慢歩 (再掲)
つっかけに足を押し込み、 ただ外へ出る。 どこへ行くでもない。 「まあ、 軽い運動だから」と自分にうっすら言い訳を打ち、 靴底でアスファルトを軽くかすめる。 胸を張って歩く気なんて最初からない。 身体の重みに任せて、 だらだらと右足を出して、 次は左足。 いい年をした身体の、 なんとも格好のつかない振り子運動だ。 日常の役割や枠組みといった無数の熱に晒され、 一度は黒く焦げて「炭」となった我が身である。 だが、 不純物や過剰な自意識をその炭のフィルターで静かにろ過してみれば、 胸の奥に残るのはただただ澄んだ静けさばかりだ。 世間という平坦で慌ただしい時間が流れていくなかで、 ふっと立ち止まるように歩速を落としてみる。 急ぐのをやめてびっくりするくらいゆっくり歩いたとき、 乾ききっていた街の風情が、 しっとりとした「潤」を含んで立ち現れてくる。 アスファルトのひび割れから顔をのぞかせるハコベの青葉に宿る夜露や、 古い塀の根元でひっそり水を吸い上げているネコジャラシ。 そして見上げれば、 しめやかな夜気とともに庭先の暗がりからふっと漂ってくる茉莉花(ジャスミン)の甘い匂い。 夕飯の出汁の香りと混ざり合いながら、 それらは急ぎ足のときには通り過ぎてしまう街の生きた息づかいとなり、 いま自分がどこにいるかを示す微かな「標(しるべ)」として鼻先をかすめていく。 立ち止まりそうな遅さのなかでは、 そうした街のえぐみも甘みも、 瑞々しくも深みのあるコクとなって胸の奥に沁みてくるのだ。 頭の中はからっぽでいい。 社会的な理屈も一度全部脱ぎ捨てて、 ただ足の裏に伝わる地面の確かさや、 夜風に乗ってくる匂いの残り香をぼんやりと味わう。 そしてふと、 かつて燃え尽きて吹き飛んでいった情熱や、 取り返しのつかない時間の欠片——胸の底にうっすら残るあの「灰」を、 ひとつまみだけ指先でそっと手繰り寄せてみる。 二度と燃えることのない冷めた灰だからこそ、 この「潤」を含んだ静かな夜の空気のなかで、 いま自分がここに立っていることを確かめる柔らかな道標となり、 歩みに微かな愛おしさと切なさの陰影を添えてくれる。 立派な「散歩」でもなければ、 気取った「ウォーキング」でもない。 ただの「慢歩(まんぽ)」。 引きずった靴の音が、 湿り気を帯びた静かな道にポツリとひとつ落ちる。...