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権力と知 (再掲)

前二千年紀の終わりから前千年紀の初めの東地中海のヨーロッパ社会では、政治権力はいつもある種のタイプの知の保持者でした。権力を保持するという事実によって、王と王を取り巻く者たちは、他の社会グループに伝えられない、あるいは伝えてはならない知を所有していました。知と権力とは正確に対応する、連関し、重なり合うものだったのです。権力のない知はありえませんでした。そしてある種の特殊な知の所有なしの政治権力というのもありえなかったのです。(62ページ) ギリシア社会の起源に、前五世紀のギリシアの時代の起源に、つまりはわれわれの文明の起源に到来したのは、権力であると同時に知でもあったような政治権力の大いなる一体性の分解でした。アッシリアの大帝国に存在した魔術的―宗教的権力のこの一体性を、東方の文明に浸っていたギリシアの僭主たちは、自分たちのために復興しようとし、またそれを前六世紀から前五世紀のソフィストたちが、金銭で払われる授業という形で好きなように用いていました。われわれが立ち会っているのは、古代ギリシアで前五、六世紀にわたって進行したこの長い崩壊過程なのです。そして、古典期ギリシアが出現するとき―ソフォクレス(注:「オイディプス王」の作者)はその最初の時代、孵化の時点を代表しています―、この社会が出現するために消滅しなければならなかったのが、権力と知の一体性なのです。このときから、権力者は無知の人となります。結局、オイディプスに起こったのは、知りすぎていて何も知らないということです。このときから、オイディプスは盲目で何も知らない権力者、そして力余るために知らない権力者となるのです。(62ページ) 西洋は以後、真理は政治権力には属さず、政治権力は盲目で、真の知とは、神々と接触するときや、物事を想起するとき、偉大な永遠の太陽を見つめるとき、あるいは起こったことに対して目を見開くときに、はじめてひとが所有するものだという神話に支配されるようになります。プラトンとともに西洋の大いなる神話が始まります。知と権力とは相容れないという神話です。知があれば、それは権力を諦めねばならない、と。知と学識が純粋な真理としてあるところには、政治権力はもはやあってはならないのです。 この大いなる神話は清算されました。ニーチェが、先に引いた多くのテクストで、あらゆる知の背後、あらゆる認識の背後で問題になっているのは権力闘争なのだ、ということをを示しながら、打ち壊し始めたのはこの神話なのです。政治権力は知を欠いているのではなく、権力は知とともに織り上げられているのです。(63ページ)

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