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アジシオ (再掲)

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      アジシオは重宝する。 母親が、高島屋でサーモンの刺身を買ってきてくれた。 アジシオかけて、食った。 母親は、ハイソな人間である。 いや、とんでもなくハイソ、言い換えれば、箱入り娘である。 港区に実家があり、根津美術館など庭だと思っていたレベルである。 高校も、都立日比谷だ。 だから、結構、目新しいものが好きである。 大学は女子栄養大学だったが、とにかく食べ物に興味がある。 しかし、調理が好きだとか、ましてや、プロ級だというには、程遠い。 単純に、メシに対する興味が、尋常ではない。 テレビだって、基本的にメシに関する番組をハシゴする。 自分は、といえば、実はそんなに興味がない。 強いて言えば、水にはこだわりたい。 やっぱり、セブンイレブンよりかは、ファミリマートのほうが、良い水を売っている。 そこらへんは、値段は正直だ。 どうにも疲れた時は、アマゾンでサントリーの奥大山の水を取り寄せる。 これを飲むと、たいてい疲れは取れる。 さて、自分はシティーボーイ、言い換えれば、お坊ちゃまクンである。 おそらく、自分を構成する要素の6割強は、「シティーボーイ」という要素で出来ている。 しかし、シティーボーイにはシティーボーイの哀しみがあるのである。 佐野日大中学から、私立武蔵高校へ、高校受験して入った。 すでにミラクルである。 高校受験専門の超高い塾代を払って、1年間狂ったように猛勉強した。 慶應義塾も慶應志木も、当然本庄早稲田も受かった。 おそらく、人生で一番テングになっていた時期である。 その費用は、母親が出してくれた。 じゃあ、なぜそもそも佐野日大中学にいたか、といえば、母親が父親と結婚して、父親の実家である埼玉県羽生市で暮らすことになったからだ。 自分は、幼稚園のときから羽生市で暮らしていたから、幼少期から青春期の途中くらいまでは、基本的に羽生市が生活圏であった。 とはいえ、たまたま父親が高崎に転勤になっていた時に、産まれたので、自分は実は高崎産まれなのである。 ややこしい。 ところで、筋金入りの都会人である母親にとって、羽生市での暮らしは、精神的に耐え難いものだったようだ。 母親も、自分と同じで、割と世間体というか、うわべを取り繕える人間である。 しかし、母親自身、どうしても羽生市での暮らしは、耐え難いものだったようだ。 今から思...

菜根譚 (再掲)

    老いとは、生が炭のフィルターを通り、 極限まで濾過されていく日々のようだ。 かつての激しい情熱や、若さゆえの葛藤がすべて燃え尽き、 あとに残された「灰」が、静かに、優しく土へと還っていく。 これ以上燃え上がるもののない静寂と、かつて熱を帯びていた記憶の温度。 鏡の中に映る衰えを見つめるとき、そこにあるのは冷たい忘却ではない。 すべてを燃やし尽くし、大地の糧へと昇華させた人間だけが持つ、 一本の凛とした「暖簾」の佇まいである。 しかし、その静けさの裏側には、 ガラス細工のような脆さと、痛いほどの繊細さが隠れている。 皮膚が薄くなるように、心は外からの刺激に敏感になっていく。 若い頃には受け流せた一言に、深く傷つき、立ちすくむ夜もある。 だからこそ、多くを語らずともただそこにいてくれる存在のありがたみが、 灰を優しく抱き留める土壌に染み込む夕暮れの雨のように、 じんわりと、剥き出しの心に広がっていくのだ。 お互いの弱さをそっと受け止め、慈しみ合うその場所には、 かつてない、深く豊かな潤いが醸されている。 炭のように寡黙で、しかし大地のように温かい芯を持って寄り添い合うこと。 己の脆さと、かつて燃え尽きた痛みの跡を知るからこそ、 相手の頼りなさをも、その灰の温もりのようにそっと包み込める。 ぽつり、ぽつりと清らかな音を響かせ合いながら、 独りで舞台に立つ矜持と、他者とぬくもりを分かち合う慈しみを、両立させる。 その調和の土壌から、 明日の朝を静かに待ち望む、小さな希望の芽がふっと顔を出す。 誰もが脆さを抱え、かつて燃え尽きた過去を持ちながらも、 また新しく、大地を踏みしめて歩き出していける。 そのひかりこそが、老いゆく日々を、 どこまでも透明に、そして豊かに支えてくれる。

塩 (再掲)

    食卓の片隅に置かれた小さな器を眺めながら、ふと思うことがある。この白い結晶は、私たちの生を静かに支える最も原初的な「楔(くわすげ)」ではないか、と。 今でこそ、この白い粒をごく当たり前の日常の背景として受け入れている。しかし歴史をさらに深く遡れば、塩は決してありふれた調味料などではなかった。それは「白い黄金」と呼ばれた、国家の興亡をも左右する超一級の貴重品だった。 海から遠く離れた内陸や高地において、塩は金銀にも匹敵する富の象徴であり、それを巡って凄惨な戦争すら引き起こされた。ローマ帝国の兵士たちに支払われた「サラリウム(塩代)」が、現代の給与(サラリー)の語源となった史実は、塩がそのまま通貨の価値を持ち、生命を維持するための絶対的な生存権そのものであったことを物語っている。 かつて聖書が、社会の腐敗を防ぎ、陰ながら世界を支える存在を「地の塩」と呼んだとき、そこには私たちが忘れがちな「圧倒的な希少価値」への敬意が含まれていたはずだ。それは単に「地味で目立たない存在」を指すのではない。世の片隅にありながらも、その本質において「なくてはならない極めて貴きもの」であるという、揺るぎない自負の表明なのだ。 けれど、生の現場に転がっている塩は、最初から完璧な純白の結晶というわけではない。 手に入れたばかりの生塩(きじお)は、じっとりと湿気を吸って固まりやすく、奥底にはどこか尖った苦味──にがり──を孕んでいる。そのままでは、生活のスープをただ苦く、不快なものにしてしまいかねない。 だからこそ、私たちはその塩を、自らの内なる「焔(ほむら)」で焼かねばならないのだ。 土鍋に塩を盛り、静かに、しかし烈しい熱でじっくりと炒り上げていく。焔に焼かれることで、塩がまとっていた余分な湿気は消え去り、あの刺すような角(かど)や不純な苦味は、熱気の中へと綺麗に揮発していく。 焔をくぐり抜けた後に残されるのは、驚くほどサラサラとした、指先からこぼれ落ちるような純白の「焼き塩」だ。それは、どこまでもまろやかで、澄み切った、気高い塩気を持っている。 私たちが以前語り合った、あの「味」のことを思い出す。 生きていくなかで、私たちの内にはどうしても「苦味」や「澱(おり)」が沈殿していく。だが、その苦味をそのままにせず、自らの「焔」でじっくりと焼き、鍛え上げることで、それはただの...

醸 (再掲)

  物事が熟すには、どうしても「時間」という名の見えない手が必要になる。 それは、かつて己の身を焦がし、あるいは今もその内に秘め続けている「業(ごう)」が、長い年月をかけて誰の目にも触れない暗がりのなかで分解され、唯一無二の「味」へと変化していく、極めて静かな変容のプロセスだ。 その厳かな営みが最も深く進行するのは、万物が凍てつく「冬」の「夜」──その暗闇がじわじわと、最も冷たく澄んだ「深青(しんせい)」へと染まっていく、あの夜明け前の時間だ。 人は誰もが、己のなかに潜む昏い「業」を抱えながら生きている。その醜さや歪みを、私たちは夜の静けさのなかで、己の内なる深淵という名の「鏡」に映し、まっすぐに見つめ直す。 しかし、その業をただ放置し、鏡を曇らせたままにしておけば、それは内側から自己を腐敗させてしまう。だからこそ、その鏡の前に「塩」と「灰」、そして「土」を置くのだ。 自らの業に冷徹な「律」を課して引き締める塩。すべてが焼き尽くされた後に残る諦念として、過剰な酸を和らげる灰。そして、それらを懐深く受け入れ、時間をかけて滋養へと還していく、現実という名の寡黙な土。 この「土」のなかでじっくりと寝かされ、醸されたものを、さらにもう一度、「炭」の烈火で一気に焼き上げる。自己憐憫という余分な水分を蒸発させ、中途半端な甘えを一切削ぎ落とすために。 そのとき、真っ赤に熾った炭の奥底に、一瞬だけ、静かに揺らめく「青い炎」が宿る。 赤を通り越したその青い熱は、言葉にならないほどの過酷な温度を秘めながら、どこまでも静かで、冷徹だ。その青い熱に晒されて初めて、業は単なる「過去の傷」であることをやめ、一切の濁りを排した純粋な結晶へと焼き鍛えられる。 そうしてできあがった、黒々と引き締まり、どこか青い光沢を帯びた硬質な塊。その冷えゆく熱のなかに、最後に、たった一滴の「希望」をそっと垂らす。あらゆる痛みを引き受けたその先で、「それでも、善くあろう」と手を伸ばす、静かな祈りのような一滴を。 漆黒の炭肌に吸い込まれたその一滴は、乾ききった塊の奥底に、苦難を越えた者だけが宿せる本物の優しさと、瑞々しい甘みを宿らせる。 この、すべてを潜り抜けて醸された「味」こそが、混沌とした暗闇を進むための揺るぎない「標(しるべ)」となる。 自らのあり方を、荒海を渡ってきた舟たちが傷ついた身体を休める「湊(...