20年前
東戸塚の
日向台っていう
精神病院に
2ヶ月
いたんだが、
名前の通り
日当たりのいい
ところで、
要するに
暑かった。
心因性多飲症で
今でも
日々
大量の
お茶だの
冷水だのが
必要な自分には、
冷水さえ
滅多に飲めないのは
苦痛だった。
だいたい
5月から7月の間
だったと思うが、
暑いのに
冷水さえ飲めず、
もちろん空調も効かない。
たまに
作業療法の時間があり、
旧い建物の一室で
ビーズの編み物を作ったり
したんだが、飽きて
薄暗い
ソファーベッドに寝転んで、
俺は
こんなところに居て
この先の人生は
一体どうなるんだろう?と
漠たる、
漠たるとしか
言いようのない
感覚に侵されていた。
今年はそれから
20年てことで
放送大学のほうも
親から資金援助してもらって
岡山に10連泊したりなんかして、
贅沢させてもらっているが、
これは
無意識なのか、
急に
気力・体力の衰えを
感じる。
お金がなけりゃ
生きていけないのは
現代人の宿命だが、
母親が亡くなったら
どう
生きていけばいい?
別に
病気だって治ったわけじゃない。
当然
薬だって
必要だ。
我ながらよく頑張ったとは
思うが、
正直
お金を稼ぐのは
不得手だ。
そもそも、そこまで
要求するのは
いくらなんでも
酷なんじゃないか?
かといって
自殺する気はサラサラないし。
人生100年時代?
バカいうんじゃないよ。
40ちょい
生きるだけで
これだけ大変なのに、
100年も生きろだと?
単純に
体の調子が
悪いだけなのかも知れないが、
なんだか
急に
疲れた。
若いうちは
気力だけは凄かったから
どうにかなったが、
その
肝心の気力が
涸れつつある。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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