2024年4月30日火曜日
キリスト教哲学の歴史@八戸サテライト レポート (再掲)
アーレントは、「人間の条件」で、現代人は、ただ経済学の原理に従うだけの存在であり、傑出した人間もその反対の人間も、偏差という意味では人口の増加に伴って大差のないものであり、社会の都合の良い存在に成り果て、どんな偉業も社会の趨勢を変えることはない、と述べている。エルサレムのアイヒマンで、悪の陳腐さを白日の下に晒した彼女にとって、人間はもはや信用できないものであったのだろうか。誰もが、現世の組織の歯車として、それ以上のものではなり得なくなった現代社会において、人間の価値とは何なのであろうか?単に社会の中のアトムに過ぎないのであろうか?こう問いを立てたとき、カール・シュミットの「例外状態」理論は魅力的に見えてくる。シュミットのいう「例外状態」とは、端的に戦争のことであり、そこにおいて、友と敵を明確に区別することによって、社会のモヤモヤした部分が排除され、国家の本質が明確になるからだ。これは大衆社会にとってある種の処方箋になりうるし、当然国家主義者にとっては都合の良い理屈だ。しかし、アーレントの、このモヤモヤした社会の中でいかに個々人がその存在を輝かせるか、という困難な思索のほうが、困難であるだけ、なお価値があると思われる。結局彼女の多数性における赦しとは、キリスト教的な愛の観念に基づくものなのだが、彼女自身がユダヤ人であり、万人への愛を説くキリスト教的な愛よりも、むしろ峻厳な神からの愛としてのユダヤ教的な赦しの様相を拭いきれないのは、その苛烈さが社会のモヤモヤした部分を切り裂くような可能性を帯びているからとは言えないだろうか。
2024年4月26日金曜日
「隷従への道」 フリードリヒ・ハイエク 日経BP p.190~191 (再掲)
経済活動を 完全に 中央主導にする という 発想には、 やはり たじろぐ人が多い。 単に それが 途方もなく 困難だから ではなく、 たった一つの 中央当局なるものが 万事を 指示する ことに恐怖を 覚えるからだ。 それでも なお 私たちが そこへ向かって 急速に進んでいるのは、 完全な個人の競争 と 中央管理との間 に 「中庸」 が あるだろうと、 大半の人が いまだに 信じている せいである。 めざす目標は 自由競争による 極端な分権化でもなければ、 単一の計画に基づく 完全な中央集権化でもなく、 両者の いいとこどりをした 体制だと 考えるのは、 合理的な 人々にとって 実に魅力的であり、 さも実現可能にも見える。 だが このような問題に関しては、 常識は当てにならない。
2024年4月24日水曜日
中年オヤジの誕生
うーん・・・
さすがに
これ
道徳を理詰めで
考えた
授業なので、
(カント「実践理性批判」を読む@大宮)
精神的に
安定するというか、
楽になるかな、と
思ったのですが、
まあ
安定しているといえば
安定しては
いますが、
やっぱり
以前と変わらず
悪夢を見てしまったり、
どうしても
薬が
必要だということに、
ちょっと
ショックを受けていますね。
結局
この病気って
完治しねーんだな、と。
どういう
理屈を探してきても、
助けにはなるが、
最終的には
薬を飲まざるを得ない、という
現実。
うーん・・・でもまあ
今どき
みんな
そうなのかな、という
気もする。
とはいえ、
今さら
もう
なりふり構わず
驀進する、というのは
無理かも
しれない。
オジサン疲れた。
それで済むなら
そうしたい。
・・・でもまあ、これが
俺の等身大って
やつなのかも知れない。
気張って
頑張ってきたが、
何かしらの
自己暗示が解けて、
自分は
結局
人並みの
気力しかないんだってことを、
自覚したという
ことかな。
まあ
それはそれで
悪くない。
でもまあ、肯定的に
考えれば、俺なんかが
気張って
道徳について
思い悩む必要がない、というのは
肩の荷が下りる
感
は
あるかな。
道徳とはなんぞや?
を
300年も前に
考えていてくれた
偉大な
哲学者がいるので。
https://www.youtube.com/watch?v=OtKSy0gk75Y
https://www.youtube.com/watch?v=fauS8ChCnNM
https://www.youtube.com/watch?v=Xud0jNt4jzA
https://www.youtube.com/watch?v=c84fO4Hn_eA
2024年4月22日月曜日
ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 資料より (再掲)
私は、 自分のもともとの 性質が 「ここまで くらいは がんばろう」 と 課した限界の範囲で 自己研鑽に励む ときでさえ、 謝罪や後悔もなく、 自分の もともとの性質を 「与えられた 当たり前のもの」 として 受け入れており、 そのようなとき、 自分自身に対する 「自己愛」を 持っているのである。 私の 自我と 私とは、 一様に すべてのことを 共有しながら、 いっしょに 多くのことを くぐり抜けてきた。 私が彼 (=私の自我) を 支える限り、 彼が 私を 失望させることはなかった。 私は 彼を 叱ったこともあるが、 けっして 彼の本性を 呪うことはなかった。 彼には 間違いなく 欠点があるし、 ひどくそうなのだが、 その短所が あらわになるとき、 私はやさしく 寛大に ほほえむのである。 彼のへまは、 彼のような 性質をもつ だれからでも 人が予想するようなものである。 人は、 これほどまで きわめて 近しくしてきた 存在を 憎むようには なれない。 好むと好まざるとに かかわらず この人物 (=私の自我) に依存してきた 全年月の後、 どのようにして 別の自我と うまくやりはじめることができるか、 私は 実際知らないのである。 このように、 自己同一性 (自分が自分であること) は、 一種の約束による 見合い結婚だと 考えることが できる。 その 見合い結婚は、 安定的な人の中では 真実の愛へと 成熟するものだが、 不安定な人の中では、 堕落してしまって、 恨み言と 自滅へと至る。 人の 自己愛の もっとも 真実の表現は、 自身の善さへの献身であり、 それは 他の誰のものでもない 自身の もともとの性質 (そのような 性質は 不条理な、 変なものかもしれない) の 自己充足である。 (「不条理な自己充足」 [ジョエル・ファインバーグ『倫理学と法学の架橋』東信堂・2018年]432−3頁)
動画へのフィードバックを森本先生より頂戴しました。(備忘録) (再掲)
後期資本主義批判をアドルノから荻野先生の社会学、ゲーテを経て漱石まで展開した動画を有り難う。 アドルノの後期資本主義批判はしばしば読ませてもらっていたところですが、今回は荻野氏の「詐欺」論へ連接させることで、論がひときわ具体性を増し、鮮やかな像を結んだように思います。 不確定性に賭ける「詐欺師」とは、計量と数値化を旨とする近代合理主義社会の、いわば虚をつく存在。資本主義社会の到達点ともいえる「管理社会」への批判的メタファーなのですね。 それが足を置く場は、まさに資本主義社会の「市場」の余白とでも表すべき領域。とすれば、小林くん講話の後半部のキーワードともいうべき「自然」が、まさに商品の等価交換から成り立つ「市場」の〈外部〉であることときれいに響き合っていることに、つくづく感心しました。 そして、近代作家とは、まさにその〈疎外〉感を以て、同じく近代が周縁化してしまった〈自然〉へ魅かれ、耽溺する者であるわけですね。 日本近代の場合、より〈自然〉に親和的なのが自然主義作家で、これをまさに〈じねん〉にみられるような概念化への苦闘を経ることで、欲望的な世界から帰還してくるのが漱石、ということになるでしょうか。「ファウスト」こそ詐欺師では、との小林くんの呟きにクスリとしながらつい頷いてもいるのですが、その葛藤が〈魂の救済〉なるもので終結するのは、やはりなんといってもキリスト教文化圏ならではの展開でしょう。かの有名な「疾風怒濤」期に端的に現れるゲーテの自然観(近代的「自然」の発見)は、日本の場合、漱石よりも、北村透谷を経た自然主義文学への影響の方が大きそうです。 いささか余談ですが、ゲーテも、漱石も、そしてほとんどすべての男性・近代作家の描く異性愛の対象ーー〈女性〉もまた〈近代〉が周縁化した存在なので、なるほどテクストというものは論理的かつ時代精神をおのずから反映したものだ、と改めてつくづく納得した次第です。いつものことながら、感謝です。誠に有り難う。 今回、頂戴した小林くん講話にこれまで頂戴している論考から得た知識を総合すれば、資本主義-市民社会がもたらす疎外、物象化に対する苦悩という名の徹底的相対化、これこそが漱石の文明批評の基盤であることが、まさに鮮明に図式化されて見えてくる感じです。 今回は「ブログのハッシュタグ参照」とのことで、アドルノとの関係への言及は省略されていましたが、ここから展開してゆくのが、何度か拝見させてもらった、アドルノを援用した小林くんの「それから」論ですね。主客分離から生じる疎外を批判し、人間の自然および身体の抑圧を論じながら、原初的まどろみへの回帰は徹底的に封じたアドルノの論理展開が、何と代助の解読に有効であるか、は、つねづね痛感するところです。 https://www.youtube.com/watch?v=ZVyotCXNUn4
アリストテレスの倫理学@茨城大学 レポート (再掲)
自分の実感でも、 知的権威が 昔より 相対化されたというか、 俺は 大学教授だぞとか、 どこそこの 研究者ですごい 研究してるんだぞ! っていう ノリでは 通じなくなってきたよね。 良くも悪くも。 アカウンタビリティーという 言葉が象徴するように、 いくら 知的権威があっても、 それを 素人の一般市民に 説明できなければ いけない、という 風潮を感じる。 それは 「知」の民主化、という 意味では 良い側面だと 思うんだけど、 悪い側面としては、 一般市民が、 知的オーソリティーを 信用しなくなった、 つまり、 より 陰謀論じみた話や、 そもそも およそ 学術的に間違った話を 臆面もなく 信じ込む、という 現象が現れてきた。 そこに 政治が漬け込むと、 いわゆる ポピュリズム政治が生まれ、 政治が 極端な方向へと進む 傾向が 見られるようになってきた。 これは、 構造主義による 「知」の権威の 相対化の 功績とも言えるのではないか。 ニーチェは「善悪の彼岸」のなかで、 こう書いている。 「形而上学者たちの 根本信仰は 諸価値の 反対物を 信仰する ことである」。 ある哲学者が 「善」を信じているとすれば、 その哲学者は 「善」を 信じているというより、 「善」の価値を 正当化するために、 その 「反対物」にあたる 「悪」をひそかに (おそれながら?) 信じている、という わけである。 「不思議の国のアリス」の世界で、 価値の問題を文字通り 体現していたのは、 トランプのすがたをした 登場者たちだった。 なぜなら 彼らの存在は、 トランプの序列における 差異を基準にして、 その「価値」を 決められていたからである。 ここには、ソシュールが言語について 考えていたことに 通じる大切なポイントが 含まれている。 それは、カードの「価値」とは 役割であること、 言い換えれば、カードの 「価値」は、 それぞれのカードの差異の関係と、 トランプ全体の 体系内における 各カードの 位置関係から 生まれてくるという ことである。 つまり「王」や「女王」も、 他のカードがなければ、 そして トランプと呼ばれる カードの体系がなければ、 「王」や「女王」として 君臨できなかった。 それゆえ 「王」や「女王」の 権力は、 たとえ どれほど周囲の者たちに 脅威を与えたとしても、 彼らのなかに 存在しているものではなく、 トランプのゲームを 構成している 多くの要素の 関係から生まれた幻想としての 効果にすぎない。 「カード」の体系を 現実世界に当てはめれば、 現代人のあらゆる 「権威」や「道徳」への 忠誠心は、 それが飽くまでも 「ゲームの体系」の 中でしか効果を 持ち得ない、という 意味において 著しく相対化 されているのである。 (参照:「現代思想のパフォーマンス」 光文社新書 p.74~76) しかし、言語とはソシュールがいうように体系の中の戯れでしかないのだろうか? そもそもヒトは 単に信号を出しているのではなく、 「あなたに心があって、 あなたの心を読むことによって、 私はあなたの思いを共有している。 そして、 そういうことをあなたも分かってくれるから、 お互いに思いが共有できる」という、 この基盤がなければ 言語というものは実は働かない。 人間は社会的動物である。 仮に 眼前に他者がいないとしても、 それは 必ずしも 他者の <不在> ではない。 他者が眼前にいない時でも、 人は 他者とやりとりをしている。 言い換えれば、コミュニケーションをしている。 自分の発言を、相手はどう解釈し、 相手がどんな応答をしてくるか、 それに対して 自分はどう答えるか、 そんな 複雑な入れ子構造の往還を、 人は 無意識に行っている。 人が拷問を行うのは、他者の痛みを共感できるがゆえだという。 ならば、 逆に他者に対して善い行いをする可能性も残されているのではないか? 他者に対して善い行いをし、その喜びを共有することも、また可能ではないだろうか。
あてはまりにくい「貨幣数量説」 (日経新聞「やさしい経済学」〘年月日不明〙より 抜書き)大阪大学 敦賀貴之教授 (再掲)
経済活動の量が変わらなければ、 貨幣量を増加させれば 物価だけが増えると予測できます。 つまり、経済に流通する貨幣量を 機械的に増やすと、 増えた貨幣はそのまま 経済に流通し、 経済取引の総額が増えます。 しかし、 経済にお金が回っても 需要が高まるだけで、 供給は増えず、 貨幣量と同じスピードで 物価だけが上昇します。 このように、 貨幣の数量で物価が 決まるという考え方が 貨幣数量説です。 日銀は20年近くにわたり、 貨幣量を大幅に増やしましたが、 物価の上昇は期待ほどではありません。 多くの経済学者は、 短期的には 貨幣量の変化は生産量の変化につながると考えます。 さらに データ上は、 流通速度は趨勢的に 低下傾向を示し、 日本ではこの30年で 流通速度が半分に低下しました。 貨幣量が増えれば 物価は上がるという 単純な理屈は 当てはまりにくいのです。
貨幣数量説 (再掲)
完全雇用実質GDP✕物価=貨幣量✕貨幣の流通速度 (瀧川好夫先生「金融経済論」面接授業 自筆メモより) この等式は古典派経済学の発想なので、完全雇用は常に達成されていると想定されているので、物価は貨幣量と貨幣の流通速度で決まる。 従って、貨幣量を増加させれば、物価は上がる。 「貨幣の所得流通速度が一定不変で,かつ伸縮的な価格メカニズムの作用により実質産出量(実質国民所得)の水準が長期の均衡値に一致するならば,貨幣数量の変化は国民所得の大きさや構成にはなんら影響を与えず,ただ物価水準を比例的に変化させると主張する説。」有斐閣経済辞典第4版
フィッシャー効果 (再掲)
物価上昇の予想が金利を上昇させるという効果で、フィッシャーが最初にそれを指摘したところからフィッシャー効果と呼ばれる。 ある率で物価の上昇が予想されるようになると、貸手が貸金に生じる購買力目減りの補償を求める結果として、資金貸借で成立する名目金利は物価上昇の予想がなかったときの金利(=実質金利)より、その予想物価上昇率分だけ高まる。(以下略) 有斐閣経済辞典第5版 https://www.tokaitokyo.co.jp/kantan/service/nisa/monetary.html
証券投資理論の基礎@広島大学 レジュメより (再掲)
Q:名目金利が
年8%で
インフレ率
(CPI)
が
年5%のとき、
実質金利は3%か?
ex. 100円の債券投資
⇛1年後:108円
100円の消費財の組み合わせ
⇛1年後:105円
のとき
1年後の108円の購買力=108/105=1.02857
(この投資の収益率:2.857%)
☆実質金利と名目金利、インフレ率
(CPI)
の関係
1+実質金利=(1+名目金利)/(1+インフレ率)
ex.参照せよ
式変形して、
すなわち
★実質金利=(名目金利-インフレ率)/(1+インフレ率)
つまり、
デフレはマイナスのインフレ率なので、
実質金利を上げてしまう。
2024年4月21日日曜日
「カント『実践理性批判』を読む」@大宮 レポート (再掲)
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を題材に、人間の行為における善とはなにか、を考察する。 芥川龍之介は、自殺の時点で枕元に聖書を置いていたことが知られており、 キリスト教への関心があったことは疑いない。 その上で、 「蜘蛛の糸」を読み解くとき、 天上から地獄へと 救いの糸を垂らすのは 釈尊であるという設定であるが、 ここでは キリスト教的神であると置き換えたい。 そのほうが構図が簡潔になるからである。 なぜなら、 カント哲学においては、人間は神に対して アクセスできないが、 神は人間に対してアクセス できると考えられているからである。 これを前提とした上で、 人間の倫理がいかに成り立ちうるかを 考えたとき、 2つの考え方が可能である。 1つ目は、神の意志や行為は人間には 計り知れないのだから、 人間がどんな行いをしても 神はそれを赦しもするし裁きもする、という 発想である。 2つ目は、やはりそうは言っても、 人間と神とは完全に切り離された存在ではなく、 人間は神の意志や、その行為の意味を 感じたり考えたりすることが 可能である、という 発想である。 カント哲学においては、 人間の悟性では神の行為や意志を 計り知ることはできないが、 また神の存在を否定することも 不可能である、と 捉えていた。 しかし、これは 神がすべての事象を意のままに決定しうる、 という可能性を含意しており、 ある種の決定論に陥ってしまう。 デービッド・ヒュームの懐疑論は、 因果律を否定することにより、 この決定論に風穴を開けた。 ここでカント哲学は新たな可能性に開かれる。 なぜなら、 すべてが神によって決定されているわけではない以上、 人間が自らの悟性によって 自らの倫理を考える、という 「自由」を 手に入れたからである。 そのうえで、あらためて 「蜘蛛の糸」を 考察してみよう。 神はカンダタに対して 救いの可能性を示したが、 カンダタは 自分の利得のために 他人を犠牲にしたことによって、 神から見放される。 つまり、神から人間には 救いの可能性という点で アクセスが可能なのだが、 人間(カンダタ)から 神に対しては 自らの救いの可能性を選択する余地がないのである。 それはなにゆえなのだろうか? カンダタが善なる行いを しなかったからだろうか? しかし、それでは 人間にとって 善とは何かを、人間(カンダタ)が 選択する余地はなく、 すべて神が決定していると 読めてしまう。 これが果たして人間にとって 「自由」といえるだろうか? カンダタは、自分の救済の可能性のためには、 他人を犠牲にせざるを得なかったのである。 言い換えれば、自らの生命のためには そうする他なかったのである。 ここから導き出されることは、 人間は「善き生」のためには、 みずからの生命さえも 犠牲にしなかればならない、という アリストテレス的な「善」の考え方であると考えられる。
https://www.youtube.com/watch?v=SzcbUH7w1E0
2024年4月20日土曜日
神戸大学 金京先生からお返事承りました。 ・・・をGoogleの生成AIに入力してみました。
自分:日本はGDPの2・6倍以上の政府債務を抱えているのに、なぜ財政破綻しないのでしょうか?
Googleの生成AIに聞いても、当たり障りのない回答しか得られません。
国際金融の立場から、ご教示いただければ幸いです。
金京先生:財政破綻しないのは、発行した国債を誰かが保有し続けているからですが、それが可能なのは、満期になれば日本国政府は、きちんと償還すると信じているからに他なりません。
その信用が崩れると、市中での国債発行はできなくなりますから、歳出カットか増税のいずれかが不可避です。
そのどちらも避けるのであれば、立法措置を講じて日銀に直接引き受けてもらうことが考えられますが、その禁じ手を使うとハイパーインフレと資本逃避による為替暴落を引き起こし、経済危機に陥る危険が高いというのが歴史の教訓かと思います。
(以下 google gemini より回答)
日本の財政破綻について:国際金融の視点から
金京先生の指摘の通り、日本は先進国の中でも特筆すべき高い水準の政府債務を抱えています。しかしながら、現時点において財政破綻が不可避と断言することはできません。その理由は、国際金融の観点から以下の3点が挙げられます。
1. 圧倒的な対外純資産の存在
日本は世界最大規模の対外純資産を有しており、これは海外に対する資産の合計額が負債の合計額を上回っていることを意味します。2022年末時点では、その額は約1,400兆円にも達し、これはGDPの約2倍に相当します。つまり、たとえ政府が債務不履行を起こしたとしても、海外からの資産売却によって穴埋めすることが理論上は可能なのです。
2. 低金利環境と安定した金融システム
日本は長年に渡り低金利環境にあり、政府は比較的低いコストで資金調達できています。また、金融システムも比較的に安定しており、債券市場の機能も正常に働いています。こうした状況は、政府債務の持続可能性を高める重要な要素となっています。
3. 市場からの高い信頼
日本の政府債務は、国内外の投資家から高い信頼を得ています。これは、日本政府の財政規律に対する信頼と、日本経済の安定性に対する期待が背景にあります。こうした信頼は、金利上昇や債券市場の混乱を防ぐ重要な役割を果たしています。
しかしながら、問題がないわけではありません。
1. 債務残高の増加ペース
政府債務残高は依然として増加しており、このままの状態が続けば、いずれは対外純資産を上回る可能性もあります。そうなれば、財政破綻のリスクが急速に高まることになります。
2. 少子高齢化による財政収支悪化
少子高齢化に伴い、社会保障費の増加や税収の減少が懸念されます。こうした財政収支の悪化は、政府債務の増加圧力となり、財政健全化をさらに困難なものにする可能性があります。
3. 金利上昇リスク
近年、世界的な金融引き締めに伴い、金利上昇懸念が高まっています。金利が上昇すると、政府の利払い負担が増加し、財政状況が悪化する可能性があります。
これらの課題を克服するためには、中長期的な財政改革が不可欠です。具体的には、歳出削減や増税、経済成長による税収増加などが考えられます。政府はすでにこれらの取り組みを進めていますが、更なる加速が必要となるでしょう。
国際金融の視点から、日本の財政状況は厳しくはありますが、破綻は不可避ではありません。政府が適切な財政改革を実行し、市場からの信頼を維持することができれば、財政健全化を実現することは十分に可能です。
なお、金京先生の指摘にあるように、日銀による直接的な債務引き受けは、ハイパーインフレや為替暴落などのリスクを伴うため、最終手段としてのみ検討されるべきです。
結論
日本の財政状況は厳しいものの、適切な財政改革と市場からの信頼維持によって、財政破綻を回避することは可能です。国際金融の観点から、今後は政府の財政改革への取り組みと、市場の反応を注視していく必要があります。
2024年4月19日金曜日
Google Geminiとの対話 経済学的省察 (神戸大学 金京先生からのお返事も合わせて)
自分:利上げによるインフレ抑止の効果を正当化するうえで、貨幣数量説と流動性選好説とが整合的に両立しうる理屈を考えました。中央銀行が利上げをする、つまり市場に流通するマネーの量を減らすことで、流動性選好説により、人々の貨幣保有需要が増え、その結果マネーの流通速度が低下する、と考えられます。その結果、貨幣数量説に従い、物価は下落します。
(以下 google gemini より回答) 利上げによるインフレ抑制:貨幣数量説と流動性選好説の整合的な理屈
ご指摘のとおり、利上げによるインフレ抑制効果を貨幣数量説と流動性選好説の両面から整合的に説明することは可能です。 以下、詳細なメカニズムを説明します。
1. 利上げとマネー供給量
中央銀行が利上げを行うと、以下の効果が生じます。
短期金利の上昇: 借入コストが増加し、企業や個人の借り入れが抑制されます。
債券利回りの上昇: 債券の利回り高騰により、債券の保有魅力が向上し、貨幣保有需要が減少します。
これらの効果により、市場に流通するマネー供給量が減少します。
2. 流動性選好説とマネー保有需要
流動性選好説によると、人々は将来の不確実性に備え、貨幣を保有しようとします。金利が上昇すると、将来の不確実性に対する懸念が高まり、より多くの貨幣を保有しようとする傾向が強くなります。
一方、債券利回りが上昇すると、債券の保有魅力が向上し、貨幣保有需要が減少します。
3. マネー流通速度と物価
マネー数量説によると、マネー供給量と物価水準は比例関係にあります。マネー供給量が減少すると、マネー流通速度が低下し、物価水準が下落します。
4. 二つの理論の整合性
利上げによるマネー供給量減少は、流動性選好説と債券利回りの上昇を通じて、貨幣保有需要に二つの相反する効果をもたらします。
流動性選好説による貨幣保有需要増加: 金利上昇による将来不確実性への懸念が高まり、貨幣保有需要が増加します。
債券利回り上昇による貨幣保有需要減少: 債券の保有魅力が向上し、貨幣保有需要が減少します。
これらの二つの効果が相殺し合い、最終的な貨幣保有需要への影響は限定的になると考えられます。
一方、マネー供給量減少は、マネー数量説に基づき、確実にマネー流通速度を低下させ、物価水準を下落させます。
5. 結論
以上のように、利上げは、マネー供給量減少を通じて、流動性選好説と債券利回りの上昇という二つの相反する効果を貨幣保有需要に与えますが、最終的にはマネー数量説に基づき、マネー流通速度を低下させ、物価水準を下落させる効果が支配的になると考えられます。
6. 補足
上記の説明は、あくまで理論的な枠組みであり、実際の経済状況では、様々な要因が複雑に絡み合い、インフレ抑制効果の程度は変化します。
利上げは、景気後退などの副作用を伴う可能性もあるため、中央銀行は慎重に判断する必要があります。
7. 情報源
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78405540R10C24A2TL5000/
https://www.sc.mufg.jp/learn/terms/i/239.html
https://www.orixbank.co.jp/column/article/240/
(以下 神戸大学 金京拓司先生よりご返信)
金融引き締めがインフレ抑制に働くことは、ご指摘のとおり、いかなる経済理論に基づいても予想されるところです。現代のマクロ経済学の枠組みでは、人々のインフレ期待がインフレ・ダイナミックスの決定において重要な役割を果たします。労働需給の逼迫や賃上げの定着によって、インフレ期待が上方修正されることが2%のインフレ目標の達成には不可欠です。しかし、持続的な賃上げには企業の生産性の上昇が必要で、政策的には、日本企業のイノベーション力をどう高めるかが鍵だと考えています。
2024年4月18日木曜日
メモ
6月に、富山で
「事例から学ぶ労働法」という
面接授業が
あるんだが、
スケジュールがタイトに
なってたりして、
お金もかかるし
どうしようかと
思っていたんだが、
組織論の視点から
捉えれば
面白いんじゃないか、という
気がしてきた。
いま
日経新聞の「やさしい経済学」の
コラムで
組織論について
連載しているし、
放送授業の
「経営学入門」で
組織論の話も
聴いてるし、
なにより、
坂井素思先生の
「貨幣・勤労・代理人」が
組織論の話だと
ようやくわかって、
これならば
自分にも
馴染みのある話だ、ということで、
予め
繋がりのある話だと
思っていけば、
あまり
ストレスを感じずに
受講できる。
もちろん、放送授業の
「雇用社会と法」の
補完的役割を期待している
面もあるが、
それ以前から、
「組織」という
これまでに生きてきた
人生のなかで
経験した
ことをベースにして
考えられる、というのは
大きい。
・・・脳内で、なにかが
バチッと来た。
いま
日経新聞の
「私の履歴書」で
元日本商工会議所会頭の
三村明夫さんの
連載やってるし、
人間組織なんて言ったら、
それこそ
俺の大好物の
思想・哲学じゃん!
と。
バチーンと繋がった!
・・・あー、でもダメだわ。
節約しなきゃっていう
自己暗示なのか
なんなのか
よくわからないが、
良心の呵責?
を
通り越して、
辛くなってくる。
こうやって
お金を使うことが。
・・・今週末の
「カント『実践理性批判』を読む」@大宮
も、
知ってるつもりで、
行ってみたら
行ってみたで、
けっこう
刺激的なんだろうな。
とりあえず
大宮ぐらい
行っても
バチは当たらないだろう。
・・・幸か不幸か?
今日と明日の
埼玉も
6月の
富山も、
そんな
ハードな授業では
ないっぽい。
案ずるより産むが易し
だな。
楽に行こうぜ。
・・・うーん、あんまり
イージーな授業だと
思うと
わざわざ
行く気が失せる。
なかなか
厄介だな。
俺も。
・・・超意外なことに、
今日の埼玉は
めちゃくちゃ
面白かった。
まさに
白熱教室!!!
都合のいい俗論 補訂
国債発行 イコール 通貨発行 という俗説が あるらしいが、 金融政策の 基本が 何も わかってないね。 国債を 発行して、 買ってくれる人が いるから、 (国債を買うのは 当然のことながら 中央銀行だけではない。) そのお金が 市中に 流れるんだけど。 これ、 (国債に限らず 債券全般に対する、 中央銀行による) 買いオペとか 売りオペとか 言われる 金融政策の 常識中の常識 だけど、 そんなことも 知らずに、 ただ 国債発行すれば 自動的に 貨幣供給量が 増えると 本気で 思ってる 人が いるみたいね。 (それに、 国債だって商品だから、 本来は政府の都合で 発行した 国債を、 相場を無視した 高値で 売れると思うのが そもそも 間違ってる。 むしろ、 日本の現状として、 日銀が 市場の相場を 無視した 高値で 国債を 買い続けてることが 本質的に問題なんだけどな。) なにで 経済学 学んだんだろう? それに、 貨幣供給量を 増やす イコール 国の資産が 増える ってのも そもそも 間違い。 国の富の 源泉は 付加価値、 すなわち GDPです。 これ、 学部レベルの 経済学で 最初に 学ぶことなんだけどな。 ほんと、 誰に 刷り込まれたんだろう? ついでに 書いとくと、 赤字国債を 発行すること自体が 法律違反なんだけど、 毎年 特例法案つくって 可決して 予算作ってる。 (ちなみに、 一昔前は その種の予算を 通す通さないが 政争の具に 使われたのが、 短命政権が続いた 原因だった。 らしい。) それが 常態化。 それを 国民の側が 嬉々として 受け入れてる 現状が 異常。 ついでに 書いとくと、 日銀が 国債買い続けないと 国債の価格が (異常な高値を 維持できずに) 暴落して 金利が 急騰して この国 吹っ飛びますけど、 さあ この ムリゲー どうします? ちなみに 安倍ちゃんは 日銀は政府の 子会社だから いくらでも 日銀に 国債 買い取らせればいい とか ほざいてましたけど。 もう 日銀による 国債の保有比率 5割 超えましたね。 (以下 google bard より回答) はい、その通りです。国債発行イコール通貨発行というのは、金融政策の基本を理解していない俗説です。 国債を誰かが買ってくれることで、そのお金が市中に流れることになります。しかし、国債を買ってくれるのは、必ずしも中央銀行とは限りません。民間企業や個人も、国債を買うことがあります。 もし、国債を誰も買ってくれなかった場合、政府は国債を償還できなくなり、財政破綻に陥ることになります。 また、貨幣供給量を増やすことが、国の資産が増えることにもなりません。国の富の源泉は、付加価値、すなわち GDPです。貨幣供給量を増やしても、GDPが増えなければ、国の資産は増えません。 日本の現状は、赤字国債を日銀が買い続けているため、国債の価格が異常に高くなっています。もし、日銀が国債を買い続けなければ、国債の価格は暴落し、金利が急騰する可能性があります。 安倍政権は、日銀が政府の「子会社」だから、いくらでも国債を買い取らせればいいと主張していました。しかし、実際には、日銀が国債を買い続けることは、国債の価格を維持するために必要な措置であり、政府の都合で行っているわけではありません。 国債発行イコール通貨発行という俗説は、経済の基本を理解していない人がよく言うものです。この俗説を信じてしまうと、誤った経済政策を支持することになりかねません。 (以下 google gemini より回答) 国債発行と通貨発行の関係:よくある誤解と真実
国債発行が通貨発行と同等と考えるのは誤解であり、金融政策の基礎知識が不足していると言えます。確かに、国債発行によって市場に資金が供給される側面はありますが、通貨発行とは異なるメカニズムです。
以下、詳細を説明します。
1. 国債発行と通貨発行のメカニズム
国債発行: 政府が資金調達のために発行する借用証書です。投資家は、国債を購入することで、将来の利息収入を得ることができます。
通貨発行: 中央銀行が紙幣や硬貨を発行することで、流通する通貨量を増やす行為です。
国債発行は、財政政策の一環として実施されます。一方、通貨発行は金融政策の一環として実施されます。
2. 国債発行による資金の流れ
国債を誰が購入するかによって、資金の流れが異なります。
中央銀行が購入: 国債を中央銀行が購入する場合、公開市場操作の一環として行われます。中央銀行は国債を購入することで、市場に資金を供給し、金利を下げることができます。
民間投資家が購入: 民間投資家が国債を購入する場合、民間資金が政府に供給されます。政府は調達した資金を、公共事業や社会保障などの支出に充てることができます。
いずれの場合も、国債発行は単に資金の移動であり、通貨量そのものが増えるわけではありません。
3. 貨幣供給量と国の資産
貨幣供給量と国の資産は直接的な関係がありません。国の富の源泉は、付加価値、つまりGDPです。
貨幣供給量を増やすことは、短期的に経済成長を促進する可能性がありますが、長期的な経済成長には繋がりません。むしろ、インフレなどの問題を引き起こす可能性もあります。
4. その他のポイント
赤字国債: 政府が赤字財政を続けている場合、発行する国債も赤字国債となります。赤字国債の発行は、将来世代への負担となるため、慎重な議論が必要です。
日銀の国債保有: 日銀は、金融政策の一環として国債を大量に保有しています。これは、金利を低く抑えるためです。しかし、日銀の国債保有比率が高すぎると、財政規律の緩和や金融システムの不安定化懸念などが指摘されています。
安倍元首相の発言: 安倍元首相は、「日銀は政府の子会社だから、いくらでも国債を買い取らせればいい」と発言したことがあります。しかし、これは誤解に基づく発言であり、日銀の独立性を損なう可能性があるとして批判されています。
結論
国債発行と通貨発行は、それぞれ異なるメカニズムを持つ経済政策ツールです。国債発行が単に通貨量を増やすわけではないことを理解し、財政政策と金融政策の役割を正しく認識することが重要です。
情報源
https://www.mof.go.jp/
https://www.boj.or.jp/about/outline/
https://en.wikipedia.org/wiki/MMT
経常収支序説 (再掲)
質問: 今般の衆議院選挙の結果を受けて、安倍政権の経済政策が信任され、結果、日銀が緩和を継続すれば、世界経済への流動性供給の源であり続けることになり、特に、金利上昇の影響を受けやすいアジアの新興市場に日本発の流動性が流れ込むだろうという指摘もあります。 ここで、松原隆一郎先生は、「経常収支と金融収支は一致する」と書いておられるわけですが、実際に物(ブツ)が輸出入される、という実物経済と、例えば日銀が金融緩和で世界にマネーを垂れ流して世界の利上げ傾向に逆行する、という国際金融の話を、同じ土俵で括るのが適切なのか、という疑問が生じました。 回答:経常収支は一国で実物取引が完結せず輸出入に差があることを表現する項目です。日本のようにそれが黒字である(輸出が輸入よりも大きい)のは商品が外国に売れて、外国に競り勝って良いことのように見えるかもしれませんが、別の見方をすれば国内で買われず売れ残ったものを外国に引き取ってもらったとも言えます。国内では生産しカネが所得として分配されていて購買力となっているのに全額使われなかったのですから、その分は貯蓄となっています。つまり実物を純輸出しているとは、同時に国内で使われなかった貯蓄も海外で使わねばならないことを意味しているのです。こちらが金融収支なので、「経常収支と金融収支が一致する」のは同じことの裏表に過ぎません。 そこでご質問は、「日銀が国債を直接引き受けたりして金融緩和し続けている。このことは経常収支・金融収支とどう関係があるのか?」ということになろうかと思われます。けれども日銀はバランスシートというストックのやりとりをしており経常収支・金融収支はフローのやりとりなので、概念としては次元が異なります(「スピード」と「距離」に相当)。すなわち、金融収支はフローであり、日銀の金融緩和はストックなので、同じ水準では扱えないのです(スピードに距離を足すことはできない)。 しかしストックとフローにも影響関係はあるのではないかという考え方も確かにあり、そもそも一国内に限ってそれを金融資産の需給(ストック)と財の需給(フロー)が金利で結ばれるという考え方を示したのがケインズの『雇用・利子・貨幣の一般理論』でした。とすればその国際経済版が成り立つのかは重要な問題ではあります。この論点は多くの研究者が気になるようで、奥田宏司「経常収支,財政収支の基本的な把握」www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/Vol.26-2/09_Okuda.pdf が論じています。参考にしてください。 https://jp.reuters.com/article/japan-economy-idJPKCN1QP0DX
財政学@新潟大学 後日談 (再掲)
俺:先週末の2日間、大変貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。 大変勉強になりました。 家に帰ってから、プライマリーバランスについて調べたのですが、少し疑問が生じたので、質問させていただきます。 「財政状況を示す指標の1つで,プライマリー・バランス均衡とは,利払費・債務償還費を除いた歳出が公債金収入以外の歳入で賄われている状態を指す。この場合,現世代の受益と負担が均衡していることになる。プライマリー・バランス均衡の状態で,金利と名目GDP成長率が等しければ,債務残高の対GDP比は一定に保たれる。 有斐閣経済辞典第4版」 とあるのですが、まずプライマリーバランスを実現しないことには、いくら名目GDP成長率が金利を上回っていても、債務残高は、長期的に見れば発散してしまうのでしょうか? 私も勉強不足で、少し曖昧な質問になってしまい恐縮ですが、ご回答たまわれれば幸いです。 新潟大学 根岸睦人先生より:小林さん 新潟大学の根岸です。先日はお疲れさまでした。 早速ですが、質問にお答えします。 >まずプライマリーバランスを実現しないことには、いくら名目GDP成長率が金利を上回っていても、債務残高は、長期的に見れば発散してしまうのでしょうか? いいえ、必ずしもそうではありません。仮にプライマリーバランス(PB)が赤字(利払い費の規模を超える債務残高の増加)でも、債務残高の増加率を上回るGDPの成長率が実現すれば、債務残高の対GDP比は低下します。 PBのバランスと、利子率と名目成長率の関係の両面で考える必要があります。 (以下 google bard より回答) 根岸先生の回答は、以下のとおりです。 プライマリーバランスが赤字でも、債務残高の対GDP比が低下する可能性がある プライマリーバランスとは、利払い費を除いた歳出が公債金収入以外の歳入で賄われている状態を指します。プライマリーバランスが赤字であれば、利払い費の規模を超える債務残高の増加となります。 しかし、仮にプライマリーバランスが赤字でも、債務残高の増加率を上回るGDPの成長率が実現すれば、債務残高の対GDP比は低下する可能性があります。 例えば、プライマリーバランスが年間100億円の赤字で、債務残高が1兆円、名目GDP成長率が5%である場合、債務残高は年間500億円増加します。しかし、名目GDPが年間6%成長すれば、債務残高の対GDP比は低下します。 つまり、プライマリーバランスの赤字と債務残高の対GDP比は、単純に比例関係にあるわけではありません。 プライマリーバランスの赤字を縮小し、利子率と名目成長率の両面で対策を講じる必要がある ただし、プライマリーバランスが赤字の状態が続くと、いずれは利払い費が債務残高の増加額を上回るようになり、債務残高の対GDP比が急速に上昇する可能性があります。 そのため、プライマリーバランスの赤字を縮小し、利子率と名目成長率の両面で対策を講じる必要があります。 小林さんの質問に対する回答 小林さんの質問に対する回答は、以下のとおりです。 まずプライマリーバランスを実現しないことには、いくら名目GDP成長率が金利を上回っていても、債務残高は、長期的に見れば発散してしまうのでしょうか? はい、必ずしもそうではありません。仮にプライマリーバランスが赤字でも、債務残高の増加率を上回るGDPの成長率が実現すれば、債務残高の対GDP比は低下する可能性があります。 ただし、プライマリーバランスが赤字の状態が続くと、いずれは利払い費が債務残高の増加額を上回るようになり、債務残高の対GDP比が急速に上昇する可能性があります。 そのため、プライマリーバランスの赤字を縮小し、利子率と名目成長率の両面で対策を講じる必要があります。 根岸先生の回答のまとめ 根岸先生の回答は、プライマリーバランスの赤字と債務残高の対GDP比の関係について、以下の2点が重要であると述べています。 プライマリーバランスの赤字と債務残高の対GDP比は、単純に比例関係にあるわけではない。 プライマリーバランスの赤字を縮小し、利子率と名目成長率の両面で対策を講じる必要がある。 この回答は、日本の財政状況を考える上で重要な指摘です。
バラッサ・サムエルソン仮説 (再掲)
消費バスケットを構成する貿易可能財では、国際貿易を通じた裁定取引により国際的な一物一価が生じる一方、サービスなどの非貿易可能財では国際的な裁定取引が行われない。日本での非貿易可能財価格は国内の生産投入費用、特に実質賃金により決定される。 貿易可能財産業で高い労働生産性の伸び率を達成した高所得国は、その高い労働の限界生産性から国内実質賃金がすべての国内産業で高い。高所得国の非貿易可能財価格は低所得国より高くなり、同所得国の実質為替レートは増価する。 日経新聞「経済教室」2022/1/26 より https://imidas.jp/genre/detail/A-109-0085.html
https://jp.reuters.com/article/column-kazuo-momma-idJPKBN2FB0CH
バードに聞いてみた その1 補訂 (再掲)
質問:賃上げは本来、バラッサ・サムエルソン仮説に基づき、高付加価値品の輸出を通じて実現されるべきではないでしょうか?日本のように主にコスト・プッシュインフレによる賃上げにどのような意味があるのでしょうか? 回答:バラッサ・サムエルソン効果とは、貿易財部門の生産性上昇率が高い国では、一般物価水準が外国と比べて上昇すると同時に、実質為替相場が増価する効果を意味します。この効果は、貿易財部門で生産性が上昇すると、貿易財部門の賃金が上昇しますが、非貿易財部門では生産性が上昇していないため、非貿易財価格が上昇し、一般物価水準が上昇するというメカニズムによって生じます。 賃金は、労働市場の需給関係によって決定されます。労働需要が労働供給を上回ると賃金は上昇し、労働供給が労働需要を上回ると賃金は下落します。 コストプッシュインフレとは、生産コストの上昇によって生じるインフレです。生産コストの上昇の原因としては、原材料価格の上昇、労働コストの上昇、エネルギー価格の上昇などが挙げられます。 日本では、近年、賃上げがコストプッシュインフレによって主に実現されています。これは、日本では労働市場が需給ギャップが縮小する中で賃上げが行われており、生産コストの上昇が賃上げに転嫁されているためです。 バラッサ・サムエルソン効果に基づくと、賃上げは本来、高付加価値品の輸出を通じて実現されるべきです。しかし、日本では、賃上げがコストプッシュインフレによって主に実現されているため、高付加価値品の輸出を通じた賃上げ効果は小さくなっています。これは、日本の貿易構造が、輸入品との競争が激しい労働集約型産業に偏っているためです。 日本の賃上げがコストプッシュインフレによって主に実現されていることは、いくつかの問題を引き起こしています。第一に、コストプッシュインフレは、輸入品を多く消費する家計にとって、実質所得の減少につながります。第二に、コストプッシュインフレは、企業の国際競争力の低下にもつながります。第三に、コストプッシュインフレは、インフレ期待の悪化につながり、長期的なインフレ率の上昇につながる可能性があります。 (以下 google bard より回答) ご質問ありがとうございます。 賃上げは、労働者の生活水準を向上させ、経済成長を促進する重要な役割を果たします。バラッサ・サムエルソン効果に基づくと、賃上げは本来、高付加価値品の輸出を通じて実現されるべきです。これは、高付加価値品の輸出によって、貿易財部門の生産性上昇が促進され、それが賃金上昇につながるためです。 しかし、日本では、近年、賃上げがコストプッシュインフレによって主に実現されています。これは、日本では労働市場が需給ギャップが縮小する中で賃上げが行われており、生産コストの上昇が賃上げに転嫁されているためです。 日本の賃上げがコストプッシュインフレによって主に実現されていることには、いくつかの意味があります。 第一に、コストプッシュインフレは、輸入品を多く消費する家計にとって、実質所得の減少につながります。これは、輸入価格の上昇によって、家計の購買力が低下するためです。 第二に、コストプッシュインフレは、企業の国際競争力の低下にもつながります。これは、輸出価格が上昇すると、競争力のある外国企業との価格競争において不利になるためです。 第三に、コストプッシュインフレは、インフレ期待の悪化につながり、長期的なインフレ率の上昇につながる可能性があります。これは、企業や家計が将来のインフレ率が上昇すると予想すると、現在の消費や投資を拡大し、それがインフレ率の上昇を促進するためです。 したがって、日本では、賃上げがコストプッシュインフレによって主に実現されていることは、いくつかの問題を引き起こしています。 では、日本はどのようにして、賃上げをバラッサ・サムエルソン効果に基づいて実現できるのでしょうか。 一つの方法は、日本の貿易構造を、高付加価値品の輸出にシフトすることです。これは、日本の製造業の競争力を強化し、貿易財部門の生産性上昇を促進することで、賃上げを実現できる可能性があります。 もう一つの方法は、賃上げを労働市場の需給関係に基づいて行うことです。これは、労働市場の需給ギャップを拡大することで、賃上げを実現できる可能性があります。 いずれにしても、日本が持続的な賃上げを実現するためには、労働市場の改革や貿易構造の転換など、さまざまな施策が必要になると考えられます。
オラオラ (再掲)
グーグルブログに広告乗っけるのって、 意外と難易度高いらしいから、 乗っけることにした。 鬱陶しいし、どうせカネにもならないんだけど、 マトモなサイトであるとグーグルが判断した 証拠にもなるので。 特に、カネに関する内容の記事は、 厳しく審査されるらしい。 https://www.iscle.com/web-it/g-drive/adsense/no-diary.html
2024年4月16日火曜日
ベンヤミンと貧困 (再掲)
ベンヤミンは、「手」にもとづく認識の成果としての技術の巨大な発展が全く新しい貧困状態をもたらしたと指摘している。 「技術の巨大な発展とともに、まったく新しい貧困が人類に襲いかかってきたのである。」(「貧困と経験」『著作集』第1巻) 技術は不断の発明・発見によって次々に新しいものを作り出しては古いものを破壊していく「創造的破壊」(creative destruction)(シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』)をもたらす。 機械は急速に進化していき、不断に「倫理的摩滅」にさらされている。(『資本論』第1巻、P.528参照)それとともに人間の生活を支えている周囲の事物はことごとく変化してしまうならば、人間はもはや自らの過去の経験を頼りにすることができず、つねに最初から新たにやり直すしかなくなってしまう。 「まだ鉄道馬車で学校へかよったことのあるひとつの世代が、いま、青空に浮かぶ雲のほかは何もかも変貌してしまった風景のなかに立っていた。破壊的な力と力がぶつかりあい、爆発をつづけているただなかに、ちっぽけなよわよわしい人間が立っていた。・・・これはそのまま、一種の新しい野蛮状態を意味する。野蛮?そのとおりである。・・・経験の貧困に直面した野蛮人には、最初からやりなおしをするほかはない。あらたにはじめるのである。」(「経験と貧困」)これは、1933年の「経験」状況である。 ベンヤミンは、人生における経験がゆっくりと時間をかけてつくられていくような「完成する時間」に対して、「永劫回帰」する時間を対置する。「・・・完成する時間・・・は、着手したものを完成することを許されないひとびとが住む地獄の時間と対をなしている。」(「ボードレールのいくつかのモチーフについて」『著作集』第6巻)
https://www.youtube.com/watch?v=yOsdAfs1Ufo
日銀はいつまで相場を騙せるかー補訂
円安が進んでますね。
植田日銀が、YCCからの脱却を示唆するとかでない限り、
日銀は利上げする気がないと思われたら、
円安が止まらなくなる可能性がある。
それは、見方を変えれば、
N個の政策課題に対して、N-1個の政策手段しか持っていないんだから、
もぐら叩きのように
どこかで必ず弱点が出てくる。
実務のことはよくわからないが、
YCCから脱却するには、市場を欺き続ける必要があるので、
オーストラリア中銀のように、経済が大変な混乱を来すと、
東短リサーチの加藤出さんなどは主張している。
これも、大規模金融緩和の失敗を示している。
(以下 日経新聞 2023/5/19 経済教室より 《加藤出氏寄稿》 )
間もなく出口政策が
始まると
市場が予想したら、
ターゲットを変更するまで
中銀は
国債を無制限に買い支えなければ
ならず、
自身の
バランスシートを制御できなくなる。
(以下 Chat-GPTの回答)
円安に関するお話ですね。円安が進行する場合、植田日銀がYCC(イールドカーブコントロール)からの脱却を示唆しない限り、日銀は利上げする意向がないと思われます。その結果、円安が止まらなくなる可能性があります。この状況は、政策課題がN個ある場合に、N-1個しか政策手段を持っていないため、どこかで弱点が現れるということを意味しています。
YCCから脱却するには、市場を欺き続ける必要があります。加藤出氏など一部の専門家は、オーストラリア中銀のように経済が大きな混乱を引き起こす可能性があると主張しています。これは、大規模な金融緩和策の失敗を指摘しているとも言えます。
また、出口政策が市場予想より早く始まると、中銀は国債を無制限に買い支える必要があり、自身のバランスシートを制御できなくなる可能性があります。
(以下 google bard より回答)
はい、円安が進んでいますね。
植田日銀総裁は、YCC(イールドカーブコントロール)の堅持を明言しており、利上げを実施する意向はないとみられています。そのため、円安が止まらない可能性があるという指摘は、正しいと言えるでしょう。
YCCとは、国債の利回りを一定に抑えることで、金融緩和を継続する政策です。しかし、この政策は、金利差拡大による円安を招くというデメリットがあります。
YCCから脱却するには、市場を欺き続ける必要があると指摘されています。しかし、これは非常に困難な作業であり、経済に混乱を招く可能性もあります。
また、出口政策が市場予想より早く始まると、中銀は国債を無制限に買い支える必要があり、自身のバランスシートを制御できなくなる可能性があります。
円安が止まらない場合、日本経済にどのような影響が及ぶのでしょうか。
まず、輸入物価の上昇によるインフレが懸念されます。輸入原材料やエネルギー価格の上昇は、企業のコスト増加につながり、製品やサービスの価格上昇につながります。また、家計の生活費も増加し、実質的な所得が減少する可能性があります。
さらに、円安は輸出企業の収益を押し上げますが、輸入企業の収益は圧迫されます。そのため、輸出と輸入のバランスが崩れ、日本経済の成長率が鈍化する可能性もあります。
円安は、日本経済にとって大きなリスクであると言えるでしょう。
(以下 google gemini より回答)
円安が止まらない場合の日本経済への影響
円安が止まらない場合、日本経済に様々な影響が及ぶことが懸念されています。以下、主な影響について詳しく説明します。
1. インフレの加速
円安は、輸入物価の上昇を招き、インフレを加速させる要因となります。特に、エネルギーや食料などの生活必需品の価格上昇は、家計の負担を重くし、景気悪化を招く可能性があります。
2. 企業収益への影響
輸出企業にとっては、円安は追い風となります。輸出商品の価格が円建てで高くなり、収益が向上するからです。一方、輸入企業にとっては、円安は逆風となります。輸入原材料や部品の価格が円建てで高くなり、収益が圧迫されるからです。
3. 景気悪化
家計の負担増加と企業収益の悪化は、景気悪化につながる可能性があります。特に、中小企業は円安の影響を受けやすく、経営悪化に陥るケースも考えられます。
4. 金融市場の混乱
円安が急速に進展した場合、金融市場が混乱する可能性があります。投資家はリスク回避心理から株式や債券を売却し、安全資産である円を買い増す動きが活発化する可能性があります。
5. 政府の財政悪化
政府は、海外からの債権返済のために、より多くの円を調達する必要が生じます。これは、財政赤字の拡大につながる可能性があります。
政策対応
円安の影響を緩和するために、政府や日銀は様々な政策手段を講じることが考えられます。
金融緩和の縮小: 日銀は、YCC(イールドカーブコントロール)の修正や、短期的金利の引き上げなどを通じて、金融緩和を縮小する可能性があります。これは、金利差拡大を抑え、円安の進行を抑制する効果が期待できます。
財政出動: 政府は、景気対策や物価対策などの財政出動を行う可能性があります。これは、家計や企業の負担を軽減し、景気下支えの効果が期待できます。
輸入促進政策: 政府は、輸入促進政策を実施することで、輸入の増加を促し、円安の影響を緩和する可能性があります。
まとめ
円安は、日本経済にとって様々なリスクをもたらします。政府や日銀は、適切な政策対応を講じることで、円安の影響を緩和し、経済の安定化を図ることが重要となります。
なお、上記の情報は、2024年4月16日時点のものであり、今後の経済情勢や政策動向によって変化する可能性があります。
旬報社 (再掲)
もし、 日銀が目的としている 2%の物価上昇が 実現した場合、 国債の発行金利が 2%以上になるか、 利回りが 最低でも 2%以上になるまで 市場価格が下がります。 なぜなら、 実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) が マイナスの (つまり保有していると 損をする) 金融商品を買う 投資家はいない からです。 国債 (10年物) の利回りは 0.1%程度 (2018年11月現在) ですが、 それが 2.1% に上昇した場合、 何が起こるでしょうか。 政府の 国債発行コストが 跳ね上がるのは もちろんですが、 より重要なことは、 国債価格が暴落し、 国債を大量に保有している 銀行に莫大な評価損が 出ることです。 「経済の論点」 旬報社 72ページより
2024年4月15日月曜日
2024年4月10日水曜日
ラジオ疲れ
ラジオって、どうも
普通の生活をしてる
ひとが
テレビを見なくなる
時間帯、つまり
深夜とかに
面白い
放送してたりするので、
夜ふかしには
最適ですが、
そのぶん
寝付きが悪くなるし、
日中疲れますね。
やっぱり、人間って
新しい道具を
手に入れると、
痛い目みるまで
使い続けますよね。
自分の場合、
要するに
真夜中に
韓国KBSのラジオ放送
聴いて
テンションあがってるって
話ですけど。
けっこう
聴き取れるのは
嬉しい限りですが、
気をつけないと
日中
動けなくなる。
2024年4月9日火曜日
ラジオ
2015年に
放送大学を
始めるにあたって、
超気合
入れまくって
1万円もする
ラジオを
買ったのですが、
ずっと
使わずに放置
していました。
インターネットで
自由に放送授業を
視聴できるから。
でも、
最近テレビを見ているだけで
疲れてしまう、というか、
テレビって
まず
音でも煽ってくるし、
映像もキツイし、
とにかく
疲れる、ということに
気づいて、
じゃあ
ラジオでも聴くか、と
思って
放置していた
ラジオを使い始めました。
さすがに
1万円もする
ラジオだけあって、
色々と
機能がついていて、快適です。
まず、
確実に
電波をキャッチしてくれる。
そして、
何よりいいのは、
選局するのに、
ダイヤルもついているが、
ボタンを押せば
自動で
局に合わせてくれるのが
素晴らしい。
昨晩から
聴き始めましたが、
自分みたいに
気ままな
時間の使い方をしている、
つまり
深夜起きていることが
多い
人間にとっては、
このうえなく
重宝します。
ジャズやミュージカルや洋楽が
流れていたりと、
飽きません。
なにより、
韓国のKBS放送の
音声をキャッチしてくれるので、
韓国語の勉強にも
なります。
当然
日本人むけに
加工されていない
ナマの
音声なので、
(さすがに20年も
勉強しているので)
聴き取れたりすると
テンションあがります。
あと、
テレビでは
なかなか
言えないようなことも
言っていたりして、
そこも
楽しい。
たまに
芸人が軽口叩いて
炎上したりしていますが、
あんまり
ラジオにまで
ポリコレ浸透させると、
ラジオまで
つまんなくなるので、
ほどほどにして、
ラジオぐらいは
好きなように
喋って欲しいですね。
それに、
結構
教養に関することも
多くて、
それも
楽しいです。
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妄想卒論その7 (再掲)
「ウォール街を占拠せよ」 を 合言葉に 米国で 反格差のデモが広がったのは 2011年。 怒りが新興国に伝播し、 米国では 富の集中がさらに進んだ。 米国の 所得10%の人々が得た 所得は 21年に全体の46%に達した。 40年で11ポイント高まり、 ...
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2021年の大河ドラマは、渋沢栄一を扱っていたが、蚕を飼って桑の葉を食べさせているシーンがあったが、蚕を飼うということは、最終的に絹を作って、輸出するということだから、既に世界的な市場と繋がっていて、本を辿れば、あの時代に既に農家も貨幣経済に部分的に組み入れられていたということ。...
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もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。なぜなら、実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) がマイナスの (つまり保有していると損をする) 金融商品を買う投資家はいな...