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消えない傷 一部加筆

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   俺の右手には、消えない傷がある。 2004年に精神錯乱した時に出来た傷だ。 俺にとって、慶応SFCで過ごした時期は、ちょっとは良いこともあったけど、壮大な時間とカネの無駄遣い以外の何物でもなかった。 思い出せばキリがないから、記憶の片隅に留めておいて、忘れたことにしよう。

漠たる (再掲)

 20年前東戸塚の日向台っていう精神病院に2ヶ月いたんだが、名前の通り日当たりのいいところで、要するに暑かった。心因性多飲症で今でも日々大量のお茶だの冷水だのが必要な自分には、冷水さえ滅多に飲めないのは苦痛だった。だいたい5月から7月の間だったと思うが、暑いのに冷水さえ飲めず、もちろん空調も効かない。たまに作業療法の時間があり、旧い建物の一室でビーズの編み物を作ったりしたんだが、飽きて薄暗いソファーベッドに寝転んで、俺はこんなところに居てこの先の人生は 一体どうなるんだろう?と漠たる、漠たるとしか言いようのない感覚に侵されていた。今年はそれから20年てことで放送大学のほうも親から資金援助してもらって岡山に10連泊したりなんかして、贅沢させてもらっているが、これは無意識なのか、急に気力・体力の衰えを感じる。お金がなけりゃ生きていけないのは現代人の宿命だが、母親が亡くなったらどう生きていけばいい?別に病気だって治ったわけじゃない。当然薬だって必要だ。我ながらよく頑張ったとは思うが、正直お金を稼ぐのは不得手だ。そもそも、そこまで要求するのはいくらなんでも酷なんじゃないか?かといって自殺する気はサラサラないし。人生100年時代?バカいうんじゃないよ。40ちょい生きるだけでこれだけ大変なのに、100年も生きろだと?単純に体の調子が悪いだけなのかも知れないが、なんだか急に疲れた。若いうちは気力だけは凄かったからどうにかなったが、その肝心の気力が涸れつつある。 (以下、「三十歳」坂口安吾より引用)  勝利とは、何ものであろうか。各人各様であるが、正しい答えは、各人各様でないところに在るらしい。  たとえば、将棋指しは名人になることが勝利であると云うであろう。力士は横綱になることだと云うであろう。そこには世俗的な勝利の限界がハッキリしているけれども、そこには勝利というものはない。私自身にしたところで、人は私を流行作家というけれども、流行作家という事実が私に与えるものは、そこには俗世の勝利感すら実在しないということであった。  人間の慾は常に無い物ねだりである。そして、勝利も同じことだ。真実の勝利は、現実に所有しないものに向って祈求されているだけのことだ。そして、勝利の有り得ざる理をさとり、敗北自体に充足をもとめる境地にも、やっぱり勝利はない筈である。  けれども、...

センバツ甲子園 (再掲)

 佐野日大1回戦敗退。 アッサリと負けましたね。 佐野ラーメンのようにアッサリと。 でも、昔とは違うな、と思いましたよ。 ちゃんとテレビ越しでも応援が聞こえてきたし。 選手の目つきからして、違ったね。 私、ここの中学出身なんです。 中2の終わりにケツに火がついて、1年狂ったように勉強して、私立武蔵に受かりました。 でも、入ってからのほうが、大変だった。 言葉では語り尽くせないほど。 それでどうにかこうにか留年もせずに卒業して、2年浪人して慶応に入り、入学して3年目で精神錯乱し、1年半休学して復学し・・・ と、まあなかなかハードな半生でございました。 なぜ、俺は他人が普通に出来ることを普通に出来ないのだろう?と不思議にすら思います。 そもそも、敢えて佐野日大中学から高校受験する必要など、どこにもなかったのに。 別にイジメられてるとかでもなかったし。 なんか、人生変えたかったのかな。 まあ、若かったってことなんだろうね。 なにより、母親が都立日比谷だってのも、大きいよね。 普通の親だったら、熊谷高校でも受けさせて、受かったら万々歳、で終わりだろう。 そこで敢えて東京の私立高校を受けさせる、という発想は、なかなかない。 まあ、自慢してるように聞こえるかも知れませんが、自慢で済ますには、シャレにならないほど大変でしたよ。 結局、精神障害者として働きもせず、相変わらず大学生やってんですから。 まあ、ほとんど狂気ですな。

人生最高のレストラン ―地獄の20年― (再掲)

 母親が毎週土曜日にTBSの「人生最高のレストラン」という番組を観る。 母親は、自分ではもう料理はしないし、たぶんもともと調理そのものにあまり興味がないんじゃないか、と思うほどなのだが、とにかくメシに関するテレビ番組は、必ず観る。 (なにしろ、学区制導入以前の都立日比谷から女子栄養大学に行ったくらいだから。) その「人生最高のレストラン」というのが、加藤浩次がMCで、YOUとか島崎和歌子とかがレギュラーで、毎回ゲストを招待して、人生の節目節目のエピソードを交えながら、どこそこの料理が美味しかった、などと語る。 (必ずしもレストランとは限らない。ボクシングの井上尚弥の時は、日清のカップヌードルだった。) そこで、ふと自分(がその番組に出演することは永遠にないが)がこういう番組みたいに、どんなレストランでどんな料理が美味かったとか、エピソードを交えて喋る、というシチュエーションを想像してみた。 まず、思い浮かんだのが、1浪目の時は、割と友人も浪人してる人が多かったから、代々木の代ゼミに通っている人もいて、自分は確か代ゼミには世話にならなかったが、プリパスっていう西新宿のSEGの近くにある予備校に通っていて、近いから、友人と遊ぶのも兼ねて割とよく代々木の代ゼミには行ってた。 代ゼミの本屋も、受験参考書が充実してたし、受験参考書専門の古本屋まであったから、そういうところに行くのは本当に楽しかった。 で、話を本題に戻すと、代々木の代ゼミに、ほんとにちょっとした、レストランとは到底言い難い、簡単にいえば立食いそば屋に近い食堂があって、そこの、単なる、ご飯の上に唐揚げが何個か乗っていて、それにマヨネーズと七味唐辛子をかけるだけ(!)の丼が美味かった。 それがまず思い浮かぶ。 次が、これも思い出すと辛いが、2浪して(入りたくもなかった)慶応SFCの3年目、精神錯乱してまず最初にぶち込まれた芹香会病院という施設で、1度だけ食べた、カレーうどんが、めちゃめちゃ美味かった。小学校の給食みたいで。 以上の2つは、もう存在しないか、存在しててもまず食うようなシチュエーションに絶対なってはいけないものだが、最後の3つ目も、もう存在しない。 最後の3つ目は、東武伊勢崎線の久喜駅の立食いそば屋のラーメン。 もう20年以上前だから、まだぎりぎりデフレスパイラルに太刀打ち出来たのか、立食いそば...

ウンザリだ (再掲)

  なんで慶応SFCなんていうクッソな大学はいっちまったかなー あんなんゴミの掃き溜めやで。 今だに尾を引いてるからね。 もう勘弁して欲しいわ。 受けたくねーって言ってんのに、受験票破って棄ててんのに、 それでも「オトウサンが慶応SFC気に入ってる( から受けてくれないと困る)」とかいう意味不明な理屈で、 受験日当日に再発行してまで受けさせられて、 受かっちまったから、慶応信者の父親に逆らえるはずもなく、 問答無用で入らざるを得なかった。 親にしたって、俺のことなんて、 ほんとは微塵も考えてねえんだよ。 タロー坂という、バス停からキャンパスに連なる上り坂で、 三田の慶応で合格を確認してから、SFC行って、 坂を登りなから、「ここは嫌だ」って言ってんのに、 母親にシカトされたからね。 正確には、母親は、うつむきながら、 両目の視線を左右にキョロキョロさせていた。 まるで、「そんなことを言ったら、 また私がオトウサンに怒られちゃう。」と言わんばかりに。 ま、完全に愚痴だし、 ここまで来たから言えるってこともありますけどね。 ほんと地獄だったよ。

悪魔 (再掲)

  姉の存在が重すぎる。 アイツはマジでヤバい。 実例を挙げるだけでも、ヤバすぎて、ここでは書けない。 明日まで我慢して、明日みやもとクリニックに行って吐き出してこよう。 なぜ、カミサマは、あんな悪魔を俺の姉にしたのか? 俺が前世で何の罪を犯したというんだ? たのむ、そっとしておいて欲しい。 ・・・ええい、明日まで待てないから、ここでバラしてやる。 まず、事実として2つ。 父親が、糖尿病で腎臓がダメになって、母親から父親に腎臓移植することが決まった、まさに同じタイミングで、父親に「2号さん」がいることが、バレちゃった。 っていうか、バラしたのが姉なんだけど。 それで、うずくまって泣いてる母親の耳元で、姉がこう耳打ちした。 「お父さんは、家政婦さんみたいな人を探してたんだよ。」と。 つまり、父親にとって、母親は家政婦でしかない、と。 これでもう、悪魔的ですよね。 次は、自分がなぜか戸塚で姉と数カ月暮らしていた時のこと。 戸塚で部屋を借りている、ということは、まだ自分が慶応の学生だった時ってことなんだけど、全然学校に行かないわけです。 行ったところで単位取れないし、興味のある授業もほとんどないし。 それで、無駄に時間とカネを浪費する生活を送っていたわけです。 で、ある日ふと、姉が、「ウフ♫」と呟いたから、「なに?」と聞いたら、「わかる?このバカにしてるカンジ?」と言ったから、ああ、このキチガイは、また人をバカにする練習でもしてんのか、ビョーキだな、と思って、その場をやり過ごしました。 でも、後から気づきました。 あれは、親に慶応を辞めさせてもらえなくて、時間とカネを無駄に浪費している俺を、小馬鹿にしてるんだ、と。 マジでウザいっすよね。 あと、これは僕の想像ですけど、父親は、糖尿病の成れの果てで、最後は、肺水腫という、肺の血管までボロボロになって、水が漏れ出して肺炎になる、という最悪の状態になりました。 亡くなる直前の姿を見ましたが、ちょっとこの場では表現してはいけないレベルになってました。 ああ、人間は酸欠になると、こうなるのか、と。 それで、主治医に呼ばれました。 延命治療をするかどうか。 延命治療といっても、強制的に酸素を供給して、それでも数時間生き永らえるだけなんですけど。 それで、母親は、「少しでも生きていて欲しい。」と言ったのですが、主治医が「苦しい...