もののけ姫に登場するジコ坊は、「生と死」「生命と自然」「人間と自然」といったテーマにおいて、非常に興味深い矛盾を体現しているキャラクターです。
彼の行動や言動を細かく見ていくと、以下のような矛盾が浮かび上がってきます。
1. 献身的な僧侶と俗世的な猟師
僧侶としての顔: 彼は作中で「坊主」と呼ばれ、仏教的な思想を持つ人物として描かれています。献身的にアッシタカを助け、食料を提供したり、彼の傷を癒す手助けをしたりします。また、作中では彼の口から「仏様」や「命」といった言葉が語られることもあり、一見すると慈悲深い人物のように見えます。
猟師としての顔: しかし、その一方で彼は「ししがみさまの首」を狙う猟師の一味を率いる俗世的な人物です。金や名声といった世俗的な欲望のために、自然の摂理を無視し、聖なる存在である「ししがみさま」を殺そうとします。彼は献身的な行動を見せながらも、その目的は自己中心的で、他者や自然を顧みない利己的なものです。
2. 命への尊重と命の道具化
命への尊重: 彼はアッシタカの呪いを解くために、彼の命を救おうとします。また、山犬やタタラ場の人々との戦いを止めようと試み、命を大切にしようとする姿勢を見せます。
命の道具化: しかし、彼は同時に、自然や神々の命を「首」という道具として利用しようとします。彼にとって、ししがみさまは尊敬すべき存在ではなく、欲望を満たすための道具に過ぎません。彼の行動は、命を尊ぶべきという思想と、命を道具として扱うという行動との間で大きく矛盾しています。
3. 「生きろ」というメッセージと死への執着
「生きろ」というメッセージ: 彼はアッシタカに対して「生きろ」と語りかけ、彼を励まします。これは、映画全体のテーマである「生命への肯定」と一致する言葉です。
死への執着: しかし、彼はその一方で、「ししがみさまの首」という死そのものに執着しています。彼は生命を肯定する言葉を口にしながらも、その行動は、死を欲し、それを支配しようとするものです。
ジコ坊の矛盾が持つ意味
ジコ坊の矛盾は、彼が単なる悪役ではないことを示唆しています。彼は、人間が抱える「生命への肯定」と「欲望」の葛藤を象徴する存在として描かれています。
善悪の二元論を超えた存在: 彼は善と悪を兼ね備えた存在として描かれています。彼の行動は、一見すると矛盾しているように見えますが、それは人間が持つ多面性を表現しています。
人間と自然の共存の難しさ: ジコ坊の矛盾は、人間が自然と共存することの難しさを浮き彫りにしています。彼は、自然を敬いながらも、それを支配しようとする人間の矛盾した心を体現しているのです。
これらの矛盾を通して、もののけ姫は、善と悪、生と死、人間と自然といったテーマを、単純な二元論ではなく、より複雑な視点から描こうとしています。ジコ坊は、その複雑さを象徴する、非常に重要なキャラクターと言えるでしょう。
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