うつ病譚 (再掲)
うつ病ってのは、ツライ。ある程度は同情してもらえるんだが、同情してもらったところで、苦しいのが治るわけでもない。しかし、中には同情してもらえることに しか慰めを得られなくて、同情してもらえることに依存してしまうこともある。まあ、太宰治みたいなもんだ。(太宰治はほとんど読んだことないが)あれはあれでツライんだ。結局、サークルのマイ・コメヂアンになって、取り巻きの女と心中するのがオチなのだ。ところで、うつ病になるにも色々と理由があるものだが、得てして、うつ病になる原因なんてのは、わからないものなんだ。わかったら苦労しねえよ。しかし、よくあるパターンが、「やる気スイッチ」をオンにしたまま突っ走ることだ。こんなことは、 根が真面目な人間ほど、簡単に起きてしまうことだ。人間、「やる気スイッチ」をオンにするなんてのは、簡単なことだ。一度入った「やる気スイッチ」をオフにするってのは、「やる気スイッチ」をオンにすることの何倍も難しい。で、あるから、大人として生きていくには、「やる気スイッチ」の切り方を習得しておく必要がある。真面目な人間ほどそうなのだ。しかして、うつ病というのはあまり同情してもらえない。同情されたところで気休めにしかならないし、同情されたところで治ったりはしない。ただ中には同情されることに依存してしまうタイプもいるだろう。あ、これもう書いたかもだが、たぶん太宰治とかこのパターンだろう。ある意味で、うつ病を患うということは、孤独との闘いでもあるのだ。何しろ、周囲の人間から理解してもらえないからな。周囲の人間も、一応は同情してくれるんだが、キリがないから、そのうち去っていく。そうすると、ますます孤独になる。すべてが悪循環だ。うつ病が完治するということがあるのかどうかは わからないが、結局マシになるには、誰か自分の、一番急所というか、自分の一番弱い部分の扉のカギをそっと預けられる存在が必要なんだ。性別はあまり関係ない。どういう人間関係かもあまり関係がない。ともかく、自分の一番急所である領域へのカギをそっと預けることが出来て、その人がそのカギを誰にも知られないように密かに隠し持っていてくれるって ことが、重要なんだ。そこはもう損得勘定抜きだ。 とにかく、自分の生死を預けるくらい大変なことなんだ。しかし、そういうケースもあるから、人間てのはときに脆くても、なお一層キ...