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ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 資料より (再掲)

   私は、 自分のもともとの性質が 「ここまでくらいはがんばろう」と課した限界の範囲で自己研鑽に励むときでさえ、謝罪や後悔もなく、自分のもともとの性質を「与えられた当たり前のもの」として受け入れており、そのようなとき、自分自身に対する「自己愛」を持っているのである。私の自我と私とは、一様にすべてのことを共有しながら、いっしょに多くのことをくぐり抜けてきた。私が彼(=私の自我)を支える限り、彼が私を失望させることはなかった。私は彼を叱ったこともあるが、けっして彼の本性を呪うことはなかった。彼には間違いなく欠点があるし、ひどくそうなのだが、その短所があらわになるとき、私はやさしく寛大にほほえむのである。彼のへまは、彼のような性質をもつだれからでも人が予想するようなものである。 人は 、これほどまできわめて近しくしてきた存在を憎むようにはなれない。好むと好まざるとにかかわらずこの人物 (=私の自我)に依存してきた全年月の後、どのようにして別の自我とうまくやりはじめることができるか、私は実際知らないのである。このように、自己同一性 (自分が自分であること)は、一種の約束による見合い結婚だと考えることができる。その見合い結婚は、安定的な人の中では真実の愛へと成熟するものだが、不安定な人の中では、堕落してしまって、恨み言と自滅へと至る。人の自己愛のもっとも真実の表現は、自身の善さへの献身であり、それは他の誰のものでもない自身のもともとの性質(そのような性質は不条理な、変なものかもしれない)の自己充足である。(「不条理な自己充足」 [ジョエル・ファインバーグ『倫理学と法学の架橋』東信堂・2018年]432−3頁)

ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 レジュメより (再掲)

   問い: 幸福とは何か 。  ソクラテスは誰でも、これは、自分で人生を「設計してゆく」という発想と結びつくことである。 したがって、<配慮するもの>をもち、配慮を重ねてそのつど考え、行動する自分の人生設計者としての「一人称特権」のようなものは、幸福を問題にするとき、なおざりにできない。   たとえあることが自分のためであっても、それを押し付けられたのでは「自分の人生」ではなくなる。 ソクラテスは、このような一人称の問題があることに反して精神や徳に気を遣えといっているのではなく、 この問題があるからそれに沿うように「気を遣うもの」を考えさせようとした、 その場合、精神的なものや徳に気を遣うことは、あなたにとって納得できる方向になるはずだ、という語りかけをしている。    ☆人生を「まじめに」考えること    1.幸福の中身は「一人一人の問題」であり、他人に勧告されるには及ばない。 しかし幸福というものにまつわる「構造」や「形式」の問題は、単に「その人の問題」であるのではない。 われわれの「人生の夢」の見方は、お互いに、似ている。  構造や夢の見方を「知る」ことは、自分の「一人称」としての資格や個人の強さを上昇させてくれそうに思える。    2.問題なのは、人が「分かりやすい資格として」もしくは何らか「世間的に」上昇するということではない。 たとえば、社長になるとか出世するとか大学教員になるとか有名人になるとか金持ちになるとかではない。 実質的に自分の人生に対してよい位置を占めるようになることである。 したがって、ほんとうに行動が「自分のもの」として首尾一貫して統御されていること、 ほんとうの気持ち・実感から発想したことが 同時に知性の表現にもなっていることが目標になる。   3.ソクラテスはここで、 「知性」にふさわしい課題 がじつは数多くあり、 それを追求しながら生きてゆくことが幸福につながる、と語りかける。 われわれの生活は、目的・手段の関係を持つ多くの行為からできている。 お金儲けや名声・地位等のためのことは、 お金・名声・地位・容姿等で何をするかという、 「次の問い」を予想する。 ここから、人間らしい生活は、「その先」を考えるところまでいかなければ 成就しない...

アメイジング・グレイス

  たまに聴きたくなる。 神を信じるのに、理屈なんか要らねえんだよ。

放送大学の英語の授業のテキスト

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  しみじみと、味わい深い英文ですね・・・ 斎藤兆史 東大名誉教授と、大橋理枝 放送大学教授が担当されています。 しばしば、「受験英語」とやり玉にあげられそうなスタイルですが、自分で英文を書くようになると、こういう「古臭い」英文が、滋味深く感じられるものです。 この「英語で発信する日本文化」の放送授業は、今期は他の放送授業との兼ね合いというか、ちょっと5個も放送授業に割く余力はなかったので、科目登録しませんでしたが、そのぶん、じっくりと取り組みたい、と思っています。

一仕事終えた。大袈裟だけど。

 薬をゲットして、市役所行って確定申告してきた。 1時間くらい待つと言われたけど、障害年金しか収入ないって言ったら、一瞬で終わった。 いい気分でテクテク歩いていて、ファミマでアマゾンカード買おうとしたら、女性の店員がエラい愛想悪くて、一気に気分が台無しだよ。 大谷翔平 のノボリに因縁つけてやろうかと思ったわ。 ふう。 思いの外疲れた。 俺は一体なにに疲れているのか? 自分でもよくわからない。 体調が悪いってわけじゃないが、やっぱり春先は鬼門なのかな? みやもとクリニックのガーデンで、ウグイスだかメジロ?(なわけないか)が翔んでて、ああ、春だなあ、と思ったわ。 (どうせ カリフォルニア米だろ? お前が食ってんの。)

大機小機 2026/1/30 増補 ―通貨安とポピュリズムの連鎖―

  日経新聞のコラム(2026/1/30)によると、日本の財政悪化に歯止めがかからなければ、戦後すぐのハイパーインフレみたいにはならないが、ズルズルと衰退し続ける、現在の中南米諸国みたいな感じになるらしい。 たぶんそうなるんだろうな。 政治家も有権者も、目先のことしか考えてないからな。 ほんとに余裕がなくて、目先のことしか考えられないのか、それとも、単に政治不信の帰結なのか。 どっちもあるんだろうが、あんまりふざけて安易な道を選び続ければ、シャレにならない未来が待っていることぐらいは、最低限理解しておくべきだろう。 おそらく、通貨安とポピュリズムの止まらない連鎖反応が、これからの日本に待っているのだろう。 それが、日経新聞が、日本を「衰退途上国家」と呼ぶ所以だろう。

日本経済の課題と将来展望 (再掲)

  日本経済の構造的転換と多重危機への耐性:2026年における輸出・財政・地政学的リスクの統合分析 序論:成熟した債権国への移行と構造的脆弱性の露呈 日本経済は現在、高度経済成長期から続いてきた「輸出大国」としてのアイデンティティを喪失し、投資収益に依存する「成熟した債権国」への移行という歴史的な大転換の渦中にある。2026年初頭、日本の輸出総額がイタリアを下回るという象徴的な事態が現実のものとなったことは、単なる一時的な統計の逆転ではなく、日本の産業競争力の地盤沈下と、グローバル・バリューチェーンにおける役割の変化を決定づける出来事であった 1 。かつて「貿易立国」として世界第2位の経済規模を誇った日本が、慢性的な貿易赤字とサービス収支の赤字に苦しみ、海外投資の果実である第一次所得収支のみで経常黒字を維持している現状は、極めて不安定な均衡の上に成り立っている。 この均衡を支える基盤も、加速度的な少子高齢化に伴う家計貯蓄の取り崩しという内生的な要因によって、中長期的な崩壊の危機に直面している。国内の余剰資金が減少すれば、対外投資を通じた所得収支の拡大サイクルは逆回転を始め、経常収支の赤字化が定着するリスクを孕んでいる。さらに、政府債務の膨張により機動的な利上げが困難な中での「双子の赤字」の定着は、構造的な円安圧力を常態化させ、国民の購買力を奪い去る要因となっている 1 。 本報告書では、こうしたマクロ経済の構造的課題に加え、中東情勢の緊迫化に伴うホルムズ海峡封鎖という地政学的リスクが重なった場合、日本経済が直面する致命的な打撃をシミュレーションし、持続可能な経済安全保障の在り方を提示する。2026年という時代が、日本にとって「黄昏の始まり」となるのか、あるいは「構造改革へのラストチャンス」となるのか、多角的なデータに基づき分析を行う。 第1章:輸出大国神話の終焉と産業構造の変容 1.1 イタリアに抜かれた輸出額の衝撃と背景 2026年の統計において、日本の輸出金額がイタリアを下回った事実は、日本の製造業が直面している「付加価値の喪失」を鮮明に描き出している。イタリアは、強力なブランド力を持つファッション、家具、高級車、そして高度な技術力を要する包装機械や医療機器など、価格転嫁力の高い製品群をポートフォリオの中心に据えている 1 。これに対し、日本は自動車や汎...