2022年6月30日木曜日
アナウンサーなの?芸能人なの?
ホラン千秋が完全にTBS.夕方の顔になってるが、彼女はいつから局アナになったんだ?
芸能活動も当然やってるし。
TBS.の局アナからすれば、なんで?てなるよなー?
逆に、田中みな実みたいに、元は局アナだったのに、完全に芸能人になってる例もあるし。
局アナになれるくらいの容姿があれば、芸能人もできる、というのか?
局アナってその程度の存在なの?
芸能人ってその程度の存在なの?
入社試験も受けてない人間が局アナ同然のことやってれば、他の局アナは噴飯ものだろう。
例えば、レポートしてる最中に地震などの災害が発生した時に、局アナとして訓練を受けてない人間が、冷静に対処できるのか?
出来るかも知れないが、局アナの存在意義って、そういう非常事態の時に冷静に対処できてなんぼなんじゃないの?
ただクールに原稿読んでりゃそれでいいっていうレベルの職業じゃないでしょ?
局アナじゃなくても、有働さんみたいにそれこそ地震の時に冷静に対処して株を上げる人もいるけどさ。
ふと思った。
第一次所得収支も、
ドルを円換算してる部分がかなりあるし、
また、
日本国内の家計部門の貯蓄が海外に投資されても、
それも統計上は黒字として計上されるし、
結局、
経常収支、
もちろん黒字に越したことはないけど、
黒字だからといって安心はできないし、
それ以前に、
経常収支を国の財政の健全性と絡めて論じること自体が、
それほど決定的ではないのではないか。
しかし、そうとなると、日本国債は誰が買い支えているのか?
というと、結局日銀ということになるんだろう。
2、3日前の日経新聞の1面に、日銀の日本国債保有比率が5割越した、と書いてあったし。
もちろん、海外投機筋が円安と日本国債売り仕掛てるし。
日銀が金融緩和修正に動くのを海外投機筋は期待してるようだが、なんかもう黒田総裁、というか、日銀も、意地になってるというレベルを超えて、飽くまでも負けを認めない青年将校みたいになってる気がする。
つまり、円安は放置、日本国債も、ひたすら買い続ける。
早くギブアップしたほうが痛みが少ないのに、最後の最後まで粘る気がして仕方がない。
もっとも、利上げ以前にイールドカーブコントロールから抜け出すことすら難しいんだから、急に金融緩和修正なんか出来るはずがないんだが。
FRBだって、細心の注意を払って慎重に市場と対話しながら利上げしててもこれだけ混乱があるのに、日銀がある日突然利上げなんかしたら、どんな混乱が起きるんだか。
でも、たぶんそれ以外選択肢がない。
「金融と社会」質問と回答その3
質問:2022年6月28日付け日経新聞朝刊に、
「家計資産、脱『預金』の兆し」と題して、
末尾に、
「いくら運用手段を充実させても、
企業の競争力が海外より劣っていれば家計の資金が海外に逃避する『キャピタルフライト』を招いて国力低下につながる。
(以下略)」
としてありましたが、
このような家計部門の海外への移転は、
経常収支の統計上どのように現れるのでしょうか?
回答:国連にあわせて、2014年に国際収支関連統計の大幅改訂がありましたので、統計上の扱いが大きく変わりました。
それ以前は、海外の国債や株式を買うと、日本のお金が出ていくから資本収支赤字とされ、お金が逃げていく「キャピタルフライト」のイメージでした。
でも、海外の国債や株式を買うのは、今後利子配当が期待できる金融資産が増えたことを意味しますので、いまは金融収支で「黒字」とされています。
海外での資産運用は、キャピタルフライトではなく、今後の収入を保証してくれる金融収支黒字要素と扱われています。
成長する海外企業に投資するのは良いことです。
2022年6月28日火曜日
失言?
https://news.yahoo.co.jp/articles/c666d158e913bd77719f9630672870805aac29b1
テレビ東京の西野アナがいつの間にか退職してたらしい。
なんか一筋縄ではいかない感じの人だったけど、またなんか新しい道見つけてそう。
サウジの石油施設爆破ってのも、決してない話じゃなくて、現にサウジと敵対するイランに後押しされた、イエメンのフーシ派が現にサウジの石油施設にミサイル打ち込んだり、謎のドローン攻撃仕掛たりしてるし、言葉は過激だけど、発想としては、当然あり得る話。
拷問だよ・・・
ガラホが完全に死んだから、アマゾンでSIMフリーの格安スマホの本体を買ったものの、キャリヤーから後でごちゃごちゃ言われたら嫌だから、一応念のために電話かけたら、コールセンターからショップにたらい回しにされて、めんどくせーからネットで機種変更しようと思ったら、パスワードが違うとかで、電話でやろうとしたものの、40分くらい延々と脳にギャンギャン響く声で細けーことごちゃごちゃ言われて、最終的になんとか終わった。
俺のケータイの名義人が母親である上に、母親がショップ行く気ゼロだから、電話口で全部やらざるを得なかった。
母親もめちゃくちゃ頑固だから、どうせ何言っても聞かねーし。
まあ店頭でもかなり面倒くさいんだろうけど、とにかく疲れた。
もう叫びたいくらい疲れた。
でも、ようやくスマホデビューだ。
胃が痛え。
贈る言葉
ベンヤミンは、「手」にもとづく認識の成果としての技術の巨大な発展が全く新しい貧困状態をもたらしたと指摘している。
「技術の巨大な発展とともに、まったく新しい貧困が人類に襲いかかってきたのである。」(「貧困と経験」『著作集』第1巻)
技術は不断の発明・発見によって次々に新しいものを作り出しては古いものを破壊していく「創造的破壊」(creative destruction)(シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』)をもたらす。
機械は急速に進化していき、不断に「倫理的摩滅」にさらされている。(『資本論』第1巻、P.528参照)
それとともに人間の生活を支えている周囲の事物はことごとく変化してしまうならば、人間はもはや自らの過去の経験を頼りにすることができず、つねに最初から新たにやり直すしかなくなってしまう。
「まだ鉄道馬車で学校へかよったことのあるひとつの世代が、いま、青空に浮かぶ雲のほかは何もかも変貌してしまった風景のなかに立っていた。破壊的な力と力がぶつかりあい、爆発をつづけているただなかに、ちっぽけなよわよわしい人間が立っていた。・・・これはそのまま、一種の新しい野蛮状態を意味する。
野蛮?
そのとおりである。
・・・経験の貧困に直面した野蛮人には、最初からやりなおしをするほかはない。あらたにはじめるのである。」(「経験と貧困」)
これは、1933年の「経験」状況である。
ベンヤミンは、人生における経験がゆっくりと時間をかけてつくられていくような「完成する時間」に対して、「永劫回帰」する時間を対置する。
「・・・完成する時間・・・は、着手したものを完成することを許されないひとびとが住む地獄の時間と対をなしている。」(「ボードレールのいくつかのモチーフについて」『著作集』第6巻)
2022年6月27日月曜日
著しく萎える
ガラホが死んだ。
なんかの接続不良かも知れんけど。
それはともかく、なんで40にもなって母親名義のガラホ使ってんだろう?
意味わかんねえ。
Googleのノートパソコンがアマゾンで35000円で買える時代に、ケータイ持つ必要があるのか?
アップルウォッチかブラックベリーで良くね?
本人確認に使うから持たざるを得ないけど。
むしろ、もうGoogleのケータイとか使ってみたいわ。
そのうち参入してくるんじゃないの?
そうすればGoogleのアカウントそのまま使えるからウィンウィンじゃん。
・・・って、Googleのケータイ既にこの世に存在してるじゃん!!!
ノートパソコンよりケータイ本体が高いのが理解できないが。
今までどういうわけか京セラのケータイ使ってたが、もう日本製のケータイなど要らん!
使いづれえんじゃボケェ!
MMT理論
https://finance.yahoo.co.jp/brokers-hikaku/experts/questions/q13225491543
MMT理論が正しいかどうかというより、単純にMMT理論では為替はタッチしてない、できない、って話ですね。
結局、少なくとも日本においてMMT理論に意味があったのは、世界中がディスインフレで、金利が上がらないことが大前提だった。
インフレになったら利上げすればいいってのも、現実には言うほど簡単ではないってのも、すでに衆目一致するところですね。
河北新報
https://kahoku.news/articles/20220627khn000018.html
消費税に逆進性があるのは事実かも知れないが、だから軽減税率導入したんじゃないの?
そら家計に負担なのはわかるけどさ。
母親が入院してるときに、スーパーで食料品買ったときに、ふとレシートみてびっくりしたけど、ほとんど消費税率8%じゃん。
それに、景気が後退したのは消費増税のせいだ、と書いてあるが、そもそも景気が落ち込む理由なんてそんなに簡単に特定できるもんなの?
コロナは関係ないの?
問題は消費税よりも、デジタル・トランスフォーメーションとか散々騒いでるのに、果たして本当に労働生産性が上がっているのか、あるいは、地方経済にテコ入れと言いながら、相変わらずバラまいているが、そのカネが有効に使われているのか?
そういったことを議論するべきではないのか?
ちょっともう昔の話になるが、安倍が国難突破などと言って、選挙民の歓心を買うために、消費税の増収分の使い道を変更してしまったが、先を見据えて支出を切り詰めている高齢者のための社会保障費の財源としてのカネと、何かとお金の掛かる子育て世帯のためのカネとでは、重みが違うのではないか?
そこを議論しないで、単純に消費増税性悪説を唱えるのは、天下の公器としてどうなのか?
もっとも、それ以前の話をまともに議論し、訴えることすらしない与党も野党も愚かで無責任なのだが。
もっとも、日米地位協定のような、国の根幹に関わることを国会で議論せずに行政協定で決めたり、安倍政権が乱発した閣議決定のように、そもそも国権の最高機関とわざわざ憲法に明記してある、国会の存在意義自体を骨抜きにしてきた、この国の政治の成れの果てという感があるが。
円キャリートレードとは何か?(再掲)
質問:円キャリートレードというのがよくわからないのですが、日米金利差で円安ドル高が進行するなか、ドルを持っている人が、円を買って、より安くて金利の高い海外通貨で稼ぐ、という意味なら、わからなくもないですが、それだったら最初からドルで円より安くて金利の高い通貨を買えばいいと思われますし、円キャリートレードとは一体なんなのかよくわからないのですが。
旧民主党政権の時にもそういうことがありましたね。
回答:インターネット上にたくさん情報はありますが、どれも文章説明だけで、図を使った解説がないようなので分かりにくいのかもしれません。
この取引のスタートは現在「①低金利の円を借りる」です。
それを「②ドルに替え」て「③高金利のドル資産で運用する」。
そして将来「④稼いだドルを円に戻し」て、「⑤借りていた円を返済する」で完了です。
この取引が活発に起きるのは、まず①(⑤)と③を左右する日米金利差です。
現在米国で運用した方が有利で、今後も金利差は広がると「予想」されます。
もうひとつは②と④で、現在円安なので円をドルに替えることは損に思えます。
しかし将来もっと円安になると「予想」すれば、④で円に戻したとき、多くの円に替えることができます。
コーヒーまずい
日の出が早いし、日が昇ると暑いので、朝っぱらからコンビニ行ってきたけど、高いの知っててタリーズの缶コーヒー買ったのに、カフェインが濃いだけで、まずい。
実質値上げか?
COSTAは旨いけど、ブラック無糖が売ってない。
量は少なくていいから、旨いコーヒーが飲みたいんじゃー!!!
観音山から吹き降ろす風が心地良い。
2022年6月26日日曜日
「人間の条件」ハンナ・アーレント
近代の経済学の根本にあるのはこれと同一の画一主義である。
つまり、近代の経済学は、人間は行動するのであって、お互い同士活動するのではないと仮定している。
実際、近代の経済学は社会の勃興と時を同じくして誕生し、その主要な技術的道具である統計学とともに、すぐれて社会の科学となった。
経済学は、近代に至るまで、倫理学と政治学のあまり重要でない一部分であって、人間は他の分野と同様に、経済行動の分野においても活動するという仮定にもとづいていた。
この経済学が科学的性格を帯びるようになったのは、ようやく人間が社会的存在となり、一致して一定の行動パターンに従い、そのため、規則を守らない人たちが非社会的あるいは異常とみなされるようになってからである。(65~66ページ)
(中略)
しかし、多数を扱う場合に統計学の法則が完全に有効である以上、人口が増大するごとにその有効性が増し、それだけ「逸脱」が激減するのは明らかである。
政治の次元でいうと、このことは、一定の政治体で人口が殖えれば殖えるほど、公的領域を構成するものが、政治的なるものよりは、むしろ社会的なるものに次第に変わってゆくということである。(66ページ)
(中略)
行動主義とその「法則」は、不幸にも、有効であり、真実を含んでいる。
人びとが多くなればなるほど、彼らはいっそう行動するように思われ、いっそう非行動に耐えられなくなるように思われるからである。
統計学の面でみれば、このことは偏差がなくなり、標準化が進むことを意味する。
現実においては、偉業は、行動の波を防ぎとめるチャンスをますます失い、出来事は、その重要性、つまり歴史的時間を明らかにする能力を失うだろう。
統計学的な画一性はけっして無害の科学的理想などではない。
社会は型にはまった日常生活の中にどっぷり浸って、社会の存在そのものに固有の科学的外見と仲よく共存しているが、むしろ、統計学的な画一性とは、このような社会の隠れもない政治的理想なのである。(67ページ)
(中略)
大衆社会の出現とともに、社会的なるものの領域は、数世紀の発展の後に、大いに拡大された。
そして、今や、社会的領域は、一定の共同体の成員をすべて、平等に、かつ平等の力で、抱擁し、統制するに至っている。
しかも、社会はどんな環境のもとでも均一化する。
だから、現代世界で平等が勝利したというのは、社会が公的領域を征服し、その結果、区別と差異が個人の私的問題になったという事実を政治的、法的に承認したということにすぎない。(64ページ)
「人間の条件」ハンナ・アーレント ちくま学芸文庫
スプツニ子!
まえ日経新聞のコラムに寄稿してたけど、人工知能っていうのは、過去の膨大なデータから学習するから、男女差別やマイノリティーに関する社会の偏った部分を、そのまま受け継いでしまう危険性がある、と書いてたけど、最近ネット使ってても、Googleでも、なんていうか、もう、全部ではないにせよ、ほとんど検索入力したワードに対して、カテゴライズされた結果が返ってくるって感じることはあるね。
カテゴライズするってことは、そこから外れるやつは無視することにも繋がるからね。
その結果、偏見を助長するってこともある。
特に俺みたいな病気の人に対しては。
俺もいつポアされるかわからん。
もっとも、既存のメディアがそういう「カテゴライズ」の陥穽から逃れて、例えばこういう病気の実態をどこまで捉えてるかってのも、当事者目線から言えば、かなり疑問だけどね。
「カテゴライズ」が洗練化されればされるほど、偏見が固定化されるってこともあるしね。
「カテゴライズ」が洗練化されればされるほど、固定化された偏見で物事を判断するので、人々は自分の頭で考えなくなることも意味する。
そういう社会においては、マイノリティーが最も危険性にさらされる。
なぜならば、マイノリティーに関する社会の見方それ自体も、予め固定化されているから。
それは、極めて洗練にカテゴライズされた「アメリカ人」とか「日本人」のイメージが、実態とほとんど乖離しているのに似ている。
このような、統計学の社会的勝利は、ハンナ・アーレントが指摘した危険性に共鳴するものがある。
「金融と社会」回答その2
国債だけに話をしぼると、空売りを仕掛けているとみるのがよいでしょう。
今は日銀が国債を買い支えており、国債価格は高く(金利は低く)維持されています。
しかしいずれ日銀も政策転換し、国債価格の低下(金利上昇)を容認するようになるかもしれません。
そちらに賭けた投機筋は、今国債が高いうちに売って、将来安くなってから買い戻すことによって、その差額が利益となることを期待します。
「金融と社会」質問その2
2022年6月23日の日経新聞朝刊に、「円安、国債の売りと連鎖 海外投機筋 日銀の動き見透かす」と題した記事がありました。
自分なりに簡単にまとめると、金利差拡大による円安⇛(海外投機筋が)円売りを仕掛ける⇛輸入物価高騰によるインフレ⇛インフレ抑制のために、日銀が金融緩和修正⇛金融緩和修正による日本国債価格の低下を見越して、(海外投機筋が)日本国債売りを仕掛ける⇛日銀が日本国債を買い支える⇛金利差拡大による円安(最初に戻る)
ということになるかと思うのですが、投機筋は、円売りと日本国債売りを仕掛けることによって、どのようにして利益を得るのでしょうか?
日本経済の安定性にとって極めて危険でありつつも、印刷教材の第15章で説かれていたような、日本政府・日銀の矛盾点を突いているのは理解できるのですが。
最高裁判例
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E9%A7%85%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0%E6%8F%90%E5%87%BA%E5%91%BD%E4%BB%A4%E4%BA%8B%E4%BB%B6
最高裁判例って、時代背景とかの絡みでいまいち腑に落ちない件が多いけど、これはテーマそれ自体が今でも生きてるし、判決内容も首肯できる。
先日、岸田首相が、沖縄慰霊の日に沖繩を訪れた時に、罵声を浴びせられた、という報道があったけど、これが安倍だったら、絶対に報道なんかさせないもんね。
つまり、政治権力と報道ってのは、今でも緊張関係にあるってことだよね。
安倍とかそのお友達の高市なんか見てると、そういうことを強く思うよ。
SFC辞めたあと、中大通教5年間もやってたけど、あながち無駄でもなかった。
法律の単位はひとつも取れなかったけど。
ヤクルト勝ったー!!!
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a06db4e9e48a84fe91849d9e43c66f52f3cb5a8
巨人は、菅野も戸郷もノックアウトって、もう戦艦大和と武蔵が撃沈されたようなもんじゃん。
これから暑さ本番なのに、こんなに中継ぎ投入して首位攻防3連戦負け越しはキツイでしょ。
ま、知らんわ。
TOEIC
受けられんかった。
なんとなくめんどくせーからやめとこう、とかそういうんじゃなくて、ちょっともう、メンタル的にキビシイ。
ちょっと疲れてたとかそういうことじゃなくて、TOEICにまでアレルギー出ちゃったね。
仮に今日受けて、そのスコアをどっかに出す必要があることが明らかだったら、気持ち的に受けられてたかも知れないけど、それもなさそうだし。
受けて英語力が伸びるなら受けたいけど、うーん、受けても受けなくてもあんま変わんなくね?
これはもう無意識のレベルだから、如何ともし難い。
スコアだけ追いかけるのもなんかダルいし。
なんかなー、アレルギーの出方が、公務員試験のときと同じになってきたなー。
サンモニ
「風をよむ」は、相変わらず時事ネタを情緒でやってるなー。
これって、新聞ちゃんと読まないくせに俺は社会が分かってると思いたい中高年男性の、ケシカランの種を供給するためにやってるのかな?
結局、そうやってケシカランケシカランって言ってる視聴者が、裏を返せばくだらない自尊心と優越感を抱くのをお手伝いしてるだけじゃん。
ナレーションがまた、妙齢のご賢明な女性ってわけで、朝っぱらから社交場にいるかのような満足感を提供している。
時代錯誤の男尊女卑丸出し。
で、サンモニでちょっとシリアスな気分になった後で、サンジャポでバカ騒ぎして、リフレッシュっていう算段ですわ。
TBS.の日曜朝は、孤独な中高年男性の憂さ晴らし、社会は俺を中心に廻っているという妄想のお手伝いをメインテーマにしている。
でも、人口ボーナス的に考えると、こういうオッサンが「分厚い中間層」として、生産し、消費してくれていたから、日本は景気が良かったと考えることも出来るのかも知れない。
企業の方も、こういうオッサンとその家族を気持ちよくすることだけ考えていれば良かった。
ところが、今は逆にこういうオッサンとその配偶者の社会保障費が財政を圧迫しているし、将来が不安だから消費しないし、もちろん生産もしない。
団塊ジュニアの嗜好は多様化し、コンプライアンス意識も高い。
企業だって、嗜好が多様化、細分化してマーケティングという面では生産コストがかかる日本よりも、東南アジアのような人口ボーナスが期待できる市場に重点を移している。
その結果、日本国内の需要も労働市場も空洞化。
2022年6月25日土曜日
教師天国
言ってることが何一つ理解できない倫理の教師。
教壇に立つなり、おじさん疲れた、と言って去ってく漢文の教師。
中学生に酒作らせるアル中の生物教師。
むしろ、あの学校からどうやったら東大行けるのか、こっちが教えて欲しい。
そうか、俺は疲れているのか。
ずーっと前からだけど、たまに左目の下の際がピクピク痙攣するんだけど、今日もその症状が出たから、脳とかだったら嫌だなーと思って、顔面神経麻痺でネット検索したら、脳か耳鼻科だ、と書いてあったので、耳鼻科行ったら、眼科に行けと言われたので、眼科に行ってみたところ、(目が)疲れだ、と言われた。
脳ではないらしい。
良かった。
冬にも、首筋の後ろがピクピク痙攣するから、病院に行ってみたけど、やっぱり疲れだ、と言われた。
十二指腸潰瘍もあったし。
周りはみんな心身ボロボロにしながら働いてるけどね。
言わずもがな、俺もメンタルぶっ壊れてるけど。
江本孟紀氏の解説
https://news.goo.ne.jp/article/dailysports/sports/20220624164.html
氏の解説聞いて観てましたよ。
確かに言いたい放題言ってたけど、むしろ怒ってるのは巨人ファンのほうじゃないの?
巨人の中継ぎはレベル低いみたいなこと散々言ってたから。
嶋が併殺打に倒れて拍手が起きるってのも、もはや主力では絶対にありえない感が出てたし、それに違和感を覚えるのは普通じゃないか?
昨日の大勝でヤクルトファンが江本氏の発言にそこだけ反応して怒るってのも、考えづらいなー。
ヤクルトファンのフリして、巨人ファンが腹いせしてるだけとしか思えんがなー。
レベルが違う
https://news.yahoo.co.jp/articles/6074e909e095ef59bee3b9464b203c022b18b575
ヤクルト、巨人に16−6で圧勝。
監督の差ってのもあるけど、一番デカいのは、キャッチャーの差だよね。
中村悠平のリード技術は、少なくともセ・リーグでは他球団の捕手とは次元が違う。
それに、菅野は巨人のエースと言われているが、エースって言えるほどのピッチャーじゃないでしょ。
少なくとも今の状態では。
満塁で村上を空振り三振に仕留めるくらいの直球があるんだから、余計なこと考えないで、普通に投げりゃいいのに、なんかグズグズしてんだよな。
始まる前からして表情に覇気がないし、降板してからも、なんかナヨナヨしてるし。
やっぱね、原監督は身内贔屓ばっかりしてないで、菅野を容赦なく2軍に落とすぐらいのことしないとダメよ。
それくらいやらないと、周りの選手からは、菅野は身内だから贔屓されてる、と思われるよ。
そんなんでチームの士気が上がるはずがない。
ただでさえパワハラ野球してんだから。
菅野にしたって、周りから疎まれて、かえって居心地悪いだろう。
ま、巨人は過去の栄光を食いつぶして、カネに物言わせた小手先ばかりやってきたけど、それが土台から崩れてきた感じだね。
それはともかく、ヤクルトファンとして、巨人を許せないことがある。
全盛期のラミレスと、ヤクルト低迷期に唯一勝てるピッチャーだったグライシンガーを強奪したこと。
マジで許しがたい。
ヤクルトが見つけてきて、手塩にかけて育てて、さあこれから活躍してもらおう、というところでラミレスをカネで強奪したのも許せないし、ヤクルト低迷期に唯一勝てるピッチャーだったグライシンガーを強奪したのも、てめえケンカ売ってんのか?!て言いたくなる。
巨人にはしばらくヤクルトの後塵を拝して欲しい。
巨人ファンは、いや、ラミレスは自分で選んで巨人に来たんだ、というだろうが、それだったら、ドラフト会議で、下位の球団に優先権を与えるとかするべきじゃないか?
巨人ブランドとカネで他球団の主力連れてきておいて、格差是正には一切動かない、巨人が強いからこそプロ野球、みたいな風潮は、傲慢としか言いようがない。
確かにそういう傾向あるよね。
俺だって、ヤクルトが巨人倒すのが面白いから中継見るし、ヤクルト対中日なんて、見ないよ。
2022年6月24日金曜日
パックンすげー
やっぱネイティブ、しかもハーバード卒には敵わんなー。
パックンが、BSテレ東の朝の経済番組のコーナー担当してて、最後に英語のフレーズを紹介するんだけど、今日は職探しに関連して・・・・
Tenacity, sagacity and the right city.
(粘り強さ、賢さ、そして適切な街)
て言ってた。
これはなかなか言えんよ。
sagaciousっていう形容詞は知ってたけど、名詞で使う発想は俺にはなかったし、sagaciousって、ずる賢いとかネガティブなイメージの単語だから、こういう使い方はできんわ。
しかも、cityで3回韻を踏んでる。
お見事としか言いようがない。
簡単にまとめてみた。
金利差拡大による円安⇛円売りを仕掛ける⇛輸入物価高騰によるインフレ⇛インフレ抑制のために、日銀が金融緩和修正⇛金融緩和修正による日本国債価格の低下を見越して、日本国債売りを仕掛ける⇛日銀が日本国債を買い支える⇛金利差拡大による円安(最初に戻る)
日経三面
昨日の日経に貴重な情報が載ってた。
日銀はいくらでも国債買って無限に市場にマネーを供給できるっていう子供遊びは、もう終わりだ。
日銀がどこまで持ちこたえられるかわからないが、参院選はもしかしたら大混乱のなかで行われることになるかも知れない。
自分なりにうまくまとめようとしたけど、記事のパクリになるので、やめた。
いずれにせよ、海外投機筋の締め上げで、政府・日銀の非合理な金融政策は、終わりを告げた。
むしろ、海外投機筋に感謝しなくてはならないだろう。
彼らの動きがなければ、日本経済はもっと悲惨な末路を辿っていただろう。
大きな経済的ショックが待ち受けているだろうが、海外投機筋による日本政府・日銀の子供遊びの終焉は、それがなければ遥かに壊滅的な経済的ダメージから、日本を救ってくれた。
2022年6月23日木曜日
スッキリした
こんだけ政治的発言しちゃったら、公務員ていう選択肢はないね。
無意識のうちに、障害者枠で公務員ていう選択肢も考えてたけど、政治について好き放題言えないんじゃ、何も言えないのと同じ。
公務員ていう選択肢が、無意識のうちに自分を縛ってたけど、解放されてスッキリした。
暇
https://news.yahoo.co.jp/articles/d118c9a5fd3728903ba74ac10eeda459ba958956
テレ朝のモーニングショーは母親が毎朝見てるけど、今日はちょうど通院付き添いで見なかった。
森山さんが睨むところ見たかったな。
それはともかく、森山さんが怒る感覚もわかるけど、玉川さんが言うことも理解できるな。
要は世代というか、時代の違いなんじゃないの?
簡単に言うと、景気が良かったか悪かったか、っていう。
景気が良いっていうと、要するにインフレってことだけど、あくまで例として、韓国みたいに急速に経済発展してる国とかだと、当然インフレ率が高いわけだけど、そういう国って、日本みたいにデフレで経済成長全然してない国と比べると、経済格差が拡がり易いわけよ。
つまり、金持ちになれるやつはどんどん金持ちになるし、相対的に貧乏になるやつは、どんどん相対的に貧乏になる。
韓国の映画でそういうのあったよね。
半地下で暮らしてる家族が、上に住んでる金持ちのWi-Fiの電波パクって暮らしてるっていう。
タイトル忘れた。
つまり、玉川さんが学生だった頃は、まだ景気が良かったから、出世するやつと結婚できるかどうかがより重要だったけど、今みたいに頑張っても頑張らなくても大して差がないような社会だと、ちょっと違った価値観で相手を評価してるってことになるんじゃないかな?
それが幸せかどうかは当人次第かもしれないけど。
デフレマインドの払拭といえば聞こえはいいが、コストプッシュにせよデマンドプルにせよ、インフレになるってことは、同語反復だけど、物価が上がるってことだからね。
賃金の上昇が伴えばいいけど、今の日本でそうなる気配があるとも思えないし。
余計生活苦しくなるだけなんじゃないの?
仮にインフレ政策が成功したとして、ぬるま湯環境に慣れたワカモノが、厳しい競争社会についていけるのか?
かなり疑問だ。
もっとも、ワカモノの数自体が少ないんだから、ちょっとインフレになったくらいで競争が激しくなるとも考えられないけど。
しかし、彼らは気付いていないだろうが、少子高齢化のツケを、生まれる前から、既に返済不可能なレベルで背負わされてるってことは、念頭に置いておくべきだろう。
世の中そんなに甘くない。
とはいえ、努力や才能が適正に評価されるには、適度の競争原理が絶対必要よ。
多様性といえば聞こえはいいが、よくわからない基準で、内輪の論理でナアナアでやって、くだらない足の引っ張り合いばっかりやってる社会は、絶対に成長しないし、頑張る人を不幸にする。
当然、頑張るモチベーションもあがらない。
選挙の話をすると、消費税ってのは、岸田首相が言ってるように、社会保障の財源として重要で、将来世代にまわすツケの膨張を少しでも抑制するためにも、受益者負担という意味でも、消費税引き下げや撤廃などするべきではない、という意見もあるのに、野党はこぞって、消費税引き下げだの撤廃だのを言っている。
繰り返しだが、消費税を引き下げたり、撤廃したりすれば、財政が悪化するのはもちろんのこと、将来世代にまわすツケが膨張することになるにも関わらず、野党は、今は有事だから、と、自公政権が集団的自衛権を解禁して、それをなし崩しだと批判していたくせに、同じ論理で、自分たちの政策を正当化しようとしている。
こういうバカどもに政権を担わせてはならない。
ま、俺は自公政権も嫌いだし、当然のこと野党も嫌いだから、投票用紙破って棄てたけどね。
はっきり言って、玉木は馬鹿だと思う。
国民民主党は、一方で消費減税を訴え、もう一方では、安全保障政策で、自公にすり寄ろうとしている。
是々非々なのは構わないし、なんでもかんでも反対しろとは決して言わないが、選挙でそれをやるのは、後出しジャンケンじゃないのか?
ご都合主義と言われても仕方ないだろう。
2022年6月22日水曜日
今の唯一の楽しみはお前だよ。
今日も平沼翔太スタメン!
相手の先発は佐々木朗希!
どこまで通用するのか、見せて欲しい!
・・・テレ玉で試合終了まで見ましたよ。
やっぱり佐々木朗希が投げると見応えあるね。
単純に球はえーとか、フォークの落ちすげーとか。
まあその中で、俺の推しである平沼がどうだったかってことなんだけど。
さすがにまだ佐々木朗希を打てるレベルまでは行ってないな。
でも、まだまだ伸びしろが沢山ある。
守備の危なっかしさもなくなったし。
あとは打撃だな。
上半身が前に突っ込まないのが素晴らしいし、もっと長打力がつけば、レギュラー獲得は確実。
成長が楽しみな選手だ。
ルールだとかモラルだとか
相川七瀬の歌の歌詞で「ルールだとかモラルだとか、一体だれのためのもの?顔色ばかりうかがって!」ってのがあったけど、いやいやお前、ルールだとかモラルだとかってのは、巡り巡ってお前のためにあるんだぞ?!
寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ。
まあ歌わされてんだろうけどさ。
そら、周りがルールだとかモラルだとか守ってんのに、お前だけそれらを無視したら、そら気分いいだろうが、周りの人間もルールだとかモラルだとかを守らなくなったら、社会が崩壊するだろ。
日本人もだいぶルールだとかモラルだとかを守らなくなった気がするが、一度ルールだとかモラルだとかが崩壊したら、生きるコストがどれだけ嵩むと思っとんねん!
2022年6月21日火曜日
体力ねー
暑いからと、冷たい水飲んでエアコンつけっぱなしで寝てたりすると、すぐ体調崩しちゃうね。
食欲もないし、フルーツグラノーラとか食べてビタミン、ミネラル補給しないと、バテちゃうよ。
ところで、ヤフーコメント欄とか見てて思うんだけど、なんでこんなに多くの人が、財政健全化というと拒絶反応示すのか、理解できないわ。
例えば、年金だったら、支払わないともらえないことが分かってるから、将来もらえるかどうか分からないけど、とりあえず払ってるんだろうけど、だったら、なぜ国に税金納めないと、国は何も出来ないっていう当たり前のことが分からない、分かろうとしないんだろう?
実際に財政破綻しないと、国民が税金納めないと国が潰れるってことが分かんないのかな?
マジ謎だわ。
あと、消費増税のことを言うと、ほぼ必ずセットで財務省が黒幕だとかいう話ね。
国家公務員の給料は人事院勧告で民間の給料と勘案して決めてるのに、消費増税すると財務省の役人の給料が上がるとでもいうのだろうか?
仮にそうだとして、じゃあなんで財務省の役人だけなの?
いろいろ疑問点が多すぎる。
みんな高橋洋一とか三橋貴明に騙されてんのかな?
2022年6月20日月曜日
漱石論コレクション2(再掲)
近代が産み出した<自意識>の悲劇は、それが<自己を把捉しようとする自己>という<純粋な自己>――社会関係から切り離された観念的で抽象的な<点>としての自己――を求めるものでありながら、実は<自己>は<他者>との関係性という座標軸においてしか存在を確かめようもない、この自己矛盾にあります。 紛れもなくその苦痛を味わった一人である漱石における<女性>の意味は…。 結論的には男性に都合の良い<女性の客体化>を免れるものではありませんが、漱石(文学)の特徴は、にも拘わらず、終始、女性に<他者>を求め、そして女性が紛れもない<他者>であるが故に、敗北し、傷つく男の姿までを射程に収めていた点ではないかと思われます。 【<自己>を映し出してくれる<鏡>としての女性】 <女性の客体化>の最たる例となると、一方ではモノ化(フェティシズムの対象)、他方で耽溺(女性の幻想化・一体化)が挙げられますが、漱石の場合は、いったん/とりあえずは<他者としての女性>が求められている、といってよいと思います。 <恋愛>の名を借りた――愛する女性に己(の物語)を投げかけ、相手から投げ返されてくる応答に揺らぎ、立て直される自己。性的他者の眼差しに曝されて、その葛藤する感情のドラマの中で自分というものを最も生々しく実感する――性的差異で隔てられた<絶対的他者>としての<女性>との関係性の上に<性的アイデンティティ>としての自己同一を獲得しようとする手法です。 以下の『彼岸過ぎまで』の須永の告白は、その典型。 女が自分に向ける感情――一種の<評価>に曝されることで<自己>の核心がゆさぶられ、剥き出しにされる、苦悩の戦慄は、そのまま須永が女の眼差しの下に自分という存在の手ごたえを、いつになく生き生き感じる瞬間を作り出しています。 純粋な感情程美しいものはない。美しいもの程強いものはない…強いものが恐れないのは当り前 である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪えられないだろう。その 光は必ずしも怒を示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、若くは渇仰の光でも同じ事である。 僕は屹度その光りの為に射竦められるに極っている。それと同程度或はより以上の輝くものを、返礼として与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、そ れを味わい尽くす資格を持たない下戸として、今日まで世間から教育されて来たのである。(「須永の話」) 過剰な自意識に囚われ、内閉した近代人が、唯一、他者との関係性の上に<自己>を実感し得る<恋愛>。しかし、それが錯覚にすぎないのは、ここでの<女性>が、正確には<他者>とはよべないからです。男は相手の女性の眼差しの中に自分を見出しているわけで、そこで獲得されているのは再帰的自己です。女性はつまるところ、自分を映し出すための<鏡>、自分(の物語)を投影した存在にすぎません。 <恋愛>といえば、一見、独立した男と女が対峙して育むもの、のように見えますが、その内実があくまで男性を主体とした男性中心主義的に構築された物語にすぎないことを、漱石のテクストは炙り出してくれます。それは<身体の所有>に留まらず、相手が自分をどう感じ、思い、評価しているか――それを隈なく読み取ろうとする<内面の所有>という更にハイレベルな<所有>をさえ意味するでしょう。 漱石の陥っている図式は、近代的恋愛の祖型ともいえる「ロマンチックラブ」そのものですが、一対の男女が愛という感情の絆の下に生殖の営みを行うというこの近代夫婦家族の仕組みが、実は近代国家が最も効率の良い次世代再生産の仕組みとして採用した、徹底的な性別役割に支えられた<装置>であることは、今では常識です。「ロマンチックラブ・イデオロギー」と呼ばれる所以でもあります。 近代的個に目覚めた漱石は、上記のようにその幻想(愛という名の女性の客体化)に深く捉われました、が、また同時に、それを冷静に相対化する眼差しも持ち合わせていたと思われます。 【女性の他者性――構成の破綻/2人の主人公】 『行人』では存在を賭けて唯一の性的他者である「妻」の「スピリット」を執拗に求める主人公「一郎」に対して、たった一言、自分は「魂の抜殻」にすぎないのだというセリフを以て作中、「一郎」に対して最も手厳しい反撃を加える妻「直」が描かれ、女を触媒に男同士の濃密な関係が展開される『こころ』のホモソーシャルな物語に対しては、そこから徹底的に排除されているが故に、逆に<外部>からそのイデオロギー性と不毛さを鋭く突く「静」の言葉(「男の方は議論だけなさる…空の盃でよくああ飽きずに / では殉死でもしたら」)が点描されている――。漱石の女性たちが、主導権を握る男性主人公に対して、みずからその他者性をしばしば開示している、というのは有名な話です。 しかし、それ以上に、初期の漱石テクスト(『草枕』『虞美人草』)は徹底的な(性的)他者であるが故に己を映し出すに最も手応えのある<鏡>として女性を求めながら、当然の論理的結実として、女の厳然たる他者性に<生きるか死ぬか>ともいうべき地点へまで追い詰められてしまう主人公たちの姿を浮かび上がらせ、それ以降のテクストでは、そのような破綻を回避すべく、それを相対化するポジションに2人目の主人公を配置するという共通した構図を備えてゆきます。そのプロセスは、まさに<女性の客体化とその不可能性>が漱石テクストの一貫した通奏低音であり続けていたことを如実に示しているように思われます。 ◆『草枕』と『虞美人草』 ・『草枕』; 世間に倦んだ主人公「余」は、「気狂(きじるし)」――世の習いに背を向けた「那美さん」の美しく奔放な振る舞いに己を揺り動かされる。そんな那美さんを「画」に描いて、何とかその不安定な表情に纏まりを回復してやりたいと考える「余」であるが、「那美さん」を画に収めようとする――客体化が進むにつれて、そこに収まりきるべくもない那美さんの他者性が浮上してくる。そんな折、「余」が遭遇することになる「鏡が池」の風景――真っ赤な椿が滴る血のごとく池に降り積もり続ける光景は、他者の奥深い深淵を覗き見るような、つまりは他なる者と真に切り結ぶことの死をさえ孕む危険を見事に暗喩するものとなっている。この後、テクストの機軸は現実世界へと逸れてゆかざるを得ない。 ・『虞美人草』; 誇り高い義妹「藤尾」の内面に食い入るような視線を注ぎ、<我(意識)>への固執がもたらす破綻を警告し続ける「欣吾」。「藤尾」が世間に追い詰められて忽然と世を去った時、「欣吾」も自分の内面を独り「日記」の世界へ閉ざして退場してゆく。傲慢な藤尾が世間の道徳や倫理に罰されたかのように見える物語は、そのままそのような女性に自己投影していた男の内的世界の死(終焉)へと反転する。 ◆二人の主人公――ロマンチックラブの相対化 「愛」という名の下に女性を自己投影の対象として客体化しようとする男は、客体化しきれるはずもない女性の他者性に打たれ、自己破綻へ追い詰められる。初期テクストでこれを体験した漱石は、それを相対化し得るポジションに、もう一人の男性主人公を配置する。 ◆『三四郎』から『行人』『こころ』へ ・『三四郎』; 「野々宮さん」を筆頭に、「美禰子」の内面を謎化し、それを読みとることに腐心する男たち――本郷文化圏の知の共同体。 ―――配するに、所謂<視点人物>の「三四郎」は大学一年の「田舎者」として、彼らの営みを眺めはするものの十全には理解もできなければ参画もできない(stray sheep)。 ・『行人』;「一郎」の「直」をめぐる物語に対して、弟「二郎」 ・『こころ』;「先生」の「静(とK)」をめぐる物語に対して、聴き手=書き手の「私」 『三四郎』では曖昧化されていた<2種類の男性主人公>は『行人』『こころ』へ向けて、次第に差異化が明確になってくる。 そして『それから』は、『三四郎』の次作に位置し、前期の漱石テクストの末尾を飾り、後期作品群への道を開く作品だと言える。 【『それから』――性的他者との遭遇】 いわば冒頭より一貫してその<自意識>が追究されることになる「代助」が、「余―欣吾―野々宮」の後継に当たることは自明でしょう。 『それから』は、その一連のテクスト群の最後に、男性主人公一人に焦点を絞って、<鏡>の役割を果たしてきた<女性>と真っ向から相対させる――こう考えた時、『それから』は、「代助」の自意識的世界が、それまで客体化し続けてきた<女性>の見せ始める生々しい性的他者性との遭遇を俟って崩壊してゆく物語、と言えないでしょうか。 ◆「自家特有の世界」――三千代の結婚から再出現までの「3年間」 性的他者としての女性、それにまつわる男性間の争い、結婚のための社会市場への参画――これら人を傷つけ、傷つけられる<現実世界>から背を向け、自分一人で自足しようとする自己完結的=排他的世界(自分にしか行き着かない世界)。 ➡この世界の重要アイテムとして登場する「花々 / 独身時代の三千代の写真」は、<女性のセクシュアリティ―喚起される性的欲望>を封じてしまうことで、まさに最高度に好ましく美しい自分像を映し出してくれる<客体(化された存在)>である。 憩いの世界は、終始、<青―水底>のイメージで描写される。 ――その代償行為として、現実の代助はアマランスの「交配」に介助を施したりしているが、縁側の腐った君子蘭の葉から滴り落ちる緑の樹液は代助の性的に閉ざされた体液の暗喩だろう。 ◆「それから」(=その3年後から)始まる物語 テクストは容赦なく、三千代が他ならぬ、生々しい性的他者であることを突き付けてい く。―出産を体験し、赤ん坊を亡くし、心臓を病んで夫との性的交渉が遠ざかり、疎んじられがちな人妻 最も生々しく現実的な<金策>が必要な三千代が、恥じて頬を赤らめる姿は、<金銭と性― 赤の表象>を刻印する。 一方、代助自身の意識の中では、三千代は水底の世界にふさわしい落ち着いた情調の女 として、代助の非現実的夢想空間(自家特有の世界―青)と現実の時空(―赤)――対立的であるはずの2つの空間をしだいに繋いでゆく。「4~5年前」の記念ともいえる「百合」の花を携え、代助の夢とうつつのあわいに自在に出入りし、鈴蘭を活けた鉢植えの水を呑む三千代。 百合の香に満たされ、姦通の合意が成るクライマックスは、現実の三千代と代助の中の三千代が一枚に重なる瞬間であり、それは「自家特有の世界」に極点を持つ代助的世界が<真っ赤な現実>に飲み込まれてゆく瞬間であるともいえる。ここで最後の跳躍板として代助が身を任せた官能は、「自家特有の世界」が最も強く封印してきた性的欲望の謂いでもあり、「自家特有の世界」は崩壊せざるをえない。 【三千代は<他者>か?――<客体化>を免れ得るのか?】 代助が遭遇したもの――ここまでの主人公の系譜の掉尾を飾るにふさわしく、決定的・致命的に出会ってしまったものが女性の<他者性>であることは間違いないでしょう。 しかし、それでは三千代は<他者>として描かれ、<客体化>を免れているかと言えば、それは全く異なる――それは、代助の<姦通>という名の最高度の<純愛>に見えるものが、代助一人の頭の中でのみ成立している、つまりは<錯覚>にすぎない、からです。 いちばんわかりやすい例証は、すでに常識化されているように「異性愛はホモソーシャルな女性嫌悪の別名」でしかない――代助の三千代への愛が、このホモソーシャルを地で行く格好となっていること、です。再会した三千代への愛の再燃が、平岡への嫉妬(=譲ってしまったことへの口惜しさ)に根差したものであることを、これもテクストは冷酷に炙り出しています。密かに想いを寄せていた女性を親友に快く譲り渡した男は、それが成立した瞬間に始まる親友への嫉妬から、彼女への思慕をいっそう深めてゆく…。 『それから』は徹底した男の――男が男との関係性に突き動かされる物語であり、「愛」の対象として錯覚されている「三千代」は、実は男同士の友愛=闘争の目標として二義的に対象化された客体にすぎない――これが有体の事実、でしょう。 『それから』は、女性を己の<鏡>に見立て、そこに唯一といってよいアイデンティティの確証を得ようとしてきた前期漱石文学の最終決算として、その究極に、<女性の客体化――客体化されきらない女性の他者性>を描き、<錯覚>の崩壊にまで突き抜けてしまった作品と言えるのかもしれません。 つまるところ、それは女性の客体化(の1バージョン)への固執とその限界への批評意識、といったレベルに留まるものであり、女性に真の<他者>を見出し、描く文学とは質を異にする、と言わざるをえません。 ただ、逆に上に述べた経緯は、漱石という作家が<女性>の他者性(他者ならぬ他者性)――男性の枠組では捉えきれない他者性を鋭く捉え、言語化した近代作家であったことを端的に物語るものとも言えるでしょう。そもそも<男性>に対する<女性>という枠決めそのものが差別的であり、さらに<男性>が主体化される以上、<女性>は二義性を刻印されることを免れ得ません。それは、近代が発見したはずの「個人」なるものが幻想でしかなかった事態と正確に見合っているでしょう。<近代>がいわば捏造した<近代的個――自由で独立した自我>に身を投じ、その制度性を告発することになった漱石は、そのような男と対等に<対>化されているはずの<女性>なるものが、実は近代という時代がシステム化した<ジェンダー秩序>の縛りの中で排除され、抑圧された存在であることにも気付いていたと言えるでしょう。 それを<男性>の視座から描き続けたところに、漱石の徹底した誠実さと免れようもない限界性があるのではないでしょうか。 追記1 「代助と三千代」に<錯覚された愛>を、ではなく<純愛>を読めば、それがセカイ系の「キミとボク」と酷似に近い相似形を描いていることに、ハタと気づかれます。むしろ<閉ざされた自意識>なる問題意識そのものが、漱石を始発に狭められながら現代へ至っているのかもしれません(東浩紀たちの議論のいちばん基底にはこれがあるような気がします)。そして近似しているようで、決定的に一線を画しているのが上に述べた「代助」に対する相対化の目――代助を包囲する現実社会およびそれと代助の関係性が克明に描かれていることです。 代助の「自家」世界が父の仕送りに贖われ、姦通=義絶を以て自己崩壊するしかない体のものであること、さらに「三千代」に至っては金銭的にも社会的にも平岡に繋がれた従属の立場にしかない以上、三千代における姦通の決意は道徳や経済のレベルを超えた文字通りの「死」の覚悟抜きにはあり得ないものであることetc. 3年前の代助が拒否したのも、また姦通を以て参入することになるのも紛れもない近代資本主義社会のシステムであることを、テクストは精密に描いています。これが、セカイ系ではオミットされることが大前提の「中間項」(世界と「キミとボク」の間に存在しているはずの)と呼ばれる社会領域であることは、言うまでもありません。 追記2 絶筆の未完作『明暗』は、漱石的ジェンダーをめぐる上記の整理から大きく逸脱するものと思われます。<愛を求める主人公>役が男女逆転して「お延」というヒロイン側へ振り当てられた時、どだい男性主人公「津田」に、<女の客体化>などの術も余裕も残されていません。「お延」の登場を俟って、漱石的世界のジェンダーをめぐる構図は、次のステップへと大きな飛躍を遂げているような気がします。
漱石論コレクション1(再掲)
確かに『それから』で、前にたちはだかる資本主義経済とシステムが、急に前景化してきた感は大きいですね。
前作『三四郎』でも問題化する意識や構図は見てとれますが、そして漱石の中で<西欧近代文明=資本主義=女性の発見>といった公式は常に動かないような気もするのですが、『三四郎』の「美禰子」までは――「美禰子」が「肖像画」に収まって、つまりは死んでしまうまでは、資本主義社会はまだまだ後景に控える恰好、ですよね。
逆に『それから』で、明治を生きる人間を囲繞し尽くし、身動きとれなくさせている資本主義社会という怪物が、まさに<経済>(代助にとっては「生計を立てねばならない」という形で)に焦点化されて、その巨大な姿を生き生きと現すことになっていると思います。
労働も恋愛も、すべてにおいて<純粋=自分のあるがままに忠実に>ありたい代助を裏切って、蛙の腹が引き裂けてしまいそうな激しい競争社会を表象するものとして明確な姿を現します。
「三千代」もまた、それに絡め取られた女性として、初期の女性主人公の系譜ともいえる「那美さん―藤尾―美禰子」の生命力を、もはや持たず、読者は初期の漱石的女性が、「三四郎」や「野々宮さん」が「美禰子」を失ってしまった瞬間、初めて事態の意味を悟った如く、もはや漱石的世界に登場することが二度とないことを、痛感するのかもしれません。
『それから』が、このような画期に位置する作品として、登場人物たちが資本主義システムに巻き込まれ、葛藤する世界を生々しく描いたとするなら、次作『門』は、それを大前提とした上で――もはや資本主義社会は冷酷なシステムとしていくら抗っても厳然と不動であることを内面化した上で、そこを生きる「宗助―お米」の日々へと焦点が絞られていきますね。
アドルノはまだ生きている。(再掲)
グローバリゼーションによって、世界の富の大きさは拡大したが、分配に著しい偏りが生じたことは、論を俟たない。
日本においても、新自由主義的な政策の結果、正規、非正規の格差など、目に見えて格差が生じている。
そのような中で、経済的に恵まれない層は、ワーキングプアとも言われる状況のなかで、自らのアイデンティティーを脅かされる環境に置かれている。
エーリッヒ・フロムの論考を参考にして考えれば、旧来の中間層が、自分たちより下に見ていた貧困層と同じ境遇に置かれるのは屈辱であるし、生活も苦しくなってくると、ドイツの場合は、プロテスタンティズムのマゾ的心性が、ナチズムのサディスティックなプロパガンダとの親和性により、まるでサド=マゾ関係を結んだ結果、強力な全体主義社会が生まれた。
日本ではどうだろうか?
過剰な同調圧力が日本人の間には存在することは、ほぼ共通認識だが、それは、安倍のような強力なリーダーシップへの隷従や、そうでなければ、社会から強要される画一性への服従となって、負のエネルギーが現れる。
そこで追究されるのが、特に民族としての「本来性」という側面だ。
本来性という隠語は、現代生活の疎外を否定するというよりはむしろ、この疎外のいっそう狡猾な現われにほかならないのである。(「アドルノ」岩波現代文庫 73ページ)
グローバリゼーションが後期資本主義における物象化という側面を持っているとすれば、グローバリゼーションによる均質化、画一化が進行するにつれ、反動として民族の本来性といった民族主義的、右翼的、排外主義的な傾向が現れるのは、日本に限ったことではないのかもしれない。
むしろ、アドルノの言明を素直に読めば、資本主義が高度に発展して、物象化が進み、疎外が深刻になるほど、本来性というものを追求するのは不可避の傾向だ、とさえ言える。
さらには、資本主義社会が浸透し、人間が、計量的理性の画一性にさらされるほど、人々は、自分と他人とは違う、というアイデンティティーを、理性を超えた領域に求めるようになる。
社会全体が体系化され、諸個人が事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど、それだけ人間そのものが精神のおかげで創造的なものの属性である絶対的支配なるものをともなった原理として高められることに、慰めをもとめるようになるのである。(「アドルノ」岩波現代文庫98ページ)
「それだけ人間そのものが精神のおかげで創造的なものの属性である絶対的支配なるものをともなった原理として高められることに、慰めをもとめるようになるのである」という言葉が何を表しているか。
自分の考えでは、「社会全体が体系化され、諸個人が事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど」、(疑似)宗教のように、この世の全体を精神的な色彩で説明し、現実生活では一個の歯車でしかない自分が、それとは独立した精神世界のヒエラルキーに組み込まれ、そのヒエラルキーの階層を登っていくことに、救いを感じるようになる、という感じでしょうか。
まるでオウム真理教のようですね。
中立命題(再掲)
財政支出を課税により現在決済しようと,国債を発行して将来に決済を延期しようと,国民の経済厚生に変化はないという命題。
いま人口が変化せず,すべての国民に同額の所得税の減税をするとともに,減税分と同額の国債を新規に発行するケースを考えよう。
この経済では,国民の保有する国債という資産の価値と,国債償還のための費用とは同率で増加するために,国民の消費の時系列は影響を受けない。
リカード(D. Ricardo)が主張し,近年,バロー(R. J. Barro)ら合理的期待学派によって,公債の中立命題として再定式化されたもの。
有斐閣経済辞典第4版
上の中立命題が示唆することは、長い目で見れば、ケインズ経済学的な財政出動は、意味がない、ということになる。
もっとも、ケインズ自身が、そんな長い目で見たら、我々はみんな死んでいる、と反駁したわけであるが。
とはいえ、確かに、戦後の日本が財政赤字を垂れ流し続けた結果がこの有り様だから、中立命題のいうことも、もっともなことだ。
ISバランス(再掲)
経済全体としてのISバランスとは、国民経済計算の蓄積勘定に記録される国内資本形成(投資)と貯蓄との差額のこと。
それは(-1)×経常収支に等しく、したがって外貨準備増減を含めた資本収支に等しい。
他方、部門別に見たISバランスとは、ある部門の資本形成(投資)とその部門の貯蓄との差額である。
資本形成が貯蓄を超過する部門は、貯蓄不足部門あるいは投資超過部門と呼ばれ、資本形成を行うために不足する資金を調達しなければならない部門である。
逆に、貯蓄が資本形成を超過する部門は、貯蓄過剰部門あるいは投資不足部門と呼ばれ、蓄積資金の供給部門である。
有斐閣経済辞典第5版
そもそも経常収支とは?(再掲)
質問: 今般の衆議院選挙の結果を受けて、安倍政権の経済政策が信任され、結果、日銀が緩和を継続すれば、世界経済への流動性供給の源であり続けることになり、特に、金利上昇の影響を受けやすいアジアの新興市場に日本発の流動性が流れ込むだろうという指摘もあります。
ここで、松原隆一郎先生は、「経常収支と金融収支は一致する」と書いておられるわけですが、実際に物(ブツ)が輸出入される、という実物経済と、例えば日銀が金融緩和で世界にマネーを垂れ流して世界の利上げ傾向に逆行する、という国際金融の話を、同じ土俵で括るのが適切なのか、という疑問が生じました。
回答:経常収支は一国で実物取引が完結せず輸出入に差があることを表現する項目です。
日本のようにそれが黒字である(輸出が輸入よりも大きい)のは商品が外国に売れて、外国に競り勝って良いことのように見えるかもしれませんが、別の見方をすれば国内で買われず売れ残ったものを外国に引き取ってもらったとも言えます。
国内では生産しカネが所得として分配されていて購買力となっているのに全額使われなかったのですから、その分は貯蓄となっています。
つまり実物を純輸出しているとは、同時に国内で使われなかった貯蓄も海外で使わねばならないことを意味しているのです。
こちらが金融収支なので、「経常収支と金融収支が一致する」のは同じことの裏表に過ぎません。
そこでご質問は、「日銀が国債を直接引き受けたりして金融緩和し続けている。
このことは経常収支・金融収支とどう関係があるのか?」ということになろうかと思われます。
けれども日銀はバランスシートというストックのやりとりをしており経常収支・金融収支はフローのやりとりなので、概念としては次元が異なります(「スピード」と「距離」に相当)。
すなわち、金融収支はフローであり、日銀の金融緩和はストックなので、同じ水準では扱えないのです(スピードに距離を足すことはできない)。
しかしストックとフローにも影響関係はあるのではないかという考え方も確かにあり、そもそも一国内に限ってそれを金融資産の需給(ストック)と財の需給(フロー)が金利で結ばれるという考え方を示したのがケインズの『雇用・利子・貨幣の一般理論』でした。
とすればその国際経済版が成り立つのかは重要な問題ではあります。
この論点は多くの研究者が気になるようで、奥田宏司「経常収支,財政収支の基本的な把握」www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/Vol.26-2/09_Okuda.pdf が論じています。
参考にしてください。
https://jp.reuters.com/article/japan-economy-idJPKCN1QP0DX
旬報社(再掲)
1990年代以降、企業のグローバル展開が加速していくのに合わせて、国内では非正規雇用への切り替えや賃金の削減など、生産コスト抑制が強まりました。
大企業はグローバル展開と国内での労働条件引き下げにより、利潤を増加させてきたのです。
しかし、その増加した利潤は再びグローバル投資(国内外のM&Aを含む)に振り向けられます。
そして、グローバル競争を背景にした規制緩和によって、M&Aが増加していきますが、これによって株主配分に重点を置いた利益処分が強まり、所得格差の拡大が生じています。
また、国内の生産コスト抑制により、内需が縮小していきますが、これは企業に対してさらなるグローバル展開へと駆り立てます。
このように、現代日本経済は国内経済の衰退とグローバル企業の利潤拡大を生み出していく構造になっているのです。
1990年代以降、景気拡大や企業収益の増大にも関わらず、賃金の上昇や労働条件の改善につながらないという問題を冒頭で指摘しましたが、このような日本経済の構造に要因があるのです。
新版図説「経済の論点」旬報社 p.129より
つまり、日本の内需の縮小と労働市場の貧困化は、企業の海外進出と表裏一体であり、その見返りとしての、海外からの利子・配当などの、いわゆる第一次所得収支の恩恵として現れる。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_6.html
https://jp.reuters.com/article/japan-economy-idJPKCN1QP0DX
「金融と社会」回答その1(再掲)
ご質問ありがとうございます。
まず印刷教材のこの部分はすべてフローについての議論です。
内閣府のペーパーにもあるように、マクロ経済学などで登場するISバランス (S-I) + (T-G) = NX 民間貯蓄超過 政府黒字 国際収支黒字(海外赤字) を念頭に、民間貯蓄超過の大幅プラスが、政府赤字のマイナスを相殺してもなお左辺がプラス、したがって右辺もプラス(海外マイナス)、という状態です。
近年コロナで政府赤字が大幅に増加しましたが、家計貯蓄も大幅増加して、2020、21年とも左辺はプラスを維持しています。
ご質問のなかばにあるストックの話は、たとえば銀行が保有していた米国債を売った資金で、新規に発行された日本国債を購入することをイメージされているのでしょうか。
それが得だと銀行が判断すればそうするでしょうが、強制することはできず自動的にそうなるわけでもありません。
最後の第一次所得収支については、書かれているとおり、たとえば利子収入はドルで得られドルのまま持たれたり再投資されたりしますが、円換算して所得収支に繰り入れられています。
「金融と社会」質問その1(再掲)
内閣府のペーパー(https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_6.html)
によると、フローで見れば、経常収支の黒字が、政府部門の赤字をファイナンスしていることになりますが、経常収支の黒字が、対外純資産としてストック面で蓄積されていると考えられます。
この場合、もちろん、経常収支が赤字に基調的に転落すれば、フローで見た場合、政府部門の赤字をファイナンスするために、海外資本を呼び込む必要性に迫られ、それは今よりも高金利であることが要請されるので危険だ、という意見もあります。
ここで、フローで見れば確かにそうですが、ストックとしての対外純資産は、仮に経常収支が赤字になった場合に、政府部門の赤字をファイナンスする役目を果たすことはないのでしょうか?
仮に、そのような事態になった場合、具体的にどのようなスキームで、対外純資産を政府部門の赤字をファイナンスの用に供するのでしょうか?
また、経常収支黒字の源泉である、企業部門の第一次所得収支についてですが、最近は、企業も資金を更なる海外投資、M&Aに投資するべく、資金を円ではなく、ドルで保有しているとされますが、それは、第一次所得収支に、円換算して勘定されているのでしょうか?
(https://jp.reuters.com/article/japan-economy-idJPKCN1QP0DX)
インタゲと財政再建(再掲)
質問:中央銀行は民間に供給される通貨量をコントロールしながら物価の安定を実現させる、とありますが、アベノミクスの第一の矢である2%物価上昇目標では、インフレを起こすことにより、デフレ脱却はもちろんのこと、インフレによって財政再建を同時に目指すとしていますが、これは「政策割り当ての原理」に反してはいないでしょうか?
あるいは、新古典派経済学では「政策割り当ての原理」は成立しないのでしょうか?
回答: オランダの経済学者で1969年にノーベル経済学賞を受賞したティンバーゲンは、「n個の政策目標を実現するためには、n個の政策手段が必要である」という有名な定理を唱えています。
すなわち、「政策割当の原理」です。
したがって、「インフレ」と「財政再建」の2つの政策目標を実現するためには、2つの政策手段が必要となります。
本来、中央銀行の政策目標は物価の安定ですが、アベノミクスの第一の矢は2%の物価上昇が政策目標でした。
本来の金融政策の目標(物価の安定)と異なるため黒田日銀総裁は「異次元の金融政策」という言葉を使ったのです。
このインフレ・ターゲットを掲げるシナリオは、物価上昇によって企業利潤が増加すると法人税の増収、また、それに伴った賃金の上昇による所得税の増収、すなわち直接税の自然増収が財政再建に繋がるシナリオを描いていたのです。
このシナリオどおりに進めば、もう一つの政策目標である「財政再建」の目標に繋がります。
ただ、経済成長なきインフレは国民の生活レベルを引き下げることになります。
したがって、アベノミクスの第二の矢である積極的な財政支出による経済成長が重要になってくるため「財政再建」が先送りになってしまいます。
それゆえに、「財政再建」の政策目標の一環として消費税の引上げが考えられています。
このように、「政策割当の原理」は成立しています。
フィッシャー効果(再掲)
物価上昇の予想が金利を上昇させるという効果で、フィッシャーが最初にそれを指摘したところからフィッシャー効果と呼ばれる。
ある率で物価の上昇が予想されるようになると、貸手が貸金に生じる購買力目減りの補償を求める結果として、資金貸借で成立する名目金利は物価上昇の予想がなかったときの金利(=実質金利)より、その予想物価上昇率分だけ高まる。(以下略)
有斐閣経済辞典第5版
https://www.tokaitokyo.co.jp/kantan/service/nisa/monetary.html
だが、しかし。(再掲)
もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。
なぜなら、実質金利(名目利子率-期待インフレ率)がマイナスの(つまり保有していると損をする)金融商品を買う投資家はいないからです。
国債(10年物)の利回りは0.1%程度(2018年11月現在)ですが、それが2.1%に上昇した場合、何が起こるでしょうか。
政府の国債発行コストが跳ね上がるのはもちろんですが、より重要なことは、国債価格が暴落し、国債を大量に保有している銀行に莫大な評価損が出ることです。
経済の論点 旬報社 72ページより
なぜインフレが必要なのか?(再掲)
Q:名目金利が年8%でインフレ率(CPI)が年5%のとき、実質金利は3%か?
ex. 100円の債券投資→1年後:108円
100円の消費財の組み合わせ→1年後:105円 のとき
1年後の108円の購買力=108/105=1.02857 (この投資の収益率:2.857%)
☆実質金利と名目金利、インフレ率(CPI)の関係
1+実質金利=(1+名目金利)/(1+インフレ率)
ex.参照せよ
式変形して、すなわち
★実質金利=(名目金利-インフレ率)/(1+インフレ率)
つまり、デフレはマイナスのインフレ率なので、実質金利を上げてしまう。
https://www.tokaitokyo.co.jp/kantan/service/nisa/monetary.html
貨幣数量説
完全雇用実質GDP✕物価=貨幣量✕貨幣の流通速度
(瀧川好夫先生「金融経済論」面接授業 自筆メモより)
この等式は古典派経済学の発想なので、完全雇用は常に達成されていると想定されているので、物価は貨幣量と貨幣の流通速度で決まる。
従って、貨幣量を増加させれば、物価は上がる。
「貨幣の所得流通速度が一定不変で,かつ伸縮的な価格メカニズムの作用により実質産出量(実質国民所得)の水準が長期の均衡値に一致するならば,貨幣数量の変化は国民所得の大きさや構成にはなんら影響を与えず,ただ物価水準を比例的に変化させると主張する説。」有斐閣経済辞典第4版
2022年6月19日日曜日
慶応SFC
もちろん30年前の日本社会にも、このままじゃヤバいっていう危機感はあって、それがSFCを作る原動力になってたとは思うんだけど、いかんせん教える側も教わる側も、勘違いが酷かったね。
社会からのSFCに対しての評価が低いのはなぜか、という問いに対して、SFC卒業生がハイスペック過ぎて、企業が使いこなせてないとか平気で言ってんだから。
SFC卒業してりゃ、ちょっとはプログラミングとか出来るんだろうけど、プログラミング教育なんて、いまじゃどこでもやってるし、SFCの専売特許だった時代はとっくに過ぎた。
生徒の熱意がすごいってことにはなってたけど、みんなそんなガツガツ勉強してたかっていうと、全体として見れば、まあ普通の学生だよね。
楽勝の授業で単位取って、しっかり就職するっていう。
別にSFCの学生だけ特別勉強してるようには見えなかった。
もちろん例外はいただろうけどね。
確かに要領はいいけどね。
俺には真似できん。
でも、SFCの人気が急落したのは、立地が田舎すぎて良さが理解されなくなったから、とか初期のOBが言ってるのは、自分たちが社会で実績を残せなかった言い訳としか思えない。
とはいっても、教授陣は優秀だったと思うし、プログラミングのことなんて微塵も分からない自分からすれば、情報系の教授陣の豪華さなんて分かるはずもないし、情報系をみっちり勉強したい人には今でも魅力的な場所なのかも知れないけどね。
ただ、自分からアグレッシブに教わりにいく姿勢がないと、どんな大学だろうとムダになるのは同じだろうね。
つまり、SFCがダメだったかというより、周囲から後ろ指さされてでも教わりに行く姿勢があったかというと、そこは他の大学と何ら変わりがなかった、ということだと思う。
紅の豚
フィオに設計やらせて、しかも付いてくるっていう描写が強引だなーと思ってたけど、もしポルコ・ロッソがカーチスに負けてたら、フィオが、カーチスと結婚するっていう形で、自分が設計した飛行艇の責任を取るっていう格好にはなってるよね。
ただ、そんな展開になったところで、どうせポルコ・ロッソが勝つに決まってるっていうのが見え見えな点で、そこが明瞭になってないけど。
まあいずれにせよ、しがない中年の都合のいい妄想ですわ。
あの時30だったサラリーマンが、もう60なわけだからね。
その間日本経済は全然成長してないんだから。
いやはや、恐ろしい。
参院選
野党はこぞって消費減税を旗印にしてるけどさ、消費減税すれば消費は上向くかもしれないけど、そんなに単純じゃないかも知れないよね。
もし実際に消費減税したら、格付け会社から日本国債の格付けを下げられて、企業の資金調達が困難になったり、あるいは円の信用が失墜して、余計円安になって、かえってまたインフレになる可能性だってあるよね。
経済てそんなに単純じゃないよね。
2022年6月18日土曜日
「金融と社会」より抜書き 31ページ
家計がどのようなタイプなのかによって、消費貯蓄の選択は左右される。今消費するよりも将来消費することを楽しみに思う人ならば、今の消費を控え貯蓄するだろうが、今すぐの消費を将来の消費よりも重視する人は貯蓄せず消費するだろう。そして、今消費したいものが今の所得でまかなえないなら、マイナスの貯蓄である借金が選択されることもある。
現金以外の金融資産を保有すると、利子などの上乗せが期待される。そのため、消費貯蓄選択には理論上利子率が影響を与えることが予想される。けれど利子率の上昇が貯蓄を増やすか減らすかについては、決めきれない部分がある。利子率が上昇すると、利子が付く貯蓄の方が有利だと考えて貯蓄を増加させるという影響がまず思い浮かぶ。しかしそれだけでなく、利子所得が増えて将来所得が増加するなら、それを期待して今から消費を増やすかもしれず、その場合は貯蓄が減る可能性もあるからである。前者を代替効果、後者を所得効果と呼んでおり、前者の方が大きければ利子率が上昇したとき貯蓄は増加する。
所得効果
消費者行動の分析において,任意の財の価格下落はより高い無差別曲線の実現をもたらす。高次の無差別曲線の実現は,価格を一定にして貨幣所得が増大しても可能であり,そのように仮説的に考えられた貨幣所得の増大による当該財の需要量の変化を,その財の価格下落に伴う所得効果という。普通には所得効果はプラスと考えられるが,それがマイナスであるような財は下級財と呼ばれる。
有斐閣経済辞典第4版
代替効果
消費者選択の理論において,ある財の価格の変化が他財の需要量に与える効果から所得効果の分を差し引いたもの。具体的には,同一の無差別曲線上の動きをいう。すなわち,消費者は相対的に高くなった消費財より相対的に安くなった消費財に選択を代える。
有斐閣経済辞典第4版
どーすんの、俺?!
塾講師で食ってくのは無理っぽいし、勉強し過ぎて、面接授業行ってる間はハッピー、というほど没入できるわけでもない。
じゃあ障害者枠で公務員しかないじゃん!と思うんだけど、やっぱりアレルギーはある。
しかし!
公務員として働いた経験があるわけでもないのに、勝手にアレルギー反応示してる場合じゃない。
やってみたら意外とマッチするってこともあるかもしれない。
同じことの繰り返しだけど、今年も申し込んでみよう。
とりあえず1次試験は受けないとね。
2022年6月17日金曜日
2022年6月16日木曜日
テキトー
ケインズが、自身の理論の論拠としたのは、賃金の下方硬直性、つまり、賃金は、どんなに景気が悪くなっても、ある一定程度で下げ止まる、ということだった。
逆に言えば、賃金が下げ止まるラインがあるからこそ、特に財政政策の有効性があると言えるのではないだろうか?
日本になぞらえて考えれば、雇用の流動化が進んで、いわゆる非正規と呼ばれる働き方が増えた。
もちろん、非正規という働き方自体が悪いわけでもないし、雇用の流動化というアイデア自体は良い側面もあると思う。
しかし、結局は体の良い雇用の調整弁に使われている。
アメリカみたいに、コロナで失業者が大量に発生しても、かえって労働生産性が向上するような社会なら、そういう考え方もアリだろう。
しかし、現実問題として、日本では労働生産性がちっとも上がってない。
これはファクトだ。
話をケインズに戻すと、ケインズが、自分の政策の有効性の根拠としたのが、賃金の下方硬直性、そして、その背後にあるのが雇用の安定性と考えると、これだけ非正規労働が増え、実質賃金がどんどん減っている、これもファクト、こういう状況で、果たしてケインズ的政策の有効性は確かなのか?
ウーバーイーツの配達員とか、あれでどうやって一生食ってくというのか?
あれも、いや、彼らは個人事業主だから自己責任で、で済まされている。
乗数効果の面から言えば、いくら一時的に可処分所得が増えたところで、雇用の安定性が確保されていないのに、高い乗数効果、つまり政府がいくらバラまいたところで、消費に繋がらないだろう。
インタゲっていう、最先端のアメリカ流経済政策をやってみて、最初だけ景気は良くなったが、結局は失速した。
気づけば、旧態依然とした自民党的バラマキ政策を、外見だけ変えて同じことをやってるだけ。
経済政策というのは、各々の国の実態に即したやり方で考えるべきではないのか?
アメリカ社会で通用することが、日本社会でそのまま通用するとは限らない。
特に労働政策においてはそうだ。
労働に対する価値観自体が違うという側面もある。
労働経済学はまだ理論的に洗練されていない。
実態にそぐわない理論が先走るのは、かえって副作用が大きい。
2022年6月14日火曜日
モラルハザード
ネットでよく目にするのは、まず消費減税しろ、そして、財務省が緊縮財政を推し進めようとしているが、積極財政が必要だ、プライマリーバランス黒字化なんかもってのほか。国は絶対財政破綻なんかしないんだから、どんどん借金しろ。
つまり、税金は納めたくない、だけど、本来税金が原資のはずの財政政策はどんどんやれ、国は借金をどんどんしろ。
これってさ、要するに「虫のいい話」じゃね?
国民をこんな白痴蒙昧状態にした安倍の責任は重大だが、プライマリーバランス25年度黒字化を明記しなかったことで、長期金利に上昇圧力がかかっていることを、どれだけの国民が自覚しているのか?
日経新聞にちゃんと書いてあったけど。
長期金利に上昇圧力がかかれば、日銀がまた予告で指値オペせざるを得ないわけよ。
日銀が長期金利抑え込んでられるうちはいいけど、抑制が効かなくなったら、ちょっとヤバいよね。
円安にしたって、こうなるのは分かりきった話だったのに、実際に痛みを感じて初めて、何かオカシイ、と気づき始める。
これが財政ファイナンスの怖いところよ。
パンピーがヤバいと感じ始める頃には、もう手遅れ。
応用ミクロ経済学(再掲)
小山台高校の生徒が、シンドラー社製のエレベーターに挟まれて死亡した事件があったけど、あれは、マンションの管理組合がメンテナンス代をケチって、他の業者に委託したのが発端らしい。 あんまり詳しく書くと、面倒なことになりそうだから、これくらいにしとくけど、シンドラー社製のエレベーターに欠陥があったというより、エレベーター本体の価格は低く抑えて、メンテナンス代で儲ける仕組みが災いしたのかも。 本体価格を低く抑えて、付属品などで儲ける商品の典型が、プリンター。 プリンター本体の価格は低く抑えて、インク代で儲けてる。 しかし、ここにもシンドラー社製エレベーターと同じ構造があって、高いインク代に目をつけて、第三者企業が代替インクを低価格で販売し始めて、それに対してプリンター会社が対抗策を講じたりとか。 とにかく、二日間で面白い話がたくさん聞けました。
愛と勇気と絶望をこの両手いっぱいに
数日前に、夜中だったかな?
藤井フミヤがテレビに出てて、還暦で記念ツアーやるっていうんだけど、ちょっと怖くなったね。
だって、すげー若々しいんだもん。
別に藤井フミヤを心配するとかじゃないんだけど、60でこんなに若いのか、と。
自分なんか40まで生きるのにこんなにキビシイのに、20年後こんなに若かったら、その先の人生、何を糧に、というと大げさだけど、何を楽しみに人生いきてきゃいいんだ?と途方に暮れる。
還暦ともなれば、もっと老成してないと、人生長すぎて怖いわ。
別に藤井フミヤを批判してるわけじゃないよ。
早逝ってほど早死にしたわけでもないけど、46で死んだアルベール・カミュとか、ちょっと憧れる。
早死にしたからではないけど、彼の文学は好きだ。
人生の不条理、絶望、希望を語って死んだから。
文学は希望だ。
2022年6月13日月曜日
腕時計とガソリン車
日本経済の最後の砦はガソリン自動車だし、それが電気自動車に食われればヤバい、という議論は確かだと思う。
ガソリン自動車はエンジンで動く一方、電気自動車はモーターで動くので、部品が少なくて済むし、ガソリン自動車は関連産業の裾野が広いという意味で、ガソリン自動車が廃れるのは、日本経済にとって致命的というのは確か。
しかし、腕時計を例に考えると、腕時計の価値が単に精確な時間を知るためだけに限定されるならば、それこそせいぜい1000円ぐらいの腕時計しか市場に存在しないだろう。
ところが実際には、高級腕時計というものが普通に出回っている。
ガソリン自動車も同じで、精巧な機械仕掛けの製品に対するフェティシズムというのは、根強く残る可能性もあると思われる。
ガソリン自動車も腕時計も、嗜好品という側面は共通している。
何より、ガソリン自動車も腕時計も、保有する人間のステータスシンボルを表すという、人間の根本的な欲求に訴求する面を色濃く持っている。
もし電気自動車に移行するにしても、この、所有者の優越感を満足させられるという価値を目指さないと、稼げる製品は作れないだろう。
商品の方向性は真逆だけど、吉野家の重役が、田舎から出てきた生娘を牛丼でシャブ漬けにする発言で問題になったけど、あれも実は経営の方向性という面では合理的なのかも知れない。
それぐらい、中毒にするぐらいの訴求力がなければ、生き残っていけないんだろう。
2022年6月12日日曜日
ドイツ近代史レポート課題
「イギリスやフランスと比べて、ドイツでは近代国家の形成が遅れ、19世紀後半までかかりましたが、それにはいったいどのような原因があったでしょうか。19世紀初め、1848年革命期、帝国統一期に問われた基本的な問題に配慮して答えなさい。」
これもう、完全に国立大の世界史の入試問題だよね。
1日目に先生が口走ったから、夜中に東横インのパソコンで書いてプリントアウトしておいたけど、実際問題みたら、やべえ、と思ったよ。
ポイントとしては、イギリスの穀物法廃止を糸口にするとスマートな回答になることに、帰りの新幹線のなかで気付いた。
また世界史の勉強になりました。
ドイツ近代史@茗荷谷
久しぶりの東京文京キャンパス。
なぜか茨城学習センター@茨城大学(水戸)より疲れるな。
茨城学習センターは、人口密度低いからな。
やっぱり東京は人口密度高い。
高崎もそうだけど、地方都市には地方都市の良さがあるな。
レポートも書いたから、さすがに単位来ないってことはないだろうけど、課題レポート難しかった。
この面接授業が単位取れてれば、あとは7月の単位認定試験で所属コース科目の試験をひとつでもパスすれば、晴れて2回目の卒業。
感慨深い。
俺の平沼
昨日、西武の平沼翔太が、1軍スタメン4打数4安打2盗塁の活躍!
広島の森下から3安打1盗塁はすごい!
今日もスタメン!
https://www.youtube.com/watch?v=A2ZdAg3cqSE
https://hochi.news/articles/20220611-OHT1T51191.html?page=1
2015年に敦賀気比高のエースとしてセンバツ制覇。
日ハムにドラ4で野手として入団。その後西武にトレード。
プロの世界に入ってから、野手の動きをゼロから学び始め、はや7年。
打撃も芽が出て、ようやく開花の予感。
素晴らしいね。
2022年6月10日金曜日
連絡きた。
英語講師の枠埋まっとるけん、いますぐには仕事紹介できひんのやけど、とりあえず登録ってことでもよか?的なメール来ました。
うん。まあええよ。
いきなり来いと言われても困るし。
40にもなって職歴もないに等しく、しかも大学生やってるっていう、明らかにオカシイおっさんを確保しておこうというんだから、ありがてえ話じゃねえか。
理解したッ!言葉ではなく、心で!
日本て、なんだかんだ住みやすい場所なんだな。こういうと怒る人もいるだろうけど、アメリカ人て、ちょっと仲良くなると、いかに日本がダメな国か、みたいな部分が出てくるんだけど、さらに仲良くなると、いやあ、じつはアメリカもヤバいのよ・・・ていう本音が聞こえてくる。
そんなこたーねーだろ、と思ってたけど、マジらしい。
中国は中国で苛烈な受験競争だし、案外日本も悪くない。
2022年6月9日木曜日
経済は難しい
今朝の日経の「スクランブル」が、「日本株に脱デフレ期待」と題して、日本企業の弱点は、消費者のデフレマインドが強すぎて、製品価格を上げられないことだ、デフレマインドが弱まれば、賃金上昇圧力が加わる、なぜ黒田総裁がここまで叩かれるのかわからない(日本株の投資経験が長い米運用会社の幹部談)としてるんだけど、ご存知の通り、目下消費者は値上げを受け入れている、と発言した黒田総裁が吊るし上げられてるわけだけど、たしかに、自分も、円安の亢進がさらなる経常収支黒字減少に繋がるのは危険と思いつつ、投資という観点からすれば、別の見方ができるんだな。
これが、経済の面白くて、難しいところ。
CONVERSATION IN ENGLISH
俺:Accusations to Kuroda, the top of BOJ, who remarked that Japanese people are accepting the price hikes, are boiling mainly on twitter. There may be some interesting influence on the coming upper diet election on July 10th at which Jimin had expected to win overwhelmingly. Companies hiked prices starting from June. It has incurred people’s anger which the government didn’t fully anticipate. I’m interested if this accusation would jump at Shinzo Abe who has been positive on the massive monetary easing.
ジョンさん:Do you know Japan’s inflation rate compared to America? I wonder.
俺:Of course I know the US is under far sheerer inflation than Japan. But Japan’s labor efficiency is far less than the US's. And, the Japanese economy has been sluggish for almost 30 years. People’s labor wage has not increased alike. Under the circumstances that the companies flee their manufacturing facilities from Japan and focus their resources onto the market abroad, the Japanese labor market has been shrinking. Indeed, people’s incomes are decreasing substantially. In other words, the Japanese are becoming poorer. Of course the US is under a difficult situation, but the US economy is far more vigorous than Japan and it is economically growing, entailed by wage hike. Albeit the salary gap between the rich and the poor is tremendous and many people are uncomfortable, the US is richer than Japan after all. Japan’s Gini coefficient indicates that Japan’s income gap is near the line under which social disturbance would take place. I’m afraid I don’t have sufficient statistics. But Japanese people have had much malaise about economic sluggishness in the last 30 years.
ジョンさん:The American inflation rate is one of the highest in the developed world over 8% while Japan is one of the lowest at around 1%. American wages have not increased to keep pace with inflation. Believe me, the American middle class is inexorably being destroyed by Biden’s regime.
Japanese society is also much more stable and safe. Since Biden took over we are afraid to go near big cities the crime rate is so high. Illegal aliens gather at our southern border by the hundreds of thousands and Biden doesn’t stop them. I’ll take Japan any day, regardless of who is in power.
俺:Yes. Japan is a safe archipelago while the US is a continent adjacent to the Southern part of the large land. Without the knowledge on economics, I would feel relaxed with Japan’s future. But I know Japan will face difficult situations in the near future. As you know, Japan is a socialismistic system country. What the outcome of such a country is likely to be is widely accepted among those who know history as you know.
ジョンさん:Japan might well be economically stagnant、 but capitalism results in peaks and valleys as well as stagnation. Essentially, and most importantly, Japanese society will remain stable, despite economic fluctuations, because unlike America, it remains largely a homogenous nation of shared cultural values. Neither left nor right seems to promote the kind of whole scale radical changes that the American Left does.
The American left wants to completely and radically change America’s demographics, culture and society. They threaten the very existence of what has been hitherto accepted as the American norm. This is why the USA is divided worse than it has since the Civil War. Japan will probably never face this kind of dilemma and existential crisis.
The existing order is under siege in America far more than it ever will be in Japan, regardless of economic fluctuations.
俺:Japanese are very good at modifying strange thoughts, culture and even religions, and assimilating them. And Japan’s politics seems to manage to keep balance between the Left and the Right. But it might be just postponing the problems which should have been addressed no sooner than it had been.
ジョンさん:I think the essence of Japanese society is maintaining harmony and social cohesion. This is essentially agreed upon by most people. Of course, in the 1960s-1970s The Nihon Sekigun and Rengo Sekigun threatened this harmony, but they only represented a tiny fringe group.
There is no longer any consensus in America. The divisions are deep and pervasive and I think permanent because the elite class has sold out the common man to the mob.
俺:It might not be appropriate, but I recalled 「The American democracy」by Alexis de Tockville.
ジョンさん:Haven’t read it since college. Basically forgot his main point. But as a foreigner, not sure he spent enough time in America to form opinions native born Americans would share.
I think another Frenchman, Lafayette, has a better sense of what America is, since he fought to establish its existence in our war of independence.
De Tocqueville got it completely wrong about the “tyranny of the majority”. In contemporary America it is a tyranny by an oligarchic elite which oppresses the majority of average Americans. The majority has been leveraged out of power by elites and their media organs. Trump represented a revolt of the “silent majority” against this elite.
俺:It must be an upside inside out case of America, but Koh-ichi Toyama was screaming the tyranny of the majority. Yes, he is a minority and not accepted by Japanese society. But he can get along with his cohorts and live along.
Yukio Mishima warned Japanese society of its sucking to life. Detesting to the persistence to life of Japanese society, he sought after the mental tension which was strongly connected to death. Mishima was deeply lamenting about how Japanese are mentaly slucking rapidly. He thought after WW2, whatever kind of faith is permitted by Japanese society as long as it allows a life. Japanese society is unconsciously ruled by ideology. Only if he/she is sticking to life, will it be accepted. But Mishima unveiled its hypocrisy and warned the Japanese. His thoughts were narrowly a philosophy as long as he was stuck to death.
I gradually understood the US is not a state of dream, and Japan is not a bad place to live.
ジョンさん:Believe me, America has been wonderful in the past, but not anymore. Japan, despite economic fluctuations, remains essentially a safe and stable country to live in. You do not see the radical social disruptions that we in America do. And that, is refreshing and comforting.
2022年6月8日水曜日
「グローバル経済史」質問と回答
質問:イギリス産の石炭は、近くに大きな市場が存在していたのでしょうか?と、言いますのは石炭は酸化しやすいために、良質な石炭であっても、市場が近くに存在し、かつ大きな需要がないと、不利だと思われるからです。むしろ、石炭を輸出するよりも、自国の蒸気船の燃料として使用していたのでしょうか?よろしくお願いいたします。
回答:「イギリス産の石炭は、近くに大きな市場が存在していたのでしょうか?」というご質問ですが、端的に答えますと、おっしゃる通りです。イギリス炭の大部分はイギリス国内で消費されていました。イギリス国内の工場や機関車など、蒸気機関を回すためにイギリス炭が使用されていたのです。一部が海外に輸出されており、さらにその一部が世界各地の港で蒸気船用にストックされていたにすぎません。
なお、イギリス炭の輸出割合については以下の学術論文をご参考ください。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001202911690368
「機関リポジトリ」をクイックし、次の関西大学の画面から当該論文のPDFが入手できます。そして、この論文の表1に輸出割合が示されております。
島田竜登
国民民主党
無責任なんだよね。
物価高騰対策で国民一人ひとりに10万円配るとか言ってるけどさ、お前、何がしたいの?って言いたくなる。
山本太郎みたいに経済がわかってない人間が言うならともかく、玉木代表みたいに、日本の置かれてる状況がわかってるくせに、確信犯でバラマキ政策を掲げるやつって、腹立つ。
野党だから許されるとでも思ってんのか?
有権者バカにしてるわ。
武蔵での学び
武蔵で自分が太刀打ちできる授業といったら、英語と体育ぐらいのものだったけど、ハンデがないと思ってた現国も、実際はかなり差があったね。
レポート書けないのはもちろんのことだけど、ちょっとしたことで、ああ、この場所じゃ俺は通用しないな、と思わされることがあったね。
現国の授業で、何かお題を出されて、手塚治虫の漫画の内容をパクって提出したのが、佳作みたいな感じで一覧に載ったんだけど、すぐさま、これは盗作だ、という批判が出て、これがもしサニチだったら、手塚治虫のパクリということがバレようがバレなかろうが、さすがコバヤシくん!てことになってただろうけど、武蔵ではこうやって容赦なく槍玉に挙げられるんだな、というのは、ちょっと逃げ場がないな、と思った。
自分の頭で考えるって、キビシイな、と痛感させられた。
武蔵は自由だ、自由だ、と言われるし、実際そうなんだけど、お前、自分の頭で考えろよ、っていうことに関しては、逃げ場がないところだと思う。
それが、武蔵の教育の真髄だと思う。
2022年6月7日火曜日
ダメでもともと
まだなんにも連絡こないけど、こういうときは、期待しないで待つのが一番楽だね。
向こうからスカウト来て、テストも古文は無視したとはいえ、英語と現国は手応えあったし、それで落とされたら、理由はわからんし、考えても無駄。
こんな年齢で職歴もないに等しいし、期待するほうが間違い。
2022年6月6日月曜日
ふぅ・・・終わった。
TOMASの面接とテスト無事終わった。
面接はそんなに込み入ったこと聞かれなかったけど、テストは結構骨が折れたね。
自分はド文系だから、英語と国語のテストだったけど、英語は、難しいというより、めんどくさい、というイメージだったかな。
知ってれば瞬殺できるっていう問題ばかりではなかった。
分量も多かったし。
国語は、普段これだけ文章書いて、本も読んでりゃ、難しくはない内容だった。
古文はわかんねーからシカト。
終わってみて、よく練られた試験内容だったな、と思います。
完全1対1をウリにしてるんだから、学力の足りない応募者を採用するわけにはいかないからね。
これくらいちゃんとテストしてもらったほうが、単純に学歴で判断されるより、こちらとしてはありがたい。
2022年6月5日日曜日
メシが喉を通らない
明日ズーム面接と思うと、緊張して食べるどころじゃない。
TOMASって、調べれば調べるほどちゃんとした教育エージェントみたいだから、向こうからスカウト来たとはいえ、これは千載一遇のチャンスなんじゃないかと思うと、身が引き締まる思い。
ズームには予定入ってるけど、そもそもちゃんとミーティングが予定されているかどうかも気になる。
こういうものはなるべく早く済ませてしまいたい。
ヤクルトスワローズ
https://news.yahoo.co.jp/articles/c45d6ed99ef40d0a28260d91645563c8053713a3
交流戦にめっぽう弱かったヤクルトが、セ・リーグ首位のみならず、交流戦も首位キープ。
信じられんわ。
若手の台頭が著しいよね。
黄金世代が軒並み現役を引退してから、ドラフト上位で獲ってきた選手がことごとく花咲かずに引退していったのが、ヤクルトの長期低迷の一因だったけど、スカウトの眼力が良くなったのか、助っ人外国人も含めて、往年のヤクルトらしい強くて明るくて活気のあるチームカラーが復活したね。
2022年6月4日土曜日
金融リテラシーの欠如
安倍の頭の中はわからないが、金融論が根本的にわかってない人が大勢いらっしゃるようだ。
極端に言えば、日銀・政府は、右手で紙幣を刷って、左手に渡してるだけだから、全く問題ない、とか。
高校の政治・経済の授業で、買いオペ、売りオペ、という言葉を教わりませんでしたか?
つまり、買いオペとは、市中に出回っている債券を、日銀が買って、その対価を市中に供給する。(金融緩和)
売りオペは、その逆で、日銀が保有する債券を、市中に売って、その対価を、日銀が吸収することです。(金融引き締め)
つまり、マネーというのは無から生まれるものではなく、ましてや日銀が刷ったから増えるとか、そういう話ではありません。
あくまでも、日銀のバランスシートの裏付けがあります。
バランスシートの裏付けなく、マネーの量が増えたり減ったりすることはありません。
これは、常識です。
では、なぜそんな誤った認識が広まっているかというと、現在の状況では、日銀が、政府の打ち出の小槌と化しているからです。
つまり、政府は国債を発行する、日銀は(一応市場を介して)それをほとんど買い切ってしまう。
そうすると、政府は、国民の現在のツケを後の世代に押し付けることによって、今の政府・国民は痛みを感じずに、資金調達が出来てしまう。
大方の国民は、痛みを感じること無く、超金融緩和の恩恵を受けられるので、ヤバさを感じない。
未来の世代にひたすらツケを押し付けていることすら、自覚がない。
こんなチートな技が、いつまでも続くと考えるのは間違いです。
それと、安倍が、国債の半分は日銀が保有していて、何回でも借り換えられるから大丈夫、というのも、かなりアヤシイ話です。
市場の実態を反映しない、異常な高値で、日銀が半永久的に国債を買ってくれるというのでしょうか?
仮にその意志があったとしても、無理かもしれないですよね?
それに、プライマリーバランスの話をするとネットでは笑われますが、プライマリーバランスが毎年赤字ということは、政府の借金の元金が、毎年増え続けるということです。
日銀がそれをずーっと買い続けなければならないのでしょうか?
それも常識的に考えて無茶な話ですよね?
腰痛い
塾講師ステーション経由で、スクールTOMASってところからスカウトメールが届いて、週明けにズームで面接予定を組んだんだが、疲れてるし腰いてーし、キャンセルしたはずなんだけど、ズームの予定は消去されてないので、どうやら行き違いがあるようで、めんどくせーし腰いてーから当日シカトしようと思ってたんだけど、スカウトするほうも、何を勘違いしてこんなオッサンにメール送ってきたんだろう?と思いつつ、冷静に考えると、TOMAS自体はかなり規模の大きい教育カンパニーみたいだし、そんなところからスカウトされること自体は名誉なことだから、とりあえず面接ぐらいは受けようかな。めんどくさいけど。
2022年6月3日金曜日
「中東の政治」質問と回答
質問:ムハンマド皇太子は、なぜ「皇」太子と呼ばれるのでしょうか?日本以外で皇太子と呼称する場合、どのような意味があるのでしょうか?サウジアラビアはEmpireなのでしょうか、それとも日本のように建前だけそういう呼称を使っているのでしょうか?
回答:小林 様
おはようございます。
こんにちは、
こんばんは
もう6月ですね。
アジサイの花の色の変化が楽しみな頃です。
さて
御質問を拝見いたしました。
短く答えるとすると、「慣例だから」でしょうか。
サウジアラビアの王位継承順位第一位の人物のタイトルは英語ではCrown Prince、
アラビア語ではウァリーアルアフドです。
単に次の君主という意味です。
ただ日本語では、そうした場合でも「皇」太子を使う例が多いようです。
イギリスの首長は国王ですが、次の国王に「王太子」と言及はしません。
皇太子という表現は日本の次の天皇への言及にのみ使われるべきとの議論は、
存在します。
しかし、実際の使用例の大半は、そうした議論を支持していないようです。
敬具
高橋和夫
よく分からない話
ヤフーコメント欄とか見てて、たまに目にする話が、1000兆円の半分を日銀が保有してて、これは何度でも借り換えられるから問題ない、後の半分は、利子を国に納付するからこれまた問題ないって理屈に出くわすんだけど、これって、誰が提唱した説なんだろう?
まあ誰でもいいけど、国債の利子って、国が払うもんでしょ?
国が自らの借金の利子を自分に払ってるから大丈夫って理屈が意味わかんねえ。
それで大丈夫なら、いくら借金しても全然問題ないって話になるだろ。
くだらねえ。
それと、日銀は政府の子会社か論争も、現在でもそうだけど、トルコのエルドアン大統領のように、利子そのものを敵視して、強権的に低金利政策を行って、その結果リラが著しく減価(安くなる)する、というように、政府というのは、いつの時代も通貨の価値を恣意的に操りたいという抑えがたい欲望を持っているから、中央銀行は政府から独立して、通貨の価値を安定させることを第一義の目的とする、というのが常識的な理解であって、中央銀行が政府の子会社かどうかを議論すること自体が、議論の中身を無視したくだらない話でしかない。
2022年6月2日木曜日
意外と忙しかった。
塾講師ステーション経由で、スカウトが来たから、ウホほほほーいってなわけで、面接の予定入れてもらったんだけど、市役所アレルギーとはまた別に、教えるのは大好きなのに、脳のキャパ的に無理なことがわかった。
週1からとかでも大丈夫なのに。
時間は有り余ってるけど、脳はそれなりに稼働していたらしい。
面接はキャンセルさせてもらった。
「それから」論
代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩おおう強い香かの中に、残りなく自己を放擲ほうてきした。彼はこの嗅覚きゅうかくの刺激のうちに、三千代の過去を分明ふんみょうに認めた。その過去には離すべからざる、わが昔の影が烟けむりの如く這はい纏まつわっていた。彼はしばらくして、 「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云った。こう云い得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故なぜもっと早く帰る事が出来なかったのかと思った。始から何故自然に抵抗したのかと思った。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出みいだした。その生命の裏にも表にも、慾得よくとくはなかった、利害はなかった、自己を圧迫する道徳はなかった。雲の様な自由と、水の如き自然とがあった。そうして凡すべてが幸ブリスであった。だから凡てが美しかった。 やがて、夢から覚めた。この一刻の幸ブリスから生ずる永久の苦痛がその時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失った。彼は黙然もくねんとして、我と吾手わがてを眺めた。爪つめの甲の底に流れている血潮が、ぶるぶる顫ふるえる様に思われた。彼は立って百合の花の傍へ行った。唇が弁はなびらに着く程近く寄って、強い香を眼の眩まうまで嗅かいだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香に咽むせて、失心して室へやの中に倒れたかった。(夏目漱石「それから」14章)
もっとも、アドルノが主観と客観との絶対的な分離に敵対的であり、ことにその分離が主観による客観のひそかな支配を秘匿しているような場合にはいっそうそれに敵意を示したとは言っても、それに替える彼の代案は、これら二つの概念の完全な統一だとか、自然のなかでの原初のまどろみへの回帰だとかをもとめるものではなかった。(93ページ) ホーマー的ギリシャの雄大な全体性という若きルカーチの幻想であれ、今や悲劇的にも忘却されてしまっている充実した<存在>というハイデガーの概念であれ、あるいはまた、人類の堕落に先立つ太古においては名前と物とが一致していたというベンヤミンの信念であれ、反省以前の統一を回復しようといういかなる試みにも、アドルノは深い疑念をいだいていた。『主観‐客観』は、完全な現前性の形而上学に対する原‐脱構築主義的と言っていいような軽蔑をこめて、あらゆる遡行的な憧憬に攻撃をくわえている。(94ページ) 言いかえれば、人間の旅立ちは、自然との原初の統一を放棄するという犠牲を払いはしたけれど、結局は進歩という性格をもっていたのである。『主観‐客観』は、この点を指摘することによって、ヘーゲル主義的マルクス主義をも含めて、人間と世界との完全な一体性を希求するような哲学を弾劾してもいたのだ。アドルノからすれば、人類と世界との全体性という起源が失われたことを嘆いたり、そうした全体性の将来における実現をユートピアと同一視したりするような哲学は、それがいかなるものであれ、ただ誤っているというだけではなく、きわめて有害なものになる可能性さえ秘めているのである。というのも、主観と客観の区別を抹殺することは、事実上、反省の能力を失うことを意味しようからである。たしかに、主観と客観のこの区別は、マルクス主義的ヒューマニストやその他の人びとを嘆かせたあの疎外を産み出しもしたが、それにもかかわらずこうした反省能力を産み出しもしたのだ。(「アドルノ」岩波現代文庫95ページ) 理性とはもともとイデオロギー的なものなのだ、とアドルノは主張する。「社会全体が体系化され、諸個人が事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど、それだけ人間そのものが精神のおかげで創造的なものの属性である絶対的支配なるものをともなった原理として高められることに、慰めをもとめるようになるのである。」言いかえれば、観念論者たちのメタ主観は、マルクス主義的ヒューマニズムの説く来たるべき集合的主観なるものの先取りとしてよりもむしろ、管理された世界のもつ全体化する力の原像と解されるべきなのである。ルカーチや他の西欧マルクス主義者たちによって一つの規範的目標として称揚された全体性というカテゴリーが、アドルノにとっては「肯定的なカテゴリーではなく、むしろ一つの批判的カテゴリー」であったというのも、こうした理由による。「・・・解放された人類が、一つの全体性となることなど決してないであろう。」(「アドルノ」岩波現代文庫98ページ)
こういう風に考えてみて下さい。主体化した人間は、主客未分化で混沌とした自然から離脱して自立しようとしながら、その一方で、身体的欲望のレベルでは自然に引き付けられている。自らの欲望を最大限に充足し、完全な快楽、不安のない状態に至ろうとしている。それは、ある意味、自然ともう一度統合された状態と見ることができます。母胎の中の胎児のように、主客の分離による不安を覚える必要がないわけですから。そして、そうした完全な充足状態に到達すべく、私たちは自らの現在の欲望を抑え、自己自身と生活環境を合理的に改造すべく、努力し続けている。安心して寝て暮らせる状態に到達するために、今はひたすら、勤勉に働き続け、自分を鍛え続けている。しかし、本当に「自己」が確立され、各人が計算的合理性のみに従って思考し行動するだけの存在になってしまうと、自己犠牲によって獲得しようとしてきた自然との再統合は、最終的に不可能になってしまいます。日本の会社人間の悲哀という形でよく聞く話ですが、これは、ある意味、自己と環境の啓蒙を通して、「故郷」に帰還しようとする、啓蒙化された人間全てが普遍的に抱えている問題です。啓蒙は、そういう根源的自己矛盾を抱えているわけです。(「現代ドイツ思想講義」作品社 148ページ) かなり抽象的な説明になっていますが、エッセンスは、先ほどお話ししたように、自然との再統合を目指す啓蒙の過程において、人間自身の「自然」を抑圧することになる、ということです。啓蒙は、自然を支配し、人間の思うように利用できるようにすることで、自然と再統合する過程だと言えます。自然を支配するために、私たちは社会を合理的に組織化します。工場での生産体制、都市の交通網、エネルギー供給体制、ライフスタイル等を合理化し、各人の欲求をそれに合わせるように仕向けます。それは、人間に本来備わっている“自然な欲求”を抑圧し、人間の精神や意識を貶めることですが、啓蒙と共にそうした事態が進展します。後期資本主義社会になると、その傾向が極めて顕著になるわけです。それが、疎外とか物象化と呼ばれる現象ですが、アドルノたちはそれを、資本主義経済に固有の現象ではなく、「主体性の原史」に既に刻印されていると見ます。(「現代ドイツ思想講義 作品社」150ページ)
アドルノについては、ポスト構造主義が大きくクローズアップされた80年代から しばらくの間、私たちでも手に取るような一般的理論書の引用、あるいは論文の 脚注で名前はよく知りながら、レポートを拝見して、初めてその具体的実像について アウトラインを教えて頂いたことになります。 理性と個人の誕生に重きを置きながらも、それが疎外を産み出さざるをえない 一種の必然に対して、それを批判しながらも反動的な主客合一論へは与しない、 むしろ代償を支払いながら手にする「反省能力」に信頼を置く…… こんな感じで理解しましたが、何より漱石との親近性に瞠目に近い思いを 抱きました。漱石の文明批評は、いうまでもなく「近代」批判なのですが、 しかしけっして、傷だらけになりながらも獲得した「個人」を手放そうとはしません でした、それが彼を果てしない葛藤に陥れたにも拘わらず。 レポートを拝見させて頂き、末尾の件り――アドルノの「疎外」批判が、 それを資本主義に固有の現象としてそこに帰させるのではなく、「主体性の歴史」 に「刻印」されたものとして把握しているとの括りに、漱石との類縁性を改めて実感 し直すと同時に、漱石論への大きな励ましのステップを頂戴する思いです。 本当に有り難う。 なお、教室でしばし議論した漱石の「母胎回帰」の話しですが、今回頂戴した レポートを拝読して、漱石の百合は、教室で伺った母胎回帰現象そのものよりも、 むしレポートに綴ってくれた文脈に解を得られるのではないかと考えます。 確かに主客分離への不安、身体レベルでの自然回帰への欲望――、まずはそれが 出現します。しかし、すぐに代助はそれを「夢」と名指し、冷めてゆきます。この折り返しは、 まさにレポートに綴ってくれたアドルノの思想の展開に同じ、ですね。主客分離が 主観による世界の支配を引き起こしかねず、そこから必然的に生起する疎外や物象化を 批判するが、しかしながら、再び「主観と客観の区別を抹殺することは、事実上(の) 反省能力を失うことを意味」するが故に、主客合一の全体性への道は採らない。 漱石の「個人主義」解読への大きな手掛かりを頂戴する思いです。 しかし、それでは刹那ではありながら、代助に生じた百合の香りに己を全的に放擲したという この主客一体感――「理性」の「放擲」とは何を意味するのか……。「姦通」へのスプリングボード だったのだろう、と、今、実感しています。 三千代とのあったはずの<過去(恋愛)>は、授業で話したように<捏造>されたもの です。しかし、この捏造に頼らなければ、姦通の正当性を彼は実感できようはずもない。 過去の記念・象徴である百合のーー最も身体を刺激してくるその香りに身を任せ、そこに ありうべくもなく、しかし熱意を傾けて捏造してきた「三千代の過去」に「離すべからざる 代助自身の昔の影」=恋愛=を「烟の如く這いまつわ」らせ、その<仮構された恋愛の一体感>を バネに、姦通への実体的一歩を代助は踏み出したのですね。 こうでもしなければ、姦通へ踏み出す覚悟はつかず(この「つかない覚悟」を「つける」までの時間の展開が、 そのまま小説『それから』の語りの時間、です)、それ故、このようにして、彼は決意を獲得する、というわけです。 ただしかし、前述したように、代助はすぐに「夢」から覚めるし、合一の瞬間においてさえ「烟の如く」と表して いるのでもあり、代助自身がずっと重きを置いてきた<自己―理性>を、けっして手放そうとはさせない漱石の <近代的個人>なるものへの拘りと、結局のところは信頼のようなものを実感します。 だから漱石には「恋愛ができない」--『行人』の主人公・一郎のセリフです。 静岡大学 森本隆子先生より
漱石とアドルノ(私信ー応答)
確かに『それから』で、前にたちはだかる資本主義経済とシステムが、急に前景化してきた感は大きいですね。
前作『三四郎』でも問題化する意識や構図は見てとれますが、そして漱石の中で<西欧近代文明=資本主義=女性の発見>といった公式は常に動かないような気もするのですが、『三四郎』の「美禰子」までは――「美禰子」が「肖像画」に収まって、つまりは死んでしまうまでは、資本主義社会はまだまだ後景に控える恰好、ですよね。
逆に『それから』で、明治を生きる人間を囲繞し尽くし、身動きとれなくさせている資本主義社会という怪物が、まさに<経済>(代助にとっては「生計を立てねばならない」という形で)に焦点化されて、その巨大な姿を生き生きと現すことになっていると思います。
労働も恋愛も、すべてにおいて<純粋=自分のあるがままに忠実に>ありたい代助を裏切って、蛙の腹が引き裂けてしまいそうな激しい競争社会を表象するものとして明確な姿を現します。
「三千代」もまた、それに絡め取られた女性として、初期の女性主人公の系譜ともいえる「那美さん―藤尾―美禰子」の生命力を、もはや持たず、読者は初期の漱石的女性が、「三四郎」や「野々宮さん」が「美禰子」を失ってしまった瞬間、初めて事態の意味を悟った如く、もはや漱石的世界に登場することが二度とないことを、痛感するのかもしれません。
『それから』が、このような画期に位置する作品として、登場人物たちが資本主義システムに巻き込まれ、葛藤する世界を生々しく描いたとするなら、次作『門』は、それを大前提とした上で――もはや資本主義社会は冷酷なシステムとしていくら抗っても厳然と不動であることを内面化した上で、そこを生きる「宗助―お米」の日々へと焦点が絞られていきますね。
漱石とアドルノ(私信ー問い)
自分:先日レポートを送らせていただいたのは、内容としては、もちろん漱石の生きた時代の背景を知りたかった、ということなのですが、自分としては、少なくとも「それから」の時点において、漱石がどれくらい資本主義的な世界への警戒感を持っていたか、を明らかにしておきたいという理由なのです。
それは、とりもなおさず漱石とアドルノの距離感に関わってくるものなので。
炭鉱業の話を聞いて、明治の経済成長著しいロマンチックな話だけではなく、鉱夫という、一歩道を踏み間違えれば、地獄そのものの生活があり得たということ、そして、経済成長という国家的意志の下で、特に知的エリートがどのような感覚を抱いていたか、ということ、そういったことが炙り出されてきました。
まさに、国家対個人と言ってもいいような、そういう相克を漱石が抱いていたのではないか、ということが確認できました。
そのなかにおいて、漱石とアドルノの類縁性というものが見えてくると思われました。
中東の政治レポート(提出期限切れ)
2003年のフセイン政権崩壊後のイラクは隣国イランの強い影響下にある。イラク戦争後の同国はたびたびイランと米国の衝突の舞台になった。米軍はイラクでの戦闘任務を終了させた。8月に完全撤収したアフガニスタンからイランを偵察することもできなくなった。東西両隣からの圧力から解放されたイランはほくそ笑む。イランの台頭を抑える成果のないまま、米国は隣国からにらみを利かせるテコを失いつつある。断交状態にあるサウジアラビアもイランとの水面下の交渉を始めた。イランは対米強硬路線に自信を深める。米国のトランプ前政権が一方的に離脱したイラン核合意への復帰交渉では、ライシ政権が強硬な対応に出て議論がかみ合わない。後ろ盾となっているのは中国、ロシアだ。気候変動問題に対応するため世界は脱炭素化へ急速にかじを切る。イラクでは米エクソンモービルや英BPが事業縮小の構えをみせている。イラクの石油相は7月、ペルシャ湾で計画する製油所と石化プラントの複合施設を中国化学工程集団が建設すると発表した。ロシアはイラクの西隣シリアでアサド政権を支え、基地の長期租借など権益を確保済みだ。兵器や原発輸出を通じ中東アラブ諸国との関係緊密化を進める。米国が中東での軍事的関与を減らすのは、アジアに力を振り向け台頭する中国への対抗に集中するためだったはず。しかし、その戦略の見直しが中国やロシアを利する皮肉な構図が浮かび上がっている。
2022年6月1日水曜日
庶民の声
値上げラッシュで、人々がどんなリアクションするのかと思ってネットサーフィンしたけど、多かったのが、やはり消費減税と、金融政策はやめて財政政策で経済を支えるっていう話ね。
前者は、財政再建のことになると理屈では通用しない話になるので、とりあえず後回しにして、後者の話をする。
財政政策で経済を下支えする、というと、具体的には(財源足りないから)赤字国債発行しろって話になるんだけど、その赤字国債を誰が買うか?って言ったら、もう日銀しかいない。
だから、金融政策と財政政策はセットにならざるを得ない。
つまり、財政政策に依存するってことは、金融政策に依存することと同じ。
だから、日銀は泥沼の金融緩和から抜け出せない。
金融緩和からの出口戦略を語っただけで、国債の価格が急落して、金利が急騰する可能性がある。
発行済日本国債の半分を日銀が保有していると安倍が堂々と言ったように、国債価格の急落は日銀の財務状況を極度に悪化させる可能性がある。
財務状況がヤバい銀行が発行する紙幣(この場合日本銀行券、つまりお札)の価値を信用する人いますか?
従って、円の信用を担保するには、国債の信用を担保することが必要になる。
それはすなわち、増税が必要になるということ。
政策割当の原理の話は何度も上げたから、とりあえずここでは言わないけど、経済成長なきインフレは、人々の厚生水準を低下させる、従って財政出動が必要になる、しかし、それでは財政が悪化するので、増税が必要になる。
ざっくり言うとこんな感じです。
https://jp.reuters.com/article/column-suzuki-akihiko-idJPKBN2F60HR
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もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。なぜなら、実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) がマイナスの (つまり保有していると損をする) 金融商品を買う投資家はいな...