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マイルストーン

 11万PVも達成したし、また、新しく栃本一三郎先生という未開拓のフィールド見つけちゃったから、とりあえず気持ちの上ではここで一区切りしておこう。 ほんとは何かご褒美欲しいけど。 まあ、それはしょうがない。

備忘録

 放送大学の放送授業「高齢期を支える(’23)―高齢者が社会を支える時代に向け―」(栃本一三郎 放送大学客員教授)の授業は、なかなか聞き応えがあって、いい。 来学期は、この放送授業を科目登録してみようかな。 グズグズしていると、expireしてしまうから。 あと、平沼も途中から1塁の守備固めに入ったから、1打席くらいは回ってきそうだ。 ・・・平沼に打席が回ってくる前に、試合が終わってしまった。 オリックス・バファローズが勝ったが、別にそんなことはどうでもいい。 どこの球団かは関係ない。 さて、あんまり根を詰めるのもツラいが、やることがなくて徒然としているのも、それなりに元気が萎える。 とりあえず、「高齢期を支える(’23)―高齢者が社会を支える時代に向け―」の第一回の授業を、最初から最後まで、通して拝聴した。 (日曜日だし。) ・・・すげえいい授業だった。 まだこんな素晴らしい放送授業を取り残していたのか。 恐るべし放送大学。 単に、少子高齢化だよね、ヤバイよね、というセンセーショナルな内容では決してなく、専門家として、かつ、社会保障論にありがちな、非現実的な感情論でもなく、現実をちゃんと見据えた上で、どういうパラダイムシフトが必要なのか、が丁寧に論じられていた。 これは本当に素晴らしい授業だ。 ・・・ふと思ったが、これから(少子)高齢化が当然進行するわけだが(人間はトシを取るから、当たり前。)、相続税による税収が増えて、そのぶんに関しては、国の財政にはプラスなんじゃないか、と思った。 (これからの日本の人口減少の主な要因は、少子化よりも、高齢者の死亡とのこと。) これは残酷と言われれば、それは一面の真理かも知れないが、中国がいま直面している制度上の欠陥は、相続税がまともに整備されていないので、貧富の格差の固定化、という、中国史において何度も繰り返し起きた問題が、ふたたび顕在化する危険性が、以前日経新聞の記事に寄稿されていた。 (しかも、いまの中国の指導層は、そのことに関して極めて無頓着らしい。) また、人口縮小社会においては、ヨーロッパ中世における黒死病における研究から得られた知見では、つまるところ労働力そのものが希少になるため、労働者に対して優しい社会になるとも仰られていた。 とにかく、めちゃめちゃ盲点を突かれる、かつinspiringな第一回の講義内容...

ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 資料より (再掲)

     私は、 自分のもともとの性質が 「ここまでくらいはがんばろう」と課した限界の範囲で自己研鑽に励むときでさえ、謝罪や後悔もなく、自分のもともとの性質を「与えられた当たり前のもの」として受け入れており、そのようなとき、自分自身に対する「自己愛」を持っているのである。私の自我と私とは、一様にすべてのことを共有しながら、いっしょに多くのことをくぐり抜けてきた。私が彼(=私の自我)を支える限り、彼が私を失望させることはなかった。私は彼を叱ったこともあるが、けっして彼の本性を呪うことはなかった。彼には間違いなく欠点があるし、ひどくそうなのだが、その短所があらわになるとき、私はやさしく寛大にほほえむのである。彼のへまは、彼のような性質をもつだれからでも人が予想するようなものである。 人は 、これほどまできわめて近しくしてきた存在を憎むようにはなれない。好むと好まざるとにかかわらずこの人物 (=私の自我)に依存してきた全年月の後、どのようにして別の自我とうまくやりはじめることができるか、私は実際知らないのである。このように、自己同一性 (自分が自分であること)は、一種の約束による見合い結婚だと考えることができる。その見合い結婚は、安定的な人の中では真実の愛へと成熟するものだが、不安定な人の中では、堕落してしまって、恨み言と自滅へと至る。人の自己愛のもっとも真実の表現は、自身の善さへの献身であり、それは他の誰のものでもない自身のもともとの性質(そのような性質は不条理な、変なものかもしれない)の自己充足である。(「不条理な自己充足」 [ジョエル・ファインバーグ『倫理学と法学の架橋』東信堂・2018年]432−3頁)

「魔の山」 トーマス・マン 岩波文庫 下巻 末尾より

   さようなら、ハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子よ! 君の物語はおわり、私たちはそれを語りおわった。 短かすぎも長すぎもしない物語、錬金術的な物語であった。 (略) 私たちは、この物語がすすむにつれて、 君に教育者らしい愛情を感じはじめたことを 否定しない。 (略) ごきげんよう―君が生きているにしても、倒れているにしても! 君の行手は暗く、 君が巻き込まれている血なまぐさい乱舞は まだ 何年もつづくだろうが、 私たちは、君が無事で戻ることは おぼつかないのではないかと 考えている。 (略) 君の単純さを複雑にしてくれた肉体と精神との冒険で、 君は肉体の世界ではほとんど経験できないことを、 精神の世界で経験することができた。 (略) 死と肉体の放縦とのなかから、 愛の夢がほのぼのと誕生する瞬間を経験した。 世界の死の乱舞のなかからも、 まわりの雨まじりの夕空を焦がしている 陰惨なヒステリックな焔のなかからも、 いつか愛が誕生するだろうか? (おわり)

ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 レジュメより (再掲)

    問い: 幸福とは何か 。  ソクラテスは誰でも、これは、自分で人生を「設計してゆく」という発想と結びつくことである。 したがって、<配慮するもの>をもち、配慮を重ねてそのつど考え、行動する自分の人生設計者としての「一人称特権」のようなものは、幸福を問題にするとき、なおざりにできない。   たとえあることが自分のためであっても、それを押し付けられたのでは「自分の人生」ではなくなる。 ソクラテスは、このような一人称の問題があることに反して精神や徳に気を遣えといっているのではなく、 この問題があるからそれに沿うように「気を遣うもの」を考えさせようとした、 その場合、精神的なものや徳に気を遣うことは、あなたにとって納得できる方向になるはずだ、という語りかけをしている。    ☆人生を「まじめに」考えること    1.幸福の中身は「一人一人の問題」であり、他人に勧告されるには及ばない。 しかし幸福というものにまつわる「構造」や「形式」の問題は、単に「その人の問題」であるのではない。 われわれの「人生の夢」の見方は、お互いに、似ている。  構造や夢の見方を「知る」ことは、自分の「一人称」としての資格や個人の強さを上昇させてくれそうに思える。    2.問題なのは、人が「分かりやすい資格として」もしくは何らか「世間的に」上昇するということではない。 たとえば、社長になるとか出世するとか大学教員になるとか有名人になるとか金持ちになるとかではない。 実質的に自分の人生に対してよい位置を占めるようになることである。 したがって、ほんとうに行動が「自分のもの」として首尾一貫して統御されていること、 ほんとうの気持ち・実感から発想したことが 同時に知性の表現にもなっていることが目標になる。   3.ソクラテスはここで、 「知性」にふさわしい課題 がじつは数多くあり、 それを追求しながら生きてゆくことが幸福につながる、と語りかける。 われわれの生活は、目的・手段の関係を持つ多くの行為からできている。 お金儲けや名声・地位等のためのことは、 お金・名声・地位・容姿等で何をするかという、 「次の問い」を予想する。 ここから、人間らしい生活は、「その先」を考えるところまでいかなければ 成就しな...

権威相対化と共感の倫理 (再掲)

  アリストテレス倫理学と構造主義の対峙:現代における知的権威の変容と共感の地平 知的権威の失墜とアカウンタビリティの台頭 現代社会において、かつて強固であった「知的権威」の基盤が劇的に相対化されている事実は、多くの専門家や市民が肌身で感じている変化である。大学教授という肩書きや、著名な研究機関に所属しているという事実だけでは、もはやその発言の正当性を自動的に担保することはできなくなっている。この現象は、単なる敬意の欠如ではなく、知識の受容と検証における構造的な変容を意味している 1 。かつては「門外漢」として排除されていた一般市民が、専門家に対してその知見の根拠を平易に説明するよう求める「アカウンタビリティ(説明責任)」という概念が、現代の知識流通の必須条件となった。 この変容は、一見すると「知の民主化」という肯定的な側面を持っている。特権的な地位に安住していた専門家に対し、その知を社会に開くことを強いることで、透明性の高い議論が可能になるからである。しかし、その影には深刻な副作用が潜んでいる。知的オーソリティに対する信頼が崩壊した結果、人々は自らのアイデンティティや信条に合致する情報を選択的に信じるようになり、学術的に明白な誤りや、陰謀論めいた言説を臆面もなく支持する土壌が形成された 2 。この状況に政治が介入することで、いわゆるポピュリズム政治が加速し、理性的対話よりも感情的な分断が優先される極端な社会情勢が顕在化している。 このような「知の権威の相対化」は、二十世紀後半に一世を風靡した構造主義的な思考様式、あるいはそれ以降のポスト構造主義的な「知」の解体作業がもたらした成果、あるいはその帰結であると言える。構造主義は、絶対的と思われていた価値や真理を、特定のシステム(体系)内における一時的な「関係性の効果」へと還元した。この思想的背景を理解することは、現代のポピュリズムやエピステミック(認識論的)な危機の根源を解明するために不可欠である。 構造主義による価値の解体:トランプとアリスの寓話 構造主義の先駆者であるフェルディナン・ド・ソシュールは、言語における意味や価値が、その語それ自体に備わっているのではなく、他の語との「差異」の関係から生じると説いた 4 。この言語学的知見は、後に社会全体における「価値」や「権威」のあり方を説明するメタファーとして機...