東大の柳川範之先生の
お話でした。
日本では
賃金の上方硬直性がある、
つまり
賃金が上がりにくい。
したがって、
物価が上昇しても、
名目賃金の上昇が
追いつかず、
かえって
実質賃金が目減りしてしまう。
普通のマクロ経済モデルでは、
物価が上がれば
労働の供給量も上がるはずだが、
日本では
物価が上昇すると、
かえって
実質賃金が目減りするために、
逆に
労働の供給量が減少する。
よって、普通ならば
総需要喚起策は
GDPを増やすはずが、
総需要が増加すると、
物価を押し上げるために、
逆に
物価が上がることにより
労働供給量が減り、
結果的に
総供給が減り、
GDPを押し下げてしまう。
繰り返すと、普通のマクロ経済モデルならば、
総需要を増やせば
GDPが増えるはずが、
逆に、
総供給が減少するために、
GDPも押し下げられてしまう。
これは日本経済特有の現象だと論じられている。
日本的終身雇用制度における
賃金の上がりにくさや、
企業と労働組合が
馴れ合いの関係にある
労使慣行など、
かなり
根の深い問題のようだ。
これは、戦時中の
計画経済が戦後にも
引き継がれた影響も
あるかも知れない。
官僚とメインバンク主導の
企業経営と言われるものがそれだ。
また、戦後、労働省の有名な役人が
GHQと大喧嘩して、
その中身が、
労働省の役人は、
労働者が生活できるだけの給料をまず
計算して、それから逆算して
仕事の量を決める、と
主張したのに対し、
GHQは、それは馬鹿げた考えだ、と
喧嘩になった、という話を
原田順子先生の面接授業で聞いた。
そこらへんはまだ
全然勉強できてない。
戦後日本の歴史は、まだまだ
勉強することが多い。
今日
(水曜日)
の
日経新聞にも、
行き過ぎた
労使協調路線が
賃金が上がらない
原因のひとつ、と
書いてあったね。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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