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ありがとうNHK。

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 NHKの「漢詩紀行」も良かったが、「新漢詩紀行」も素晴らしかった。(DVD) 二匹目のドジョウだと思って、「新漢詩紀行」を買うまでに、たぶん1年くらい逡巡したが、母親から、「誕生日プレゼントでなにか欲しいものはないか?」と言われて、強いて言えば、ということで、「新漢詩紀行」を買った。 それから半年くらい、最初だけちょっと見て、やっぱり二匹目のドジョウだったか・・・と思っていたが、あまり気負わずに適当にBGMとして流していたら、やはり、全10巻でそれぞれテーマがあって、自分は割ともともとのタチとして、哀しいテーマが好きだったりするので、そういうテーマの巻のDVDを流している内に、すげえ漢詩が好きになってしまった。 解説も丁寧で、素晴らしい。 もちろん、中国語の発音とかは全然わからないんだが、中国語の語順というか、簡単な文法は、自然と身についたような気がする。 (そうであって欲しい。) つまりは、中国語を勉強したいのだ。 やっぱり、この御時世、簡単な中国語ぐらいは出来たら、きっと楽しい。

もし高市が首相辞任に追い込まれたら。

  憲法解釈と言説:内閣の連帯責任と首相の解散権を巡る考察 憲法学および統治構造論におけるレジュメ・レポート 1. 本稿の問題提起と核心的論点 日本国憲法の下における統治機構論において、「国会に対する内閣の連帯責任」と「内閣総理大臣(以下、首相)の衆議院解散権」のあり方は、憲法上の文言と政治の動態的現実が激しく交錯する最も重要な論点の一つである。 法理上の原則として、国会に対して連帯責任を負う主体は「内閣」という合議体である。しかし、実際の政治運用においては「解散権は首相の専権事項である」と言説され、首長たる首相の強大な個人権限として位置づけられてきた。本稿では、この二つの概念が孕む緊張関係と、制度的な整合性をどのように解釈すべきかを検証する。 2. 憲法条文に基づく法理の構造と整合性 2.1 内閣の連帯責任(憲法66条3項) 憲法66条3項は「内閣は、行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負ふ」と定めている。ここで責任の主体が「首相個人」ではなく「内閣」とされているのは、行政権の行使が国務大臣らの合議に基づき、一体として運営されるべきであるという「内閣一体の原則」を表したものである。 2.2 首相交代時における憲政の手続き(憲法70条・67条) 首相の辞任(辞表提出)に伴い、憲法70条に基づき内閣は「総辞職」を行わなければならない。これは首相が「内閣の首長」であり、その欠如は内閣全体の連帯責任の解消を意味するからである。その後に憲法67条に基づき、国会において改めて内閣総理大臣の指名選挙(首班指名)が行われるプロセスは、憲法上の文言通りの正当な手続きである。 2.3 解散権の帰属を巡る多数説(憲法7条・68条2項) 「解散権は首相の専権事項である」という政治的言説は、形式的には憲法違反のように見えながらも、判例および多数説の解釈において以下のように正当化されている。 ● 実質的解散権の所在: 天皇の国事行為に対する「内閣の助言と承認」(憲法7条3号)を実質的な根拠とし、解散決定権は内閣に帰属すると解釈する。 ● 首相の罷免権の存在: 首相には「国務大臣の罷免権」(憲法68条2項)が認められているため、解散に反対する国務大臣がいる場合、首相はその大臣を罷免して自ら兼任するなどし、閣内不一致を強制的に解消して閣議決定を成立させることができる。 す...

日笠完治先生より (再掲)

  ○国会に対して連帯して責任を負ってるのは、内閣であって、総理大臣ではない。 ⇒憲法66条3項「内閣は、行政権の行使について、国会に対して責任を負う。」から、正当な主張です。国会との関係における原則です。 ○したがって、安倍首相の辞任に伴って、内閣が総辞職して、国会であらためて首相を選ぶ選挙が行われた。 ⇒国会法64条で内閣総理大臣は、辞表を提出することができます。辞表を提出すれば、内閣総理大臣が欠けたことになります。 ⇒憲法70条で「内閣総理大臣が欠けたときは、……内閣は総辞職しなければならない。」に該当する。 ⇒そこで、次期内閣総理大臣は、憲法67条で、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。」 >>>>今回も、憲法の規定通りに行われています。衆議院の解散については、政治課題となっても、別の問題です。 ○もし解散権が首相の専権事項だというなら、当然国会に対して連帯責任を負っているのは首相であって、首相が辞めた以上、衆議院を解散しなければならない。 ⇒憲法69条の「衆議院が解散されない限り」の規定、と、憲法7条第3号「天皇は、内閣が助言と承認により、……これを行う。」の規定から、衆議院の解散権の主体は、形式的には「天皇」であり、その国事行為の関して授業でお話ししたとおり議論はありますが、実質的には内閣と解釈されています。内閣総理大臣は内閣の首長ですから、実質的には内閣総理大臣が解散を決定します。 ⇒新内閣総理大臣は、解散権を現在行使しないと発言されています。首相が交代したが、衆議院の解散は必ず行わなければならないとは言えません。もちろん、授業で説明したように、解散権行使は、自由ではないという考え方もあります。憲法解釈的には傾聴すべき見解ですが、そのように解釈すべきとの制度的な保障システムはありません。 ○そうでない、つまり国会に対して連帯して責任を負っているのは内閣だというなら、政界の常識となっている解散権は首相の専権事項という考え方は、憲法違反ということになる。 ⇒内閣の中に、解散に反対する人がいれば、内閣総理大臣は、憲法68条2項によって、罷免することができます。そして、賛成の残った国務大臣が内閣として内閣総理大臣の決定に従うという構図です。 ⇒憲法66条3項の「内閣の連帯責任」は、内閣一体の...

ロイター通信

  ですって!

集団安全保障と集団的自衛権の違い (再掲)

 ①帝国クライスと国連の関係、②集団的自衛権と集団安全保障の違い、について山梨大学の皆川卓先生にうかがいました。(放送大学面接授業「神聖ローマ帝国の歴史」の先生です。) 第一の質問ですが、コトは少々複雑です。神聖ローマ帝国の帝国クライスは、帝国の解体と共に忘れられていました。しかし帝国クライスがまだ健在だった18世紀初頭、フランスのサン・ピエール(Charles-Irenee Castel de Saint-Pierrem 1658-1743)という聖職者・外交官・政治哲学者が、帝国クライスの仕組みと活動を見て(サン・ピエールの主君であるフランス王ルイ14世は神聖ローマを侵略して帝国クライスに痛い目に遭っていました)、これをお手本に、ヨーロッパ各国が恒久的な同盟を結び、共通の会議や裁判所を持てば、戦争は防げるという著書『ヨーロッパに永久平和を回復するための計画』(Projet pour rendre la paix perpe'tuelle en Europe)という著書を著します。この著書を褒めながら、「平和を希求する君主の同盟では、彼らの心変わりがあって心許ない。国際安全保障は人権の土台である平和を守るという人民の意思に基づかなければ」という修正を加えたのが、有名な政治哲学者ルソー(Jean Jacque Rousseau, 1712-78)が1761年に著した『サン=ピエール師の永久平和論抜粋』(これは日本語訳のルソー全集4巻に入っていて簡単に読めます)でした。そして彼の著作に触発されたのが、これも有名なプロイセンの哲学者カント(Immanuel Kant, 1724-1804)で、彼はルソー論文の理論を発展させ、国際安全保障に必要な条件を列挙した『恒久平和のために』(Zum ewigen Frieden)という論文を1795年に著します(これも岩波文庫に入っていて簡単に読めます)。これがその後の国際安全保障構想の土台になる論文で、19世紀にイギリスの国際法学者ロバート・フィリモア(Robert Phillimore, 1810-85)の多くの論文によって、国際法を実現するためになくてはならない機構と訴えられることになり、その息子の国際法学者ウォルター・フィリモア(Walter Phillimore, 1845-1929)やフランスの政治理論家レオン・...

秘蔵しておくのも勿体ないので。ー泉鏡花論ー 私信 (再掲)

 鏡花は文学史的には、 まずは「観念小説」に分類されるのでしたよね。 明治も半ばを過ぎて、 まさに資本主義の 合理主義、功利主義が 体制化されてゆく中で、 金銭や身分違い、 それをめぐって 掻き立てられる 欲望が 悲劇を招いてゆく 人間ドラマを、 しかしながら 自然主義的なドロドロした 醜悪な現実を 剔抉する手法とは異なって、 華麗な筆捌きで、 哀切感溢れる 昇華された人情の物語へ 仕立て上げているのが特徴、 といえばよいでしょうか。 (なにしろ鏡花は、 あの絢爛豪華な文体で 明治の人情世態を描いた 尾崎紅葉に入門したこともありました。) 特に 「夜行巡査」 「外科室」 などは、 社会の暗黒面 ーーいわば社会による疎外という テーマ性を有している点で 「観念小説」と呼ばれ、 このジャンルの代表作でもありますが、 上述のような 文体と作法を特質とするため、 小林くんの感じている 怪奇性やロマンティズムは 遺憾なく発揮されています。 この点を より発展させた大きな作品が、 『高野聖』『草迷宮』『夜叉が池』などで、 ここまでくれば 耽美的な「幻想文学」と称しても良いのでは、と。 「幻想」 は もちろん 人間の深層意識と不可分なので、 精神分析の手法を使いたくなるところです。 けっして 鏡花に詳しくはないので、 大きなことは言えないのですが、 とりわけ『高野聖』は、 人間が社会秩序に拘束され、 抑圧し続けている 「深層意識」を着眼点に、 日常 ー表層意識 対 非日常ー 深層意識 を機軸にして作品を読み解けば、 まさにテクストの 網目のようなものが 鮮明に見えてくる作品ではないかと思われます。 後には高僧となったという 若い日の「宗朝」が、 ふとしたことから迷い込んで、 一夜の宿りを求めた山中の一軒家は、 修行僧の日常が 抑圧してきた 彼の深層世界の現れ、 とでも言えそうです。 処女のような羞らいを見せるかと思えば エロティックな姐御の風貌も見せる 不思議な美女、 取り巻く猿や蟇の魑魅魍魎たち、 下僕のようでありながら 監視者でもあるような 「親仁」、 そして 心身の機能を奪われながら、 美女に かしずかれて 天上の声のような 清澄な唄声を響かせる 「白痴」。 お膳立ては十分、といった感じです。 そして、 この「白痴」を基点に、 この魑魅魍魎の山中の世界とは、 実は ...

平沼

 今日もスタメンだ。 よし! どんなプレーを見せてくれるかな? よしよし。 4回打席に立って、3回出塁してる。 レフトフライ、センター前ヒット、相手失策、敬遠四球。 なかなかいいじゃないか。 うん。いい感じ。 ここまで来たら、もう1軍に定着だな。 ホッとしたよ。 10年間我慢して見てきた甲斐があった。 よくやってくれた。