お金の価値と共同幻想

 山本太郎は相変わらず、とりあえず一律10万円給付だの、消費税廃止だの言ってるが、どんなに難しい理屈をこねくり回したところで、生活者が、ある日、ふと「あれ、この1万円札って、ただの紙切れなんじゃね?」と気づいちゃったら、それはもうその1万円札はただの紙切れでしかなくなっちゃうんだよ。

つまり、1万円札が1万円の価値があるとみんなが思ってるのは、ある種の共同幻想なわけ。

だから、ばら撒きゃいいってもんじゃねえんだよ。

そこは、常識で考えようよ。

究極的には、国の富の源泉は、付加価値の合計、つまり、GDPなのよ。

なぜ大学の経済学の授業で、最初にGDPを教えるか、というのは、どんなに屁理屈を振り回したところで、結局は国の富の源泉は付加価値の合計であって、貨幣流通量がどうとか、ましてやMMT理論がどうとかってことではないんだよ。

コンビ名が思い出せないんだが、ハウス加賀谷の相方の松本キックが、体育会系で、先輩が、木の葉をひらひらさせて、「この1万円札あげるから、あの女の子をナンパしてこい。」と言われたら、押忍!って言ってナンパしなくちゃいけない訳だけど、そこには、たとえ木の葉(1万円札?)であっても、そこに「暴力」という裏付けがあるから通用するわけであって、現実の1万円札にも、日本国の財政状況に対する信任という、「裏付け」があるから、1万円としての価値をみんなが共有する(共同幻想)んだよ。

それを無視して、日本国の財政状況への信任を無視して、ただばら撒けばいい、というのは、ただのバカ。

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