投稿

7月, 2026の投稿を表示しています

ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 レジュメより (再掲)

      問い: 幸福とは何か 。  ソクラテスは誰でも、これは、自分で人生を「設計してゆく」という発想と結びつくことである。 したがって、<配慮するもの>をもち、配慮を重ねてそのつど考え、行動する自分の人生設計者としての「一人称特権」のようなものは、幸福を問題にするとき、なおざりにできない。   たとえあることが自分のためであっても、それを押し付けられたのでは「自分の人生」ではなくなる。 ソクラテスは、このような一人称の問題があることに反して精神や徳に気を遣えといっているのではなく、 この問題があるからそれに沿うように「気を遣うもの」を考えさせようとした、 その場合、精神的なものや徳に気を遣うことは、あなたにとって納得できる方向になるはずだ、という語りかけをしている。    ☆人生を「まじめに」考えること   1.幸福の中身は「一人一人の問題」であり、他人に勧告されるには及ばない。 しかし幸福というものにまつわる「構造」や「形式」の問題は、単に「その人の問題」であるのではない。 われわれの「人生の夢」の見方は、お互いに、似ている。 構造や夢の見方を「知る」ことは、自分の「一人称」としての資格や個人の強さを上昇させてくれそうに思える。   2.問題なのは、人が「分かりやすい資格として」もしくは何らか「世間的に」上昇するということではない。 たとえば、社長になるとか出世するとか大学教員になるとか有名人になるとか金持ちになるとかではない。 実質的に自分の人生に対してよい位置を占めるようになることである。 したがって、ほんとうに行動が「自分のもの」として首尾一貫して統御されていること、 ほんとうの気持ち・実感から発想したことが 同時に知性の表現にもなっていることが目標になる。   3.ソクラテスはここで、 「知性」にふさわしい課題 がじつは数多くあり、 それを追求しながら生きてゆくことが幸福につながる、と語りかける。 われわれの生活は、目的・手段の関係を持つ多くの行為からできている。 お金儲けや名声・地位等のためのことは、 お金・名声・地位・容姿等で何をするかという、 「次の問い」を予想する。 ここから、人間らしい生活は、「その先」を考えるところまでいかなければ 成就しない、という結論を導く...

菜根譚 (再掲)

      ひるのひかりに やかれつつ きみは だれかを おもいだす よごれた上着は ぬぎすてて よるのしんえん ひとり座る こはくにゆれる そのしずく ミントのにおいが はなをぬけ はいでこされた しじまが あついこころを とき放つ よるはゆたかな ようざいか とおいだれかを 引き算し のこった わずかな いとしさで むねのしんおう みちてゆく やみを おそれることはない それは おもいをつなぐ時間 くもりなきまで みがきあげ こころののれん ととのえん よるを知るめは すずやかに あしたのざわめき つきぬける りんとさくべき いちりんの きみのこどくを はじめればいい

菜根譚 (再掲)

      「正解」という言葉は、耳に心地よいけれど、どこか他人の匂いがする。 最短距離で、最小の労力で。 そうやって導き出された答えをなぞる日々は、便利ではあるけれど、 自分の人生を生きているという実感を、少しずつ削り取っていく。 誰かが整備した舗装道路を歩くとき、人は足元ばかりを見て、 空の色を忘れてしまうものだから。 けれどそこに、たった一滴、「希望」という名の不純物を垂らしてみる。 それは客観的な正しさを壊す、あまりに主観的な、わがままな一滴。 しかし、その瞬間に風景は一変する。 乾いた砂のような「正しさ」の集積が、 潤いを帯び、形を変え、私だけの「物語」として脈打ち始める。 ただの天体の位置に過ぎなかった「北極星」が、 私にだけ行き先を教える、唯一無二の光として輝きだす。 確かなものなんて、何ひとつない。 それでも、自分で灯した光だけは、裏切らない。 世界がどんなに「正解」を求めても、 私は、この頼りない「物語」と共に歩いていこうと思う。 暗闇を照らすのは、いつだって効率ではなく、 心の奥底に秘めた、青い熱量なのだから。 今夜も、静かな夜に。 あなたの物語に、乾杯。

菜根譚 (再掲)

   迷子になれる場所を、ずっと探していた気がする。 カレンダーの数字に追われ、 誰かの評価という、実体のない風に背中を押されて。 私たちはいつのまにか、自分の足音さえ忘れてしまった。 ふと、立ち止まる。 錆びた看板。 夕暮れに染まる、名もなき坂道。 そこには、世界が決めた「時間」なんて、どこにもなかった。 一時間を、効率という言葉で切り売りするのは、もう終わりだ。 これからは、自分のためだけに「刻」を使おう。 賑やかな場所から、少しだけ距離を置く。 それは、孤独になることじゃない。 自分という「個」の輪郭を、もう一度、確かめるための作法。 昨日の自分に、義理立てはしない。 明日の自分を、今から縛りもしない。 揺れる暖簾の向こう側に、 ただ、透明な「今」が重なっていく。 一刻、また、一刻。 私は、私を、生きてみる。