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統計に騙されないために (再掲)

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   昨日の日経新聞のコラム(?)で、要するに大卒のほうが教育費込みで考えてもコスパいい、みたいなことを東北大学の教授が書いていたが、そりゃあそうだろうよ。そもそも日本の社会全体が特に就職において高卒より大卒を優遇するように出来てんだから。と、いうかそれ以前の話として、頭くるからあまり真面目に読めないが、どういうデータの取り方をしたのかはよく分からないが、そもそものデータの取り方として、大卒でちゃんと就職して定年まで働いた人を前提として調査しているフシがある。大学に行って、環境に適応できずにかえって俺みたいに働けなくなった人間を最初からデータから外している(ように見える)。そりゃあ、大卒のほうがコスパよく見えるだろうよ。っていうか、それ以前の話として、大学で勉強することの価値を、すべてとは言わないが、金銭的価値に置き換えよう、という発想が気に入らない。それはともかく、データの取り方の恣意性にはよほど注意しないといけない。自分はもちろん統計学に詳しいわけではないが、データに騙されないために気をつけなければいけない注意点を、わかりやすく解説した本として、ちくま新書の「ニュースの数字をどう読むか ―統計にだまされないための22章」を挙げておきます。  

安積疏水と昭和恐慌の深掘り (再掲)

  近代化の超克と社会構造の歪み:安積疏水事業から昭和恐慌期の東北農村困窮にみる歴史的ダイナミズム 1. 序論:安積野の近代化と社会危機の連環 地方の歴史的変遷を大局的な歴史と対比しながら分析することは、単なる地域の記録を超え、一国の政治経済の動向を照射するうえで極めて有益なアプローチである 1 。明治維新以降、福島県郡山地域で展開された「安積疏水事業」は、国家的な士族授産と近代的な産業インフラ整備という近代化の「光」を象徴する一大変革であった 1 。一方で、そこから半世紀を経た昭和初期、東北地方を襲った「昭和恐慌」と「農業恐慌」の過酷な現実は、近代化の過程で生じた社会構造の不均衡と、マクロ経済政策の不全がもたらした悲劇的な「影」を如実に示している 1 。 本報告書は、安積疏水事業による郡山の近代化プロセスを技術的・産業的視点から再検証するとともに、昭和恐慌期における東北農村の極限的な困窮(欠食児童や娘の身売り)の実態と構造的要因を分析する。さらに、その農村危機が「憲政の常道」への失望を生み、青年将校の義憤を通じて二・二六事件などの軍部台頭および戦時国家体制へと日本を駆り立てていった政治経済的・社会心理学的な因果関係を、構造的な視点から解き明かす。 2. 明治国営開拓の先駆:安積疏水と郡山の近代産業化 2.1 大久保利通のビジョンと「一本の水路」の思想 江戸時代、のちに郡山盆地と呼ばれる安積野の地は、保水力に乏しく飲料水すら不足する枯渇した原野であり、水利をめぐる地域間の紛争や雨乞いが日常化していた 2 。西方の天空(標高514m)には猪苗代湖が豊かな水を湛えていたが、奥羽山脈が自然の障壁となり、その湖水は西側の会津盆地側へ流れるのみで、東側の安積原野へ注ぐことは物理的に不可能とされていた 2 。江戸時代から「猪苗代湖の水を安積原野へ引く」という構想自体は存在していたものの、技術や資金の限界から、それは長く「夢物語」の域を出なかった 2 。 明治維新後、この状況に根本的な転換をもたらしたのが、内務卿・大久保利通のビジョンであった 2 。明治政府は版籍奉還や秩禄処分によって生計手段を失った全国の旧武士(士族)の不満を解消する「士族授産」と、外貨獲得および国内産業の育成を目指す「殖産興業」を同時に推進していた 2 。大久保は、広大な未開地と猪苗代湖という水源、さ...