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フィッシャー効果のわかりやすい(かも知れない)解説 (増補)

   フィッシャー効果については、一応放送大学で勉強するうちに、どこかで習ったか、新聞を読んで理解したつもりでいましたが、いざインフレになってみると、ああ、なるほど、と思ったアイデアが浮かんだので、ちょっと(できれば)分かりやすく解説させていただこうと思います。 例えば、ここに六角精児さんが居たとします。 この方、売れるまでは、あちこちに借金していたそうです。 (あるいは、今も?) で、それでもお金を貸す人がいるんだから、六角さんの人格も含めて、いつか還してくれると思う人達がいた、と想定します。 で、だれかが、六角精児さんに、数万円のお金を貸していて、数年後に六角さんが返済してくれたとします。 サラ金とかでなければ、友人だし、額面通り、つまり利子をツケないで許してくれるかも知れません。 もし、デフレの状況であれば、数年前と六角精児さんから還してもらうお金の価値は、変わっていません。 なぜなら、物価が同じか、ちょっと下がっているからです。 しかし、ここ2,3年、物価が急速に上がり始めています。と、いうか上がりました。 つまり、インフレです。 そうすると、もしインフレの状況であれば、六角精児さんにお金を還してもらう側、つまり、六角精児さんにお金を貸した側としては、どうでしょう? 物価があがっている、つまり、インフレの状況では、もし六角精児さんが、貸した額面と同じ金額しか還してくれなかったら、ちょっと不満じゃないですか? 普通の感覚では、ちょっとモヤモヤしますよね? ですから、貸した額面にプラス・アルファして六角さんがお金を還してくれないと、なんかイヤだ、ということになります。 つまり、利子を上乗せして還してくれ、ということになります。 つまり、インフレになると、名目金利(名目利子率)があがる、という現象が起こります。 これを最初に提唱したのが、フィッシャーさんという方だったので、「フィッシャー効果」といいます。 と、いうわけで、消費減税をすると、財政規律への信用が低下し、円安になる可能性があります。 円安になると、物価があがる可能性があります。 そんで、物価があがると、名目金利があがります。 名目金利があがると、インフレ税という形で政府の歳入は増えるかも知れません。 しかし、一度このサイクルが発生すると、もう誰にも止められません。 それでもいいですか?...

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹 文春文庫 より (再掲)

    人生は複雑な楽譜のようだ、とつくるは思う。十六分音符と三十二分音符と、たくさんの奇妙な記号と、意味不明な書き込みとで満ちている。それを正しく読み取ることは至難の業だし、たとえ正しく読み取れたとしても、またそれを正しい音に置き換えられたとしても、そこに込められた意味が人々に正しく理解され、評価されるとは限らない。それが人を幸福にするとは限らない。人の営みはなぜそこまで入り組んだものでなくてはならないのだろう?  「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹 文春文庫 より 夜空ノムコウ    

「魔の山」 トーマス・マン 岩波文庫 下巻 末尾より

    さようなら、ハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子よ! 君の物語はおわり、私たちはそれを語りおわった。 短かすぎも長すぎもしない物語、錬金術的な物語であった。 (略) 私たちは、この物語がすすむにつれて、 君に教育者らしい愛情を感じはじめたことを 否定しない。 (略) ごきげんよう―君が生きているにしても、倒れているにしても! 君の行手は暗く、 君が巻き込まれている血なまぐさい乱舞は まだ 何年もつづくだろうが、 私たちは、君が無事で戻ることは おぼつかないのではないかと 考えている。 (略) 君の単純さを複雑にしてくれた肉体と精神との冒険で、 君は肉体の世界ではほとんど経験できないことを、 精神の世界で経験することができた。 (略) 死と肉体の放縦とのなかから、 愛の夢がほのぼのと誕生する瞬間を経験した。 世界の死の乱舞のなかからも、 まわりの雨まじりの夕空を焦がしている 陰惨なヒステリックな焔のなかからも、 いつか愛が誕生するだろうか? (おわり) 悲しい世界  

ヒトは、老いる。 (再掲)

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  自分も、トシを喰ったものだ、と感じる。 いま俺は44歳だが、30代の頃は、あれほどメシを食えたのに、今では全盛期の半分も食えないと思う。 アッチも、そうだな・・・ご無沙汰だな。 (っていうか童貞だよ。) 人間は、老いる。 分かっていることだが、最近実感する。 髪も、だいぶ白髪混じりになってきた。 ふと、なぜ若者は若いのか、不思議な感覚にとらわれることがある。 なぜ老いてゆく存在から、活力のある存在が新たに産まれるのか。 ほとんど神秘的としか言いようがない。 しかし、老いる、というのは、決して悪いことではない。 確かに、若い頃には、可能性、言い換えれば、選択肢が沢山ある。 それは一見いいことづくめにも見えるが、選択肢が沢山ある、ということは、自分の日々の選択で自分の未来が如何様にも決まってしまうということでもあり、極めて残酷なことでもある。 当然、運もある。 俺だって、高校受験でどこに受かるかで、どこの学校に入るかで、かなり人生の方向性が変わっていただろう。 (そもそも高校受験するかどうかも。武蔵に受かったのも、ラッキーと言えばラッキーだ。尤も、入ってからの苦労のほうが遥かに大変だったが。) ええと、なんだっけ。 俺には文才がない。 アリストテレスによれば、人は自分の人格に、責任を負わなければならない、と言ったそうだ。 それは、日々の選択が、自分の人格をつくるからだ、と。 その意味が、今は確かに実感としてわかる。 40代半ばともなれば、急に生き方は変えられないし、どうしても生き方のクセというものが出来てしまう。 良くも悪くも。 だから、若い頃からどういう行いを日々選択してきたか、が問われる。 ある意味残酷な話だ。 でも、俺は自分の人生に満足している。 少なくとも、後悔はしていない。 ヒトは、老いる。 だからこそ、若いうちにどれだけ自分に投資できたかが、問われる。 それもまた、残酷な話だ。 俺も、確かにどん底も味わった。 でも、負けなかった。 それは、自分の力だけではない。 意志の問題として。 人は自分の意志だけで生きている訳ではない。 決して。 自分の意志が糸の切れたタコのような状態で、微かに繋ぎ止めてくれる存在がいるかどうか、だ。 ちょっと説教臭いな。 でも、覚えておいて欲しい。 だから、人は誠実に生きなければいけないのだ。 自分自身のために。 俺はいま...

ウンザリだ (再掲)

  なんで慶応SFCなんていうクッソな大学はいっちまったかなー あんなんゴミの掃き溜めやで。 今だに尾を引いてるからね。 もう勘弁して欲しいわ。 受けたくねーって言ってんのに、受験票破って棄ててんのに、 それでも「オトウサンが慶応SFC気に入ってる( から受けてくれないと困る)」とかいう意味不明な理屈で、 受験日当日に再発行してまで受けさせられて、 受かっちまったから、慶応信者の父親に逆らえるはずもなく、 問答無用で入らざるを得なかった。 親にしたって、俺のことなんて、 ほんとは微塵も考えてねえんだよ。 タロー坂という、バス停からキャンパスに連なる上り坂で、 三田の慶応で合格を確認してから、SFC行って、 坂を登りなから、「ここは嫌だ」って言ってんのに、 母親にシカトされたからね。 正確には、母親は、うつむきながら、 両目の視線を左右にキョロキョロさせていた。 まるで、「そんなことを言ったら、 また私がオトウサンに怒られちゃう。」と言わんばかりに。 ま、完全に愚痴だし、 ここまで来たから言えるってこともありますけどね。 ほんと地獄だったよ。

人生最高のレストラン ―地獄の20年― (再掲)

   母親が毎週土曜日にTBSの「人生最高のレストラン」という番組を観る。 母親は、自分ではもう料理はしないし、たぶんもともと調理そのものにあまり興味がないんじゃないか、と思うほどなのだが、とにかくメシに関するテレビ番組は、必ず観る。 (なにしろ、学区制導入以前の都立日比谷から女子栄養大学に行ったくらいだから。) その「人生最高のレストラン」というのが、加藤浩次がMCで、YOUとか島崎和歌子とかがレギュラーで、毎回ゲストを招待して、人生の節目節目のエピソードを交えながら、どこそこの料理が美味しかった、などと語る。 (必ずしもレストランとは限らない。ボクシングの井上尚弥の時は、日清のカップヌードルだった。) そこで、ふと自分(がその番組に出演することは永遠にないが)がこういう番組みたいに、どんなレストランでどんな料理が美味かったとか、エピソードを交えて喋る、というシチュエーションを想像してみた。 まず、思い浮かんだのが、1浪目の時は、割と友人も浪人してる人が多かったから、代々木の代ゼミに通っている人もいて、自分は確か代ゼミには世話にならなかったが、プリパスっていう西新宿のSEGの近くにある予備校に通っていて、近いから、友人と遊ぶのも兼ねて割とよく代々木の代ゼミには行ってた。 代ゼミの本屋も、受験参考書が充実してたし、受験参考書専門の古本屋まであったから、そういうところに行くのは本当に楽しかった。 で、話を本題に戻すと、代々木の代ゼミに、ほんとにちょっとした、レストランとは到底言い難い、簡単にいえば立食いそば屋に近い食堂があって、そこの、単なる、ご飯の上に唐揚げが何個か乗っていて、それにマヨネーズと七味唐辛子をかけるだけ(!)の丼が美味かった。 それがまず思い浮かぶ。 次が、これも思い出すと辛いが、2浪して(入りたくもなかった)慶応SFCの3年目、精神錯乱してまず最初にぶち込まれた芹香会病院という施設で、1度だけ食べた、カレーうどんが、めちゃめちゃ美味かった。小学校の給食みたいで。 以上の2つは、もう存在しないか、存在しててもまず食うようなシチュエーションに絶対なってはいけないものだが、最後の3つ目も、もう存在しない。 最後の3つ目は、東武伊勢崎線の久喜駅の立食いそば屋のラーメン。 もう20年以上前だから、まだぎりぎりデフレスパイラルに太刀打ち出来たの...

機能不全家族 (再掲)

  確かにね、この御時世、ここまで日本経済がダメになると、親族の配慮のお陰で安楽の生活をしている俺が、妬ましく思えるのは、わかる。 それは、人間として当然の心理だ。 だが、俺にも言わせろ。 下手にカネなんかあるから、狂った家族になるってこともあるんだ。 家族全員がモラルハザードを起こして、その矛盾を一身に引き受けざるを得なかった俺の苦しみが、キサマにわかるか? いいわね、お金持ちのお坊ちゃんは、だと? そんな甘いもんじゃねーんだよ! ふざけるな!