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「おのれ自身を理解していない思想だけが、本物である。」 テオドール・W・アドルノ

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母親の回復具合を見て、 来年こそは 公務員試験にチャレンジ しようかどうしようか、 なんて考えてたけど、 どっちでもええわ。 どっちにしても 日本の命運が変わるわけでもないし。 1日3回ヘルパーさんが来てくれて、 まあ、 年齢層高めの女性だけど、 みんな可愛がってくれるし、 なんか だんだん気分良くなってきた。 あれ、このテンション久しぶりだな、て。 もっと若ければ、 こんな境遇で満足していたらイカン!と 思ってただろうけど、 もう40超えてますからね。 どっちにしろ 人生の方向性は大方決まってるし、 それで ハメを外して道を誤るってことも ないだろうし、 まあいいか! という感じです。 母親を見守るっていう 役目も果たせるしね。 https://www.youtube.com/watch?v=KZckLy6FKCA

抜書き

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「abjectは、subjectあるいはobjectをもじった造語です。 ab-という接頭辞は、『離脱』という意味があります。 母胎の原初の混沌、 闇に由来し、 subject/object の二項対立に収まり切らなかったもの、 それを排除しないと 秩序や合理性が成り立たないので、 抑圧され、ないことに されてしまう要素を abject と言います。」 「ゲーテ『ファウスト』を深読みする」(仲正昌樹 明月堂書店 p.164)より

「ポピュリズムとは何か」(中公新書)締めくくり

「デモクラシーという品のよいパーティに出現した、 ポピュリズムという泥酔客。 パーティ客の多くは、この泥酔客を歓迎しないだろう。 ましてや手を取って、ディナーへと導こうとはしないだろう。 しかしポピュリズムの出現を通じて、 現代のデモクラシーというパーティは、 その抱える本質的な矛盾をあらわにしたとはいえないだろうか。 そして困ったような表情を浮かべつつも、 内心では泥酔客の重大な指摘に 密かにうなづいている客は、 実は多いのではないか。」

「ポピュリズムとは何か」 (中公新書)より 重要な論点

「国際都市ロンドンに集うグローバル・エリートの対極に位置し、 主要政党や労組から『置き去り』にされた人々と、 アメリカの東海岸や西海岸の都市部に本拠を置く 政治経済エリートや有力メディアから、 突き放された人々。 労働党や民主党といった、 労働者保護を重視するはずの政党が グローバル化やヨーロッパ統合の 推進者と化し、 既成政党への失望が広がるなかで、 既存の政治を正面から批判し、 自国優先を打ち出して EUやTPP,NAFTAなど 国際的な枠組みを否定する急進的な主張が、 強く支持されたといえる。」

「ポピュリズムとは何か」 中公新書 より

「近年語られてきた、『階級なき社会』『今やみんなが中産階級』という 言説は幻想にすぎないのであって、 現実には一部の人に富が集中する一方、 格差と困窮が広がっていることを彼は指摘する。 しかも自己責任原則が広まり、 就労優先政策が浸透するなかで、 職に就くこともままならない労働者階級の人々には 『怠惰』とのレッテルが貼られ、 社会的な批判が向けられている。 しかし、実際には産業構造の転換によって 不本意ながら職を失った労働者に 批判を向けるのはお門違いであり、 むしろ深刻な社会的分断を招いている、 と彼は論じる。」

「ポピュリズムとは何か」 中公新書 より 

「ここには、VBにおける演劇批判と同様の、 『エリート文化』の『独占性』に 対するポピュリズム的な批判を見てとることができる。 批判される対象が、フランデレンの場合は 前衛的で多文化主義志向の演劇であり、 大阪の場合は典型的な 伝統芸能であるという点では、 批判の矛先がそれぞれ逆を向くように見える。 しかし いずれの芸術も、高度の技能を持つ専門家たちによって 担われており、 公的な保護や財政支援の対象となりつつも、 必ずしも『大衆受け』するものになっていないという 現状がある。 そこが 『大衆のための芸術』を 求めるVBや 橋下市長により、 批判の対象とされたといえよう。」

ポピュリズムとは何か 中公新書

ネットで 「ルサンチマン 政治」で ググってみたところ、 色々出てきましたが、 これだ! という検索結果が得られなかったものの、 シャンタル・ムフ、という どこかで聞いた 名前が出てきたので、 Amazonで 検索かけたら、 関連図書で、 「ポピュリズムとは何か−民主主義の敵か、改革の希望か」 (水島治郎 中公新書) が 引っかかって、 サンプルを読んでみたら、 面白そうだから、 購入して キンドルにダウンロードして、 読んでます。 石橋湛山賞を受賞しているだけあって、 文章も軽妙、 含意するところも深いです。 新書だから安いしね。 ウキウキ♪ これだ! 「エリートに対する人々の違和感の広がり、 すなわちエリートと大衆の『断絶』こそが、 ポピュリズム政党の出現とその躍進を可能とする。 ポピュリズム政党は、既成政治を既得権にまみれた一部の人々の占有物として描き、 これに『特権』と無縁の市民を対置し、 その声を代表する存在として自らを提示するからである。」 「二十世紀末以降進んできた、産業構造の転換と経済のグローバル化は、 一方では多国籍企業やIT企業、金融サービス業などの発展を促し、 グローバル都市に大企業や高所得者が集中する結果をもたらした。 他方で経済のサービス化、ソフト化は、規制緩和政策とあいまって 『柔軟な労働力』としてのパートタイム労働や派遣労働などの 不安定雇用を増大させており、低成長時代における 長期失業者の出現とあわせ、 『新しい下層階級』(野田昇吾)を生み出している。」

「ロジャー・アクロイドはなぜ殺される?ー言語と運命の社会学」 内田隆三 岩波書店 p.485

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読者が物語のなかに入り込み、物語のなかの人物が読者に暗号を送る。 物語とはおよそこんなものなのかもしれない。 実際、物語言説はしばしばこういう世界へのひらかれ方をしているように思える。 語り手は容易に物語のなかに入り込み、またそこから抜け出すなどして、 じつは読者が属する現実もまた寓話の奥行きをもったゲームであることが暗示される。 物語の経験とは、このような暗示の光に一瞬であれ、自分の生が照らし出されることをいうのかもしれない。 だがいまは、多くの人々がこうした奥行きのない現実を生きているかのようであり、 またその痩せた現実の裸形を精確に復元することがリアリズムであるかのように思われがちである。 しかしリアリズムの愉しみのひとつは、精確な作業のはてに、現実を現実にしている、 触れると消える<影>のような次元に接近することではないだろうか。

「不良少年とキリスト」坂口安吾 より

歯は、何本あるか。これが、問題なんだ。人によって、歯の数が違うものだと思っていたら、そうじゃ、ないんだってね。変なところまで、似せやがるよ。そうまで、しなくったって、いゝじゃないか。だからオレは、神様が、きらいなんだ。なんだって、歯の数まで、同じにしやがるんだろう。気違いめ。まったくさ。そういうキチョウメンなヤリカタは、気違いのものなんだ。もっと、素直に、なりやがれ。 よく、数学とか物理が好きな人で、この世はすべてキレイな数式で表せるから美しいとか、樹木の葉の並び方には規則性があって・・・みたいなこと言うけど、俺にはそういう感覚はわかんねーわ。 世の中ってもっと不条理なもんなんじゃねーのか? そのほうが健全な気がする。

アドルノと漱石

代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩おおう強い香かの中に、残りなく自己を放擲ほうてきした。彼はこの嗅覚きゅうかくの刺激のうちに、三千代の過去を分明ふんみょうに認めた。その過去には離すべからざる、わが昔の影が烟けむりの如く這はい纏まつわっていた。彼はしばらくして、 「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云った。こう云い得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故なぜもっと早く帰る事が出来なかったのかと思った。始から何故自然に抵抗したのかと思った。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出みいだした。その生命の裏にも表にも、慾得よくとくはなかった、利害はなかった、自己を圧迫する道徳はなかった。雲の様な自由と、水の如き自然とがあった。そうして凡すべてが幸ブリスであった。だから凡てが美しかった。  やがて、夢から覚めた。この一刻の幸ブリスから生ずる永久の苦痛がその時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失った。彼は黙然もくねんとして、我と吾手わがてを眺めた。爪つめの甲の底に流れている血潮が、ぶるぶる顫ふるえる様に思われた。彼は立って百合の花の傍へ行った。唇が弁はなびらに着く程近く寄って、強い香を眼の眩まうまで嗅かいだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香に咽むせて、失心して室へやの中に倒れたかった。 (夏目漱石「それから」14章) もっとも、アドルノが主観と客観との絶対的な分離に敵対的であり、ことにその分離が主観による客観のひそかな支配を秘匿しているような場合にはいっそうそれに敵意を示したとは言っても、それに替える彼の代案は、これら二つの概念の完全な統一だとか、自然のなかでの原初のまどろみへの回帰だとかをもとめるものではなかった。 (93ページ) ホーマー的ギリシャの雄大な全体性という若きルカーチの幻想であれ、今や悲劇的にも忘却されてしまっている充実した<存在>というハイデガーの概念であれ、あるいはまた、人類の堕落に先立つ太古においては名前と物とが一致していたというベンヤミンの信念であれ、反省以前の統一を回復しようといういかなる試みにも、アドルノは深い疑念をいだいていた。『主観‐客観』は、完全な現前性の形而上学に対する原‐脱構築主義的と言っていいような軽蔑をこめて、あらゆる遡行的な憧憬に攻撃をくわえている。 (94ページ) 言い...

「ファウスト」を深読みする

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待ちに待って、 やっと届いた。 明月堂書店は 初めてだけど、 書籍って、 出版社によっても 個性がぜんぜん違うよね。 あと、 本の作りも。 ちょっと読んでみた感じ、 作品社の 「○○入門講義」系の パワーワードが ズバーン!ズバーン!と 出てくる感じとは違って、 著者の ほっこりした感じが 伝わってくるような、 売れることよりも、 長く愛されることを 狙っているような、 そんな感じですね。 装丁の感じからいうと、 紙が柔らかくて、 綴じがしっかりしているので、 あまり ページ数が多いと、 かえって 読みにくいですね。 まあ 御託はいいから、 読んでみましょう。 ・・・うん。 面白い。 さすがナカマサ先生。 期待を裏切らない。 ・・・まだ途中なんだけど、 ゲーテ以来の ドイツ文学・哲学における 「母胎回帰」のイメージ というのは、 ほんとに 理性以前の世界、 こんなこと言うと陳腐な表現なんだけど、 読んでるうちに、 夏目漱石の「それから」の 代助が百合にむせぶシーンと、 すごく 通底するものを感じる。 森本先生が、 それを 三千代との姦通への決意、つまり スプリングボードとした、 と 仰るのと、 とても 平仄を合わせている感じがする。 実際、 ファウストは メフィストフェレスと「契約」を 結んでやりたい放題やるわけだからね。 この一冊には、 ゲーテ以降の ドイツ的思想の エッセンスが詰まっている感がある。 尤も、 自分の現代ドイツ思想のほとんどを、 ナカマサ先生の著作から 得ているのだから、 ある意味当たり前かも知れないが。 ・・・よっしゃー!!! とりあえず、ここまでは 今日中に読まないと、 眠りたくても眠れない、 ってところまでは 読み終えた。 今まで たびたび 仄めかされてはいたが、 ハッキリと わかりやすい形で 表明されて来なかった、 ナカマサ先生流の 「貨幣論」が 明快に展開されていて、 腑に落ちた。 そんなに アクロバティックな話じゃないけど、 これを書くために、 アドルノやら、 「アンチ・オイディプス」やら、 色んな紆余曲折を経て、 ようやく こんなシンプルなことが...

インタゲと増税はワンセット

そもそも、 インタゲは 物価を上げることを 目標(ターゲット)にしていて、 それが成功して、 物価が上昇しても、 経済成長が伴わない 物価上昇は 人々の 負担になるから、 財政出動が期待される、 それと 同時に、 財政規律を守るためには、 増税が 求められる。 と、 いうことは、 このブログでも 「政策割当の原理」で 数え切れないくらい 投稿してきたけど、 防衛費捻出のためとはいえ、 いずれにせよ インタゲによって 物価が上昇すれば、 否応なく 増税という結果が 待っているのに、 いざ 物価が上がって、増税、という話になると、 文句をいう、 というのは、 経済学に無知としか言いようがない。 安倍は 国債発行して日銀に買わせれば いくらでも 資金調達できる、などと 詭弁を弄していたし、 御用学者が、 MMTだの 三橋貴明だの、 高橋洋一だの、 自国通貨建てで国債発行できるから日本は絶対財政破綻しないだの、 ありとあらゆる 屁理屈で、 人々の目を現実から逸らし続けてきた。 そろそろ 現実に目を向けざるを得ない時が 来たんじゃないか?

MUROMACHI

「室町将軍の権力ー鎌倉幕府にはできなかったこと」(朝日文庫 本郷恵子) を読んでます。 本郷和人先生の奥さんであり、 職場の上司でもあるそうです。 文庫本だから 高くないし、 内容も 読みやすい。 旦那さんが 鎌倉時代を専門としていて、 奥さんは 室町時代の専門家であるようですね。 本郷和人先生の 「北条氏の時代」も いい本でしたね。 値段から言っても、 内容的にも コスパ抜群でした。 日本中世史がわかんねー、と モヤモヤしていた原因がやっと わかったんだが、 いわゆる ご恩と奉公っていう関係で、 具体的には 土地を安堵してもらうことがご恩なわけだけど、 結局それってお金に換算するといくらなの? というのがわからなかった。 と、いうのは、 具体的に金額に換算してもらわなかったら ご恩が具体的にどれくらいに相当するのが わからないじゃないか、 と(漠然と)思っていた。 しかし、これは ある意味愚問だった。 なぜなら、 明治期の地租改正まで、 土地の価値は 基本的に 米の収穫量で決まっていたのだから。 そして、 江戸時代においては、 わざわざ 農民から徴税した米を、 金銭に替えて武士に俸給していたのだから、 現在と同じ感覚で 捉えてはいけない。 とはいえ、 鎌倉時代でも、当然のごとく 土地のランク付けというものは あったのだろうから、 金銭以外の方法で 評価していたのだろう。 それはやはり、土地の収益力、ということになるんだろう。 ここで勘違いしてはならないのは、 鎌倉時代に、 ちょうど モンゴル帝国に南宋が滅ぼされると、 大量の宋銭(銅銭)が日本に流入し、 未発達ながらも 貨幣経済が浸透し始めたこと。 室町時代にはさらに 土倉などの 金融業者が発達することは 周知の通りだが、 それは この本を読み進めてから考えよう。 とはいえ、 「北条氏の時代」を 読んだ限りでは、 土地の売買も普通に行われていたし、 対価が貨幣だったかまでは記憶にないが、 そもそも 鎌倉幕府の存在意義の柱のひとつは、 武士の土地争いを、 裁判をちゃんとやって確定させることにあったのだから、 単純に ご恩に報いていただけ、とは到底言えないだろう。 こ...

kindle

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「東大なんか入らなきゃよかった」っていう本 読んでます。 こんなリアルに 東大生の実態を 赤裸々に書いた本は、 今まで 出くわしたことがない。 メガバンクに 就職して ウツになった人も 気の毒だな、とは 思ったけど、 最近不人気で 東大からの供給が減っている 官僚の世界も、 あまりに 理不尽で、 官僚が可哀想で仕方がない。 これじゃ 人気なくなるのも 当然だ。 読んでいて、これはフィクションか? と思った。 話が少しズレるけど、 自分は 精神を病んだから、 意味のわからないレールから 良くも悪くも 外れられたのかな。 なんて 思えてくる。 「東大なんか入らなきゃよかった。」 この本読むと、 掛け値なくそう思う。 もちろん、 武蔵には 東大以外に行くところがない、 というくらい 優秀な人がいて、 羨ましい限り なのは間違いないのだが、 下手に 官僚なんかになったら、 地獄が待ってる。 許しがたいのは、 政策立案能力なんか これっぽっちもないくせに、 選挙に受かりたいだけのために 官僚をテレビカメラの前で 公開リンチする バカ野党議員。 それだけじゃなく、 政権与党も、 安倍からして、 蓮舫へのディスすら 官僚に書かせて、 漢字も読めずに 読み間違える。 この国の統治機構は 明らかにおかしい。 ほんとこの国は終わってる。 ガーシーとか今すぐ辞めろ。 いらねー。 子供の頃から思ってたけど、 マスコミはマスコミで、 ネタに困ると すぐ 行政、あるいは官僚をバッシングする。 国民も喝采を浴びせる。 あれはマジでモラルハザードとしか言いようがない。 この国潰れるわ。 今だに 財務省の役人が悪で、それと戦う安倍さん、みたいな構図を信じてるバカがいるんだからね。 東大生も大変だな・・・ 翻って、自分は今ものすごくオイシイ位置取りにいることに気付かされる。 まったく働いてなくても 障害年金もらえるし、 母親と自分の 公的サポートで、 ヘルパーさんまで来て ぜんぶやってくれる。 勉強もしたい放題。 これ パラダイスじゃん。 そら、 障害年金もらえるレベルで 精神病むのもなかなか至難の業だけど、 正直 今朝方、 ...

青空文庫ー風博士

風博士 坂口安吾  諸君は、東京市某町某番地なる風博士の邸宅を御存じであろう乎か? 御存じない。それは大変残念である。そして諸君は偉大なる風博士を御存知であろうか? ない。嗚呼ああ。では諸君は遺書だけが発見されて、偉大なる風博士自体は杳ようとして紛失したことも御存知ないであろうか? ない。嗟乎ああ。では諸君は僕が其筋そのすじの嫌疑のために並々ならぬ困難を感じていることも御存じあるまい。しかし警察は知っていたのである。そして其筋の計算に由れば、偉大なる風博士は僕と共謀のうえ遺書を捏造ねつぞうして自殺を装い、かくてかの憎むべき蛸たこ博士の名誉毀損をたくらんだに相違あるまいと睨にらんだのである。諸君、これは明らかに誤解である。何となれば偉大なる風博士は自殺したからである。果して自殺した乎? 然しかり、偉大なる風博士は紛失したのである。諸君は軽率に真理を疑っていいのであろうか? なぜならば、それは諸君の生涯に様々な不運を齎もたらすに相違ないからである。真理は信ぜらるべき性質のものであるから、諸君は偉大なる風博士の死を信じなければならない。そして諸君は、かの憎むべき蛸博士の――あ、諸君はかの憎むべき蛸博士を御存知であろうか? 御存じない。噫呼ああ、それは大変残念である。では諸君は、まず悲痛なる風博士の遺書を一読しなければなるまい。     風博士の遺書  諸君、彼は禿頭である。然り、彼は禿頭である。禿頭以外の何物でも、断じてこれある筈はずはない。彼は鬘かつらを以て之の隠蔽をなしおるのである。ああこれ実に何たる滑稽! 然り何たる滑稽である。ああ何たる滑稽である。かりに諸君、一撃を加えて彼の毛髪を強奪せりと想像し給え。突如諸君は気絶せんとするのである。而して諸君は気絶以外の何物にも遭遇することは不可能である。即ち諸君は、猥褻わいせつ名状すべからざる無毛赤色の突起体に深く心魄を打たるるであろう。異様なる臭気は諸氏の余生に消えざる歎きを与えるに相違ない。忌憚きたんなく言えば、彼こそ憎むべき蛸である。人間の仮面を被り、門にあらゆる悪計を蔵かくすところの蛸は即ち彼に外ならぬのである。  諸君、余を指して誣告ぶこくの誹そしりを止やめ給え、何となれば、真理に誓って彼は禿頭である。尚疑わんとせば諸君よ、巴里パリ府モンマルトル三番地、Bis, Perruquier ショオブ氏に訊き給え。...

近代日本と石炭

どうしても、 近代日本の経済発展を語るとき、 絹糸やら綿糸が 主役になるんだけど、 やっぱり 良質の石炭が 特に 九州北部で 多量に 産出された メリットは 計り知れないほど 大きい。 しかも、 天然の良港に恵まれ、 そのうえ、 近くに 上海という 国際貿易の一大拠点が あったことも、 かなり アドバンテージになったのは間違いない。

経済教室

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昨日の経済教室も 素晴らしかったけど、 今日の経済教室も 面白かった。 渡辺努 東京大学教授 の寄稿。 日々これだけ 貴重な情報が 得られれば、 購読料は 決して高くない。 渡辺先生は 3つの「ステルス」を挙げる。 1つ目は、 いわゆる 「ステルス値上げ」。 これは、 イノベーショを阻害する。 2つ目は、 労働市場における 「ステルス値上げ」。 商品の「ステルス値上げ」にも関わらず、 賃金が上がらないなら、 労働者は、 自らが提供するサービスの質を低下させる、 という「ステルス値上げ」。 3つ目は、 金融市場における「ステルス利下げ」。 金利がこれ以上は無理、 というレベルまで低下したにも関わらず、 量的緩和を継続することは、 日銀による 国債の大量購入に支えられた、 政府のプロジェクトの質を低下させた。 いずれにせよ、 「価格」のシグナル効果を毀損することで、 市場の健全性を損なっている。