ポピュリズムと文化産業の政治分析 (再掲)
現代日本における「脱議論的ポピュリズム」の構造分析:文化産業の消費心理と官邸主導型支配の交差点 E.H.カーがその記念碑的著作『危機の二十年』において、第一次世界大戦後の国際秩序を主導した理想主義(ユートピアニズム)を批判する際、自由主義思想家L.T.ホッブハウスの言説を引用したことは極めて象徴的である 1 。ホッブハウスは「最も原始的な種族」の特徴として、「ある見解が正しいと証明することと、その見解通りの状態になって欲しいと期待することとがいまだ区別できないこと」を指摘した 1 。この知見は、当時の国際連盟に象徴される「利益調和説」の欺瞞を暴くために用いられたものであるが、現代の民主主義社会における有権者の政治心理をも精密に射抜いている 1 。すなわち、自らが信奉する政治的主張やアイコンが現実の複雑な制度的・政治的制約に直面した際、妥協や利害調整を「悪」と見なし、主観的な願望がストレートに達成されないことに激しい不耐性を示す認知構造である 1 。 カーは1939年9月の第二次世界大戦勃発直後に『危機の二十年』の第1版を刊行し、戦後の1945年に改訂された第2版においては、ヒトラーへの宥和政策を好意的に扱っていた記述を削除するという歴史的経験を経た 6 。この知見は、理念の先行したユートピアニズムがいかに冷徹な現実(リアリティ)によって破綻させられるかを示すものである 4 。現代日本における政治言説の「単純化」と「脱議論化」のメカニズムを解明するためには、テオドール・W・アドルノらが提示した「文化産業論」に代表される大衆消費社会の精神分析と、1990年代以降の日本の政治改革がもたらした「首相支配(官邸主導型支配)」の制度的変容という、文化と制度の双力的アプローチが不可欠となる 1 。 思想的射程:ユートピアニズム批判と文化産業による「否定」の去勢 現代の政治空間における「単純化」を規定する理論的極座として、カーのリアリズム批判とアドルノらの文化産業論の交差を整理する必要がある 1 。 カーは、変革の思想として登場したユートピアニズムが、その実態において支配国家群の優位を擁護するための「偽善のイデオロギー」に他ならないことを看破した 4 。これに対しリアリズムは、軍事力、経済力、そして「意見を支配する力」という権力の実態を分析することで、その欺瞞を剥ぎ取る...