私は思う。
ブランデン氏は虚弱を見破ったが、私は、もう一つ、酒、この極めて通俗な魔物をつけ加える。
太宰の晩年はフツカヨイ的であったが、又、実際に、フツカヨイという通俗きわまるものが、彼の高い孤独な魂をむしばんでいたのだろうと思う。
酒は殆ど中毒を起さない。先日、さる精神病医の話によると、特に日本には真性アル中というものは殆どない由である。
けれども、酒を麻薬に非ず、料理の一種と思ったら、大マチガイですよ。
酒は、うまいもんじゃないです。僕はどんなウイスキーでもコニャックでも、イキを殺して、ようやく呑み下しているのだ。酔っ払うために、のんでいるです。酔うと、ねむれます。これも効用のひとつ。
然し、酒をのむと、否、酔っ払うと、忘れます。いや、別の人間に誕生します。もしも、自分というものが、忘れる必要がなかったら、何も、こんなものを、私はのみたくない。
自分を忘れたい、ウソつけ。忘れたきゃ、年中、酒をのんで、酔い通せ。これをデカダンと称す。屁理窟を云ってはならぬ。
私は生きているのだぜ。さっきも言う通り、人生五十年、タカが知れてらア、そう言うのが、あんまり易しいから、そう言いたくないと言ってるじゃないか。幼稚でも、青くさくても、泥くさくても、なんとか生きているアカシを立てようと心がけているのだ。年中酔い通すぐらいなら、死んでらい。
一時的に自分を忘れられるということは、これは魅力あることですよ。たしかに、これは、現実的に偉大なる魔術です。むかしは、金五十銭、ギザギザ一枚にぎると、新橋の駅前で、コップ酒五杯のんで、魔術がつかえた。ちかごろは、魔法をつかうのは、容易なことじゃ、ないですよ。太宰は、魔法つかいに失格せずに、人間に失格したです。と、思いこみ遊ばしたです。
もとより、太宰は、人間に失格しては、いない。フツカヨイに赤面逆上するだけでも、赤面逆上しないヤツバラよりも、どれぐらい、マットウに、人間的であったか知れぬ。
小説が書けなくなったわけでもない。ちょッと、一時的に、M・Cになりきる力が衰えただけのことだ。
太宰は、たしかに、ある種の人々にとっては、つきあいにくい人間であったろう。
たとえば、太宰は私に向って、文学界の同人についなっちゃったが、あれ、どうしたら、いゝかね、と云うから、いゝじゃないか、そんなこと、ほッたらかしておくがいゝさ。アヽ、そうだ、そうだ、とよろこぶ。
そのあとで、人に向って、坂口安吾にこうわざとショゲて見せたら、案の定、大先輩ぶって、ポンと胸をたゝかんばかりに、いゝじゃないか、ほッたらかしとけ、だってさ、などゝ面白おかしく言いかねない男なのである。
多くの旧友は、太宰のこの式の手に、太宰をイヤがって離れたりしたが、むろんこの手で友人たちは傷つけられたに相違ないが、実際は、太宰自身が、わが手によって、内々さらに傷つき、赤面逆上した筈である。
もとより、これらは、彼自身がその作中にも言っている通り、現に眼前の人へのサービスに、ふと、言ってしまうだけのことだ。それぐらいのことは、同様に作家たる友人連、知らない筈はないが、そうと知っても不快と思う人々は彼から離れたわけだろう。
然し、太宰の内々の赤面逆上、自卑、その苦痛は、ひどかった筈だ。その点、彼は信頼に足る誠実漢であり、健全な、人間であったのだ。
だから、太宰は、座談では、ふと、このサービスをやらかして、内々赤面逆上に及ぶわけだが、それを文章に書いてはおらぬ。ところが、太宰の弟子の田中英光となると、座談も文学も区別なしに、これをやらかしており、そのあとで、内々どころか、大ッピラに、赤面混乱逆上などゝ書きとばして、それで当人救われた気持だから、助からない。
太宰は、そうではなかった。もっと、本当に、つゝましく、敬虔で、誠実であったのである。それだけ、内々の赤面逆上は、ひどかった筈だ。
そういう自卑に人一倍苦しむ太宰に、酒の魔法は必需品であったのが当然だ。然し、酒の魔術には、フツカヨイという香しからぬ附属品があるから、こまる。火に油だ。
料理用の酒には、フツカヨイはないのであるが、魔術用の酒には、これがある。精神の衰弱期に、魔術を用いると、淫しがちであり、えゝ、まゝよ、死んでもいゝやと思いがちで、最も強烈な自覚症状としては、もう仕事もできなくなった、文学もイヤになった、これが、自分の本音のように思われる。実際は、フツカヨイの幻想で、そして、病的な幻想以外に、もう仕事ができない、という絶体絶命の場は、実在致してはおらぬ。
太宰のような人間通、色々知りぬいた人間でも、こんな俗なことを思いあやまる。ムリはないよ。酒は、魔術なのだから。俗でも、浅薄でも、敵が魔術だから、知っていても、人智は及ばぬ。ローレライです。
太宰は、悲し。ローレライに、してやられました。
情死だなんて、大ウソだよ。魔術使いは、酒の中で、女にほれるばかり。酒の中にいるのは、当人でなくて、別の人間だ。別の人間が惚れたって、当人は、知らないよ。
第一、ほんとに惚れて、死ぬなんて、ナンセンスさ。惚れたら、生きることです。
太宰の遺書は、体をなしていない。メチャメチャに酔っ払っていたようだ。十三日に死ぬことは、あるいは、内々考えていたかも知れぬ。ともかく、人間失格、グッドバイ、それで自殺、まア、それとなく筋は立てゝおいたのだろう。内々筋は立てゝあっても、必ず死なねばならぬ筈でもない。必ず死なねばならぬ、そのような絶体絶命の思想とか、絶体絶命の場というものが、実在するものではないのである。
彼のフツカヨイ的衰弱が、内々の筋を、次第にノッピキならないものにしたのだろう。
然し、スタコラ・サッちゃんが、イヤだと云えば、実現はする筈がない。太宰がメチャ/\酔って、言いだして、サッちゃんが、それを決定的にしたのであろう。
サッちゃんも、大酒飲みの由であるが、その遺書は、尊敬する先生のお伴をさせていたゞくのは身にあまる幸福です、というような整ったもので、一向に酔った跡はない。然し、太宰の遺書は、書体も文章も体をなしておらず、途方もない御酩酊に相違なく、これが自殺でなければ、アレ、ゆうべは、あんなことをやったか、と、フツカヨイの赤面逆上があるところだが、自殺とあっては、翌朝、目がさめないから、ダメである。
太宰の遺書は、体をなしていなすぎる。太宰の死にちかいころの文章が、フツカヨイ的であっても、ともかく、現世を相手のM・Cであったことは、たしかだ。もっとも、「如是我聞」の最終回(四回目か)は、ひどい。こゝにも、M・Cは、殆どいない。あるものは、グチである。こういうものを書くことによって、彼の内々の赤面逆上は益々ひどくなり、彼の精神は消耗して、ひとり、生きぐるしく、切なかったであろうと思う。然し、彼がM・Cでなくなるほど、身近かの者からカッサイが起り、その愚かさを知りながら、ウンザリしつゝ、カッサイの人々をめあてに、それに合わせて行ったらしい。その点では、彼は最後まで、M・Cではあった。彼をとりまく最もせまいサークルを相手に。
彼の遺書には、そのせまいサークル相手のM・Cすらもない。
子供が凡人でもカンベンしてやってくれ、という。奥さんには、あなたがキライで死ぬんじゃありません、とある。井伏さんは悪人です、とある。
そこにあるものは、泥酔の騒々しさばかりで、まったく、M・Cは、おらぬ。
だが、子供が凡人でも、カンベンしてやってくれ、とは、切ない。凡人でない子供が、彼はどんなに欲しかったろうか。凡人でも、わが子が、哀れなのだ。それで、いゝではないか。太宰は、そういう、あたりまえの人間だ。彼の小説は、彼がまッとうな人間、小さな善良な健全な整った人間であることを承知して、読まねばならないものである。
然し、子供をたゞ憐れんでくれ、とは言わずに、特に凡人だから、と言っているところに、太宰の一生をつらぬく切なさの鍵もあったろう。つまり、彼は、非凡に憑かれた類の少い見栄坊でもあった。その見栄坊自体、通俗で常識的なものであるが、志賀直哉に対する「如是我聞」のグチの中でも、このことはバクロしている。
宮様が、身につまされて愛読した、それだけでいゝではないか、と太宰は志賀直哉にくッてかゝっているのであるが、日頃のM・Cのすぐれた技術を忘れると、彼は通俗そのものである。それでいゝのだ。通俗で、常識的でなくて、どうして小説が書けようぞ。太宰が終生、ついに、この一事に気づかず、妙なカッサイに合わせてフツカヨイの自虐作用をやっていたのが、その大成をはゞんだのである。
くりかえして言う。通俗、常識そのものでなければ、すぐれた文学は書ける筈がないのだ。太宰は通俗、常識のまッとうな典型的人間でありながら、ついに、その自覚をもつことができなかった。
★
人間をわりきろうなんて、ムリだ。特別、ひどいのは、子供というヤツだ。ヒョッコリ、生れてきやがる。
不思議に、私には、子供がない。ヒョッコリ生れかけたことが、二度あったが、死んで生れたり、生まれて、とたんに死んだりした。おかげで、私は、いまだに、助かっているのである。
全然無意識のうちに、変テコリンに腹がふくらんだりして、にわかに、その気になったり、親みたいな心になって、そんな風にして、人間が生れ、育つのだから、バカらしい。
人間は、決して、親の子ではない。キリストと同じように、みんな牛小屋か便所の中かなんかに生れているのである。
親がなくとも、子が育つ。ウソです。
親があっても、子が育つんだ。親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てゝ、親らしくなりやがった出来損いが、動物とも人間ともつかない変テコリンな憐れみをかけて、陰にこもって子供を育てやがる。親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ。
太宰という男は、親兄弟、家庭というものに、いためつけられた妙チキリンな不良少年であった。
生れが、どうだ、と、つまらんことばかり、云ってやがる。強迫観念である。そのアゲク、奴は、本当に、華族の子供、天皇の子供かなんかであればいゝ、と内々思って、そういうクダラン夢想が、奴の内々の人生であった。
太宰は親とか兄とか、先輩、長老というと、もう頭が上らんのである。だから、それをヤッツケなければならぬ。口惜しいのである。然し、ふるいついて泣きたいぐらい、愛情をもっているのである。こういうところは、不良少年の典型的な心理であった。
彼は、四十になっても、まだ不良少年で、不良青年にも、不良老年にもなれない男であった。
不良少年は負けたくないのである。なんとかして、偉く見せたい。クビをくゝって、死んでも、偉く見せたい。宮様か天皇の子供でありたいように、死んでも、偉く見せたい。四十になっても、太宰の内々の心理は、それだけの不良少年の心理で、そのアサハカなことを本当にやりやがったから、無茶苦茶な奴だ。
文学者の死、そんなもんじゃない。四十になっても、不良少年だった妙テコリンの出来損いが、千々に乱れて、とうとう、やりやがったのである。
まったく、笑わせる奴だ。先輩を訪れる、先輩と称し、ハオリ袴で、やってきやがる。不良少年の仁義である。礼儀正しい。そして、天皇の子供みたいに、日本一、礼儀正しいツモリでいやがる。
芥川は太宰よりも、もっと大人のような、利巧のような顔をして、そして、秀才で、おとなしくて、ウブらしかったが、実際は、同じ不良少年であった。二重人格で、もう一つの人格は、ふところにドスをのんで縁日かなんかぶらつき、小娘を脅迫、口説いていたのである。
文学者、もっと、ひどいのは、哲学者、笑わせるな。哲学。なにが、哲学だい。なんでもありゃしないじゃないか。思索ときやがる。
ヘーゲル、西田幾多郎、なんだい、バカバカしい。六十になっても、人間なんて、不良少年、それだけのことじゃないか。大人ぶるない。冥想ときやがる。
何を冥想していたか。不良少年の冥想と、哲学者の冥想と、どこに違いがあるのか。持って廻っているだけ、大人の方が、バカなテマがかゝっているだけじゃないか。
芥川も、太宰も、不良少年の自殺であった。
不良少年の中でも、特別、弱虫、泣き虫小僧であったのである。腕力じゃ、勝てない。理窟でも、勝てない。そこで、何か、ひきあいを出して、その権威によって、自己主張をする。芥川も、太宰も、キリストをひきあいに出した。弱虫の泣き虫小僧の不良少年の手である。
ドストエフスキーとなると、不良少年でも、ガキ大将の腕ッ節があった。奴ぐらいの腕ッ節になると、キリストだの何だのヒキアイに出さぬ。自分がキリストになる。キリストをこしらえやがる。まったく、とうとう、こしらえやがった。アリョーシャという、死の直前に、ようやく、まにあった。そこまでは、シリメツレツであった。不良少年は、シリメツレツだ。
死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。
人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。
生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。
勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。
時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生れてから、死ぬまでの間です。
大ゲサすぎたのだ。限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。大ゲサなのは、子供の夢想で、学問じゃないのです。
原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。
自殺は、学問じゃないよ。子供の遊びです。はじめから、まず、限度を知っていることが、必要なのだ。
私はこの戦争のおかげで、原子バクダンは学問じゃない、子供の遊びは学問じゃない、戦争も学問じゃない、ということを教えられた。大ゲサなものを、買いかぶっていたのだ。
学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う。
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房
1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四五巻第七号」
1948(昭和23)年7月1日発行
初出:「新潮 第四五巻第七号」
1948(昭和23)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2006年11月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
「くの字点」は「/\」で表しました。
父親
自己中だったし、
欲が深いと言えばそうなんだけど、
人生最期の最期まで
めげなかったのは、
正直偉いなと思うわ。
父親が
官僚じゃないけど、言ってみりゃ天下ってきて、
高崎に舞い戻ってきて、
後から社長の座に就いたわけだけど、
自分が初めて
父親が差配する会社の事務所を見た時、
え、思ってたよりショボい。。。
と感じてしまった。
バブル真っ盛りの時期に銀座で飲み歩いたような
父親が、
こんな鄙びたところに
また戻ってきて、
よくまたやる気起こして
会社の業績を立て直したもんだな、と思うわ。
リストラ断行して、人から怨まれても。
あとあと全国組織のほうでも要職に就いてたみたいだけどね。
そういう「政治」が好きなんだな。
脳卒中おこして
ついに仕事からリタイアしても、
株に熱中してたし。
亡くなる前日に面会したときも、
変わらなかったね。
欲と言えば欲なんだけど、
最期まで人生を投げなかったのは偉いと思うわ。
毎晩夜間採尿してた頃は、
自業自得だろ
このクソジジイ!って思ってたけど、
いま遺影見てたら、
ちょっと泣けてきたわ。
言語と運命の社会学
確率のことについて、
数学が全く出来ない自分が
たびたび
言及するのもおこがましい話ですが、
内田隆三先生の
「ロジャー・アクロイドはなぜ殺される?」(岩波書店)
も、
確率、あるいは運命に関する
超一級の哲学書ですよ。
これだけ凄い著作が
残されているんだから、
日本もまだまだ捨てたもんじゃない。
ううむ、凄い。
「華麗なる一族」、中巻の8割方読んで、
ようやく話の筋も収束してきたな、
と思っていたら、
そこから更に一歩深みに足を踏み込んでいる。
ええ?そこまで行く?!
みたいな。
Kindleで読んでるからイマイチわかんないけど、
分量も凄いし、
内容もめちゃくちゃ濃いし、
これを
上・中・下巻それぞれ
1000円もしないで購入できるってのは、
ほんとに先人(山崎豊子)が日本人に遺してくれた遺産としか言いようがない。
ほんとに凄い。
原発
どういう風の吹き回しか知らんが、
世論調査で、
原発再稼働賛成が、反対を上回るケースが増えてきてるみたいね。
ま、こんだけ貿易赤字が拡大すれば、まともな反応だとは思うけど。
でも、
ウランの調達先を、よりによって中国に依存してるらしい。
それに、
原発停止の間に使われずにいたウランを、
バイデン大統領に頼まれて、
アメリカに融通してしまった、なんて話もいつぞやの日経に書いてあった気がする。
ほんと後手後手だよなー。
天然ガスにしても、
サハリン2はどうなったんだっけ?
それに、
原発も、最後は人の手で動かすから、
あまり長く稼働させないでいると、
生きたノウハウが継承されない虞もあるとか。
それに、
日本はもはや自前で原発を作れない国になってしまった可能性もある。
東日本大震災後、
原子炉工学に学生が集まらなくなったし、
東芝は見る陰もなく、
日立もどうなんだか知らん。
とにかく、
日本はやることなすことイケてない。
ガックリ・・・
今年で慶応SFC入ってからちょうど20年だけど、
結局、慶応SFCって俺にとってなんだったんだろう?
除籍目前まで9年間も粘って、91単位取ったけど、
ちょっとコスパ悪すぎる。
1番コスパ悪いと思うのは、
みんな結構いいとこの学校出てんのに、
議論が出来ない。
サッカーサークルの部長やってて、
開成でてんのに、
長後の牛丼屋でアルバイトして(たらしい)、
それでなんで週3とか4で湘南台で飲み会やるのか理解できない。
しかも、
ただ騒ぐだけで、議論なんかほとんどしない。
総じて言えることは、
器が小さいくせにプライドだけ高くて、
議論に発展しない。
単なる我利勉。
東洋大学でてるフワちゃんのほうが全然使えると思う。
受験の厳しさは身にしみて知ってるつもりだけど、
受験のためだけのガリ勉をやり続けると、
こういう、大学入ってから何一つ主体的に
学ぶ姿勢に欠けた大学生が大量発生するのか、と悟った。
そら日本企業の競争力が落ちるのも当然だわ。
そもそも、大学3年になって、ようやく学問の入り口が見え始めた時点で、
本格的に就活しなきゃいけないんだから、
まともに学問なんか出来るはずがない。
2022年8月24日水曜日
今朝の日経9面
市場は金利の先高観をかなり織り込んでいるようだね。
この先は波乱の展開になりそうだ。
返済期間の長い社債は、金利の先高観から、高くつくので、
返済期間の短いコマーシャル・ペーパーで凌いでいるらしい。
コマーシャル・ペーパーというのは、
本来社員へのボーナス支払いなどに充てるものらしいから、
そんなものに企業が資金調達を頼っている、というのは、
かなり金利の先高観を警戒しているということだろう。
しかも、
コマーシャル・ペーパーに頼っているのが、
電力・鉄鋼などの
本来長期かつ大口の資金調達を必要とする業界だというのだから、
事態は深刻だ。
これも結局、円の実力が大いに低下した、ということだろう。
https://www.sankeibiz.jp/business/news/190726/bse1907260650001-n1.htm
https://www.jutakujohokan.co.jp/article/2022/05/05/inflation-2022/
https://www.sumai1.com/useful/plus/money/plus_0218.html
人間不信と金融
「華麗なる一族」は本当に勉強になる。
まだ途中だけど、
万俵鉄平は可哀想だな。
特殊鋼業界初の高炉建設の夢をたぎらせながら、
一本気な技術者として邁進しているのに、
父親が頭取である
阪神銀行からの融資を渋られたり、
たぶん陰で嫌がらせされている。
それは、一重に、
鉄平が自分の実の子ではなく、
父親が妊ませた子なのではないか、
という不信感から来る。
人間、なんで他人にカネを貸すか?って言ったら、
相手が利子付けて還してくれるのはもちろんのこと、
根本的には、
カネを貸す相手を信用するからだよね。
カネを貸した瞬間に還って来るわけではない以上、
そこに不確定な時間上のズレが生じざるを得ない。
そこには当然、リスクが生まれる。
そのリスクが金利という形で現れるわけだが、
貸したカネが還ってくる可能性が低いほど、
金利が高くなる、
また、返済までの時間上のズレが長くなるほど、
金利が高くなる、
というのが道理だろう。
カネを借りるほうは借りるほうで、
あらん限りの知恵を絞って、綿密に事業計画を立て、返済計画を立てるだろう。
しかし、
どんなに良心的な借り手が、あらん限りの精緻さで事業計画を立てたところで、
未来の事象には、本来的に不確定性がつき纏う。
その分だけ、
リスク・プレミアムとして更に金利が高くもなるだろう。
しかし、
未来とは本来的に不確定なのだ。
直近の事例にしたって、
まさか安倍氏が突然あんな最期を遂げると誰が予測し得ただろうか?
日銀がいくら超金融緩和を継続し、
イールド・カーブ・コントロール政策を強行して、
金利の上で未来の不確定性のリスクを低くしたところで、
未来とはやはり不確定なのだ。
では、終極的になぜ人は他人にカネを貸すか?といえば、
結局は、
騙されてもいいからちょっとやらせてみるか。
という発想だろう。
それこそ井上俊が言ったように、
「詐欺が成り立ち得ないところでは、社会もまた成り立ち得ない」
のである。
人が騙されるということは、裏を返せば人を信じる能力があるということの証左である。
これも、井上俊が言ったことだ。
ちょっと、
今の日本の空気は、1億総人間不信なのではないか?
社会全体が他人に対して不信感で凝り固まっていたら、
日銀がいくら頑張ったところで、限界があるのは自明のことだ。
ちょっと騙されたな、ま、しょうがないか!というくらいの心積もりがなければ、
景気なんか良くなるはずがない。
https://www.sankeibiz.jp/business/news/190726/bse1907260650001-n1.htm
2022年8月23日火曜日
保守主義宣言(再掲)
ベンヤミンは、「手」にもとづく認識の成果としての技術の巨大な発展が全く新しい貧困状態をもたらしたと指摘している。 「技術の巨大な発展とともに、まったく新しい貧困が人類に襲いかかってきたのである。」(「貧困と経験」『著作集』第1巻) 技術は不断の発明・発見によって次々に新しいものを作り出しては古いものを破壊していく「創造的破壊」(creative destruction)(シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』)をもたらす。 機械は急速に進化していき、不断に「倫理的摩滅」にさらされている。(『資本論』第1巻、P.528参照) それとともに人間の生活を支えている周囲の事物はことごとく変化してしまうならば、人間はもはや自らの過去の経験を頼りにすることができず、つねに最初から新たにやり直すしかなくなってしまう。 「まだ鉄道馬車で学校へかよったことのあるひとつの世代が、いま、青空に浮かぶ雲のほかは何もかも変貌してしまった風景のなかに立っていた。破壊的な力と力がぶつかりあい、爆発をつづけているただなかに、ちっぽけなよわよわしい人間が立っていた。・・・これはそのまま、一種の新しい野蛮状態を意味する。 野蛮? そのとおりである。 ・・・経験の貧困に直面した野蛮人には、最初からやりなおしをするほかはない。あらたにはじめるのである。」(「経験と貧困」) これは、1933年の「経験」状況である。 ベンヤミンは、人生における経験がゆっくりと時間をかけてつくられていくような「完成する時間」に対して、「永劫回帰」する時間を対置する。 「・・・完成する時間・・・は、着手したものを完成することを許されないひとびとが住む地獄の時間と対をなしている。」(「ボードレールのいくつかのモチーフについて」『著作集』第6巻)
教養のヘーゲル(再掲)
問われるべき問題はいかにしたら、このようにして発達した、所有権のような個人の権利の意識が、社会全体への奉仕と一体になることで、より理性的で自由な意識へと陶冶されるかだ、とヘーゲルは考えた。そして、権利と義務が衝突せず、私的な利益と公的な利益が一致するような人間共同体が形成されるならば、その共同体のメンバーの幸福をみずからの幸福と感じ、法や制度に従うことは自己の欲望の否定ではなく、自己の理性的な本性の肯定であると考えるような市民が生まれると主張したのである。国家こそ、このような倫理的共同体における最高次のものだとヘーゲルは考えた。(放送大学「政治学へのいざない」211頁より)
ヘーゲルが、国家と(市民)社会とを区別して捉えたことが、国家論の歴史において画期的な意味を持つことであるということはすでに指摘した通りである。その国家と社会の分離の理由として、ヘーゲルは、市民社会には、国家のはたすような真の普遍を支える能力がないからということをあげる。そこで、市民社会の私的利害に対応するだけのものである「契約」という概念によって、国家の成立原理を説明する「社会契約説」に厳しい批判を浴びせることともなった。しかし、それだけではないはずである。というのも、国家と市民社会の分離の把握ということは、市民社会が、相対的にではあっても国家から独立した存在であることの指摘でもあるはずだからである。近代国家においては、プラトンが掲げた理想国家におけるのとは異なって、国家が個人の職業選択に干渉したりはしないし、その他の個人の私生活に干渉したりはしない。同様に、国家が市場原理を廃絶あるいは抑圧するようなこともない。そのように、市民社会が自分独自の原則にしたがって存在し、機能していることが尊重されているということが、近代における個人の解放という観点から見て、重要なことであるはずなのである。それは、ヘーゲル流の表現にしたがうならば、一方では、近代国家なり、近代社会なりが「客観的必然性」によって構成された体制であったとしても、他方では、個人の恣意や偶然を媒介として成り立つにいたった体制だからだということになる。(p.103) (中略) 近代国家の原理は、主観性の原理がみずからを人格的特殊性の自立的極にまで完成することを許すと同時に、この主観性の原理を実体的統一につれ戻し、こうして主観性の原理そのもののうちにこの統一を保持するという驚嘆すべき強さと深さをもつのである。【260節】 (中略) 国家が、有機体として高度に分節化されるとともに、組織化されているがゆえに、個人の選択意志による決定と行為が保障される。個人は、基本的には自分勝手に自分の人生の方向を決め、自分の利害関心にしたがって活動することが許されている。にもかかわらず、このシステムのなかで「実体的統一」へと連れ戻される。それは強制によるものとは異なったものであり、あくまで個人は自己決定の自由を認められて、恣意にしたがっているにもかかわらず、知らず知らずのうちに組織の原理にしたがってしまうという形を取るのである。また、個人の自律的活動あればこそ、社会組織の方も活性化され、システムとして満足に機能しうる。こうして、有機的組織化と個人の自由意志とは相反するものであるどころか、相互に補い合うものとされている。それが、近代国家というものだというのである。(p.104) 「教養のヘーゲル」佐藤康邦 三元社
2022年8月22日月曜日
中性脂肪あげていこー!!
ヘルパーさんが野菜中心の美味しい料理作ってくれるから、
気付いたら洋菓子なんか全然食べてなかったんだけど、
無駄な存在だと思ってた
生クリームも、摂らないなら摂らないでいると、
頭オカシクなるね。
今買ってきてもらって、中性脂肪チャージしました。
アー、サラッタ。。。
職業としての学問
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-weber-wissenschaft-als-beruf/
学問は究極的な価値を支持することはできない。だからこそ、ヴェーバーによれば、次のことが肝心となる。それはつまり、現在の自分の立場が、自分の世界観の根本態度から整合的に導かれるようなものであらねばならず、それゆえに、自分の行為の究極的な意味については、みずから責任を取れるのでなければならない、ということだ。
2022年8月21日日曜日
岸田内閣支持率低下(再掲)
○国会に対して連帯して責任を負ってるのは、内閣であって、総理大臣ではない。 ⇒憲法66条3項「内閣は、行政権の行使について、国会に対して責任を負う。」から、正当な主張です。国会との関係における原則です。 ○したがって、安倍首相の辞任に伴って、内閣が総辞職して、国会であらためて首相を選ぶ選挙が行われた。 ⇒国会法64条で内閣総理大臣は、辞表を提出することができます。辞表を提出すれば、内閣総理大臣が欠けたことになります。 ⇒憲法70条で「内閣総理大臣が欠けたときは、……内閣は総辞職しなければならない。」に該当する。 ⇒そこで、次期内閣総理大臣は、憲法67条で、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。」 >>>>今回も、憲法の規定通りに行われています。衆議院の解散については、政治課題となっても、別の問題です。 ○もし解散権が首相の専権事項だというなら、当然国会に対して連帯責任を負っているのは首相であって、首相が辞めた以上、衆議院を解散しなければならない。 ⇒憲法69条の「衆議院が解散されない限り」の規定、と、憲法7条第3号「天皇は、内閣が助言と承認により、……これを行う。」の規定から、衆議院の解散権の主体は、形式的には「天皇」であり、その国事行為の関して授業でお話ししたとおり議論はありますが、実質的には内閣と解釈されています。内閣総理大臣は内閣の首長ですから、実質的には内閣総理大臣が解散を決定します。 ⇒新内閣総理大臣は、解散権を現在行使しないと発言されています。首相が交代したが、衆議院の解散は必ず行わなければならないとは言えません。もちろん、授業で説明したように、解散権行使は、自由ではないという考え方もあります。憲法解釈的には傾聴すべき見解ですが、そのように解釈すべきとの制度的な保障システムはありません。 ○そうでない、つまり国会に対して連帯して責任を負っているのは内閣だというなら、政界の常識となっている解散権は首相の専権事項という考え方は、憲法違反ということになる。 ⇒内閣の中に、解散に反対する人がいれば、内閣総理大臣は、憲法68条2項によって、罷免することができます。そして、賛成の残った国務大臣が内閣として内閣総理大臣の決定に従うという構図です。 ⇒憲法66条3項の「内閣の連帯責任」は、内閣一体の原則の表れです。行政権が一体ではなく、国務大臣ごとにバラバラに行政を運営すれば、現実問題が山積することになります。そこで、同条1項に規定されているように、「首長」たる内閣総理大臣の権限が存在します。とりわけ国務大臣の任命・罷免権を背景として、閣議を主宰しているのは、内閣総理大臣です。 ⇒したがって、ご意見のように「憲法違反」とは言えないというのが、多数の解釈です。 以上、ご説明させていただきました。
日笠完治先生より
「グローバル化と金融」@金沢 まとめ (再掲)
現代のグローバル資本主義の構造的問題は、世界的なカネ余り状態である。まず、1960年代に、企業の海外進出に伴い、銀行が国際展開を急激に拡大したことにより、どこからも規制を受けない「ユーロ市場」が登場した。次に、1970年代に、オイル・ショックによるオイルマネーの流入と金融技術革新により、米国の銀行による「ユーロ・バンキング」が活発化する。 変動相場制への移行により、銀行はアセット・ライアビリティ・マネジメント(ALM)を導入。これは、ドル建ての資産とドル建ての負債を同額保有することにより為替リスクを相殺する方法である。たとえば、ドル建て資産を1万ドル保有していた場合、円高ドル安になれば資産は減価し、円安ドル高になれば資産は増価する。逆に、ドル建て負債を1万ドル保有していた場合、円高ドル安になれば負債は減価し、円安ドル高になれば負債は増価する。こうして為替リスクを相殺する。1970年代のオイルマネーの増大と、インフラ投資額の高騰により、特定の一つだけの銀行だけでは融資の実行が困難になり、シンジケート・ローンが発展した。シンジケート・ローンとは、幹事引受銀行がローンを組成し、参加銀行に分売することで、複数の銀行による信用リスクの分散化を図るものである。しかし、シンジケート・ローンにより、信用リスクは分散したが、信用リスクそのものが低下したわけではない。この後の資産の証券化の流れのなかで、ALMの発展によりリスク管理手段が多様化し、デリバティブが登場し、急速に拡大した。
華麗なる一族
阪神銀行の頭取である万俵大介、
その長男が、阪神銀行の子会社?
である阪神特殊鋼の専務である、万俵鉄平なんだけど、
万俵鉄平は、
高炉建設のために資金集めに奔走して、
さまざまな困難に直面する・・・
というところを読んでる最中なんですが、
ふと疑問に思ったのは、
なんで資金調達の先が、父親が頭取である阪神銀行も含めて、
ぜんぶ銀行なんだろう?
株式発行とか、社債発行するとか、
なんで直接金融という選択肢を丸っきり考えないんだろう?
なぜ銀行という間接金融のみで資金調達しようとするのか、
不思議だ。
作中で、阪神特殊鋼のアメリカの取引先が、買収されて、
受注がストップしたあたりから
雲行きが怪しくなるんだけど、
逆にいえば、
アメリカでは企業買収というのは普通に行われていた、ということだろう。
そして、冷戦終結とともに、それまで武器開発に向けられていた頭脳が
金融工学に向かい、革新的な金融形態を作り上げた。
話がそれたが、阪神特殊鋼のメイン・バンクである阪神銀行は、
金融再編に対抗して、
上位の都市銀行との合併を目論んでるんだけど、
それだけのため、と言ってはなんだが、
とにかくそのために
娘を嫁がせた大蔵官僚を使って、機密情報を知らせてもらったり、
政界の大物とも姻戚関係を結んだりとか、
ありとあらゆることをやっている。
それはそれで物語としては凄く面白いんだけど、
銀行同士の合併ということになれば、当局が絡むのは仕方ないとはいえ、
直接金融という手段が有効ならば、
こんな平安貴族まがいの無駄なことをしなくても済むはずだ。
真山仁による「ハゲタカ」は、
M&Aって何?を勉強したくて読んだが、
小説の出来としては「華麗なる一族」には遠く及ばないものの、
対比として浮かび上がってくる時世の違いを知るには、適している。
2022年8月19日金曜日
となりのトトロ
自分が知ってるジブリ作品のなかで、
一番こわい。
メイちゃんが行方不明になって、
サツキが走り回って探しに行くとか、
現実世界にもよくある話だからか、
妙に生々しくて、
あまりいい気がしない。
探し回ってるうちに日が暮れていく描写とか見てると、
ああ、
このままじゃサツキもヤバいことになるよ・・・
なんて思っちゃうんだけど、
もののけが全て解決してくれる。
その筋立てが、ちょっと強引かな、という気もする。
もっとも、まだ無垢な人間の子供と、もののけ(自然)が共存しあえていた時代へのノスタルジーという側面を考えれば、
むしろ、明るい「神隠し」の側面があって、
ただ、そのなかに昔話のような、
ちょっと不気味な要素を孕んでいる、ということなのかも知れない。
おそらくそこには、
都会から移り住んできたとはいえ、
まだ理性化されきっていない人間の子供が、
弱毒化されたもののけ(自然)と触れ合うことによって、
理性によって破壊される以前の自然への回帰、というテーマが底流していると思われる。
これ人権侵害だろ
もう何年前か忘れたけど、
なんかのトークバラエティーで、
溝端淳平が
小林麻耶に対して
「全員に媚び売ってる」って
”軽いノリ”で言ってたけど、
お前、なんの資格があってそんなこと言ってんだ?
「全員に媚び売ってる」ってのは、
小林麻耶自身が小林麻耶に対して「媚び売ってる」
とでも言うのか?
こんなん完全にイジメだろ。
それをテレビが公共の電波使って流していいのか?
小林麻耶に対してなら何言っても許されると思って
暴言吐いてる溝端淳平こそ、
世間に「媚び売ってる」んじゃないのか?
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/01/06/kiji/20200105s00041000139000c.html
二度目の大学卒業
「英語で読む大統領演説」特A、
「中東の政治」C、
「中国と東部ユーラシアの歴史」C、
「近現代ヨーロッパの歴史」B、
「グローバル経済史」B、
「ドイツ近代史」@東京文京B、
「近代日本の炭鉱夫と国策」@茨城大学特A、
日本近現代史(落とした)
こんな感じでした。
中東の政治は、単位取れたとはいえ、やっぱキビシイなー。
まあ、新聞の切り抜き要約しただけだったから、
高橋和夫先生の目はごまかせないってとこか。
隔世の感
「華麗なる一族」を読んでいると、
政官財の癒着ってこういうもんか。
と痛感させられて、非常に勉強になる。
これはこれで、
日本がうまく行ってたうちは、強みだったんだろうけど、
さすがに今はこんな関係じゃ日本の現状を捉えられない。
今は、良くも悪くも民主的になったと思う。
選挙制度の改変で、
政治家も小粒になり、
官僚も天下りがバッシングされて、
優秀な人材が集まらなくなった。
そして、マスコミも、
古舘伊知郎のように、ただ官僚を言葉巧みに悪者に
していればいい、という時代でもなくなった。
結論から言えば、
有権者がちゃんとした政治家を選ばないと、
その有権者の代表としての政治家の「質」が、
モロに国民の生活、将来に跳ね返ってくる、
ということを、国民がもっと自覚する必要がある。
ガーシーとか生稲とか選んでる場合じゃねえ。
既存のマスメディアも、
時代の変化に十分にキャッチアップしているとは思わないが、
有権者は、
もっと賢くなる必要がある。
繰り返すが、国民の代表としての政治家の「質」が、
国民の生活、将来に、ダイレクトに反映される時代になった。
2022年8月18日木曜日
ここで書くのは初めてか・・・
自分が子供の頃の中国って言ったら、
真冬のクッソ寒い朝でも、
みんな人民服着て、
チャリで大移動ってイメージだったけど、
まさかここまで巨大になるとは。
自分が小学生の頃なんて、
冬は霜柱立ってて、それをザクザク踏みしめながら
登校したもんだけど。
今の子供は、北海道とかならともかく、
霜柱なんか知らんでしょ?
ま、そんなことは置いといて、
慶応の研究会で、
生協で見つけた末廣昭先生の「キャッチアップ型工業化論」(名古屋大学出版会)
を、パクってパワポ作ってプレゼンしたんだけど、
まるっきりそのまんまじゃ
つまんないから、
よせばいいのに
経済発展の過程で労働からの疎外が起きる、なんて
ぶったもんだから、集中砲火されて、
しかも、今では無惨に色あせた、グローバリゼーションてコトバが当時流行ってて、
これも生協で見つけた
伊豫谷登士翁の本に感化されたりして、
俺の頭もオカシクなった。
ま、振り返れば簡単な話のように聞こえるけど、
我ながらよくここまでやったわ。
一段落
なにやら7月の頭くらいから、忙しかったね。
参院選、そして安倍ちゃん銃撃。
自民党と旧統一教会の癒着の記事を
ジョンさんにfacebook上で
分かるように夜を徹して作業したり。
あの頃から、
ちょっと脳に過度の負担をかけてたな。
単位認定試験が終わったら終わったで、
なんか勉強してたし。
なにやってたかは覚えてないけど。
途中から山崎豊子の「華麗なる一族」も読み始めたし。
相続のことで気を揉んだし。
ああ、そうそう、ヘルパーさんとのことで一悶着あったしね。
いよいよ明日は単位認定試験の結果が公表される。
長期休暇はいつも波乱含みなんだけど、
これをやらないと、うまく次の学期へステップアップできない。
2022年8月17日水曜日
2022年8月16日火曜日
ジョン・デューイの政治思想
貨幣文化の出現は伝統的な個人主義が人々の行動のエトスとして機能しえなくなっていることを意味した。「かつて諸個人をとらえ、彼らに人生観の支え、方向、そして統一を与えた忠誠心がまったく消失した。その結果、諸個人は混乱し、当惑している」。デューイはこのように個人が「かつて是認されていた社会的諸価値から切り離されることによって、自己を喪失している」状態を「個性の喪失」と呼び、そこに貨幣文化の深刻な問題を見出した。個性は金儲けの競争において勝ち抜く能力に引きつけられて考えられるようになり、「物質主義、そして拝金主義や享楽主義」の価値体系と行動様式が瀰漫してきた。その結果、個性の本来的なあり方が歪められるようになったのである。 「個性の安定と統合は明確な社会的諸関係や公然と是認された機能遂行によって作り出される」。しかし、貨幣文化は個性の本来的なあり方に含まれるこのような他者との交流や連帯、あるいは社会との繋がりの側面を希薄させる。というのは人々が金儲けのため他人との競争に駆り立てられるからである。その結果彼らは内面的にバラバラの孤立感、そして焦燥感や空虚感に陥る傾向が生じてくる。だが、外面的には、その心理的な不安感の代償を求めるかのように生活様式における画一化、量化、機械化の傾向が顕著になる。利潤獲得をめざす大企業体制による大量生産と大量流通がこれらを刺激し、支えるという客観的条件も存在する。個性の喪失とはこのような二つの側面を併せ持っており、そこには人々の多様な生活がそれぞれに固有の意味や質を持っているとする考え方が後退してゆく傾向が見いだされるのである。かくしてデューイは、「信念の確固たる対象がなく、行動の是認された目標が見失われている時代は歴史上これまでなかったと言えるであろう」と述べて、貨幣文化における意味喪失状況の深刻さを指摘している。(「ジョン・デューイの政治思想」小西中和著 北樹出版 p.243~244)
https://www.youtube.com/watch?v=f28g4pfTTp0
苦しい。
色んな歯車が上手く噛み合いすぎて、
これじゃまるで
ほんとにノーテンキに生きてる貴族じゃないか。
こんな人生は想定していなかった。
今まで、これを成し遂げるまでは
這ってでも進む、という気合で生きてきたけど、
トンネルぶち抜いてみたら、
逆に何をどうして生きていいのかわからん。
あるいは、金曜日に公表される
今学期の放送大学の成績いかんでは
2度目の卒業が決まるから、
それが気がかりなのかも知れない。
しかし、それにしたって、既にもう一度卒業してるわけだし、
どっちでもいいじゃん、という気もする。
正直言って、人生の指針を失ってしまったような心持ちだ。
人生プランが狂った。
ねーちゃんと一生敵対しながら生きていくもんだと思ってたけど、
思いがけなく、ねーちゃんが、物わかりがよくなって、
助け合って生きていける目処が立った。
これはデカイ。
面接授業の軍資金まで支援してくれるって言ってるし。
助かった!
https://www.youtube.com/watch?v=PhuGKkiUcuY
2022年8月15日月曜日
経済教室ー歴史に学ぶ
8月5日のデール・コープランド、バージニア大学教授の寄稿と、今日8月15日の牧野邦昭慶応大学教授の寄稿をざっくりまとめてみると、現在の中国は、貿易依存度が高いという点で、1930年代の日本に似ており、下手に貿易面での過度の制裁を加えると、戦前の日本のように暴走する可能性があるので、中国を追い詰めすぎるのは得策ではないこと、中国が台湾侵攻を自重しているのは、もしそれをすればアメリカを中心とした経済圏から締め付けを喰らうことを意識しているからだ、とのこと。
寄稿とは別の話だけど、アメリカからすれば、日本と韓国が協働して対中国で結束してくれないと困るって発想だったらしいけど、どうも無理っぽいよね。
最近のアメリカの台湾への接近を見ると、もう、日韓はアテにしてらんねーってことなんかな?
2022年8月14日日曜日
なぜデフレでは駄目なのか?(再掲)
Q:名目金利が年8%でインフレ率(CPI)が年5%のとき、実質金利は3%か? ex. 100円の債券投資→1年後:108円 100円の消費財の組み合わせ→1年後:105円 のとき 1年後の108円の購買力=108/105=1.02857 (この投資の収益率:2.857%) ☆実質金利と名目金利、インフレ率(CPI)の関係 1+実質金利=(1+名目金利)/(1+インフレ率) ex.参照せよ 式変形して、すなわち ★実質金利=(名目金利-インフレ率)/(1+インフレ率) つまり、デフレはマイナスのインフレ率なので、実質金利を上げてしまう。 https://www.tokaitokyo.co.jp/kantan/service/nisa/monetary.html
スカッドさわやか。
おはようございます。
間主観性(フッサール)の部分は、
自分の理論のキモとなる部分だったから、
(と、言ってみても、何が「自分」の「独自」の「理論」かなんてことは、当の本人がサッパリわからないんだが)
廣松渉の共同主観性の議論は、
そこの間隙をうまく突いてくれたから、
ようやくまあ理論的にはサマになったかな。
自己満足以外の何物でもないんだけど。
でもまあ、気分ええわ。
打ち上げますよ!
https://www.youtube.com/watch?v=RUqs_g2-04c
漱石論コレクション2(再掲)
近代が産み出した<自意識>の悲劇は、それが<自己を把捉しようとする自己>という<純粋な自己>――社会関係から切り離された観念的で抽象的な<点>としての自己――を求めるものでありながら、実は<自己>は<他者>との関係性という座標軸においてしか存在を確かめようもない、この自己矛盾にあります。 紛れもなくその苦痛を味わった一人である漱石における<女性>の意味は…。 結論的には男性に都合の良い<女性の客体化>を免れるものではありませんが、漱石(文学)の特徴は、にも拘わらず、終始、女性に<他者>を求め、そして女性が紛れもない<他者>であるが故に、敗北し、傷つく男の姿までを射程に収めていた点ではないかと思われます。 【<自己>を映し出してくれる<鏡>としての女性】 <女性の客体化>の最たる例となると、一方ではモノ化(フェティシズムの対象)、他方で耽溺(女性の幻想化・一体化)が挙げられますが、漱石の場合は、いったん/とりあえずは<他者としての女性>が求められている、といってよいと思います。 <恋愛>の名を借りた――愛する女性に己(の物語)を投げかけ、相手から投げ返されてくる応答に揺らぎ、立て直される自己。性的他者の眼差しに曝されて、その葛藤する感情のドラマの中で自分というものを最も生々しく実感する――性的差異で隔てられた<絶対的他者>としての<女性>との関係性の上に<性的アイデンティティ>としての自己同一を獲得しようとする手法です。 以下の『彼岸過ぎまで』の須永の告白は、その典型。 女が自分に向ける感情――一種の<評価>に曝されることで<自己>の核心がゆさぶられ、剥き出しにされる、苦悩の戦慄は、そのまま須永が女の眼差しの下に自分という存在の手ごたえを、いつになく生き生き感じる瞬間を作り出しています。 純粋な感情程美しいものはない。美しいもの程強いものはない…強いものが恐れないのは当り前 である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪えられないだろう。その 光は必ずしも怒を示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、若くは渇仰の光でも同じ事である。 僕は屹度その光りの為に射竦められるに極っている。それと同程度或はより以上の輝くものを、返礼として与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、そ れを味わい尽くす資格を持たない下戸として、今日まで世間から教育されて来たのである。(「須永の話」) 過剰な自意識に囚われ、内閉した近代人が、唯一、他者との関係性の上に<自己>を実感し得る<恋愛>。しかし、それが錯覚にすぎないのは、ここでの<女性>が、正確には<他者>とはよべないからです。男は相手の女性の眼差しの中に自分を見出しているわけで、そこで獲得されているのは再帰的自己です。女性はつまるところ、自分を映し出すための<鏡>、自分(の物語)を投影した存在にすぎません。 <恋愛>といえば、一見、独立した男と女が対峙して育むもの、のように見えますが、その内実があくまで男性を主体とした男性中心主義的に構築された物語にすぎないことを、漱石のテクストは炙り出してくれます。それは<身体の所有>に留まらず、相手が自分をどう感じ、思い、評価しているか――それを隈なく読み取ろうとする<内面の所有>という更にハイレベルな<所有>をさえ意味するでしょう。 漱石の陥っている図式は、近代的恋愛の祖型ともいえる「ロマンチックラブ」そのものですが、一対の男女が愛という感情の絆の下に生殖の営みを行うというこの近代夫婦家族の仕組みが、実は近代国家が最も効率の良い次世代再生産の仕組みとして採用した、徹底的な性別役割に支えられた<装置>であることは、今では常識です。「ロマンチックラブ・イデオロギー」と呼ばれる所以でもあります。 近代的個に目覚めた漱石は、上記のようにその幻想(愛という名の女性の客体化)に深く捉われました、が、また同時に、それを冷静に相対化する眼差しも持ち合わせていたと思われます。 【女性の他者性――構成の破綻/2人の主人公】 『行人』では存在を賭けて唯一の性的他者である「妻」の「スピリット」を執拗に求める主人公「一郎」に対して、たった一言、自分は「魂の抜殻」にすぎないのだというセリフを以て作中、「一郎」に対して最も手厳しい反撃を加える妻「直」が描かれ、女を触媒に男同士の濃密な関係が展開される『こころ』のホモソーシャルな物語に対しては、そこから徹底的に排除されているが故に、逆に<外部>からそのイデオロギー性と不毛さを鋭く突く「静」の言葉(「男の方は議論だけなさる…空の盃でよくああ飽きずに / では殉死でもしたら」)が点描されている――。漱石の女性たちが、主導権を握る男性主人公に対して、みずからその他者性をしばしば開示している、というのは有名な話です。 しかし、それ以上に、初期の漱石テクスト(『草枕』『虞美人草』)は徹底的な(性的)他者であるが故に己を映し出すに最も手応えのある<鏡>として女性を求めながら、当然の論理的結実として、女の厳然たる他者性に<生きるか死ぬか>ともいうべき地点へまで追い詰められてしまう主人公たちの姿を浮かび上がらせ、それ以降のテクストでは、そのような破綻を回避すべく、それを相対化するポジションに2人目の主人公を配置するという共通した構図を備えてゆきます。そのプロセスは、まさに<女性の客体化とその不可能性>が漱石テクストの一貫した通奏低音であり続けていたことを如実に示しているように思われます。 ◆『草枕』と『虞美人草』 ・『草枕』; 世間に倦んだ主人公「余」は、「気狂(きじるし)」――世の習いに背を向けた「那美さん」の美しく奔放な振る舞いに己を揺り動かされる。そんな那美さんを「画」に描いて、何とかその不安定な表情に纏まりを回復してやりたいと考える「余」であるが、「那美さん」を画に収めようとする――客体化が進むにつれて、そこに収まりきるべくもない那美さんの他者性が浮上してくる。そんな折、「余」が遭遇することになる「鏡が池」の風景――真っ赤な椿が滴る血のごとく池に降り積もり続ける光景は、他者の奥深い深淵を覗き見るような、つまりは他なる者と真に切り結ぶことの死をさえ孕む危険を見事に暗喩するものとなっている。この後、テクストの機軸は現実世界へと逸れてゆかざるを得ない。 ・『虞美人草』; 誇り高い義妹「藤尾」の内面に食い入るような視線を注ぎ、<我(意識)>への固執がもたらす破綻を警告し続ける「欣吾」。「藤尾」が世間に追い詰められて忽然と世を去った時、「欣吾」も自分の内面を独り「日記」の世界へ閉ざして退場してゆく。傲慢な藤尾が世間の道徳や倫理に罰されたかのように見える物語は、そのままそのような女性に自己投影していた男の内的世界の死(終焉)へと反転する。 ◆二人の主人公――ロマンチックラブの相対化 「愛」という名の下に女性を自己投影の対象として客体化しようとする男は、客体化しきれるはずもない女性の他者性に打たれ、自己破綻へ追い詰められる。初期テクストでこれを体験した漱石は、それを相対化し得るポジションに、もう一人の男性主人公を配置する。 ◆『三四郎』から『行人』『こころ』へ ・『三四郎』; 「野々宮さん」を筆頭に、「美禰子」の内面を謎化し、それを読みとることに腐心する男たち――本郷文化圏の知の共同体。 ―――配するに、所謂<視点人物>の「三四郎」は大学一年の「田舎者」として、彼らの営みを眺めはするものの十全には理解もできなければ参画もできない(stray sheep)。 ・『行人』;「一郎」の「直」をめぐる物語に対して、弟「二郎」 ・『こころ』;「先生」の「静(とK)」をめぐる物語に対して、聴き手=書き手の「私」 『三四郎』では曖昧化されていた<2種類の男性主人公>は『行人』『こころ』へ向けて、次第に差異化が明確になってくる。 そして『それから』は、『三四郎』の次作に位置し、前期の漱石テクストの末尾を飾り、後期作品群への道を開く作品だと言える。 【『それから』――性的他者との遭遇】 いわば冒頭より一貫してその<自意識>が追究されることになる「代助」が、「余―欣吾―野々宮」の後継に当たることは自明でしょう。 『それから』は、その一連のテクスト群の最後に、男性主人公一人に焦点を絞って、<鏡>の役割を果たしてきた<女性>と真っ向から相対させる――こう考えた時、『それから』は、「代助」の自意識的世界が、それまで客体化し続けてきた<女性>の見せ始める生々しい性的他者性との遭遇を俟って崩壊してゆく物語、と言えないでしょうか。 ◆「自家特有の世界」――三千代の結婚から再出現までの「3年間」 性的他者としての女性、それにまつわる男性間の争い、結婚のための社会市場への参画――これら人を傷つけ、傷つけられる<現実世界>から背を向け、自分一人で自足しようとする自己完結的=排他的世界(自分にしか行き着かない世界)。 ➡この世界の重要アイテムとして登場する「花々 / 独身時代の三千代の写真」は、<女性のセクシュアリティ―喚起される性的欲望>を封じてしまうことで、まさに最高度に好ましく美しい自分像を映し出してくれる<客体(化された存在)>である。 憩いの世界は、終始、<青―水底>のイメージで描写される。 ――その代償行為として、現実の代助はアマランスの「交配」に介助を施したりしているが、縁側の腐った君子蘭の葉から滴り落ちる緑の樹液は代助の性的に閉ざされた体液の暗喩だろう。 ◆「それから」(=その3年後から)始まる物語 テクストは容赦なく、三千代が他ならぬ、生々しい性的他者であることを突き付けてい く。―出産を体験し、赤ん坊を亡くし、心臓を病んで夫との性的交渉が遠ざかり、疎んじられがちな人妻 最も生々しく現実的な<金策>が必要な三千代が、恥じて頬を赤らめる姿は、<金銭と性― 赤の表象>を刻印する。 一方、代助自身の意識の中では、三千代は水底の世界にふさわしい落ち着いた情調の女 として、代助の非現実的夢想空間(自家特有の世界―青)と現実の時空(―赤)――対立的であるはずの2つの空間をしだいに繋いでゆく。「4~5年前」の記念ともいえる「百合」の花を携え、代助の夢とうつつのあわいに自在に出入りし、鈴蘭を活けた鉢植えの水を呑む三千代。 百合の香に満たされ、姦通の合意が成るクライマックスは、現実の三千代と代助の中の三千代が一枚に重なる瞬間であり、それは「自家特有の世界」に極点を持つ代助的世界が<真っ赤な現実>に飲み込まれてゆく瞬間であるともいえる。ここで最後の跳躍板として代助が身を任せた官能は、「自家特有の世界」が最も強く封印してきた性的欲望の謂いでもあり、「自家特有の世界」は崩壊せざるをえない。 【三千代は<他者>か?――<客体化>を免れ得るのか?】 代助が遭遇したもの――ここまでの主人公の系譜の掉尾を飾るにふさわしく、決定的・致命的に出会ってしまったものが女性の<他者性>であることは間違いないでしょう。 しかし、それでは三千代は<他者>として描かれ、<客体化>を免れているかと言えば、それは全く異なる――それは、代助の<姦通>という名の最高度の<純愛>に見えるものが、代助一人の頭の中でのみ成立している、つまりは<錯覚>にすぎない、からです。 いちばんわかりやすい例証は、すでに常識化されているように「異性愛はホモソーシャルな女性嫌悪の別名」でしかない――代助の三千代への愛が、このホモソーシャルを地で行く格好となっていること、です。再会した三千代への愛の再燃が、平岡への嫉妬(=譲ってしまったことへの口惜しさ)に根差したものであることを、これもテクストは冷酷に炙り出しています。密かに想いを寄せていた女性を親友に快く譲り渡した男は、それが成立した瞬間に始まる親友への嫉妬から、彼女への思慕をいっそう深めてゆく…。 『それから』は徹底した男の――男が男との関係性に突き動かされる物語であり、「愛」の対象として錯覚されている「三千代」は、実は男同士の友愛=闘争の目標として二義的に対象化された客体にすぎない――これが有体の事実、でしょう。 『それから』は、女性を己の<鏡>に見立て、そこに唯一といってよいアイデンティティの確証を得ようとしてきた前期漱石文学の最終決算として、その究極に、<女性の客体化――客体化されきらない女性の他者性>を描き、<錯覚>の崩壊にまで突き抜けてしまった作品と言えるのかもしれません。 つまるところ、それは女性の客体化(の1バージョン)への固執とその限界への批評意識、といったレベルに留まるものであり、女性に真の<他者>を見出し、描く文学とは質を異にする、と言わざるをえません。 ただ、逆に上に述べた経緯は、漱石という作家が<女性>の他者性(他者ならぬ他者性)――男性の枠組では捉えきれない他者性を鋭く捉え、言語化した近代作家であったことを端的に物語るものとも言えるでしょう。そもそも<男性>に対する<女性>という枠決めそのものが差別的であり、さらに<男性>が主体化される以上、<女性>は二義性を刻印されることを免れ得ません。それは、近代が発見したはずの「個人」なるものが幻想でしかなかった事態と正確に見合っているでしょう。<近代>がいわば捏造した<近代的個――自由で独立した自我>に身を投じ、その制度性を告発することになった漱石は、そのような男と対等に<対>化されているはずの<女性>なるものが、実は近代という時代がシステム化した<ジェンダー秩序>の縛りの中で排除され、抑圧された存在であることにも気付いていたと言えるでしょう。 それを<男性>の視座から描き続けたところに、漱石の徹底した誠実さと免れようもない限界性があるのではないでしょうか。 追記1 「代助と三千代」に<錯覚された愛>を、ではなく<純愛>を読めば、それがセカイ系の「キミとボク」と酷似に近い相似形を描いていることに、ハタと気づかれます。むしろ<閉ざされた自意識>なる問題意識そのものが、漱石を始発に狭められながら現代へ至っているのかもしれません(東浩紀たちの議論のいちばん基底にはこれがあるような気がします)。そして近似しているようで、決定的に一線を画しているのが上に述べた「代助」に対する相対化の目――代助を包囲する現実社会およびそれと代助の関係性が克明に描かれていることです。 代助の「自家」世界が父の仕送りに贖われ、姦通=義絶を以て自己崩壊するしかない体のものであること、さらに「三千代」に至っては金銭的にも社会的にも平岡に繋がれた従属の立場にしかない以上、三千代における姦通の決意は道徳や経済のレベルを超えた文字通りの「死」の覚悟抜きにはあり得ないものであることetc. 3年前の代助が拒否したのも、また姦通を以て参入することになるのも紛れもない近代資本主義社会のシステムであることを、テクストは精密に描いています。これが、セカイ系ではオミットされることが大前提の「中間項」(世界と「キミとボク」の間に存在しているはずの)と呼ばれる社会領域であることは、言うまでもありません。 追記2 絶筆の未完作『明暗』は、漱石的ジェンダーをめぐる上記の整理から大きく逸脱するものと思われます。<愛を求める主人公>役が男女逆転して「お延」というヒロイン側へ振り当てられた時、どだい男性主人公「津田」に、<女の客体化>などの術も余裕も残されていません。「お延」の登場を俟って、漱石的世界のジェンダーをめぐる構図は、次のステップへと大きな飛躍を遂げているような気がします。
2022年8月13日土曜日
なんか凄い1年だったな・・・
去年の今頃は、毎晩父親の夜間採尿してたな。
それこそ、一晩で7回くらいは普通に採尿してた。
まあ、あれが限界だったな。
糖尿病ってのは、こえーよ。
糖尿病と高血圧のコンボはマジでヤバい。
生物部の吉田さんが、腎臓の研究してるって言ってたけど、
さすがに先見の明あるわ。
それはともかく、父親は9月の1日に肺炎で入院して、
ちょうど一ヶ月で亡くなってしまった。
もちろん、晩年は入院するのはほとんど日常茶飯事みたいなもんだったから、
まさか本人は死ぬなんて微塵も思ってなかっただろうけど。
しかも、入院のたびごとに、家族総出で、
病院に泊まり込んで、お世話しとったからな。
それが、コロナで新規患者を受け入れ拒否してるのに、
かかりつけの医者じゃなきゃ嫌だってことで、
無理矢理ねじこんでもらったもんだから、
最後の一ヶ月は、家族の誰も近寄れず、
最後の最後に、一番サイアクな思いしたんだろうな、と思うと、可哀想、という想いと、
罪滅ぼしかな、という想いと、半々。
去年は、おじさんが突然亡くなる、母親は長年の無理がたたって脳梗塞になる、父親も肺炎で亡くなる。
一家の大黒柱を喪ったとはいえ、とにもかくにも我が家は平穏な日々を取り戻したようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=AsVsN43Fzxk
メモ(「世界の共同主観的存在構造」廣松渉 岩波文庫)ー文化帝国主義批判原論
われわれは、現に、時計の音を「カチカチ」と聞き、鶏の啼く声を「コケコッコー」と聞く。英語の知識をもたぬ者が、それを「チックタック」とか「コッカドゥドゥルドゥー」とか聞きとるということは殆んど不可能であろう。この一事を以ってしても判る通り、音の聞こえかたといった次元においてすら、所与をetwasとして意識する仕方が共同主観化されており、この共同主観化されたetwas以外の相で所与を意識するということは、殆んど、不可能なほどになっているのが実態である。(59ページ)
しかるに、このetwasは、しばしば、”物象化”されて意識される。われわれ自身、先には、このものの”肉化”を云々することによって、物象化的意識に半ば迎合したのであったが、この「形式」を純粋に取出そうと試みるとき、かの「イデアール」な存在性格を呈し、”経験的認識”に対するプリオリテートを要求する。このため、当のetwasは「本質直感」といった特別な直感の対象として思念されたり、純粋な知性によって認識される形而上学的な実在として思念されたりすることになる。(67ページ)
第三に、この音は「カチカチ」と聞こえるが、チックタックetc.ならざるこの聞こえかたは、一定の文化的環境のなかで、他人たちとの言語的交通を経験することによって確立したものである。それゆえ、現在共存する他人というわけではないにせよ、ともあれ文化的環境、他人たちによってもこの音は規制される。(いま時計が人工の所産だという点は措くが、この他人たちは言語的交通という聯関で問題になるのであり、彼らの生理的過程や”意識”が介入する!)この限りでは、音は、文化的環境、他人たちにも”属する”と云う方が至当である。(70ページ)
一般には、同一の語彙で表される対象(ないし観念)群は、わけても”概念語”の場合、同一の性質をもつと思念されている。この一対一的な対応性は、しかも、単なる並行現象ではなく、同一の性質をもつ(原因)が故に同一の語彙で表現される(結果)という因果的な関係で考えられている。しかしながら、実際には、むしろそれと逆ではないであろうか?共同主観的に同一の語彙で呼ばれること(原因)から、同一の性質をもつ筈だという思念マイヌング(結果)が生じているのではないのか?(109ページ)
第二段は、共同主観的な価値意識、そしてそれの”物象化”ということが、一体いかにして成立するか?この問題の解明に懸る。因みに、貨幣のもつ価値(経済価値)は、人びとが共同主観的に一致してそれに価値を認めることにおいて存立するのだ、と言ってみたところで(これはわれわれの第一段落の議論に類するわけだが)、このことそれ自体がいかに真実であるにせよ、まだ何事をも説明したことにはならない。問題は、当の価値の内実を究明してみせることであり、また、何故如何にしてそのような共同主観的な一致が成立するかを説明してみせることである。この第二段の作業課題は、個々の価値形象について、歴史的・具体的に、実証的に試みる必要がある。(164~165ページ)
(以下熊野純彦氏による解説より)
『資本論』のマルクスは、「抽象的人間労働」などというものがこの地上のどこにも存在しないことを知っている。存在しないものがゼリーのように「凝結」して価値を形成するはずがないことも知っていた。要するに『資本論』のマルクスはもはや疎外論者ではすこしもないのだ、と廣松はみる。 労働生産物は交換の内部においてはじめて価値となる。とすれば、交換という社会的関係そのものにこそ商品のフェティシズムの秘密があることになるだろう。関係が、謎の背後にある。つまり、関係がものとしてあらわれてしまうところに謎を解くカギがある。商品の「価値性格」がただ「他の商品にたいする固有の関係をつうじて」あらわれることに注目しなければならない。商品として交換されることそれ自体によって、「労働の社会的性格」が「労働生産物そのものの対象的性格」としてあらわれ、つまりは「社会的な関係」、ひととひとのあいだの関係が「物と物との関係」としてあらわれる(『資本論』第1巻)。ものは<他者との関係>において、したがって人間と人間との関係にあって価値をもち、商品となる。(533~534ページ)
放送大学
今でも入学試験はないから、
当たり前なんだけどボーダーフリーだけど、
単位認定試験も
自宅ウェブ受験になって難易度上がってるし、
面接授業も、令和元年度から試験もしくはレポートが必須になったから、
誰でも単位取れるって状況じゃなくなってきたね。
一昔前は、ほんとにボーダーフリーだった。
と、いうのは、
試験がどうとかそれ以前に、
この人はホームレスなんじゃないか?
という方がいた。
なぜか自分が取る面接授業でよくお会いしたけど。
ここに来る電車賃あるなら、
まず身なりどうにかしたほうがいいんじゃないですか?
と、言ってあげたいくらい。
あとは、え?!
このゴミ袋引きずってるおばあちゃん学生だったの?!
みたいな。
放送大学の面接授業って、聞いてるだけならともかく、
講師陣はどっかの大学の名誉教授だったりとかザラにあるから、
その気になればいくらでもふるいに掛けられるんだよね。
自分だって、理系科目の面接授業(放送授業は尚のこと)なんて、
怖くて受けられないし、単位なんか到底取れないよ。
そういう意味じゃ、
放送大学卒業ってのも、ダテじゃなくなってきたね。
なぜ貨幣供給量を増やすと物価が上がるのか?ー貨幣数量説(再掲)
完全雇用実質GDP✕物価=貨幣量✕貨幣の流通速度 (瀧川好夫先生「金融経済論」面接授業 自筆メモより) この等式は古典派経済学の発想なので、完全雇用は常に達成されていると想定されているので、物価は貨幣量と貨幣の流通速度で決まる。 従って、貨幣量を増加させれば、物価は上がる。 「貨幣の所得流通速度が一定不変で,かつ伸縮的な価格メカニズムの作用により実質産出量(実質国民所得)の水準が長期の均衡値に一致するならば,貨幣数量の変化は国民所得の大きさや構成にはなんら影響を与えず,ただ物価水準を比例的に変化させると主張する説。」有斐閣経済辞典第4版
インタゲと増税(再掲)
質問:中央銀行は民間に供給される通貨量をコントロールしながら物価の安定を実現させる、とありますが、アベノミクスの第一の矢である2%物価上昇目標では、インフレを起こすことにより、デフレ脱却はもちろんのこと、インフレによって財政再建を同時に目指すとしていますが、これは「政策割り当ての原理」に反してはいないでしょうか?あるいは、新古典派経済学では「政策割り当ての原理」は成立しないのでしょうか? 回答: オランダの経済学者で1969年にノーベル経済学賞を受賞したティンバーゲンは、「n個の政策目標を実現するためには、n個の政策手段が必要である」という有名な定理を唱えています。すなわち、「政策割当の原理」です。したがって、「インフレ」と「財政再建」の2つの政策目標を実現するためには、2つの政策手段が必要となります。 本来、中央銀行の政策目標は物価の安定ですが、アベノミクスの第一の矢は2%の物価上昇が政策目標でした。本来の金融政策の目標(物価の安定)と異なるため黒田日銀総裁は「異次元の金融政策」という言葉を使ったのです。このインフレ・ターゲットを掲げるシナリオは、物価上昇によって企業利潤が増加すると法人税の増収、また、それに伴った賃金の上昇による所得税の増収、すなわち直接税の自然増収が財政再建に繋がるシナリオを描いていたのです。このシナリオどおりに進めば、もう一つの政策目標である「財政再建」の目標に繋がります。ただ、経済成長なきインフレは国民の生活レベルを引き下げることになります。したがって、アベノミクスの第二の矢である積極的な財政支出による経済成長が重要になってくるため「財政再建」が先送りになってしまいます。それゆえに、「財政再建」の政策目標の一環として消費税の引上げが考えられています。このように、「政策割当の原理」は成立しています。
2022年8月12日金曜日
フィッシャー効果(再掲)
物価上昇の予想が金利を上昇させるという効果で、フィッシャーが最初にそれを指摘したところからフィッシャー効果と呼ばれる。 ある率で物価の上昇が予想されるようになると、貸手が貸金に生じる購買力目減りの補償を求める結果として、資金貸借で成立する名目金利は物価上昇の予想がなかったときの金利(=実質金利)より、その予想物価上昇率分だけ高まる。(以下略) 有斐閣経済辞典第5版 https://www.tokaitokyo.co.jp/kantan/service/nisa/monetary.html
株高の要因の一つの可能性(再掲)
ちょっと明らかに物価上昇が無視しえなくなってきたね。 実質賃金が上がってないとは言え、 現実に物価が上がってる以上、 おそらく期待インフレ率も上がってるんだろうが、 いざインフレになってみると、 中央銀行(と政府)がそもそも 消費者の期待インフレ率をコントロールするなどという ウルトラC難度の技を出来るのか 甚だ疑問だが、 それはともかく、 名目金利が抑え込まれている以上、 多少リスクとってでもよりリターンを得られる資産、つまり株や外国債に投資しよう、というのは当然の成り行きだろう。(←フィッシャー効果) しかし、日本国内の貯蓄が、海外資産に投資されても、 統計上は経常収支上黒字として計上されるわけだから、 巨額の貿易赤字がデフォルト化した現状において、 経常収支が仮に黒字だとしても、 それで国内の民間部門の貯蓄が、実態として、政府部門の赤字をファイナンス出来ている、ということにはならない。 そうなれば、 経常収支が黒字でも、 外国資本からカネを借りないと日本国債を発行できない可能性も出てくる。 そうなれば、言わずもがな、 否が応でも日本国債の異常な高値が崩壊し、金利が急騰する、という怖ろしいシナリオも現実味を帯びてくる。 とはいえ、経常収支はフローの概念なので、経常収支でいうところの貯蓄と、 いわゆる国富としての貯蓄は違うのかもしれない。 そこは正直詰めてない。 国富は換金可能なのか不明だが、とりあえず3000兆円あると言われている。 従って、金利急騰という悲惨なシナリオを回避するには、増税は避けて通れないだろう。
ウクライナ情勢で引っ張りだこの
慶応の廣瀬陽子センセイだけど、俺が在学中に中央アジアの授業持ってて、
基本的にヌルい先生だったから、
学生にもナメられてたんだけど、
授業中に、教室の後ろの方で、
凄まじい勢いでパソコン叩いてるやつがいるから、
何やってんのかな?と思ったら、
パソコンで格闘ゲームやってんのwww
そんなんでも単位取れちゃうんだからね。
試験とかないし、
チーム作って、申し訳程度にミーティングに参加して、
プレゼン当日にシレッとテクいパワポ作って発表すれば、
それでオーケー。
それをみんな知ってるから、受講希望者が殺到する。
ほんとの意味で人気があって受講希望者が殺到するのなんて、
小熊英二センセイぐらいのもんよ。
それが慶応SFCクオリティー。
「華麗なる一族」山崎豊子 新潮文庫 中
「銀行家には、他人の金を扱っているという自他から来る厳しい規制があり、その規制がともすれば、自然な人間の欲望を抑圧し、歪め、隠花植物のようなじめじめとした欲求をもたらせることがあるが、それを用意周到な方法で処理し、絶対、世間に知られぬようにするのも、また銀行家というものだ。」
井上俊「遊びの社会学」世界思想社(再掲)ー信頼関係構築のポテンシャル
私たちはしばしば、合理的判断によってではなく、直観や好き嫌いによって信・不信を決める。だが、信用とは本来そうしたものではないのか。客観的ないし合理的な裏づけをこえて存在しうるところに、信用の信用たるゆえんがある。そして信用がそのようなものであるかぎり、信用には常にリスクがともなう。信じるからこそ裏切られ、信じるからこそ欺かれる。それゆえ、裏切りや詐欺の存在は、ある意味で、私たちが人を信じる能力をもっていることの証明である。 (略) しかしむろん、欺かれ裏切られる側からいえば、信用にともなうリスクはできるだけ少ないほうが望ましい。とくに、資本主義が発達して、血縁や地縁のきずなに結ばれた共同体がくずれ、広い世界で見知らぬ人びとと接触し関係をとり結ぶ機会が増えてくると、リスクはますます大きくなるので、リスク軽減の必要性が高まる。そこで、一方では〈契約〉というものが発達し、他方では信用の〈合理化〉が進む。 (略) リスク軽減のもうひとつの方向は、信用の〈合理化〉としてあらわれる。信用の合理化とは、直観とか好悪の感情といった主観的・非合理的なものに頼らず、より客観的・合理的な基準で信用を測ろうとする傾向のことである。こうして、財産や社会的地位という基準が重視されるようになる。つまり、個人的基準から社会的基準へと重点が移動するのである。信用は、個人の人格にかかわるものというより、その人の所有物や社会的属性にかかわるものとなり、そのかぎりにおいて合理化され客観化される。 (略) しかし、資本主義の高度化にともなって信用経済が発展し、〈キャッシュレス時代〉などというキャッチフレーズが普及する世の中になってくると、とくに経済生活の領域で、信用を合理的・客観的に計測する必要性はますます高まってくる。その結果、信用の〈合理化〉はさらに進み、さまざまの指標を組み合わせて信用を量的に算定する方式が発達する。と同時に、そのようにして算定された〈信用〉こそが、まさしくその人の信用にほかならないのだという一種の逆転がおこる。 p.90~93
事実は小説よりも奇なり
ねーちゃんと急に和解した。
って、こんなこと言うの何回目だよ?
ねーちゃんが高崎に来るってんで、
俺が熊谷の東横インに4連泊したというのに。
その間に母親と何を喋ったのかは知らないが。
ま、結果的にお互い言いたいこと言い合えて良かったね、て話ですわ。
高崎に帰ってきて、玄関開けたら、
あれ、ねーちゃんがいるぞ?!
と思ったけど。
義理の兄には感謝しても感謝したり無い。
良かった。
( ;∀;)
ドストエフスキーもびっくり!
このまま良好な関係が続くならば、
母親の財産と俺の生活費の管理をねーちゃんに丸投げしても構わないくらい。
一応、母親には、財産は半々で分けてねって一筆書いてもらったし。
それから(再掲)ー文化帝国主義批判
確かに『それから』で、前にたちはだかる資本主義経済とシステムが、急に前景化してきた感は大きいですね。 前作『三四郎』でも問題化する意識や構図は見てとれますが、そして漱石の中で<西欧近代文明=資本主義=女性の発見>といった公式は常に動かないような気もするのですが、『三四郎』の「美禰子」までは――「美禰子」が「肖像画」に収まって、つまりは死んでしまうまでは、資本主義社会はまだまだ後景に控える恰好、ですよね。 逆に『それから』で、明治を生きる人間を囲繞し尽くし、身動きとれなくさせている資本主義社会という怪物が、まさに<経済>(代助にとっては「生計を立てねばならない」という形で)に焦点化されて、その巨大な姿を生き生きと現すことになっていると思います。 労働も恋愛も、すべてにおいて<純粋=自分のあるがままに忠実に>ありたい代助を裏切って、蛙の腹が引き裂けてしまいそうな激しい競争社会を表象するものとして明確な姿を現します。 「三千代」もまた、それに絡め取られた女性として、初期の女性主人公の系譜ともいえる「那美さん―藤尾―美禰子」の生命力を、もはや持たず、読者は初期の漱石的女性が、「三四郎」や「野々宮さん」が「美禰子」を失ってしまった瞬間、初めて事態の意味を悟った如く、もはや漱石的世界に登場することが二度とないことを、痛感するのかもしれません。 『それから』が、このような画期に位置する作品として、登場人物たちが資本主義システムに巻き込まれ、葛藤する世界を生々しく描いたとするなら、次作『門』は、それを大前提とした上で――もはや資本主義社会は冷酷なシステムとしていくら抗っても厳然と不動であることを内面化した上で、そこを生きる「宗助―お米」の日々へと焦点が絞られていきますね。
零度の社会(再掲)ー文化帝国主義批判
ところで、現実の問題として、自立した個人から成る世界がすぐに出現するわけではない。他者は、他者を認知する者にとって異質な存在である。これは他者を「差異」であるということが同定された限りにおいてである。差異は同一性の下でしか正当性を持ちえない。同一性に吸収されない差異=他者は、排除される。それを可能にしていたのが、祖先の存在であり、また神であった。たとえ、異なる地位にあって、通常は口を聞くことも、顔を見ることさえ許されなくとも、共通の神を持っているという認識の下に、異なる地位にある者同士が共同体を維持する。地位を与えるのは神であり、それに対してほとんどの者は疑問さえ抱かなかったのである。(p.177~178) (中略) カースト制は、総体として、閉鎖的で完結的な世界を築く。そこでは、ウェーバーが「デミウルギー」と呼んだ、手工業者が村に定住し、無報酬で奉仕する代わりに、土地や収穫の分け前を受け取る制度が敷かれている。このような制度では、商品経済が発達する可能性はほとんどない。したがって、他者としての商人が、共同体内によそものとして現れる可能性は低い。 これに対して、市場論理が浸透した世界では、他者が他者として認知される。それは、複数の世界に属することを可能にする包含の論理によって律せられている世界である。このような世界が可能であるためには、共同体の外部に位置する他者の明確なイメージが築かれる。その推進者となるのが、商人であり、貨幣である。 それでは、なぜ貨幣が推進者となるのか。それは、貨幣を通じて、共同体の外部に存在するモノを手に入れ、みずから生産するモノを売却することが可能になるからである。共同体の外部が忌避すべき闇の空間でしかない状態から、共同体の内と外に明確な境界が引かれ、ある特定の共同体に属しながらも、その外部にも同時に存在することを可能にするのが、貨幣なのである。他者が、貨幣と交換可能なモノ、つまり商品を売買したいという希望を掲げていれば、それによって他者のイメージは固定され、他者の不透明性を払拭できる。こうして、貨幣は、共同体外部への関心を誘発していく。そして、カースト制のような閉鎖的な社会とは大きく異なり、ふたつの異なる世界において、同一性を築こうとするのである。 もちろん、誰もが商人になるこのような世界がすぐに出現するわけではない。そのためには、まず貨幣が複数の共同体のあいだで認知されなければならない。そして、マルクスが注視したように、多くの者が賃金労働者として「労働力」を売るような状況が必要である。そして、そうした状況が実際に現れてくるのが、マルクス自身が観察した通り、一九世紀のイギリスなのである。単独の世界に帰属することも、複数の世界に関わることも認める世界は、労働が労働力として商品になり、賃労働が普及する資本主義の世界においてである。(p.180~181) 「零度の社会」荻野昌弘著 世界思想社
「世界文学への招待」(再掲)ー文化帝国主義批判
質問:「世界文学への招待」の授業を視聴して、アルベール・カミュの「異邦人」と、ミシェル・ウェルベックの「素粒子」を読み終え、いま「地図と領土」の第一部を読み終えたところです。 フランス文学、思想界は、常に時代を牽引するような象徴あるいはモーメンタムを必要としているというような記述を目にしたことがあるような気がしますが、「異邦人」からすると、確かに、「素粒子」が下す時代精神は、「闘争領域」が拡大したというように、現代西欧人には、もはや<性>しか残されておらず、それさえも、科学の進歩によって不必要なものになることが予言され、しかもそれで人間世界は互いの優越を示すために、無為な闘争を避けることができない、というような描写が「素粒子」にはあったと思われます。 「地図と領土」においても、主人公のジェドは、ネオリベラリズムの波によって、消えゆく運命にある在来の職業を絵画に残す活動をしていましたが、日本の百貨店が東南アジア、特に資本主義にとって望ましい人口動態を有するフィリピンに進出する計画がありますが、そのように、ある種の文化帝国主義を、ウェルベックは、グローバリゼーションを意識しながら作品を書いているのでしょうか? 回答:このたびは授業を視聴し、作品を読んだうえで的確なご質問を頂戴しまことにありがとうございます。フランス文学・思想における「時代を牽引するような象徴あるいはモーメンタム」の存在について、ご指摘のとおりだと思います。小説のほうでは現在、ウエルベックをその有力な発信者(の一人)とみなすことができるでしょう。 彼の作品では、「闘争領域の拡大」の時代における最後の人間的な絆として「性」を重視しながら、それすら遺伝子操作的なテクノロジーによって無化されるのではないかとのヴィジョンが描かれていることも、ご指摘のとおりです。 そこでご質問の、彼が「グローバリゼーション」をどこまで意識しながら書いているのかという点ですが、まさしくその問題はウエルベックが現代社会を経済的メカニズムの観点から考察する際、鍵となっている部分だと考えられます。アジアに対する欧米側の「文化帝国主義」に関しては、小説「プラットフォーム」において、セックス観光といういささか露骨な題材をとおして炙り出されていました。また近作「セロトニン」においては、EUの農業経済政策が、フランスの在来の農業を圧迫し、農家を孤立させ絶望においやっている現状が鋭く指摘されています。その他の時事的な文章・発言においても、ヨーロッパにおけるグローバリズムと言うべきEU経済戦略のもたらすひずみと地場産業の危機は、ウエルベックにとって一つの固定観念とさえ言えるほど、しばしば繰り返されています。 つまり、ウエルベックは「グローバリゼーション」が伝統的な経済・産業活動にもたらすネガティヴな影響にきわめて敏感であり、そこにもまた「闘争領域の拡大」(ご存じのとおり、これはそもそも、現代的な個人社会における性的機会の不平等化をさす言葉だったわけですが)の脅威を見出していると言っていいでしょう。なお、「セロトニン」で描かれる、追いつめられたフランスの伝統的農業経営者たちの反乱、蜂起が「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)」運動を予言・予告するものだと評判になったことを、付記しておきます。 以上、ご質問に感謝しつつ、ご参考までお答え申し上げます。
「顔の現象学」(再掲)ー文化帝国主義批判原論
ところで、ルソーは疎外論の元祖だそうである。 「ホントウのワタシ」と「社会的仮面を被ったワタシ」の分離という中学生が本能的に感じるようなことに言及していたそうである。ここで、いわゆる『キャラ』について考えてみよう。 サークルの飲み会で、場にあわせてドンチャン騒ぎをやることに倦み果てて、トイレに逃げ込んだときに自分の顔を鏡でみるのは一種のホラーである。鏡に映る、グダグダになって油断して仮面を剥がしかけてしまった見知らぬ自分。それを自分だと思えず一瞬見遣る鏡の前の男。男は鏡に映る男が自分であることに驚き、鏡の中の男が同時に驚く。その刹那両方の視線がカチあう。俺は鏡を見ていて、その俺を見ている鏡の中に俺がいて、それをまた俺が見ている・・・という視線の無限遡行が起こって、自家中毒に陥ってしまう。 このクラクラとさせるような思考実験からは、<顔>についてわれわれが持っているイメージとは違う<顔>の性質を垣間見ることが出来るのではないか。そもそも、自分の顔は自分が一番よく知っていると誰もが思っているが、鷲田清一によれば、「われわれは自分の顔から遠く隔てられている」(「顔の現象学」講談社学術文庫 P.22)という。それは、「われわれは他人の顔を思い描くことなしに、そのひとについて思いをめぐらすことはできないが、他方で、他人がそれを眺めつつ<わたし>について思いをめぐらすその顔を、よりによって当のわたしはじかに見ることができない。」(P.22)からだ。 言い換えれば、「わたしはわたし(の顔)を見つめる他者の顔、他者の視線を通じてしか自分の顔に近づけないということである。」(P.56)ゆえに、「われわれは目の前にある他者の顔を『読む』ことによって、いまの自分の顔の様態を想像するわけである。その意味では他者は文字どおり<わたし>の鏡なのである。他者の<顔>の上に何かを読み取る、あるいは「だれか」を読み取る、そういう視覚の構造を折り返したところに<わたし>が想像的に措定されるのであるから、<わたし>と他者とはそれぞれ自己へといたるためにたがいにその存在を交叉させねばならないのであり、他者の<顔>を読むことを覚えねばならないのである。」(P.56) そして、「こうした自己と他者の存在の根源的交叉(キアスム)とその反転を可能にするのが、解釈の共同的な構造である。ともに同じ意味の枠をなぞっているという、その解釈の共同性のみに支えられているような共謀関係に<わたし>の存在は依拠しているわけである。他者の<顔>、わたしたちはそれを通して自己の可視的なイメージを形成するのだとすれば、<顔>の上にこそ共同性が映しだされていることになる。」(P.56) こう考えると、「ひととひととの差異をしるしづける<顔>は、皮肉にも、世界について、あるいは自分たちについての解釈のコードを共有するものたちのあいだではじめてその具体的な意味を得てくるような現象だということがわかる。」(P.58)これはまさに、サークルなどで各々が被っている<キャラ>にまさしく当てはまるのではないか。サークルという場においては、暗黙の解釈コードを共有しているかどうかを試し試され、確認し合っており、そのコードを理解できないもの、理解しようとしないものは排除される。その意味では<キャラ>はまさしく社会的仮面なのだ。
ガーシー
ガーシーが、国民の支持が広まれば、日本に帰るかも、と発言したそうだが、何か根本的に勘違いしているのではないか? 警察に逮捕されるか否かが、国民からの支持の程度によって変わるとでも思っているのだろうか? それは、疑いもなく法治主義の否定だ。 それを国会議員がやる、ということが、もはや茶番でしかない。 安倍の数々の疑惑に絡んで、国民に司法の独立性を疑わせるようになった司法にも責任の一端はあるとは思うが。
権力と知 (再掲)
前二千年紀の終わりから前千年紀の初めの東地中海のヨーロッパ社会では、政治権力はいつもある種のタイプの知の保持者でした。権力を保持するという事実によって、王と王を取り巻く者たちは、他の社会グループに伝えられない、あるいは伝えてはならない知を所有していました。知と権力とは正確に対応する、連関し、重なり合うものだったのです。権力のない知はありえませんでした。そしてある種の特殊な知の所有なしの政治権力というのもありえなかったのです。(62ページ) ギリシア社会の起源に、前五世紀のギリシアの時代の起源に、つまりはわれわれの文明の起源に到来したのは、権力であると同時に知でもあったような政治権力の大いなる一体性の分解でした。アッシリアの大帝国に存在した魔術的―宗教的権力のこの一体性を、東方の文明に浸っていたギリシアの僭主たちは、自分たちのために復興しようとし、またそれを前六世紀から前五世紀のソフィストたちが、金銭で払われる授業という形で好きなように用いていました。われわれが立ち会っているのは、古代ギリシアで前五、六世紀にわたって進行したこの長い崩壊過程なのです。そして、古典期ギリシアが出現するとき―ソフォクレス(注:「オイディプス王」の作者)はその最初の時代、孵化の時点を代表しています―、この社会が出現するために消滅しなければならなかったのが、権力と知の一体性なのです。このときから、権力者は無知の人となります。結局、オイディプスに起こったのは、知りすぎていて何も知らないということです。このときから、オイディプスは盲目で何も知らない権力者、そして力余るために知らない権力者となるのです。(62ページ) 西洋は以後、真理は政治権力には属さず、政治権力は盲目で、真の知とは、神々と接触するときや、物事を想起するとき、偉大な永遠の太陽を見つめるとき、あるいは起こったことに対して目を見開くときに、はじめてひとが所有するものだという神話に支配されるようになります。プラトンとともに西洋の大いなる神話が始まります。知と権力とは相容れないという神話です。知があれば、それは権力を諦めねばならない、と。知と学識が純粋な真理としてあるところには、政治権力はもはやあってはならないのです。 この大いなる神話は清算されました。ニーチェが、先に引いた多くのテクストで、あらゆる知の背後、あらゆる認識の背後で問題になっているのは権力闘争なのだ、ということをを示しながら、打ち壊し始めたのはこの神話なのです。政治権力は知を欠いているのではなく、権力は知とともに織り上げられているのです。(63ページ)
2022年8月11日木曜日
おはようございます。@熊谷の東横イン
なんか知らんが、小学生ぐらいの子ども達が大量にいる。 俺は子どもが苦手だ。 思うに、コイツらは、パターン学習途上の人工知能と同じなんじゃないか? 勘違いされちゃ困るが、コイツらの人格を否定してるって訳じゃないよ。 何が言いたいか、というと、これぐらいの年齢のガキは、まだ、世の中の人間のサンプリングをしている最中なので、とにかく少しでも奇異なものに敏感に反応してしまうのだ。 そして、正常か異常かを、瞬時に即断しようとする。 まあ、それもしょうがないだろう。 自然界の動物はそうやって生きているんだから。 しかし、君らは、世の中には色んな人間がいる、という単純な事実を学習するために、義務教育を受けているのではないのかね? 単純に、毛並みの違うやつをやたらとあげつらって嗤っているだけじゃ、教育を受けている意味がないだろう? そうではないか? 尤も、大学生にもなってこんなこともわからない奴ってのも、いくらでもいるが。 むしろ、そういうアホどもは、そういう即断のスピードを競い合い、ただでさえ狭い自身の中の《正常》を限りなく狭め、自分自身が《正常》である椅子取りゲームをしているのだ。 そういうのを学習とはいえない。 そういうアホが厄介なのは、実に、学びの場において、考えの違うやつを、あげつらい、嗤うことによって、周囲の学生の独創性を殺してしまうことだ。 そりゃそうだ。 ただでさえ視野の範囲が狭い幼少期から、椅子取りゲームに勝つために、更に自身の中の《正常》の範囲を狭め続けているのだから。 しかも、そういう椅子取りゲームに勝つのが得意な奴ほど、中途半端に学歴が高い。 頭はいいから。 慶応なんかそんなのばっか。 こんなんじゃ、日本企業の競争力なんか高まる筈がないに決まっている。 こういう末人どもには、もはや真理など存在しない。 あらゆる知、あらゆる認識の背後で問題になっているのは、権力闘争なのだ。 知は権力と絡み合い、権力とともに織り上げられているのだ。
2022年8月8日月曜日
経常収支よもやま話 (再掲)
ただでさえ安い円が、さらに安くなる可能性があるとのこと。 日本の経常収支は、かつては貿易黒字と第一次所得収支の黒字が双璧だったが、いまは第一次所得収支のみが頼り。 しかも、その第一次所得収支も、海外展開した企業が利子や配当として得た資金(ドルなど)は、統計上円に換算されるため、一見日本に富が還元されているように見えるが、実際には円には替えず、外貨で保有したままなので、実需の円買いにはならないため、円安是正には寄与しない。 しかも、海外展開した企業は、海外で得た資金を、日本には還流せず、再び海外市場へ投入するため、実需の円買いには繋がらない。
統計上は、第一次所得収支は経常収支に計上されるってことになってるけど、実質民間の貯蓄になってないなら、日本政府の赤字は、どうやってファイナンスしてるんだろう? 経常収支が黒字であればこそ、政府の赤字を国内の資金で補えるが、それが見かけだけのものならば、理屈でいえば海外からの資金に国債発行の原資をアテにしなければならないはず。 財政赤字に加え、経常収支まで赤字になったら、海外からの資金を呼び込むために、金利を上げる必要があるはずだが。 国際収支統計では、経常収支、資本収支、外貨準備増減の和はゼロとなるため、外貨準備増減を捨象して考えれば、経常収支が赤字となると資本収支が黒字となる。これは、経常収支が赤字の状況では、財政や民間投資等の資金需要を確保するためには、海外からの資金が流入超過になることを意味している。民間部門の貯蓄の黒字幅が縮小する一方、政府部門の赤字幅は縮小しない場合、その赤字のファイナンスを海外の資金に頼る必要が出てくるということである。 (リンクの内閣府のペーパーより) https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_6.html
バラッサ・サムエルソン仮説 (再掲)
消費バスケットを構成する貿易可能財では、国際貿易を通じた裁定取引により国際的な一物一価が生じる一方、サービスなどの非貿易可能財では国際的な裁定取引が行われない。日本での非貿易可能財価格は国内の生産投入費用、特に実質賃金により決定される。 貿易可能財産業で高い労働生産性の伸び率を達成した高所得国は、その高い労働の限界生産性から国内実質賃金がすべての国内産業で高い。高所得国の非貿易可能財価格は低所得国より高くなり、同所得国の実質為替レートは増価する。 日経新聞「経済教室」2022/1/26 より https://imidas.jp/genre/detail/A-109-0085.html https://jp.reuters.com/article/column-kazuo-momma-idJPKBN2FB0CH
製造業のグローバル化と賃金の低下 (再掲)
1990年代以降、企業のグローバル展開が加速していくのに合わせて、国内では非正規雇用への切り替えや賃金の削減など、生産コスト抑制が強まりました。大企業はグローバル展開と国内での労働条件引き下げにより、利潤を増加させてきたのです。しかし、その増加した利潤は再びグローバル投資(国内外のM&Aを含む)に振り向けられます。そして、グローバル競争を背景にした規制緩和によって、M&Aが増加していきますが、これによって株主配分に重点を置いた利益処分が強まり、所得格差の拡大が生じています。また、国内の生産コスト抑制により、内需が縮小していきますが、これは企業に対してさらなるグローバル展開へと駆り立てます。 このように、現代日本経済は国内経済の衰退とグローバル企業の利潤拡大を生み出していく構造になっているのです。1990年代以降、景気拡大や企業収益の増大にも関わらず、賃金の上昇や労働条件の改善につながらないという問題を冒頭で指摘しましたが、このような日本経済の構造に要因があるのです。 新版図説「経済の論点」旬報社 https://jp.reuters.com/article/column-kazuo-momma-idJPKBN2FB0CH
第一次所得収支(再掲)
1990年代以降、企業のグローバル展開が加速していくのに合わせて、国内では非正規雇用への切り替えや賃金の削減など、生産コスト抑制が強まりました。大企業はグローバル展開と国内での労働条件引き下げにより、利潤を増加させてきたのです。しかし、その増加した利潤は再びグローバル投資(国内外のM&Aを含む)に振り向けられます。そして、グローバル競争を背景にした規制緩和によって、M&Aが増加していきますが、これによって株主配分に重点を置いた利益処分が強まり、所得格差の拡大が生じています。また、国内の生産コスト抑制により、内需が縮小していきますが、これは企業に対してさらなるグローバル展開へと駆り立てます。 このように、現代日本経済は国内経済の衰退とグローバル企業の利潤拡大を生み出していく構造になっているのです。1990年代以降、景気拡大や企業収益の増大にも関わらず、賃金の上昇や労働条件の改善につながらないという問題を冒頭で指摘しましたが、このような日本経済の構造に要因があるのです。 新版図説「経済の論点」旬報社 p.129より つまり、日本の内需の縮小と労働市場の貧困化は、企業の海外進出と表裏一体であり、その見返りとしての、海外からの利子・配当などの、いわゆる第一次所得収支の恩恵として現れる。 https://jp.reuters.com/article/japan-economy-idJPKCN1QP0DX https://toyokeizai.net/articles/-/380494?page=4
物価上昇(再掲)
ちょっと明らかに物価上昇が無視しえなくなってきたね。 実質賃金が上がってないとは言え、 現実に物価が上がってる以上、 おそらく期待インフレ率も上がってるんだろうが、 いざインフレになってみると、 中央銀行(と政府)がそもそも 消費者の期待インフレ率をコントロールするなどという ウルトラC難度の技を出来るのか 甚だ疑問だが、 それはともかく、 名目金利が抑え込まれている以上、 多少リスクとってでもよりリターンを得られる資産、つまり株や外国債に投資しよう、というのは当然の成り行きだろう。 しかし、日本国内の貯蓄が、海外資産に投資されても、 統計上は経常収支上黒字として計上されるわけだから、 巨額の貿易赤字がデフォルト化した現状において、 経常収支が仮に黒字だとしても、 それで国内の民間部門の貯蓄が、実態として、政府部門の赤字をファイナンス出来ている、ということにはならない。 そうなれば、 経常収支が黒字でも、 外国資本からカネを借りないと日本国債を発行できない可能性も出てくる。 そうなれば、言わずもがな、 否が応でも日本国債の異常な高値が崩壊し、金利が急騰する、という怖ろしいシナリオも現実味を帯びてくる。 とはいえ、経常収支はフローの概念なので、経常収支でいうところの貯蓄と、 いわゆる国富としての貯蓄は違うのかもしれない。 そこは正直詰めてない。 国富は換金可能なのか不明だが、とりあえず3000兆円あると言われている。 従って、金利急騰という悲惨なシナリオを回避するには、増税は避けて通れないだろう。
黄色信号(再掲)
円安が進んでますね。 イエレンさんが、投機的な動きがある、と発言していました。 つまり、投機筋が、 円売りを仕掛ている。 なぜ円売りを仕掛ているかというと、 自国通貨が売られて通貨安になれば、 常識的には、中央銀行は、利上げをして自国通貨高に誘導しようとする。 日本に当てはめると、 日銀がイールドカーブコントロールという、馬鹿げた政策によって、 中央銀行は本来、短期金利しかコントロールできないとされているのに、 長期国債を無制限に買い入れて、 無理やり長期金利を抑え込んでいる。 つまり、日本国債の価格が異常に高い。 (裏を返せば、日本国債の利回りが異常に低い。) 投機筋は、円を売れば、 日銀は過度な円安を修正するために、 政策金利を上げざるを得ないと読んでいる。 それだけでなく、投機筋は、 日本国債売りも同時に仕掛けています。 そうすると、日銀は、金利上昇抑制のために、日本国債買い入れを余儀なくされる。 そうすると、市場に円が供給されるので、 結果、円安がますます進行する、という悪循環に陥っています。 まあ、はっきり言って自業自得としか言いようがないですが、 政府・日銀は、 日本国債を買い入れつつ、外貨準備を使って円買い介入をする、という 矛盾したことやろうとしています。 なぜ矛盾しているかというと、 国際金融のトリレンマに従えば、 「資本移動の自由」 「為替の安定」 「金融政策の独立性」 の3つは、同時にすべてを達成することは出来ないからです。 資本移動の自由は犠牲にすることは出来ません。 従って、 為替の安定と金融政策の独立性のどちらかを犠牲にせざるを得ないわけですが、 金融政策の独立性を保持するとすれば、 外貨準備を使って為替介入しなければ、 自国通貨は安定しないのです。 日銀・政府は、 大規模金融緩和を継続する一方で、為替介入をする、という”矛盾した”政策を行っているわけです。 投機筋もこれは完全に計算のうえでやっていますが、 問題は、結局のところ 日銀がどこまで無謀な大規模金融緩和を続けるか、ということです。 大規模金融緩和を続ける限り、 日銀のバランスシートに日本国債がたまり続けるだけで、 金利は上がりませんから、 今までは一般人も痛みを感じなかったので、 非難の声が上がりませんでしたが、 円安が急速に進んで、消費者物価まで上昇し始めると、 消費者からも、なにやってんだ、という声があがり始めます。 アベノミクスの3本の矢のうち、 結局、大規模金融緩和だけが継続していますが、 安倍氏の死去に伴い、 日銀に対して、大規模金融緩和を継続させる 政治的プレッシャーが弱くなったことは事実でしょう。 日本の財政から言っても、 れいわ新選組が言ってるように、 国債をどんどん発行して、 日銀に買い取らせればいい、などという、 無責任なことをやっていると、 日銀の財務状況が悪化して、円の信用が毀損されたり、 そうでなくとも、日銀が、政府の借金である国債をいくらでも買い取ってくれるから、 いくら赤字国債を発行してもいい、という モラルハザードが現実に起こっています。 岸田首相はそこらへんの事情は当然わかっているはずです。 いずれにせよ、 日銀はこれ以上、 異常な大規模金融緩和を続けることによって、 イールドカーブコントロールという 国際金融の現状からすれば異常な金融政策を維持することは、 非現実的と認識していると思われますので、 少なくとも 金利の上昇幅の拡大をこっそり容認する、 ということは、 十分予想されるところです。 しかし、加藤出さんも言っているように、 イールドカーブコントロールから抜け出すことは、 大きな混乱を伴うと予想されるので、 それこそ 投機筋の外圧がなければ いつまでも続けていたところでしょうが、 幸か不幸か、現実的ではありませんでした。 さて、焦点は、 日銀がどこまで金利の上昇幅を容認するか、 そしてそのタイミングはいつか、 ということになりそうですが、 金利の上昇幅は実務家ではないので知りませんが、 タイミングとしては、そう遠くないのではないかと思われます。 これだけ急激な円安を鑑みると、 黒田総裁の任期満了まで 待てるとは思えません。 従って、 急に金利が上がる、ということは、 十分ありえる話です。 ・・・で、何が言いたいか、というと、 金利が上がって困るのは、 超低金利を前提として 変動金利で住宅ローンを組んでいる家計です。 銀行も馬鹿ではないので、 固定金利は既に段階的に引き上げています。 それは、変動金利が上昇すれば、 固定金利に借り換える人が増えると予想しているからと言って過言ではないでしょう。 ですので、 変動金利で住宅ローンを組んでいる人は、 専門家に相談するなりして、 対策を立てたほうが良いでしょう。 自分は専門家でもなんでもないので、 この文章の内容に責任は負えません。 https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/470422.html https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/466765.html
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妄想卒論その7 (再掲)
「ウォール街を占拠せよ」 を 合言葉に 米国で 反格差のデモが広がったのは 2011年。 怒りが新興国に伝播し、 米国では 富の集中がさらに進んだ。 米国の 所得10%の人々が得た 所得は 21年に全体の46%に達した。 40年で11ポイント高まり、 ...
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2021年の大河ドラマは、渋沢栄一を扱っていたが、蚕を飼って桑の葉を食べさせているシーンがあったが、蚕を飼うということは、最終的に絹を作って、輸出するということだから、既に世界的な市場と繋がっていて、本を辿れば、あの時代に既に農家も貨幣経済に部分的に組み入れられていたということ。...
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もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。なぜなら、実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) がマイナスの (つまり保有していると損をする) 金融商品を買う投資家はいな...