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寿命が縮む

 母親が、渡る世間は鬼ばかりを観ている。 あれは、子供のころは一体なにが楽しいのかわからなかったが、大人になってみると、めちゃくちゃ面白い。 日本のテレビ局も、昔はあんなドラマをつくって流していたし、視聴率だって稼げたのだ。 俺も、あのドラマの登場人物たちみたいに、リアルの世界で、心の声をそのまま口に出して言えたら、どんなに楽か。 母親が、携帯電話で誰かと話していた。 おそらく、姉だろう。 また、どんな話をしているのか、わかったものではない。 姉自身の健康か、甥っ子の話か、はたまた違う話か。。。 そんなことを想像するだけで、俺の循環器は急加速する。 ほんと、やめてくれ。 ステルスで俺の寿命を縮めるのは。 (話し相手が姉かどうかすらわからないのに。) 心臓いたくなる。

言い得て妙

 今は、ちかくの、みやもとクリニックに10年以上診てもらっていて、1割負担だが、それ以前は、千駄木にある上野メンタルクリニックというところに通っていた。 小俣和一郎先生という方が、ひとりで運営されていたようだが、どういうわけか自由診療、つまり、10割負担で、エラいカネがかかった。 しかし、あの頃の俺には、そうでもしないと、とても話したいことが話しきれなかった。 その小俣先生は、友人が紹介してくれた。 で、ともかく、かれこれ5,6年はかかっていたと思うのだが、割とすぐに、家族診療と称して、姉も通い始め、つまるところ、自分(姉)こそが小林家の可哀想な犠牲者だ、と縷々切々訴えていたようだ。 そんなもんだから、1年で姉だけで100万円もかかった時があったらしく、姉が小俣先生に「そんなに?!」と叫んだら、小俣先生から「安いもんでしょ。」と即答されていた。 えーと・・・本題はそういうことじゃなくて、姉がいうには、「小林家という宗教から抜け出してください。」と言われたらしい。 「小林家という宗教」か。 なるほど、言い得て妙だ。 確かに、ほとんどそれ自体が宗教みたいな家族だった。 精神科医にそんな風に言われるんじゃな。 そのくせ、言われた姉本人が、今度は医者を替えて、あちこちのメンタルクリニックに通いつめて、自分(姉)がいかに小林家の被害者か、涙ながらに訴えていたようだったが。 それはともかく、何が言いたいか、というと、俺は、物心ついた頃から、その「小林家という宗教」の檻のなかで、怒りを表に出す、ということを、ひたすら我慢し続けてきたのだった。 それは、だいぶシンドかった。 しかし、古代ギリシャ道徳哲学がご専門の先生から、考えすぎないこと、とアドバイスを頂戴して、そうか、怒ってもいいのか、と思ったら、かなり気が楽になった。 怒る、というのも、人間にとって欠くべからざる感情なのだろう。 もちろん、場を弁えることは大事だが。 とにかく、そんなこんなで、ちょっと人生が良い方向に進み始めた気がする。

考えること。耐えること。

 ネット空間は、抑制の効かない、論理をまとった感情で溢れている。 そのせいかどうかはわからないが、一見社会的な生活を順調に送っている人も、一皮剥けば、およそ人間離れしたかのような野蛮を内に秘めていたりする。 とはいえしかし、人間とはもともとそういう側面を持っているのだろう。 戦争などの折に行われる残虐な行いの数々、それは、人間とはタガが外れれば、どんな蛮行でもやってのけてしまうことを証明している。 それは現代においても同じ、ということだろう。 それは、カッシーラーが予言したように、どんなにテクノロジーが発達しても、その極致に野蛮が復活する、ということではないか。 しかし、私は、それに抗いたい。 たとえ、たまには家族にキレたとしても。 歴史が進化した末に野蛮が蘇るなら、逆に、時代を遡って、古典から人生の知恵を教わるべきことだって、あるだろう。 いずれにしたって、人間、放恣はよくない。やるにしても、たまにはで済ませなければならない。 あっちが痛い、こっちが痒い、とばかり言っていては、社会生活は送れない。 とはいえ、都会の気の狂うような通勤事情を日々こなしている生活者は、俺から見れば、常軌を逸している。 よくあんな生活をしていられるものだ。東京とはおよそ人が住むのに適しているとは思えない場所だ。 自分は高崎という地方都市で、結構便利で、快適な暮らしをしている。 で、あるならば、とりあえず我慢できることは我慢して生きていかなければならない、と思う。 怒りをすべてブチまけられたら、それは楽だろう、と思う。 しかし、それを自分に許してしまえば、ちょっとしたことですぐにギャーギャー泣き叫ぶ、それこそ子供のような大人になってしまうだろう。 そこに、人間としての尊厳はない。 やはり、大人として生きていくには、耐えることも大事なのだ。 つまり、一時の感情に支配されるのではなく、考えに考えて、耐え抜くこと。 人生に価値が生まれるのは、そういう時間においてだろう。 働いてないお前がいうな、という話だが。またそれは別の話だ。 俺には俺のやることがある。 襟裳岬

怒り

 考えることは、アンガーマネジメントに必要だ、と書いたが、あまり考えすぎるな、ということは、逆に言えば、怒りを吐き出してもいい、ということだと、俺は解釈した。 今まで、特に家族関係で我慢することが多すぎた。 理屈で、怒りを吐き出してもいい、ということが分かると、実践に移せる。 道徳とはそういうものだ。 で、別に意識したわけではないが、母親の、姉に対する、相変わらずの腫れ物を扱うような態度にムカついて、キレてやった。 泣き叫べばなんでも通ると思うな、と。 さすがにここまで頑張って、まだ我慢しろ、というのは酷だ。 リアルに循環器とか脳疾患に繋がりかねない。 st.anger

黒ひげ危機一髪 Googleの生成AIにレポートを作成してもらいました。

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2026年日本経済の構造的転換と日本銀行の政策選択:金利上昇局面におけるマクロ不確実性の多角的分析 序論:三十年の沈黙を破る「金利のある世界」への回帰 日本経済は現在、1990年代初頭のバブル崩壊以降、約三十年にわたって継続してきた超低金利・デフレ環境という「異常な均衡」からの歴史的な脱却プロセスの最終局面に位置している。2025年12月、日本銀行(以下、日銀)は金融政策決定会合において政策金利を0.75%程度へと引き上げ、これによって日本は本格的な「金利のある世界」へと足を踏み入れた 1 。しかし、この政策転換は決して平坦な道のりではなく、2026年に入り、マーケットが直面する不確実性はむしろ増大している。 現在の不確実性の核心は、日銀の利上げペースが市場の期待形成と同期できるか、という点にある。日銀が利上げを躊躇し、市場の期待を下回る「ハト派的」な姿勢を見せれば、日米金利差の観点から為替相場ではさらなる円安が進行し、輸入物価の上昇を通じて国内インフレが再加速する。その結果、市場は日銀のコントロールを離れて長期金利を押し上げる「悪い金利上昇」を招くリスクがある。一方で、日銀が市場の期待通り、あるいはそれを上回る「タカ派的」な利上げを断行すれば、為替の安定は期待できるものの、今度は国内要因、すなわち住宅ローンの変動金利上昇による家計の圧迫、有利子負債を抱える中小企業の倒産リスク、そして巨額の政府債務に対する利払い負担という、ドメスティックな経済基盤を揺るがす副作用が顕在化する。 本報告書では、この「二正面作戦」とも呼ぶべき極めて困難な政策運営の現状を、最新の経済指標、政権の財政方針、そして市場の織り込み状況に基づき、専門的な視点から解明する。2026年という年が、単なる利上げの過程ではなく、日本経済の持続可能性を問う「不確実性の頂点」であることを、多角的なデータを通じて論考していく。 日本銀行の政策決定プロセスと2026年のスケジュール 2026年の日本経済を予測する上で、日銀の意思決定スケジュールを把握することは不可欠である。日銀は年8回の金融政策決定会合を開催しており、その中でも「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」が公表される四半期ごとの会合(1月、4月、7月、10月)は、政策変更の蓋然性が高い節目として注目される。 2026年金融政策決定会合および関連イベ...