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韓国語能力試験Ⅱ

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  韓国語も、丸20年勉強しているので、だいぶ上達しました。 とりあえずBGMがわりにランダム再生して聴いています。 ・・・いいね。 だいぶ脳がじわじわする。 10数年前は、こんなん一生聴き取れるようになんか、ならんわ! と、思ってたけど、やり続けると、案外どうにかなるもんだね。 ・・・最初の数時間は、確かにおっかなびっくりだったけど、慣れてきたら、かなり聴き取れるな。 もちろん、100%ではないけど。 ようやくここまで来たか。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹 文春文庫 より (再掲)

   人生は複雑な楽譜のようだ、とつくるは思う。十六分音符と三十二分音符と、たくさんの奇妙な記号と、意味不明な書き込みとで満ちている。それを正しく読み取ることは至難の業だし、たとえ正しく読み取れたとしても、またそれを正しい音に置き換えられたとしても、そこに込められた意味が人々に正しく理解され、評価されるとは限らない。それが人を幸福にするとは限らない。人の営みはなぜそこまで入り組んだものでなくてはならないのだろう?  「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹 文春文庫 より 夜空ノムコウ    

理不尽な、あまりに理不尽な (再掲)

  過去形に追いやったはずのものは、現在進行形だった。 どうして、ピリオドを打たせてくれないんだ? 俺の人生は、いつもそこが宙ぶらりんなんだ。 利得表と確率を書いて、はい、こうするのが得です、なんて、俺の人生はそんな安っぽいものじゃない。 理不尽だ! どうして忘れさせてくれないんだ? そこに区切りをつけないことには、未来へ進めないのに、いつまで経っても現在進行形なんだ。 人生設計もへったくれもあったもんじゃない。 拷問だ! 生殺しだ! 人殺し! どんなに言葉を連ねて、自分を納得させようとしても、亡霊のように蘇るんだ。 それは、おれのサガか? あるいは、なんだ? たのむ、どうか届いてくれ。 この言葉を、空の瓶にいれて、海に流すから。 いい加減、俺を呪縛から解放してくれ。 たのむ。 アカシアの雨がやむとき

専門家からフィードバックを頂戴しました。 ―「こころ」とデュルケム― 森本先生より 私信

   AIレポートは、小林くんの簡潔かつシャープなコメントをタタキ台に、さらに発展させて、デュルケムの知見を借りながら、漱石が「先生」というキャラクターを通して描いた『こころ』の「個人」を「新自由主義」の「個人」を重ね合わせることで、近代における「個人」および「個と社会」の関係性を問い直そうとした論として、たいへん興味深く拝読させてもらいました。  確かに、明治が経験した急速な資本主義システムの流入と、戦後日本が体験した激しい経済状況の変動、とりわけバブル崩壊のショックとは、ともに旧来の日本的「共同体」の崩壊と個人の孤立・孤独を生み出してゆく社会状況として、見事に重なり合っていると思います。戦後日本の社会変動や思想的動揺が明治維新以降のそれと並行性を持っていることは、しばしば指摘されるところでもあります。AIの指摘は的確ですが、ただ、「漱石」と「新自由主義」の重層性はここまで――経済変動と旧来の価値観の崩壊が生起する個人の動揺まで、のように思います。  叔父の裏切りによる血縁共同体への不信と訣別、離郷と上京――「先生」を見舞うこの状況は、まさに「新自由主義」の土台にある、「無縁社会化」における「剥き出しの市場競争の荒野」の出現を、あたかも先取りするかのように克明に描き出したものといえるでしょう。しかしながら、それが生みだす「社会的統合」や「社会的規制」に対して「先生」が取る具体的スタンスについては、AIの「読み」――とりわけ「殉死」の美学について隠れ蓑として利用したという解釈については、やはり誤読であると言わざるをえないような気がします。  具体的でわかりやすい表徴として、まず留意したいのは、「欲望」をめぐる「新自由主義」の「個人」と「先生」の対峙的とさえ評せる決定的違いです。ある意味、同じく資本主義市場の「競争アクター」たる位置に括りつけられながら、前者がそれに巻き込まれた欲望追求型の人生を送るのに対して、「先生」ほど禁欲的な人間はありません。社会に絶望した「先生」が取る「隠遁」が「競争アクター」から徹底的に降りる選択であったことは見やすいですが、この消極的選択以上に、「恋愛」に対する先生の態度は厳格です。「恋」そのものを封じたのは「K」でしたが、「先生」は自分が女性に対して「肉を離れる事のできない身体」であることを明言しながら、しかし、自分にとっての恋愛...

田沼・松平経済政策の対立と意義

  江戸中期における経済政策の相克と「米・貨幣」の構造的ジレンマ:田沼重商主義と寛政重農主義の思想・実証・現代的再評価 1. 幕藩体制が直面した貨幣経済の浸透と構造的危機 徳川幕府が確立した幕藩体制は、本質的に米の生産力を経済および社会秩序の基盤とする「石高制」を基本構造としていた 1 。石高制の下では、藩の規模から武士の俸禄、年貢の課税基準に至るまで、すべてが米の生産能力で規定されており、各領主は現物で徴収した年貢米の余剰分を市場で売却し、貨幣(金銀)を得ることで必要な物資を調達していた 2 。しかし、元禄期以降、街道の整備や三都を中心とする都市化、および商品経済の急激な発展は、必然的に貨幣経済を広く浸透させることとなった 1 。この結果、現物としての「米」の価値が相対的に低下し、貨幣(金銀)の流通量が社会経済を左右する構造へと移行したのである 1 。 この「米本位の制度的枠組み」と「貨幣経済の実態」の乖離こそが、18世紀後半の幕府や諸藩における慢性的な財政窮迫と武士階級の困窮の根本原因である 1 。特に、農業技術の向上や作付面積の拡大に伴う米の増産は、市場での米価下落と、手工業品や諸物資(諸色)の価格高騰を招く「米価安諸色高」(諸色高米価安)の現象を恒常化させた 5 。領主層は主に米を財源としていたため、この現象は武士の実質購買力を極端に低下させ、家計を困窮へと追いやった 6 。明暦の大火による復興費用や、直轄鉱山からの金銀産出量の激減といった財政悪化要因も重なり、従来の年貢徴収体制は限界を迎えていた 5 。この幕藩体制が内包する構造的ジレンマに対して、対極的な思想に基づき全く異なる再建アプローチを試みたのが、田沼意次と松平定信であった 1 。 2. 田沼意次による「擬似資本主義」の展開と重商主義路線の実像 御側御用人から老中へと昇進した田沼意次は、従来の「農業に依拠した緊縮財政」というパラダイムを打破し、社会で急速に拡大する貨幣経済のダイナミズムを国家財政に直接取り込む「重商主義」的な施策、のちに「擬似資本主義」とも評される先進的な経済改革を断行した 1 。当時、年貢収量および年貢率がともに低下傾向を示し、農民への直接課税による財政維持は限界に達していたため、田沼は商業への能動的な介入を通じて新たな財源を創出することを目指した 8 。 田沼意次の経済施...