最初の
数%しか
読んでませんが、
まあ
日銀や政府には
耳の痛い話だね。
この
まさに
正鵠を射た
洞察が、
何十年も前に
ハイエクによって
なされていた、
というのは
指摘するに値する。
いま
政府・日銀は
手に負えないほどの
政策課題に
直面しているが、
もしかしたら
そのほぼ
すべてが、
円の価値を
恣意的に
保護しようと
している
帰結なのかも
知れない。
・・・自分自身、
ハイエクが
言ってることが
劇薬すぎて、
少しずつしか
読み進められない。
ただ、
それくらい
刺激的。
・・・通貨の価値
を
守るということが
政府にとって
最優先の課題となり、
それが
結果的に
想像を絶する
ムダを
産んでいる、という
ハイエクの指摘は、
それ(通貨)を
得るために
汲々としている
(自分自身も含めて)
人々を
見るにつけ、
なにやら
壮大な
喜劇を
観ているような
気すら
してくる。
・・・なんかもう
今の
日本政府・日銀に
向かって
書いたんじゃないか?
と
言いたくなる。
・・・確かに、
ハイエクが
言うように
市中銀行に
独自通貨を発行する
権利を
認めれば、
銀行同士の
競争も激しくなるし、
場合によっては
円よりも
魅力的な
通貨を
生み出すことで、
日銀、政府の
政策にも
より
魅力的な
円の価値を
維持するような
競争を
生み出すのではないか、
という
気はする。
そうすれば、
裁量者の
独断で
金融機関を
強引に
統廃合するような
結末に
ならなかったのではないか?
まあ、
あの当時
そんなことを
考える人は
いなかっただろうが。
・・・確かに
ハイエクの提案する
代替案が
非現実的だとしても、
国家が
通貨の価値を
恣意的に
保護することが
壮大な
ムダ、歪みを
生み出す、という
指摘は
正しいと
思われる。
・・・人工知能によって
最適な価格付けが
瞬時に行われるのであれば、
国内に
多様な
通貨が流通していても、
実は
それほど
混乱は起きないという
空想をすることは
可能だ。
むしろ
円の価値を
政府・日銀が
無理やり
保護することのほうが、
気づかない間に
甚大な
歪みを
経済に与えていることは
注意するべきだ。
https://jp.reuters.com/article/markets-bitcoin-breakingviews-idJPKBN1F40GJ
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B5%8CBP%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%99%BA%E8%A1%8C%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%8C%96%E8%AB%96-%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88%E2%80%95%E2%80%95%E7%AB%B6%E4%BA%89%E9%80%9A%E8%B2%A8%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%A8%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%88%86%E6%9E%90-%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF-Friedrich/dp/4822288846
https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/kobayashi/16.html
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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