ただでさえ安い円が、さらに安くなる可能性があるとのこと。 日本の経常収支は、かつては貿易黒字と第一次所得収支の黒字が双璧だったが、いまは第一次所得収支のみが頼り。 しかも、その第一次所得収支も、海外展開した企業が利子や配当として得た資金(ドルなど)は、統計上円に換算されるため、一見日本に富が還元されているように見えるが、実際には円には替えず、外貨で保有したままなので、実需の円買いにはならないため、円安是正には寄与しない。 しかも、海外展開した企業は、海外で得た資金を、日本には還流せず、再び海外市場へ投入するため、実需の円買いには繋がらない。
統計上は、第一次所得収支は経常収支に計上されるってことになってるけど、実質民間の貯蓄になってないなら、日本政府の赤字は、どうやってファイナンスしてるんだろう? 経常収支が黒字であればこそ、政府の赤字を国内の資金で補えるが、それが見かけだけのものならば、理屈でいえば海外からの資金に国債発行の原資をアテにしなければならないはず。 財政赤字に加え、経常収支まで赤字になったら、海外からの資金を呼び込むために、金利を上げる必要があるはずだが。 国際収支統計では、経常収支、資本収支、外貨準備増減の和はゼロとなるため、外貨準備増減を捨象して考えれば、経常収支が赤字となると資本収支が黒字となる。これは、経常収支が赤字の状況では、財政や民間投資等の資金需要を確保するためには、海外からの資金が流入超過になることを意味している。民間部門の貯蓄の黒字幅が縮小する一方、政府部門の赤字幅は縮小しない場合、その赤字のファイナンスを海外の資金に頼る必要が出てくるということである。 (リンクの内閣府のペーパーより) https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_6.html
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
コメント
コメントを投稿