投稿

4月, 2023の投稿を表示しています

日本人への警鐘 「ローマ帝国衰亡史」下巻 訳者解説より

ローマ人は もともと 質実剛健で、 勇武の民でした。 建国以来の領土拡大は、 そのことを 如実に物語っています。 また、 かれらは多神教であり、 宗教的に寛容でした。 さらに、 人種的偏見も 少なかったようです。 くわえて、 実利的な考え方をしていた 民族でした。 そのため、 かれらの間には、 どの民族の出身であれ、 優秀な者は これを 活用するという 風潮がありました。 以上のような 民族性により、 ローマはしだいに 発展、拡大していったのです。  しかし、頂点にあることが 長く続けば、 だれであれ、 その地位がもたらす 影響を うけないはずはありません。 国家の興亡、 家門の盛衰、 いずれにおいても、 歴史はこのことを 示しています。 ローマ人にしても 同じです。 すなわち、 みずからを 元来優れた民族であると 思い込み、 悠久の昔から そうであったかのように 現在の地位を 当然とみなし、 ひるがえって、 周辺の蛮族を 蔑視したのです。  およそ蔑視は油断をうみ、 油断は 情報の欠如をもたらします。 その結果、 あらたな事態への 対応を 稚拙なものにします。 同時に、 油断は 訓練をおこたらせ、 みずからの力を 相対的に低下させます。 蛮族がもつ 潜在力をみくびり、 しかるべき 対応ができなかったのも、 もとはと言えば、 そうした ローマ人の傲慢さに 起因するものでした。

大規模金融緩和策の蹉跌

国債発行 イコール 通貨発行 という俗説が あるらしいが、 金融政策の 基本が 何も わかってないね。 国債を 発行して、 買ってくれる人が いるから、 (国債を買うのは 当然のことながら 中央銀行だけではない。) そのお金が 市中に 流れるんだけど。 これ、 (国債に限らず 債券全般に対する、 中央銀行による) 買いオペとか 売りオペとか 言われる 金融政策の 常識中の常識 だけど、 そんなことも 知らずに、 ただ 国債発行すれば 自動的に 貨幣供給量が 増えると 本気で 思ってる 人が いるみたいね。 (それに、 国債だって商品だから、 本来は政府の都合で 発行した 国債を、 相場を無視した 高値で 売れると思うのが そもそも 間違ってる。 むしろ、 日本の現状として、 日銀が 市場の相場を 無視した 高値で 国債を 買い続けてることが 本質的に問題なんだけどな。) なにで 経済学 学んだんだろう? それに、 貨幣供給量を 増やす イコール 国の資産が 増える ってのも そもそも 間違い。 国の富の 源泉は 付加価値、 すなわち GDPです。 これ、 学部レベルの 経済学で 最初に 学ぶことなんだけどな。 ほんと、 誰に 刷り込まれたんだろう? ついでに 書いとくと、 赤字国債を 発行すること自体が 法律違反なんだけど、 毎年 特例法案つくって 可決して 予算作ってる。 (ちなみに、 一昔前は その種の予算を 通す通さないが 政争の具に 使われたのが、 短命政権が続いた 原因だった。 らしい。) それが 常態化。 それを 国民の側が 嬉々として 受け入れてる 現状が 異常。 ついでに 書いとくと、 日銀が 国債買い続けないと 国債の価格が (異常な高値を 維持できずに) 暴落して 金利が 急騰して この国 吹っ飛びますけど、 さあ この ムリゲー どうします? ちなみに 安倍ちゃんは 日銀は政府の 子会社だから いくらでも 日銀に 国債 買い取らせればいい とか ほざいてましたけど。 もう 日銀による 国債の保有比率 5割 超えましたね。 https://www.youtube.com/watch?v=thGpKa0MGa4

ルールか?自由か? その3 「隷従への道」 日経BP より

「競争は、ある程度までなら 規制と共存 しうるが、 計画を大幅に 導入したら、 生産の目安を 提供する 役割は 果たせなくなる。 また 計画は、 少量でも 効き目のある薬とはちがう。 競争も、 中央集権的な管理も、 中途半端に使ったのでは 役に立たない。 どちらも 同じ問題の 解決策には なりうるが、 両方を 混ぜたら効果はないし、 どちらか 一方を貫き通す場合 よりも 悪い結果になるだろう。 別の 言い方をすれば、 計画と競争は 『競争のための計画』 によってのみ 結びつくのであって、 『競争を阻む計画』 を 通じては 結びつかない。」 p.191

ルールか?自由か? その1

https://foetimes.com/2834/  あ〜あ、思い出せるだけ〜思い出して、あそびたぁぁぁぁい! てなわけで、 放送大学「現代の国際政治」第5回の放送授業内容を、出来る限り思い出しながら、要点をまとめてみたいと思います。 まず、第二次大戦を教訓として、 ブロック経済が日独伊の枢軸国を侵略戦争に駆り立てた、 という反省のもとに、 GATT-IMF体制、いわゆるブレトンウッズ体制が確立された。 第四次中東戦争がきっかけとなり、 第一次石油危機が起こると、 中東産油国が石油利権を掌握し、 莫大な富を得るようになる。 そのオイル・マネーの運用先として、 南米へ投資資金が流入するが、 うまくいかず、 債務危機を引き起こした。 しかし、 債務危機が世界へ波及するのを防ぐために、 国際金融の最後の貸し手としてのIMFによる、 厳しい条件つきの再建策を受け入れる 状況がうまれたが、 これは、 国家主権を侵害しかねないものであり、 反発から、 南米では ポピュリズム政治がはびこるようになった。 自由貿易体制を標榜するアメリカも、 固定相場制により、 相対的にドル高基調になり、 日欧の輸出産品の輸入量が増大したことにより、 ゴールドが流出し、 金ドル兌換制を維持できなくなり、 ニクソンショックにより、 変動相場制へ移行した。 また、この背後には、アメリカが掲げた 「偉大な社会」政策による、高福祉社会の負担や、ベトナム戦争による、国力の低下も起因していた。 日米関係に眼を転じると、 日本からの輸出が貿易摩擦を引き起こし、 自由主義経済の盟主としてのアメリカは、 自主的に日本に輸出規制させるために、 日本は安全保障をアメリカに依存していることをテコにして、 日本国内の商慣行の改変、 たとえば中小企業保護のための大規模商業施設規制の撤廃など、 アメリカに有利な条件に改め、ネオリベラリズム的政策を受け入れさせた。 その一方、 日本企業は、アメリカに直接投資することで、 アメリカに雇用を生み出しつつ、アメリカの需要に応えた。 その後、更に国際分業が進展すると、 知識集約型産業は先進国に、 労働集約型の産業は発展途上国に、 という役割分担が生まれ、 グローバルサプライチェーンが確立されるなか、 国際的な経済格差が生まれた。 一方、 先進国でも、 工場を海外移転する傾向が強まる中...

ルールか?自由か? その2

https://foetimes.com/2881/  「現在支配的な 思想では、 自由社会の自生的な力を 最大限に 活用するには どうしたらよいか、 ということは もはや 問題にされていない。 それどころか、 予想外の結果を 生み出しがちな 力を 切り捨てようと している。 そして、 人格を 持たない 匿名の市場という メカニズムに 代えて、 意図的に選んだ 目的に向けて 社会の あらゆる 力を 『意識的に』 集約管理する システムの 導入が 試みられている。」 「隷従への道」日経BP p.150 「経済活動を 完全に 中央主導にする という 発想には、 やはり たじろぐ人が多い。 単に それが 途方もなく 困難だから ではなく、 たった一つの 中央当局なるものが 万事を 指示する ことに恐怖を 覚えるからだ。 それでも なお 私たちが そこへ向かって 急速に進んでいるのは、 完全な個人の競争 と 中央管理との間 に 『中庸』 が あるだろうと、 大半の人が いまだに 信じている せいである。 めざす目標は 自由競争による 極端な分権化でもなければ、 単一の計画に基づく 完全な中央集権化でもなく、 両者の いいとこどりをした 体制だと 考えるのは、 合理的な 人々にとって 実に魅力的であり、 さも実現可能にも見える。 だが このような問題に関しては、 常識は当てにならない。」 「隷従への道」日経BP p.190~191

「日本金融史」(有斐閣選書 玉置紀夫) 九州大学の鷲崎俊太郎先生にご教示いただきました。

イメージ
幕末から 明治にかけて、 多くの 混乱を 経て、 生糸や 茶の 輸出の 決済手段を 通じて、 それまで 存在した 多様な 種類の 通貨を 一本化した ようです。 貿易実務の 勉強を していた時期が あるので、 なんとなく わかる気がしますが、 ややこしいですね。 以下引用(p.48より) すなわち 生糸や茶を 輸出するものはまず、 船荷証券を つけた 取立為替手形を 正金に 呈示する。 正金は、 政府より 借り受ける はずの 紙幣をもって、 これを 買い取る、 つまり 割り引く。 ついで 正金は、 手形と 船荷証券を その 仕向地に 配備されるはずの 正金出張員へ 送付する。 出張員は、 手形と証券を 受領次第、 これを 名宛人に 呈示して その 債務を確認させ、 期日に 生糸や茶の 代価を ポンド、ドルの 外貨や正価で 回収する。 直ちに この 代価は 正金横浜本店へ 電送される。 そして 最後に 正金が、 この 正価または 外貨を、 借り受けた 紙幣の 代価 として 政府に 返済して、 前田(正名) の 推奨する 紙幣を もって 正価を 得る仕組みは 完結する のであった。

魔の山

さようなら、ハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子よ! 君の物語はおわり、私たちはそれを語りおわった。 短かすぎも長すぎもしない物語、錬金術的な物語であった。 (略) 私たちは、この物語がすすむにつれて、 君に教育者らしい愛情を感じはじめたことを 否定しない。 (略) ごきげんようー 君が生きているにしても、倒れているにしても! 君の行手は暗く、 君が巻き込まれている血なまぐさい乱舞は まだ 何年もつづくだろうが、 私たちは、君が無事で戻ることは おぼつかないのではないかと 考えている。 (略) 君の単純さを複雑にしてくれた肉体と精神との冒険で、 君は肉体の世界ではほとんど経験できないことを、 精神の世界で経験することができた。 (略) 死と肉体の放縦とのなかから、 愛の夢がほのぼのと誕生する瞬間を経験した。 世界の死の乱舞のなかからも、 まわりの雨まじりの夕空を焦がしている 陰惨なヒステリックな焔のなかからも、 いつか愛が誕生するだろうか? (おわり)

坂口安吾 三十歳

勝利とは、何ものであろうか。各人各様であるが、正しい答えは、各人各様でないところに在るらしい。  たとえば、将棋指しは名人になることが勝利であると云うであろう。力士は横綱になることだと云うであろう。そこには世俗的な勝利の限界がハッキリしているけれども、そこには勝利というものはない。私自身にしたところで、人は私を流行作家というけれども、流行作家という事実が私に与えるものは、そこには俗世の勝利感すら実在しないということであった。  人間の慾は常に無い物ねだりである。そして、勝利も同じことだ。真実の勝利は、現実に所有しないものに向って祈求されているだけのことだ。そして、勝利の有り得ざる理をさとり、敗北自体に充足をもとめる境地にも、やっぱり勝利はない筈である。  けれども、私は勝ちたいと思った。負けられぬと思った。何事に、何物に、であるか、私は知らない。負けられぬ、勝ちたい、ということは、世俗的な焦りであっても、私の場合は、同時に、そしてより多く、動物的な生命慾そのものに外ならなかったのだから。

「隷従への道」 フリードリヒ・ハイエク 日経BP p.190〜191

経済活動を 完全に 中央主導にする という 発想には、 やはり たじろぐ人が多い。 単に それが 途方もなく 困難だから ではなく、 たった一つの 中央当局なるものが 万事を 指示する ことに恐怖を 覚えるからだ。 それでも なお 私たちが そこへ向かって 急速に進んでいるのは、 完全な個人の競争 と 中央管理との間 に 「中庸」 が あるだろうと、 大半の人が いまだに 信じている せいである。 めざす目標は 自由競争による 極端な分権化でもなければ、 単一の計画に基づく 完全な中央集権化でもなく、 両者の いいとこどりをした 体制だと 考えるのは、 合理的な 人々にとって 実に魅力的であり、 さも実現可能にも見える。 だが このような問題に関しては、 常識は当てにならない。

いまこそハイエクに学べ

イメージ
分かりにくいハイエクの 「集産主義」だが、 日本の現状が まさに それに 当てはまると 思われる。 「結局のところ、 計画が 必要だという 合意があっても、 個別の計画に ついて 合意を形成する 民主的な 手続きが うまく機能しない となれば、 政府なり誰か 一人の人間なりに、 その責任において 実行する 権限を与えざるを得ない。 そして 計画を実行に移すには、 全体を指揮する 責任者は 民主的な 手続きの 束縛を 免れる必要が あるという 考えが、 次第に 受けれられる ように なる。」 p.61   「現在支配的な 思想では、 自由社会の自生的な力を 最大限に 活用するには どうしたらよいか、 ということは もはや 問題にされていない。 それどころか、 予想外の結果を 生み出しがちな 力を 切り捨てようと している。 そして、 人格を 持たない 匿名の市場という メカニズムに 代えて、 意図的に選んだ 目的に向けて 社会の あらゆる 力を 『意識的に』 集約管理する システムの 導入が 試みられている。」 p.150

貨幣発行自由化論より 抜書

金融政策は 不況を 解決するどころか 引き起こしている 可能性が 高いのであり、 このことをよく 理解しなければならない。 なぜ 不況を 引き起こすのかと 言えば、 金融緩和を 求める声に 屈してしまうほうが 容易だからである。 だが それは生産を まちがった 方向に ねじ曲げ、 後日必ず 反動が 起きることになる。 経済活動が 何らかの分野に 偏ったとしても、 金融政策は 経済自体による 自己修復を 助けるだけでよい。 市場経済が 過去に 不安定化したのは、 市場の メカニズム の 最も重要な 自動調節装置 である 貨幣が、 市場によって 調節されていないことの 当然の 結果なのである。

貨幣発行自由化論  改訂版――競争通貨の理論と実行に関する分析 Kindle版

最初の 数%しか 読んでませんが、 まあ 日銀や政府には 耳の痛い話だね。 この まさに 正鵠を射た 洞察が、 何十年も前に ハイエクによって なされていた、 というのは 指摘するに値する。 いま 政府・日銀は 手に負えないほどの 政策課題に 直面しているが、 もしかしたら そのほぼ すべてが、 円の価値を 恣意的に 保護しようと している 帰結なのかも 知れない。 ・・・自分自身、 ハイエクが 言ってることが 劇薬すぎて、 少しずつしか 読み進められない。 ただ、 それくらい 刺激的。 ・・・通貨の価値 を 守るということが 政府にとって 最優先の課題となり、 それが 結果的に 想像を絶する ムダを 産んでいる、という ハイエクの指摘は、 それ(通貨)を 得るために 汲々としている (自分自身も含めて) 人々を 見るにつけ、 なにやら 壮大な 喜劇を 観ているような 気すら してくる。 ・・・なんかもう 今の 日本政府・日銀に 向かって 書いたんじゃないか? と 言いたくなる。 ・・・確かに、 ハイエクが 言うように 市中銀行に 独自通貨を発行する 権利を 認めれば、 銀行同士の 競争も激しくなるし、 場合によっては 円よりも 魅力的な 通貨を 生み出すことで、 日銀、政府の 政策にも より 魅力的な 円の価値を 維持するような 競争を 生み出すのではないか、 という 気はする。 そうすれば、 裁量者の 独断で 金融機関を 強引に 統廃合するような 結末に ならなかったのではないか? まあ、 あの当時 そんなことを 考える人は いなかっただろうが。 ・・・確かに ハイエクの提案する 代替案が 非現実的だとしても、 国家が 通貨の価値を 恣意的に 保護することが 壮大な ムダ、歪みを 生み出す、という 指摘は 正しいと 思われる。 ・・・人工知能によって 最適な価格付けが 瞬時に行われるのであれば、 国内に 多様な 通貨が流通していても、 実は それほど 混乱は起きないという 空想をすることは 可能だ。 むしろ...

日経新聞1面より

イメージ
インフレ率や GDPギャップ などから 適正な 政策金利水準を 導く 「テイラー・ルール」が 示唆する 水準は7・8%だ。 野村の 小清水直和氏は 「経済全体では 実質的に 緩和的な 金融環境が 続いているような 状態で、 現状の 金利水準では 景気を 抑える 効果が 限られる」 と 指摘する。