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プロレス政治

 今年度予算が成立するらしい。 テレビってのは、不思議に今(午前04:00まえ)くらいの頃に、まともなストレートニュースを流す。 音声が小さすぎて、過去最大なのかどうかはよくわからないが。 字幕では、過去最大とは書いていなかった。 でも、結局補正予算を後から組むんだろう。 昨日の日経新聞にも書いてあったが、野党が審議日程闘争をやってるのは、単純に野党議員が首相を追い詰めてる「パフォーマンス」を演出する時間を確保したいかららしい。 テレビでも、野党議員がホルムズ海峡封鎖が長引けば、あと半年でナフサがなくなるが、どうするのか?と高市首相にただしていたが、超人じゃあるまいし、首相がそんなことまで知ってるわけねえだろうが?! バカか?! 結局、これも可哀想な官僚が、政治家の「プロレス」のために、必死で残業しまくって書いた原稿を、政治家がその通り読んでるだけ。 茶番もいいところだ。 しかも、国民は予算が膨らむほど喜ぶ、という謎すぎる構図。。。 そりゃあ、優秀なやつが官僚になりたがらなくなるのも、当然だ。 国民から目の敵にされて、しかも天下りも出来ないから、金銭的にもペイしない。 ただのブラック職場。 この国終わってますわ・・・

フーコーとボードレールの現代性論

  現代性のエチカ:ボードレールとフーコーにおける自己創出の禁欲と「芸術」の領野 ミシェル・フーコーがその晩年において到達した「啓蒙とは何か」という問いの再構築は、単なる哲学史的解釈の枠を超え、現代における主体の在り方を根本から問い直す試みであった。フーコーは、イマヌエル・カントが1784年に提示した「啓蒙」の定義を起点としつつ、そこから19世紀の詩人シャルル・ボードレールへと至る一本の精神的な糸をたどることで、現代性(モデルニテ)を一つの「態度(アティチュード)」として定義した 1 。この論考における核心は、現代的な人間とは自己の内面にある「隠された真理」を発見しようとする者ではなく、自らを絶えざる変容の中に置き、自己を一つの作品として「創出」する者であるという洞察にある 2 。この自己創出のプロセスは、社会的な規範や政治的な枠組みの中では決して完遂され得ず、ボードレールが「芸術」と呼ぶ特異な場所においてのみ可能となる 4 。本報告書では、フーコーのテクストおよびボードレールの思想的背景を詳細に分析し、現代性における「自己の禁欲的な練り上げ」と、それが要請する「芸術という場所」の必然性について、学術的視点から包括的に考察する。 現代性という態度の系譜学 フーコーにとって、啓蒙(Aufklärung)とは歴史的な一時期を指す言葉ではなく、自らの「現在」と取り結ぶ固有の関係性を指す 3 。カントが「啓蒙とは、人間が自ら招いた未成年の状態から抜け出ることである」と定義したとき、そこには「今日」という時点を歴史的な差異として捉える近代特有の思考様式が萌芽していた 3 。フーコーはこのカント的な問いを、「現在における我々自身の批判的存在論」へと接続させる 2 。 カントからボードレールへの転回 カントは、理性の公的使用を通じて個人の自律を達成することを説いたが、フーコーはこの「自律」への意志を、ボードレールの「現代性」の概念を用いてさらに過激化させている 3 。ボードレールにおける現代性とは、単に流動的な時間の推移を記述することではない。それは、過ぎ去りゆく一瞬(一過性のもの)の中に、何らかの「永遠なるもの」を捉えようとする意志的な態度である 9 。フーコーは、このボードレール的な現代性の態度こそが、啓蒙の本質的な「エトス」を最も鮮やかに体現していると論じる 4 。...