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9月, 2025の投稿を表示しています

「大人の流儀」 伊集院静 講談社 第1巻

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  三分の二くらいは読んだ。 ハア?このオッサンなにカッコつけてんの? とも言いたくなるかもだが、なんだかんだスッと入るところが多々あって、読み進めている。 決して悪い買い物ではなかった。 アナタの価値観いまどき通用しませんよ、と言われそうだが、結構、そうだよね、と首肯してしまう。 時代が変われば、その時代に沿う価値観が必要だが、それを作り上げるのは、我々責任世代のやることだ。 今日はもう眠いから、このへんで。 ・・・うーん。よく寝た。 もしかしたら、この作家の大ファンになってしまったかも知れない。 日本にこういう作家がいてくれて良かった、とすら思う。 (もう亡くなってしまったが。) 自分なんかはパンピー、つまり素人だから、かなり好き放題書けるが、作家という肩書で、世間に向かって偉そうなことをいう、というのは、かなりシンドいはずだ。 いわゆる、「風当たり」が強い。 このネットのご時世、なにかしら分かったような事を書くだけで、四方八方から総攻撃される。 なんやかんやと難癖もつけられる。 そこが、素人と職業作家との違いだろう。 それはともかく、読んでみて、生きるのが、かなり楽になった気がする。 ・・・日付がかわってしまったが、なんとか読み終えた。 期待値を遥かに超える、すばらしい一冊だった。 シリーズものだが、最初はこの一冊で単発にするものだったと思われる。 それくらい中身が濃かった。 じゅうぶん堪能できた。 こんなものが計10数冊あるのかと思うと、ちょっと気が遠くなる。

法治主義を否定する(当時)菅官房長官  増補

 質問:今年(2018年)8月21日に、菅官房長官が、記者会見で、携帯料金を4割値下げする、と発言し、 au をはじめとする携帯会社の株価が一時下落しました。  要件としては、 ①官房長官は行政庁か ②官房長官の記者会見は行政行為か ③損失を被った株主の原告適格、 の3つと考えられます。  一番の論点は②の官房長官の発言は行政行為か、と思われます。 仮に取消訴訟で勝って、官房長官の発言が無効とされたとしても、株価が戻るかは不確実で、損害賠償もしてもらえないとなれば、わざわざ訴訟を提起するのはデメリットのほうが大きくなってしまいます。  文字数制限の都合で、論理が飛躍している部分がありますが、ご容赦ください。  ご回答:ご質問ありがとうございます。 まず①との関係では、官房長官は行政庁には当たりません。 行政庁とは、行政主体(ご質問との関係では国)のために意思決定を行いこれを表示する権限を有するものをいう(印刷教材45頁)のですが、携帯電話事業に対する事業認可の権限をもっているのは総務大臣でして、官房長官が料金設定についての発言をしてこれが料金設定に影響を及ぼすとしても、それはあくまでも事実上のものだからです。 また、質問事項②については、 行政行為とは、 行政庁が法律に基づき一方的に国民や住民の権利義務の個別的・具体的な内容を直接確定する行政機関の活動形式をいう(印刷教材70頁参照)わけですが、 官房長官の記者会見は、法律に基づき国民や住民の権利義務の個別的・具体的な内容を確定するものということができませんので、 行政行為に該当するということができません。 さらに質問事項③につきましては、 原告適格以前に問題となることがあります。 それは、官房長官の発言が取消訴訟の対象となる「行政庁の処分」(行訴法3条2項)の要件を満たさない、ということです。 つまり、「行政庁の処分」とは、 「公権力の主体たる国又は公共団体が行う行為のうち、その行為によって直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいう」とされている(印刷教材170頁参照)のですが、 官房長官による記者会見での発言は、国民などの権利義務の個別的・具体的内容を確定するという法的な効果を発生させるものではないので、「行政庁の処分」とい...

「大人の流儀」 ー服従ー

 伊集院静の「大人の流儀」を、大人買いしてしまった。 それは、ある意味ミシェル・ウェルベックの「服従」のようかも知れない。 自分が躾けられてきた価値観が役に立たないから、古色蒼然とした、しかも他人が拵えた価値観に依存する、という。 自調自考を旨とする武蔵のOBとして、あってはならないことだ。 それでも、なにか「人生のマニュアル」のようなものが、無性に欲しくなった。 アマゾンでサンプルを読んで、はじめは「なんだ、このオッサンは。この程度の文章で文筆業として喰っていけるのか。楽勝だな。」とすら思った。 しかし、それでも、オトナとして、世間を生きていく上で、なにか「指針」となるものが、どうしても欲しくなった。 哲学やら文学やら、それなりに勉強してきたが、仮に古代ギリシアのような道徳哲学を学んだとしても、ガクモンである以上は、理詰めで考えるわけで、つまるところ、その時その時で、「考え」なくてはいけないのだ。 しかも、なにか積極的に「こうしなさい」と教えてくれるわけでもない。 (そもそも学問とはそういうものだ。) しかし、もういちいち「考える」ことに、疲れた。 「こういう時はこうしなさい」と言ってくれるほうが、正直ありがたい。 もういちいちその都度「考えて」いたら、身が持たない。 と、いうか脳がもたない。 言ってみれば、生き方のマニュアル本(⇐ひどい)みたいなものかも知れないが、ある程度「決めつけ」てくれたほうが、めちゃくちゃ楽なのだ。 もちろん、こんなことを、若いうちからやってはいけない。 若いうちは、とことん自分の頭で、身体で、考える機会がなくてはいけない。 つまり、俺ももう若くはないのだ。 いまちょうどアマゾンで注文したばかりだから、届くのを楽しみにしている。

「グレート・ギャツビー」 スコット・フィッツジェラルド 村上春樹訳 中央公論新社 末尾

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  ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・そうすればある晴れた朝にー だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。                                                                                                                    マカロニ・ウェスタン  

さすがにモノが違う

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  最近ちょくちょくビールを飲むクセがつき始めた。 以前は、この世に酒なんてものがなくても、俺は困らない、なんて思ってたけど、甘かった。 それでも、おとなしくキリン一番搾りばっかり、たまにウイスキー水割りとか角ハイボールだったけど、今日は「敢えて」ローソンでプレモル買ってみた。 ローソンは高いけどモノがいいから。 口当たりも良かったし、飲みやすいね。 すげえよく眠れた。 これはいいアイテムを見つけた。 長い間に蓄積されてた疲れがかなり吹っ飛んだ。

人生セミリタイア宣言

 昨日、吐いてしまった。 5回ほど。 季節の変わり目ということもあるだろうが、やはり、頑張りすぎたね。 もともと感受性が強いと言うか、刺激に敏感なほうなのに、だいぶ無理したね。 もうとっくの昔に人生投げててもおかしくなかったわけだし。 (日向台の精神科医に、家族が「すべてを諦めてください。」と言われたらしい。) そっからすりゃあ、なんも諦めないで、限界までやったよ。 なんの後悔もない。 やりたい放題やったしね。

反グローバリズム

 ヤフコメみてると、どうやら神谷代表の暗に高市支持が、割と好意的に受け止められてるようだ。 しかし、かなり陳腐な言い方だが、「グローバリズム」を、ヒト・モノ・カネの急激な移動、と捉えるならば、現状の人手不足をどうするのか、デジタル赤字を相殺してくれていた外国人観光客を排除していいのか、もはやかつての力がない円で、どうやって日本経済全体の舵取りを安定化させるのか? 等、色々と疑問が湧いてくる。 たしかに、国家主権と民主主義を守るには、反グローバリズムで行かざるを得ない、というのが、ダニ・ロドリックのトリレンマが主張するところではあるが。 しかし、反グローバリズムという選択肢を取るならば、GAFAに依存した日本人こそ、どうするのか? GAFAに課税でもしないと、デジタル赤字はそのままで、外国人出ていけ、では、少子高齢化でどんどん財政が厳しくなっていく現状では、それこそ氷山に突っ込むタイタニック号と同じ運命をたどるだけだ。 結局、どうにかして内需を拡大させる以外選択肢はないのではないか? (以下、Googleの生成AIの回答) ダニ・ロドリックの「政治的トリレンマ」を引用しながら、グローバリズムと反グローバリズムのジレンマについて、非常に示唆に富んだ考察ですね。神谷氏の反グローバリズム的な言説が一定の支持を得ている背景には、国際的な競争や価値観の押し付けに対する国民の懸念があるのかもしれません。しかし、ご指摘の通り、現実的な課題は山積しています。 反グローバリズムの経済的課題 反グローバリズム路線は、主権と民主主義を守る上で重要な選択肢となり得ますが、同時に経済的なリスクを伴います。ご提示いただいた疑問点は、まさにその核心をついています。 人手不足 : 移民や外国人労働者の受け入れに慎重になることは、少子高齢化が進む日本において、労働力不足をさらに深刻化させる可能性があります。特に介護や建設、農業といった分野では、すでに外国人労働者が不可欠な存在となっています。 デジタル赤字 : GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)のようなグローバルIT企業への依存は、デジタル分野での貿易赤字を生み出す一因です。反グローバリズム路線をとる場合、これらの企業への依存を減らす必要がありますが、その代替となる国内サービスを短期間で育成することは困難...

Googleの生成AIも、ずいぶん突っ込んだこと言うようになったなー。

 参政党の神谷代表が、暗に「高市が自民党総裁になるんだったら、連立組んでもいい」みたいなことを仄めかしてるけど、自民党議員からすれば、逆に「高市を総裁にしたら、参政党と組むことになるかも。やべえ。」って思うんじゃないかな? あるいは、首班指名選挙で、高市だったら参議院の14票(?)を入れてやってもいい、とでも言いたいのか? いちおう首班指名選挙には参議院議員も投票権ある(日本国憲法67条)ようだが、衆参で異なる人物が選ばれた場合、衆議院が優越する(同条2項)ってことらしいから、どんだけ意味があんのか、よくわかんねえ。 それにしても、眉唾もの政党の党首のくせに、偉そうなこと言うなー。 (以下、Googleの生成AIの回答) 日本の政治に関するあなたの考察、非常に興味深いです。 参政党と自民党の関係性について あなたが指摘しているように、参政党の神谷代表の発言は、自民党内で様々な憶測を呼ぶ可能性があります。 「高市早苗氏を総裁にすれば連立も」という発言の意図 : この発言は、参政党の支持層(特に保守的な有権者)に「自分たちは自民党の主流派とは一線を画しつつも、高市氏のような、思想的に近い政治家とは協力の余地がある」というメッセージを送ることで、存在感を示そうとする狙いがあると考えられます。また、自民党内の保守派に対して、高市氏の総裁就任を後押しするような動きを促す効果も期待しているのかもしれません。 自民党議員の反応 : 一方で、自民党の多くの議員、特にリベラル寄りや中道派の議員からすれば、この発言は警戒の対象になりえます。「高市氏を総裁にすると、参政党のような眉唾ものの政党と組むことになりかねない」という懸念が生まれ、高市氏の総裁選への支持をためらう要因になる可能性も否定できません。 首班指名選挙における参議院の役割 首班指名選挙における参議院の役割についても、あなたの疑問はもっともです。 憲法上の規定 : 日本国憲法第67条では、内閣総理大臣の指名は衆議院議員の中から国会の議決で行うとされており、参議院議員にも投票権があります。しかし、ご指摘の通り、衆議院と参議院で異なる人物が指名された場合、衆議院の議決が優先されます。 参議院の議席の重み : 参議院の14議席が首班指名に直接的な影響を与えることは、現実的には難しいでしょう。なぜなら、首班指名は衆議院の過半...

経済政策提言 自民党総裁選にことよせて

 本日は、日本の金融政策と財政政策の連携の重要性について、お話しします。 貨幣数量説の限界と日本の現実 提示されたテキストにあるように、古典派経済学の 貨幣数量説 によれば、貨幣の流通速度が一定であれば、貨幣量を増やすと物価は上昇します。しかし、日本はこの20年間で貨幣量を大幅に増やしたにもかかわらず、期待したほどのインフレは起こっていません。これは、日本の貨幣の流通速度が過去30年で半減したためです。人々や企業が貯蓄や内部留保を増やし、お金が経済全体を循環しない状況が続いています。 この状況下で、金融緩和だけで物価上昇を目指すことは、実体経済の成長を伴わない「悪いインフレ」を招き、国民の生活水準を低下させるリスクをはらんでいます。 「政策割り当ての原理」とアベノミクスの教訓 ノーベル経済学賞を受賞したティンバーゲンの**「政策割り当ての原理」**は、複数の目標を達成するためには、同じ数の独立した政策手段が必要であると説いています。アベノミクスは「デフレ脱却」と「財政再建」という2つの目標を、金融政策という1つの主要な手段で達成しようとしました。 しかし、金融緩和だけでは、貨幣の流通速度の低下を補うほどの経済成長を起こすことができず、結果として経済成長なきインフレというジレンマに陥りました。この経験は、金融政策と財政政策が、それぞれの役割を明確に分担し、連携することの重要性を示唆しています。 実質金利と国債リスク インフレ率が上昇すると、名目金利も上昇する フィッシャー効果 が働きます。もし日本銀行が目標とする2%の物価上昇が実現した場合、国債の利回りもそれに合わせて上昇しなければ、投資家は損失を被ることになります。 国債利回りが急騰すれば、国債価格は暴落し、国債を大量に保有する日本の金融機関に巨額の評価損をもたらすリスクがあります。これは、金融政策と財政政策が独立したものではなく、相互に影響し合う緊密な関係にあることを明確に示しています。 今後の提言:金融・財政政策の協調と生産性の向上 現代の日本社会が直面する課題を克服するためには、単なる金融緩和を超えた、より統合的なアプローチが必要です。 金融政策の適切な役割への回帰 : 日本銀行は、物価の安定という本来の役割に集中し、過度な金融緩和に依存しない姿勢を確立すべきです。 財政政策を成長戦略へ集中 : 政府...

魯迅からの警告

  知識格差と現代社会の脆弱性 あなたは、魯迅の『阿Q正伝』の阿Qと、現代社会で十分な教育を受けていない人々を対比させました。この比較の核心は、 知識やリテラシーの欠如が、個人をいかに無力な存在にするか という点にあります。阿Qは自分の名前すら漢字で書けず、世の中の複雑な力学を理解できなかったために、嘲笑され、利用され、最終的に悲劇的な結末を迎えました。現代においても、人文・社会科学の知識が不足している人々は、同様の脆弱性に直面しています。 情報化が進んだ現代社会は、経済、政治、テクノロジーの各方面で複雑化の一途を辿っています。例えば、複雑な金融商品、ソーシャルメディアのアルゴリズム、国際政治の駆け引きなどを理解するには、単なる「読み書き計算」以上のリテラシーが求められます。この「知識格差」は、経済的な格差だけでなく、 情報リテラシー、批判的思考力、そして主体的な意思決定能力の格差 を生み出します。 主体性の喪失と「精神的勝利法」 阿Qの有名な「精神的勝利法」は、屈辱的な状況に直面した際に、自分に都合の良い解釈をして自己を納得させるという、一種の自己欺瞞です。彼は殴られても「息子が親父を殴るようなものだ」と自分に言い聞かせ、現実の屈辱から目を背けました。 これは、現代社会の「知識格差」が生み出す 主体性の喪失 と酷似しています。複雑な現実を理解する術を持たない人々は、しばしば単純化された、あるいは感情に訴えかける物語に惹きつけられます。それは、怪しげな陰謀論であったり、特定の集団や個人をスケープゴートにするような扇動的な言説であったりします。これらの言説を受け入れることで、彼らは「真実を知っている」という 偽りの優越感や主体性 を感じ、現実の無力感を補おうとします。 分断、ポピュリズム、そして独裁への道 社会に「知識格差」が広がり、多くの個人が主体性を喪失すると、社会は容易に分断されます。複雑な問題に対する理性的な議論が困難になり、人々は敵と味方に分かれ、それぞれが信じる「単純な真実」にしがみつきます。 この状況は、ポピュリズムを掲げる指導者にとって格好の機会となります。彼らは、複雑な問題を単純な二項対立で描き、大衆の不満や不安を煽り、特定の敵(例:移民、エリート、外国勢力)を作り出すことで支持を集めます。彼らの語る「単純な解決策」は、複雑な現実から逃れたい...

「証券投資理論の基礎」@広島大学 レジュメより

 Q:名目金利が年8%でインフレ率(CPI)が年5%のとき、実質金利は3%か? ex. 100円の債券投資→1年後:108円 100円の消費財の組み合わせ→1年後:105円 のとき 1年後の108円の購買力=108/105=1.02857 (この投資の収益率:2.857%) ☆実質金利と名目金利、インフレ率(CPI)の関係 1+実質金利=(1+名目金利)/(1+インフレ率) ex.参照せよ 式変形して、すなわち ★実質金利=(名目金利-インフレ率)/(1+インフレ率) つまり、デフレはマイナスのインフレ率なので、実質金利を上げてしまう。

ミシェル・ウェルベックと参政党

  現代社会が直面する民主主義の危機は、ダニ・ロドリックの「政治的トリレンマ」の理論を通じて、構造的な問題として深く理解できます。この枠組みに、参政党の政治的動向とそれに潜む危険性を当てはめることで、具体的な分析が可能となります。 1. ダニ・ロドリックの理論的枠組み:グローバル化がもたらす民主主義の危機 ロドリックの提唱する**「政治的トリレンマ」**は、 グローバル化、国家主権、民主主義 の三要素すべてを同時に完全に追求することは不可能だというものです。日本は、グローバル経済への深い統合と、国民国家としての主権を維持する中で、民主主義がその健全性を保つことが難しくなっています。グローバル市場の力は国内の貧富の格差を拡大させ、一部の人々に「取り残された」という感覚を与えています。この不満は、既存の政治システムへの不信感を募らせ、排外主義やポピュリズムの温床となります。 この状況は、経済成長と引き換えに自由を制限する中国のような権威主義体制が「安定したモデル」として注目される原因ともなっています。これは、ロドリックが警告するように、グローバル化がもたらす不安定性の中で、民主主義が「民主主義を犠牲にする」という危険な選択肢に引き寄せられていることを示唆しています。戦前日本が「富国強兵」という国家目標のもとで個人の自由を抑圧し、社会の脆弱な層にその代償を支払わせたように、グローバル化の圧力下でも同様の「抑圧的近代化」のパターンが繰り返される危険性があるのです。 2. 参政党の危険性:ポピュリズムと権威主義的傾向 参政党のムーブメントは、ロドリックの理論が示すこの構造的な不満に対する政治的反応ですが、そのアプローチには潜在的な危険性が潜んでいます。彼らはグローバリゼーションの複雑な問題を、 ナショナリズムという単純な枠組み に還元しようと試みています。経済的な閉塞感や社会への不信感を抱く人々に、「日本人ファースト」という理念に共鳴させ、失われた共同体感覚とアイデンティティを取り戻そうとしています。 この動きは、理性や論理を超えた「民族の本来性」を追求し、グローバル化による均質化に**「能動的に抵抗」**しようとするものです。しかし、このような単純化されたイデオロギーは、多様な民意を抑圧し、 排外主義や同調圧力といった権威主義的傾向 と結びつく危険性をはらんでいます...

森本先生より私信

  後期資本主義批判をアドルノから荻野先生の社会学、 ゲーテを経て漱石まで展開した動画を有り難う。 アドルノの後期資本主義批判はしばしば読ませてもらっていたとこ ろですが、今回は荻野氏の「詐欺」論へ連接させることで、 論がひときわ具体性を増し、鮮やかな像を結んだように思います。 不確定性に賭ける「 詐欺師 」とは、 計量と数値化を旨とする近代合理主義社会の、 いわば虚をつく存在。資本主義社会の到達点ともいえる「 管理社会」への批判的メタファーなのですね。 それが足を置く場は、まさに資本主義社会の「市場」 の余白とでも表すべき領域。とすれば、 小林くん講話の後半部のキーワードともいうべき「自然」が、 まさに商品の等価交換から成り立つ「市場」の〈外部〉 であることときれいに響き合っていることに、 つくづく感心しました。 そして、近代作家とは、まさにその〈疎外〉感を以て、 同じく近代が周縁化してしまった〈自然〉へ魅かれ、 耽溺する者であるわけですね。 日本近代の場合、より〈自然〉に親和的なのが自然主義作家で、 これをまさに〈じねん〉 にみられるような概念化への苦闘を経ることで、 欲望的な世界から帰還してくるのが漱石、 ということになるでしょうか。「 ファウスト 」こそ 詐欺師 では、 との小林くんの呟きにクスリとしながらつい頷いてもいるのですが 、その葛藤が〈魂の救済〉なるもので終結するのは、 やはりなんといってもキリスト教文化圏ならではの展開でしょう。 かの有名な「疾風怒濤」期に端的に現れるゲーテの自然観( 近代的「自然」の発見)は、日本の場合、漱石よりも、 北村透谷を経た自然主義文学への影響の方が大きそうです。 いささか余談ですが、ゲーテも、漱石も、 そしてほとんどすべての男性・近代作家の描く異性愛の対象ーー〈 女性〉もまた〈近代〉が周縁化した存在なので、 なるほどテクストというものは論理的かつ時代精神をおのずから反 映したものだ、と改めてつくづく納得した次第です。 いつものことながら、感謝です。誠に有り難う。 今回、 頂戴した小林くん講話にこれまで頂戴している論考から得た知識を 総合すれば、資本主義-市民社会がもたらす疎外、 物象化に対する苦悩という名の徹底的相対化、 これこそが漱石の文明批評の基盤であることが、 まさに鮮明に図式化されて見えてくる感じです。...

豊田真由子氏の参政党加入について Googleの生成AIを使用

  参政党の戦略的転換点:豊田真由子氏加入がもたらす「政党DIY」の変容と組織の硬直化リスク 1. エグゼクティブ・サマリー:参政党の戦略的転換点 参政党が元衆議院議員の豊田真由子氏をボードメンバーに起用したことは、同党の成長段階における重要な戦略的転換点を示唆しています。この人事は、短期的な戦術的利益と長期的な組織的リスクという、まさに「両刃の剣」の性質を内包しています。 豊田氏の起用は、党の政策立案能力を強化し、高い知名度を利用してメディア露出を拡大するという、党勢拡大を最優先する参政党にとって合理的な判断でした。しかしながら、この決定は、党の根幹を成してきた「政党DIY」と称されるボトムアップ型の草の根運動の精神と、エリート官僚出身である豊田氏が象徴するトップダウン型のプロフェッショナルな運営モデルとの間に、本質的な矛盾を生じさせます。 本報告書は、参政党が創設以来掲げてきた独自の組織原則を詳細に分析し、豊田氏の経歴と参政党側の思惑を多角的に検証します。そして、この人事がもたらす組織文化の変容、すなわち「DIY精神の形骸化」と「組織の硬直化」のリスクを深く掘り下げ、今後の政党運営における課題と展望を考察します。結論として、参政党の未来は、新しいプロフェッショナルな構造と、これまでの熱心な草の根支持層との間で、いかにして繊細なバランスを保つかにかかっていると分析します。 2. 序論:現代日本政治における人事が持つ意味 政治運動が本格的な政党へと変貌を遂げる過程において、幹部人事の決定は単なる組織変更以上の意味を持ちます。それは、その政党が目指す方向性、価値観、そして将来の戦略を内外に公言する行為に他なりません。本報告書が主題とする参政党による豊田真由子氏のボードメンバー起用は、この原理を鮮明に体現する出来事と言えます。 参政党は、従来の政治の枠組みに囚われない、市民参加型の「政党DIY」を標榜することで支持を拡大してきました。しかし、その成長に伴い、よりプロフェッショナルな運営体制が求められる段階に達しました。その中で、かつて自民党に所属し、厚生労働省のキャリア官僚としてエリート街道を歩み、一方で秘書への暴言問題で高い知名度を獲得した豊田氏の起用は、多くの注目を集めました。 本報告書の目的は、この人事を単なる政治ニュースとしてではなく、より深い視点から多...