繊維産業と貨幣経済化の研究
繊維産業と貨幣経済化の深化:日本経済の構造転換期における繊維産業の役割 序章:日本の構造転換期における繊維産業の二元的役割 1.1 構造転換の背景:開国ショックと産業選択の必要性 江戸時代末期から明治時代にかけての日本経済は、安政6年(1859年)の開国という国際的な衝撃によって、それまでの自給自足的かつ地域完結的な経済システムから、グローバルな価格メカニズムと国際競合に直面する高度な市場システムへと劇的な構造転換を遂げた 1 。この歴史的転換期において、国内の繊維産業がたどった足跡、特に生糸(養蚕業)の躍進と綿花栽培の縮小という運命の分岐は、日本の農村経済が不可逆的に国際市場と現代的貨幣経済の体系へ組み込まれていく力学を端的に象徴している 1 。 開国がもたらした外圧は、伝統的な地域経済の慣習を揺るがし、国境を越えた比較優位の論理に基づく新次元の産業構造への再編を強いた 1 。江戸期の綿花経済においては、生産活動の多くが局所的な地場市場および自家消費に紐づいていたが、市場開拓後は国際価格競争力に欠ける産業が瞬く間に淘汰され、より高い国際収益性を備えた産業分野へと土地、労働力、および金融資本が再配分されることとなった 1 。 この過渡期における農村経営の適応戦略を例証するのが、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の豪農であった渋沢栄一の家業構造である 4 。渋沢家(中の家)は、自小作農業と並行して伝統的な在来産業である藍玉(藍染め原料)の製造・販売を手がけ、質屋や金貸し業を営むとともに、急成長する養蚕業の経営を意欲的に展開していた 4 。藍玉事業は地縁的信用ネットワークと長距離の国内流通を軸とする伝統的商業であったのに対し、養蚕業は開国後の外貨獲得と直結する高収益な輸出指向産業であった 4 。農村主層が伝統的商業資本を温床としながら、輸出産業である養蚕・製糸業や、後の富岡製糸場および第一国立銀行の立ち上げといった近代金融・技術インフラへと手持ち資本を流動化させた行動は、農村内部における資本蓄積と構造転換の架け橋となった 5 。本報告書では、プロト工業化論 8 、比較優位に基づく貿易理論、および貨幣経済の深度(Monetary Deepening)という三つの経済史的フレームワークに基づき、この構造変化の複合的な因果関係を解明する。 1.2 綿花経済...