2023年10月13日金曜日

ハッピーな生活はつまらない

こんなご時世に ハッピーな暮らしを してる奴は、 発言権がないのだろうか? 俺は いま確かに ハッピーな暮らしをしてるが、 一歩間違えれば ドン底にいた シナリオだって いくらでもあった。 母親が半身不随とか、 最悪 死んでた可能性もあるし、 俺自身 引きこもりに なってたって 全然おかしくない。 ハッピーな暮らしなんて、 このご時世 そうそうあるもんじゃないし、 イカニモな 生活を仮構するために 不要な要素を捨象していったら、 そんなやつ どこにもいねーよ。 て話にならざるを得ない。 不幸な生活も同様だろう。 今から 振り返れば、 過去20年間 俺は、というか 小林家は ずっと 不幸だった。 父親以外は。 そういう意味では、 いまは いかにもシンプルな暮らしを していることになるだろう。 なぜなら ハッピーだからだ。 それが そんなに 悪いことなのか? 自分以外の他人 全員が 不幸でないと 気が済まないとでも 言うのだろうか。 その気持はわからなくもないが。 しかし、自分よりも 少しでも ハッピーな暮らしをしている やつを あげつらって、 既得権益だの なんだの騒いで、 自分に降りかかる不幸と 同じか それより酷い 目に遭わせなければ 気が済まない、 という社会は、 持続可能な社会ではない。 なぜなら、民主主義社会では、 それが 民意として 全員を平等に不幸にする社会が 実現されるからだ。 戦後社会は、 <戦争の記憶> という 不幸を共有していたから、 逆説的に ハッピーな社会だったのかも知れない。 いや、結局 他人のハッピーな生活なんて、 そもそも 面白くもなんともないのだ。 それが 人間のサガだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

お金の価値と共同幻想

 山本太郎は相変わらず、とりあえず一律10万円給付だの、消費税廃止だの言ってるが、どんなに難しい理屈をこねくり回したところで、生活者が、ある日、ふと「あれ、この1万円札って、ただの紙切れなんじゃね?」と気づいちゃったら、それはもうその1万円札はただの紙切れでしかなくなっちゃうんだ...