投稿

坂口安吾 三十歳 

勝利とは、何ものであろうか。各人各様であるが、正しい答えは、各人各様でないところに在るらしい。  たとえば、将棋指しは名人になることが勝利であると云うであろう。力士は横綱になることだと云うであろう。そこには世俗的な勝利の限界がハッキリしているけれども、そこには勝利というものはない。私自身にしたところで、人は私を流行作家というけれども、流行作家という事実が私に与えるものは、そこには俗世の勝利感すら実在しないということであった。  人間の慾は常に無い物ねだりである。そして、勝利も同じことだ。真実の勝利は、現実に所有しないものに向って祈求されているだけのことだ。そして、勝利の有り得ざる理をさとり、敗北自体に充足をもとめる境地にも、やっぱり勝利はない筈である。  けれども、私は勝ちたいと思った。負けられぬと思った。何事に、何物に、であるか、私は知らない。負けられぬ、勝ちたい、ということは、世俗的な焦りであっても、私の場合は、同時に、そしてより多く、動物的な生命慾そのものに外ならなかったのだから。  https://www.youtube.com/watch?v=ED322cpspko

最強のライフハック本

イメージ
まだ 全部 読んだわけじゃないが、 もうちょっと お腹いっぱい。 精神錯乱して 病院に入れられたりすると、 ただでさえ テンパってんのに、 病院で 毎日ボーっとする 薬を 飲まされるので、 退院して 外の世界に放り出されると、 一つ一つの刺激、 普通の感覚の人だったら 何も 感じないような刺激まで 刺さるように 降ってくるように 感じられる。 例えば、新幹線に乗ってても、 景色が ビュンビュン通り過ぎてくのが 怖かったり、 車に乗るときも同じ。 そうなっちゃうと、 普通の人の ’フツウ’が 分からなくなって、完全に 自信が無くなってしまう。 当たり前のことが 全然 できないから。 でも、普通の人が 普通にやってることでも、 どうしてそういう 風に 感じたり、行動するのか、を 考えると、 実は かなり深い。 そういう 普通の人の ’フツウ’を ひたすら ひたすら 深いレベルまで掘り下げて、 解明してくれているので、 何らかの理由で 世間の ’フツウ’が わからなくなったり、 あるいは 純粋に疑問を持っている 人には オススメ。 少なくとも自分には 役に立つ内容だった。

<千のプラトー>入門講義 仲正昌樹 作品社

イメージ
最初読むと めちゃくちゃ 面食らうが、 ニートだからこそ出来る 時間の使い方で、 慣れてくると、 ああ、やっぱり ナカマサ先生だな、と 安心する。 まだちょっとしか 読んでないが。 肝心の中身も、 「アンチ・オイディプス」で 言い足りなかったことを ちゃんと言いたい、らしい、 ということが 伝わってくる。 (と書いてあった。) これ読んでなにかの役に立つかは まったく わからないが、 もしかしたら 役に立つかも知れない。 これがどう 資本主義批判に繋がってくのかってのが 見ものだな。 春休みにじっくり読もう。 とりあえず100ページくらい読んだ。 (2023/12/21時点) 最初は何を言ってるのか さっぱりわからないが、 根気よく ちょこちょこ 読んでいると、だんだん 筋道が見えてきて、 実は そんなに 突拍子もないことを 言っているわけではない、ということが 見えてくる。 春休みぜんぶ使っても 読み終わらないんじゃないかと 思っていたが、 読み進めると かなり意外なことに 割りと すんなり読める。 でも 中身は充実している。 正直、もう 哲学はいいだろ、と 思っていたが、 まあ、買ってみるか、 と 思って 買って読んでみたら、 いい買い物だった。 ・・・132ページまで読んだ。 (2023/12/25時点) 超絶面白い!!!!!!!!! やっべーな! フランス人が本気出すと とんでもないことになるな。 まさに 現代思想の精華と言って 間違いない。 ああ、今日は1日 頑張って、ずいぶん 捗った。 182ページまで読んだ。 (2023/12/26の午前00:25時点) 1度スイッチが入っちゃうと、 キリのいいところまで やらないと やめられない。 ・・・今日 (2023/12/26) も 頑張った。 第7プラトーの終わり (215ページ) まで 読んだ。 (18:38現在) たぶん半分くらい読んだが、 ここまで 読んだだけでも、相当 人生に応用が利く。 実は 最強のライフハックなんじゃないか、と 本気で 思う。 世の中の色んなことを、 心理学的視点から かなり 理論的に捉えられる...

大機小機 2023/11/29 より抜書

邦銀はバブル崩壊と 不良債権処理で 蓄積資産と共に リスク負担余力を 失った。 信用リスク管理を 強化した結果、 成長志向の中小や 新興企業など 新産業分野への 資金供給が細った。 長期資金調達ができない 企業はリスクをかけた 挑戦ができず、 資金需要とともに 日本の成長も鈍化した。  長期間続く 低金利政策は、 短期資金を原資に 長期貸し出しをする 金融機関の収益を圧迫。 リスク負担と長期資金の 供給を一層低下させた。  銀行貸し出しが 増えない以上、 日銀による大量の 資金供給は 銀行の持つ国債と 入れ替わっただけ。 市場への貨幣供給増につながらず、 デフレ脱却もできなかった。 貨幣供給とは銀行を含む 金融システム全体が機能して 初めて可能だ。 日銀だけではできない。  新産業育成のためには 資本性資金が要るが、 証券市場で 利ざやが得られず 貸し出しの証券化は進まない。 投資家に有利な商品がなく、 2千兆円もある 個人金融資産の 預金から投資への 転換が進まない。

一休み

20年前 東戸塚の 日向台っていう 精神病院に 2ヶ月 いたんだが、 名前の通り 日当たりのいい ところで、 要するに 暑かった。 心因性多飲症で 今でも 日々 大量の お茶だの 冷水だのが 必要な自分には、 冷水さえ 滅多に飲めないのは 苦痛だった。 だいたい 5月から7月の間 だったと思うが、 暑いのに 冷水さえ飲めず、 もちろん空調も効かない。 たまに 作業療法の時間があり、 旧い建物の一室で ビーズの編み物を作ったり したんだが、飽きて 薄暗い ソファーベッドに寝転んで、 俺は こんなところに居て この先の人生は 一体どうなるんだろう?と 漠たる、 漠たるとしか 言いようのない 感覚に侵されていた。 今年はそれから 20年てことで 放送大学のほうも 親から資金援助してもらって 岡山に10連泊したりなんかして、 贅沢させてもらっているが、 これは 無意識なのか、 急に 気力・体力の衰えを 感じる。 お金がなけりゃ 生きていけないのは 現代人の宿命だが、 母親が亡くなったら どう 生きていけばいい? 別に 病気だって治ったわけじゃない。 当然 薬だって 必要だ。 我ながらよく頑張ったとは 思うが、 正直 お金を稼ぐのは 不得手だ。 そもそも、そこまで 要求するのは いくらなんでも 酷なんじゃないか? かといって 自殺する気はサラサラないし。 人生100年時代? バカいうんじゃないよ。 40ちょい 生きるだけで これだけ大変なのに、 100年も生きろだと? 単純に 体の調子が 悪いだけなのかも知れないが、 なんだか 急に 疲れた。 若いうちは 気力だけは凄かったから どうにかなったが、 その 肝心の気力が 涸れつつある。

火曜日の日経新聞 経済教室

東大の柳川範之先生の お話でした。 日本では 賃金の上方硬直性がある、 つまり 賃金が上がりにくい。 したがって、 物価が上昇しても、 名目賃金の上昇が 追いつかず、 かえって 実質賃金が目減りしてしまう。 普通のマクロ経済モデルでは、 物価が上がれば 労働の供給量も上がるはずだが、 日本では 物価が上昇すると、 かえって 実質賃金が目減りするために、 逆に 労働の供給量が減少する。 よって、普通ならば 総需要喚起策は GDPを増やすはずが、 総需要が増加すると、 物価を押し上げるために、 逆に 物価が上がることにより 労働供給量が減り、 結果的に 総供給が減り、 GDPを押し下げてしまう。 繰り返すと、普通のマクロ経済モデルならば、 総需要を増やせば GDPが増えるはずが、 逆に、 総供給が減少するために、 GDPも押し下げられてしまう。 これは日本経済特有の現象だと論じられている。 日本的終身雇用制度における 賃金の上がりにくさや、 企業と労働組合が 馴れ合いの関係にある 労使慣行など、 かなり 根の深い問題のようだ。 これは、戦時中の 計画経済が戦後にも 引き継がれた影響も あるかも知れない。 官僚とメインバンク主導の 企業経営と言われるものがそれだ。 また、戦後、労働省の有名な役人が GHQと大喧嘩して、 その中身が、 労働省の役人は、 労働者が生活できるだけの給料をまず 計算して、それから逆算して 仕事の量を決める、と 主張したのに対し、 GHQは、それは馬鹿げた考えだ、と 喧嘩になった、という話を 原田順子先生の面接授業で聞いた。 そこらへんはまだ 全然勉強できてない。 戦後日本の歴史は、まだまだ 勉強することが多い。 今日 (水曜日) の 日経新聞にも、 行き過ぎた 労使協調路線が 賃金が上がらない 原因のひとつ、と 書いてあったね。

今日も秋空

母親も 要介護3で、 俺も 精神障害者2級で、 介護保険と 傷害保険で ヘルパーさんが 毎日来て 飯つくってくれて 掃除もしてくれるんだが、 正直 本人たちは どう見ても そんなに重症ではない。 確かに、 母親も脳梗塞を発症したとはいえ、 (俺が) 早期発見したから、 症状は軽い。 俺自身、いかに 20年前に 措置入院を食らったとはいえ、 薬は確かに 必需品だが、 至ってヘルシーだ。 しかし、思い返してみれば、 幼少期から、 小林家というのは 毎日が 非常事態、 とても 安らぎの場所ではなかった。 むしろ 針のむしろだった。 母親も外面がいいから 傍目から見れば 恵まれた家庭だっただろうが、 母親が 心を閉ざしているから、 父親がいくら 稼いでも、 それを相殺して余りあるほど、 小林家というのは 毎日が非常事態だったのだ。 ここ最近は、ほんとに お互い心安らかに暮らしているが、 こうやって完全に 平穏な暮らしを出来るまでには、 本当に 長い道のりだった。 母親は、 息子(俺)が 働いてお金を稼ぐことよりも、 勉強して 学問のある人間になることのほうが、 遥かに嬉しいのだ。 俺自身、勉強は好きだ。 (理数系はまったくワカランが。) それは、母親自身 都立日比谷高校出身というのも 影響している。 姉は姉で、一緒に暮らしていた頃は モラルハザードが酷いものだったが、 いまは 結婚して出て行って、子供も出来たから、 じぃじばぁば 愛してる、なんていう どの口が言ってんだ?と 突っ込みたくなるような おべんちゃらを言っている。 とにかく、いまの小林家は 平和だ。 この平和に至るまでに 俺自身、他人には想像を絶するほどの 苦労をしながら 貢献してきたのだ。 だから、立派に 今の 安閑たる生活を享受して 許されるのだ。