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ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 レジュメより (再掲)

     問い: 幸福とは何か 。  ソクラテスは誰でも、これは、自分で人生を「設計してゆく」という発想と結びつくことである。 したがって、<配慮するもの>をもち、配慮を重ねてそのつど考え、行動する自分の人生設計者としての「一人称特権」のようなものは、幸福を問題にするとき、なおざりにできない。   たとえあることが自分のためであっても、それを押し付けられたのでは「自分の人生」ではなくなる。 ソクラテスは、このような一人称の問題があることに反して精神や徳に気を遣えといっているのではなく、 この問題があるからそれに沿うように「気を遣うもの」を考えさせようとした、 その場合、精神的なものや徳に気を遣うことは、あなたにとって納得できる方向になるはずだ、という語りかけをしている。    ☆人生を「まじめに」考えること    1.幸福の中身は「一人一人の問題」であり、他人に勧告されるには及ばない。 しかし幸福というものにまつわる「構造」や「形式」の問題は、単に「その人の問題」であるのではない。 われわれの「人生の夢」の見方は、お互いに、似ている。  構造や夢の見方を「知る」ことは、自分の「一人称」としての資格や個人の強さを上昇させてくれそうに思える。    2.問題なのは、人が「分かりやすい資格として」もしくは何らか「世間的に」上昇するということではない。 たとえば、社長になるとか出世するとか大学教員になるとか有名人になるとか金持ちになるとかではない。 実質的に自分の人生に対してよい位置を占めるようになることである。 したがって、ほんとうに行動が「自分のもの」として首尾一貫して統御されていること、 ほんとうの気持ち・実感から発想したことが 同時に知性の表現にもなっていることが目標になる。   3.ソクラテスはここで、 「知性」にふさわしい課題 がじつは数多くあり、 それを追求しながら生きてゆくことが幸福につながる、と語りかける。 われわれの生活は、目的・手段の関係を持つ多くの行為からできている。 お金儲けや名声・地位等のためのことは、 お金・名声・地位・容姿等で何をするかという、 「次の問い」を予想する。 ここから、人間らしい生活は、「その先」を考えるところまでいかなけれ...

젊때 고생은 사서라더해라.

 韓国語のことわざで、「若いときの苦労は、買ってでもしろ。」というものがあります。 わたしは、これは大事な教えだと思います。 若い時に苦労を知らずに、「俺は本気をだせば凄い」とか思ったまま中高年になったやつが、自分のキャパを自覚しないまま、それに見合わない重荷を背負うと、往々にして身の破滅を招くからです。 ですから、若い内に自分の限界を知るためにも、何かしら頑張ることが大事です。 若い内から、何かしらやり切ることです。 それが、歳を取ってから破滅しないための、なによりの薬です。

無調の哲学

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 「体系は小人たちのためのものである。偉大な人間は直観をもっている。彼らは心に浮かぶがままの数字に賭けるのだ。・・・・ 彼らの直観の方が貧乏人たちの手間のかかる計算法などよりも、よほど 頼りになる。こうした計算法は、徹底的に調べつくすということができないために、いつもきまって失敗に終る。」  ハインリッヒ・レギウス   「アドルノ」 岩波現代文庫 81ページより    

平沼・・・(´;ω;`) 増補

  ようやく、今季初ヒット。 てか、1軍にいたんだ。 9番ファーストか。。。 まあ、1軍で試合出られるだけ佳しとしよう。 ああ、そうか。 今季初スタメンか。 よかったな。 平沼翔太今季初ヒット すげえいいじゃん! しっかりバット振れてるよ。 あとは打率がついてくれば、じゅうぶん1軍でやっていけるな。 推し活冥利に尽きる。 大谷みたいなスーパースターも、野球の華だけど、こういう、特別な才能があるわけじゃなくても、地道に、誠実に努力し続ける選手を陰ながら応援するのが、俺にとってのプロ野球の醍醐味。

権威相対化と共感の倫理 (再掲)

  アリストテレス倫理学と構造主義の対峙:現代における知的権威の変容と共感の地平 知的権威の失墜とアカウンタビリティの台頭 現代社会において、かつて強固であった「知的権威」の基盤が劇的に相対化されている事実は、多くの専門家や市民が肌身で感じている変化である。大学教授という肩書きや、著名な研究機関に所属しているという事実だけでは、もはやその発言の正当性を自動的に担保することはできなくなっている。この現象は、単なる敬意の欠如ではなく、知識の受容と検証における構造的な変容を意味している 1 。かつては「門外漢」として排除されていた一般市民が、専門家に対してその知見の根拠を平易に説明するよう求める「アカウンタビリティ(説明責任)」という概念が、現代の知識流通の必須条件となった。 この変容は、一見すると「知の民主化」という肯定的な側面を持っている。特権的な地位に安住していた専門家に対し、その知を社会に開くことを強いることで、透明性の高い議論が可能になるからである。しかし、その影には深刻な副作用が潜んでいる。知的オーソリティに対する信頼が崩壊した結果、人々は自らのアイデンティティや信条に合致する情報を選択的に信じるようになり、学術的に明白な誤りや、陰謀論めいた言説を臆面もなく支持する土壌が形成された 2 。この状況に政治が介入することで、いわゆるポピュリズム政治が加速し、理性的対話よりも感情的な分断が優先される極端な社会情勢が顕在化している。 このような「知の権威の相対化」は、二十世紀後半に一世を風靡した構造主義的な思考様式、あるいはそれ以降のポスト構造主義的な「知」の解体作業がもたらした成果、あるいはその帰結であると言える。構造主義は、絶対的と思われていた価値や真理を、特定のシステム(体系)内における一時的な「関係性の効果」へと還元した。この思想的背景を理解することは、現代のポピュリズムやエピステミック(認識論的)な危機の根源を解明するために不可欠である。 構造主義による価値の解体:トランプとアリスの寓話 構造主義の先駆者であるフェルディナン・ド・ソシュールは、言語における意味や価値が、その語それ自体に備わっているのではなく、他の語との「差異」の関係から生じると説いた 4 。この言語学的知見は、後に社会全体における「価値」や「権威」のあり方を説明するメタファーとして機...