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「はじめて学ぶ民法判例」 実務教育出版

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一度は、もう民法の勉強をしたくない、と思って、本棚にしまってしまったが、やはり翻意して、また読み始めた。  

菜根譚 (再掲)

  グラスの底に、逃げ場のない「澱」が溜まっている。 それは、捨て去ることができなかった執着か、 あるいは、正体もわからぬまま抱え続けてきた後悔か。 鏡を拭うたび、 自分でも気づかないふりをしていた、醜い輪郭が浮き彫りになる。 けれど、その濁りを含めて引き受けることこそが、 灰になるまで生きるということなのだろう。 世の中は、透明であることばかりを求めるけれど。 澱みのない水には、魚も、人の業も棲みつくことはできない。 ふと、他者の眼差しが、その濁った底まで見透かしてくる。 それは拒絶ではなく、 「お前は、その澱と共に、どう生きるのか」という静かな問いだ。 救いなんて、どこにもない。 ただ、澱んだ記憶さえも暖簾の一部として、 私は、この冷えた夜をやり過ごす。 すべてが灰に還るとき、 この澱みさえも、美しい模様に見えるのかもしれない。 ただ、そこに在る。 濁りながらも、揺るぎなく。

菜根譚 (再掲)

  指先に残る、消えない煤(すす)の匂い。 いくら洗っても、この「業」という汚れだけは、 皮膚の裏側にまで染み付いて、離れてはくれない。 鏡を覗けば、 そこには聖人でも罪人でもない、ただの男が立っている。 善も悪も、同じ火で焼かれれば、 最後には等しく、区別のつかない灰になるというのに。 私たちは、自ら編み上げた執着の檻の中で、 自由という名の空虚を、ただ眺めている。 捨て去ることができないのは、 その重みこそが、自分がここに居る唯一の証(あかし)だからか。 ふと、背後で誰かの視線が重なる。 それは私を許すためではなく、 この「業」を背負ったまま、果てしない荒野を歩けと命じる声だ。 救いなど、とうの昔に風に捨てた。 ただ、濁った澱みの底で、 自らの暖簾を、命の限り守り抜く。 すべてが灰に還るその日まで、 私は、私の宿命(さだめ)を、一滴もこぼさずに飲み干そう。 ただ、そこに在る。 逃れられぬ自分を、抱きしめたまま。

灰 (再掲)

   火が消えたあとに残るものは、敗北の象徴ではない。それは、何かが熱狂的に、あるいは静かに生きたという「完遂」の証明である。 私たちはつい、赤々と燃える炎にばかり目を奪われる。上昇する火の粉や、闇を切り裂く光に生の躍動を見出し、それを美徳とする。しかし、火はやがて消える運命にあり、その後に残る「灰」こそが、その存在が確かにそこに在ったという重みを持って横たわっている。 灰は、もうそれ以上燃えることがない。情熱や野心といった、形を変え続けるエネルギーから解き放たれ、一つの最終形態に到達した姿だ。それは極めて無垢で、かつ頑固なまでに沈黙している。触れれば脆く崩れ、風が吹けば跡形もなく散ってしまうかもしれない。だが、その一粒一粒には、かつて木であったり、紙であったり、あるいは誰かの想いであったりした頃の「記憶」が、極限まで凝縮されている。 興味深いのは、灰がかつての形を完全に捨て去りながらも、どこか凛とした佇まいを保っていることだ。白く、あるいは淡い灰色に染まったその姿は、余計な装飾を削ぎ落とした末の「骨格」にも似ている。 「灰になるまで」という言葉がある。それはしばしば、心身を使い果たすまでの献身として語られるが、見方を変えれば、それは一つの純化のプロセスでもある。不純物を焼き尽くし、最後に残ったエッセンス。そこには、燃えている最中の喧騒よりも深い静寂と、ある種の知性が宿っているように思えてならない。 暖簾を掲げ、日々を営む。その営みの中で、私たちは絶えず何かを燃やし続けている。言葉を燃やし、時間を燃やし、時には自分自身の命を削るようにして熱を生む。その果てに残るものが、美しく清らかな灰であるようにと願うのは、きっと表現者としての本能なのだろう。 灰は、終わりではない。それは次なる季節の肥料となり、あるいは静かに大地に還り、新しい生の土台となる。 燃え尽きることを恐れる必要はない。ただ、その火が何を目指し、何を照らしたのか。その軌跡さえ失われなければ、最後に残る灰は、何よりも気高く、優しい輝きを放つはずだ。

菜根譚 (再掲)

   光を、浴びるのではない。 光を、吐き出すのだ。 かつて烈しく燃えた情熱が、 灰となって降り積もった、その最底から。 世間の眩しさに、眼を焼かれてはいけない。 本当の光は、 拭っても拭いきれぬ「澱(おり)」の中から、 静かに、滲み出すものだから。 後悔。執着。 その逃れられない濁りこそが、 あなたを、この地上に繋ぎ止めている。 すべてを諦め、灰の中に身を横たえたとき、 どこからともなく、ほのかな光が立ち昇る。 それは、世界を照らす灯火ではない。 あなたが今日まで、 ただ「生きて、そこにいた」ことへの、 名前のない、温かな肯定。 闇を深め、澱みを愛せ。 その重く、不透明な輝きの奥底に、 誰にも汚させぬ、あなただけの優しさが灯っている。 その一隅を、研ぎ澄ます。 それが、我々の「暖簾」にほかならない。

菜根譚 (再掲)

     ひるのひかりに やかれつつ きみは だれかを おもいだす よごれた上着は ぬぎすてて よるのしんえん ひとり座る こはくにゆれる そのしずく ミントのにおいが はなをぬけ はいでこされた しじまが あついこころを とき放つ よるはゆたかな ようざいか とおいだれかを 引き算し のこった わずかな いとしさで むねのしんおう みちてゆく やみを おそれることはない それは おもいをつなぐ時間 くもりなきまで みがきあげ こころののれん ととのえん よるを知るめは すずやかに あしたのざわめき つきぬける りんとさくべき いちりんの きみのこどくを はじめればいい