最高の贅沢
俺だって、嫌われるのは、嫌だ。 言いたいこと、言わなきゃいけないと俺が思うこと、は、これからも言い続けるだろう。 そうしなければ、自分の生存領域ですら、侵略される。 だから、言い続ける。 だが、嫌われるのも、嫌だ。 もう、嫌われようがなんだろうが、言いたいことを言う、というほどの元気がない。 でも、やっぱり言い続けるだろう。 それは、自分がそういうタチの人間だからだ。 黙っていられないんだ。 たとえ嫌われても。 それで離れていく人もいた。 非常識だ、と。 しかし、陳腐な物言いだが、なんでもかんでも「常識」で片付けていたら、世の中の何事もさも「当たり前のこと」としか見えない。 そんな生き方、面白いか? せっかく大学まで通わせてもらうからには、常識を疑って、自分の頭で考えるのが、「学ぶ」ということではないのか? 単に就職のために大学に行くことが、ほんとうに「コスパ」に適うことなのか?それが「タイパ」とやらに適しているのか? 俺はそうは思わない。 高等教育を受ける、ということは、単にメシのタネを稼ぐこと以上の、知的な極めて贅沢な体験であるはずのものだ。 「常識」を疑い、自分の頭で考える。 これが、現代人にとって最高の贅沢でなくて、なんなのか? 今だったら、放送大学という、入試もなければ、学費も激安で、しかも超クオリティーの高い教育機関が、誰に対しても開かれている。 これを利用しない手があるだろうか? 繰り返すが、現代人にとって最高に贅沢な生き方とは、「常識」を疑い、自分の頭で考える、ということだ。 そういう鍛錬を積んで、発言することは、往々にして「非常識」と受け止められ、そして、疎まれる。 だが、俺は黙っていられないタチだ。 それは、せっかくメシを喰ったのに、ウンコをしないようなものだ。 そんなのは無理だ。 だから、俺はこれからも言い続けるだろう。 それが最高の贅沢だから。 でも、もう嫌われることにも疲れた。 つまり、とても虫の良い話なのだ。 これ以上都合のいい話があるだろうか? (いや、ない。) しかし、ネットでなんでも言える時代に、自分が言いたいことを敢えて黙っているのは、あまりに勿体ないとは思わないか? せっかく学びの機会も用意されているというのに。 これが贅沢でなくて、なんなのか? 不自由だ不自由だ、と言うが、それはヨノナカのせいなのか? 学ぶ機会もある...