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2026/7/4 祝福記念日 (増補)

  細かくは言えないが、病後22年間の努力が、報われた思いです。 (女性関係ではない。) ・・・ああ、この記事を最初に書いたのは、本当に昨日のことだったのか。 ぜんぜん気分が違う。 めちゃくちゃ精神的に楽になった。 別に、働くことを本気で考えても、まったく苦にならない。 自分でも信じられないくらいだ。 ほんとうに、誰かのちょっとした言葉で、こんなに人の気持が救われるということを、私自身が、実感としてヒシヒシと感じる。 自分も、誰かにとってそういう存在でありたい。 それは、裏を返せば、誰かを地獄に落とすことも出来てしまう、ということだが。 BURN

行政書士

 いま勉強中の民法は、どうしてもカネ絡みの話になってしまう。 その、手垢や脂のまみれたような話に、つい辟易したり、でも、生身の人間の世界の面白さ、というのも、わかる。 「ナニワ金融道」みたいで。 だから、民法を勉強していると、ついカネの匂いを感じてしまう。 しかし、行政書士の行政書士たるゆえん、行政法というのは、お役所を相手にする法分野だ。 一見無味乾燥でつまらない、と思われがちだ。 しかし、理解が深まると、実に面白いし、実は行政法というのは、民法に負けず劣らず「ビジネス」との相性が良いのだ。 行政法というのは、許認可行政や、規制が重要な要素だから、事業を営むアクターにとっては、場合によっては民法以上に死活問題に発展したりする。 そして、世の中の大多数の人は、行政法、言い換えれば、お役所がどういう論理で動いているか、ほとんど理解していない。 もちろん、行政とガチで喧嘩しようなどとは思わない。 ふつうは。 しかし、時には行政と喧嘩しなくてはいけないこともある。 言い方を変えれば、行政から不当に権利を侵害されない為に、行政法の知識が必要になる時もある。 つまり、行政を正しく恐れ、かつ対等に渡り合う必要がある。 そんな時のために、行政書士が必要なのだ。 (と、いうことにしておこう。) ついいま勉強中の民法ばかりに気を取られて、行政書士の本分たる行政法のことを忘れていた。 民法と行政法、行政書士の両輪の、どちらかにバランスが偏り過ぎてもいけない。 民法を勉強していると、つい文字通りゲンキンな話になって、嫌気が差すが、そんなときは、行政法を思い出そう。 俺は、行政法がわかる、行政とちゃんと対等に渡り合える行政書士でありたいのだ。 それこそが、行政との付き合い方を知らない市民のために、行政書士として為すべきことなのだ。 カネ絡みのことばかり考えていると、かえって続かない。

気付いてしまった。

 俺は、行政書士を目指していた。 あるいは、今もまだ目指しているかも知れない。 AIが言うには、俺は他の行政書士とはすでに差別化出来ているから、ブルーオーシャンだと言う。 おそらくウソはついていないだろう。 俺には、公認会計士の友人がいて、監査法人で働いている。 監査法人は、信用がすべてだ。 企業の粉飾決算なんかに手を貸したら、会社が潰れかねない。 そういう、リアルな責任と日々向き合っているから、正当な対価をもらう資格があるのだ。 翻って、俺はどうか。 もちろん、俺だって、行政書士として責務を全う出来るように、ちゃんと勉強もしているし、職業倫理だって、ちゃんと弁えるつもりだ。 しかし、ぶっちゃけて言えば、差別化された俺という客寄せパンダに集まってくるポテンシャル・カスタマーから、俺は大した責任を(友人に比べれば)負わないのに、いわば、「お布施」をもらおうとしていたのだ。 ゲロを吐きたくなるような、クソみたいなビジネスモデルだ。 やっぱり、語学のスキルで生きていこうかな。 こういう時、語学やっておいて、本当に良かった、と思う。

日本政治のポピュリズムと保守の役割

  現代日本政治におけるポピュリズムの病理、公約制度の限界、および保守政治の機能変容に関する学術的分析 現代日本政治における信頼の瓦解と機能不全の構図 現代日本の代議制(議会制)民主主義は、政治権力と有権者との間に横たわる「信頼」の希薄化によって、深刻な機能不全に陥っている 1 。本来、代議制政治が成立するためには、有権者にとって忌避すべき負担である「税金」を徴収し、それを個人では実現不可能な社会インフラの整備や富の再分配として還元するという、政治への根本的な信託関係が不可欠である 1 。しかし、政治が有権者に対する裏切りを重ねた結果、この信託関係は瓦解した 1 。 この信頼の喪失は一方向的なものではなく、政治側が「公約」という形態を媒介にして、実現不可能あるいは全体最適を損なう「政策メニュー」を選挙において提示し続けてきた構造的要因に起因する 1 。有権者の近視眼的な要望を察知し、都合の良い分配策を競い合うスタイルは、代議制民主主義の健全な機能を麻痺させ、結果として国家全体の持続可能性を毀損するポピュリズム政治へと容易に堕落する 1 。本報告では、この機能不全の病理をポピュリズムの特質、マニフェスト政治の構造的限界、そして本来牽制機能を担うべき保守政治の変容という三つの軸から分析し、その克服への展望を提示する。 日本型ポピュリズムの特質と歴史的文脈 ポピュリズムの本質は、大衆の不満や政治的不信を利用した「反エリート」「反体制」の運動であり、強い指導者を希求する権威主義的な傾向と結びつきやすい 2 。政治学者である宇野重規は、ポピュリズムを単なる「民主主義の敵」として退けるのではなく、むしろ代表制システムが機能せず「自らの声が届いていない」という有権者の不満が表出した「民主主義の双子」として捉えるべきだと提唱している 3 。 日本におけるこの現象は、1990年代後半から2000年代にかけて顕著となった 2 。バブル経済崩壊後の混迷期において、それまで政策決定の中枢を担ってきた官僚や金融関係者といったエリート層への不信感が爆発し、強力なリーダーシップによる既得権益の打破を掲げた小泉旋風や橋下旋風が巻き起こった 2 。この日本型ポピュリズムは、欧米諸国で見られる反グローバリズム的な排外主義とは異なり、国内の構造改革や既得権批判を主導する形で展開された点に特徴があ...

2026/7/4 祝福記念日

 細かくは言えないが、病後22年間の努力が、報われた思いです。 (女性関係ではない。) BURN

面白いじゃ済まないけど、面白い。

 これからの5年10年の、世界、もちろん日本も含めて、世界の経済・政治の状況は、それこそ毎日がボードゲームのように目まぐるしく動く、めちゃくちゃ面白い世界。 今朝の日経新聞3面には、高市政権の放漫財政に対して、市場が明確に警告を発していることを示しているし。 もう、ペテン師の小細工は通用しない。 情け容赦ないゲームの論理の世界の幕開けだ。 原油価格、アメリカの金利動向、波乱要因ばかりだ。 日本の政治も、直近の杉並区長選のように、リベラルの復権が仄見えている。 実に面白い世界だ。 my winding road

久しぶりの入浴

2、3ヶ月ぶりに、風呂に入った。 なんだかんだ、疲れてどうしようもなかったら、風呂に入るのが一番疲れが取れる。 いつもシャワーで済ませてしまう。 なぜそんなに風呂に入らないか。 それは、乾燥性敏感肌なので、風呂に入ってしまうと、肌がカサカサになってしまうし、敏感肌だから、ニベアとかじゃダメで、結局はキュレルを全身に塗るハメになってしまうからだ。 キュレル高いから、そんなにしょっちゅう買うような余裕はない。 それに、頭だって、頑張れば3週間くらい洗わない。 なぜかと言えば、頭を洗うということは、シャンプーを使うわけだが、シャンプーを使えば、どうしても首筋を伝って背中に流れる。 そうすると、そこがカッサカサになってしまうのだ。 ちょうど背中の真ん中というのは、キュレルを塗るのに手が届かない。 めんどくさい。 だから、頭も滅多に洗わない。  汚え。 そう言えば、一時期「汚(お)ギャル」というのがいたが、彼女たちは、いったい何を目指していたのだろう? 方向性がよくわからなかった。 あの頃は、まだ渋谷という街が、ある種特別な記号としてのオーラを纏っていた気がする。 いまどうなっているのかは、知らない。 もう、東京には興味がない。 たまに行くと、もう、ほんとに何するにしてもイチイチ金を取られて、めんどくさい。 そして、異常なまでに蒸し暑い。 もはや人の住むところではない。 高崎のほうが遥かにいい。 住めば都。 さて、そもそもなぜ風呂に入ったかといえば、民法の勉強にハマって、根を詰めて勉強したからだ。 勉強するにも、体力がいる。 民法を勉強するとなると、どうしても資格取得が念頭にあるわけだが、資格を気にしながらの勉強というのは、なかなか精神的にタフだ。 別に自分はいついつまでに試験に合格しなければいけない、ということはないのだが、それでも、ゴールまでの道筋が見えるところまで行かないと、安心できない。 こう見えて、心配症で、やたら神経が細かいのだ。 でも、たとえ総則だけでも、しっかりと土台を固めると、知識が脳内のネットワークと絡んで、いい具合に「生きて」くる。 資格というのは、たとえ大した資格ではなくとも、取得してしまうと、なぜか実態以上に記号として機能する。 つまり、「先生」と呼ばれるのだ。 このAIのご時世でも、法律系の資格は、やはり強い。 AIがあれば、士業の資格は要...