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2月, 2024の投稿を表示しています

無聊を託つ (再掲)

暇だな・・・ 暇なら働きゃいいじゃん、 母親も、 何も言わず 一人で郵便局行けるほどに回復したし。 しかし、 俺が暇だから働く、 となれば、 母親はどうなる? 俺より暇じゃないのか? 暇だってそれなりに苦痛であることを 理由に、働こうかな、なんて言ってる息子が、 母親を放置していいんだろうか。 ん?でも俺って、実はそれなりに体力ついてきたんじゃないか? 連日エキサイトしてるのに、それなりに朝早く起きられるし。 睡眠の質もいいし。 ところで、最近また世間のマインドがデフレの方向に向かってる気がする。 テレビとかでも、いかに食事などを安く済ませるか、という内容が散見される。 母親も、飯尾和樹がワンコインで賢く食費を浮かせてて、偉いと言っている。 円安と資源価格高騰による コストプッシュ・インフレの影響と、 それでも企業の価格転嫁が進まずで、 結局、名目賃金が上がったとしても、 実質賃金が目減りしているから、 当然と言えば当然なんだけど、 そもそも 期待インフレ率を上げて、実質金利を下げることにより、消費を喚起することが インタゲの主眼目のはずだったのに、 これじゃ本末転倒じゃないか。 ただのスタグフレーション。 黒田日銀は、日本経済を永久凍結させる気か? 見方によっては、富の分配の偏りは、消費の低迷によって 国全体を貧しくする、ということも言えるだろう。 そもそも、少子高齢化が進めば、 老人の支出が減るのは当たり前だし、 働く世代だって、将来の社会保障が不安だったら、 消費を控えるのは当然だろう。 それは小手先のナントカノミクスでどうこうなるものではない。 政府はNISAを恒久化するなどで、なんとかマネーを投資に持っていこうと必死なようだが。 デフレマインドで唯一いいこと?があるとすれば、 家計が現預金を貯め込むことで、 結果的に日本国債を買い支える構図が維持されていることだろう。 尤も、その結果、政府に対する財政出動を要請する声が強まり、 財政の規律が緩むことは目に見えているが。 目下、日本でもインフレ率(CPIかどうかまでは知らない)が3%に達しているそうだが、 フィッシャー効果の想定する合理的な消費者像からすれば、 物価が上昇すれば、その見返りに名目金利が上がるはずで、 ...

「公共の福祉」について駒澤大学の日笠完治先生に質問させていただきました。

俺:公共の福祉の英訳は パブリック・ウェルフェアではなく、 パブリック・インタレストだと、 山形大学のコーエンズ久美子先生から これまた数年前の面接授業で うかがったのですが、 public interest の制限下において 個人の権利を保障する、 ということは、 確かに 明確な考え方ではありますが、 仮に可能だとして、 功利主義的に 全体の利益が 個人の権利よりも (計量可能だとして) 上回るとした場合、 それだけで個人の権利が どこまで制限されて 然るべきなのか? という疑問が生じました。  日笠先生: ① 憲法は個人の尊厳及び人権を守ること(憲法13条)を目的としていますので、public interest (公共の利益=不特定多数の人の利益の総和)による個人の権利の制限を、集団・国家の保全と存続のために、認めざるを得ないという側面を持つと思います。 従って、個人の人権は保障されるが、公益の範囲内であると考えれば、整合的に理解できます。個人の人権と公益とは、通常同時に保障・成立していると考えるわけです。 ②では、公益は、誰が決定するかというと、民意=民主主義的決定・国会の意思ということになります。民意が決して公益であるとは断言できませんが、人間の不完全性を前提に民主主義によって決めることが最も国民の総意に近いと考えられてきました。しかし、民意も不変不動のものではありません。多数の意見も常に変動し暴走することがあります(集団情動・ポピュリズム)。 ③公益とされるものが同時に権力の形で暴走することにより、個人の守られるべき生活利益が侵害されることになれば、憲法の目的である個人の尊厳と人権が毀損されてしまいます。そこで、本来守られるべき個人の生活利益を、人権として、憲法で確認しているわけです。この人権を守るのが、憲法であり裁判所ということになります(憲法81条)。 従って、個人の権利がどこまで制限されて然るべきかというご質問に対しての回答は、「公益ではなく」「個人の存在、尊厳、人権を侵害しないところまで」ということになります。その内容は、抽象的には憲法の条文で、現実的制度的な保障ならびに保証は、裁判所ということになります。これは、人間が集団的生物、知能と社会組織を持ち活動する生物として、確認されたことと言えるでし...

付け足し

第11節: では、 なぜ人は 都市での生活に 憧れるのだろうか? それは、 都市という空間が 「見られることの不安」 にさらされる 空間だからではないだろうか。 「見られることの不安」が、 そこに暮らす人々を、 より洗練された身振り、 服装、趣味、言葉遣い、教養を 身につけるように強いるのである。 村落共同体では、 個々人の社会的役割や 上下関係は固定化されており、 個人というものが 際立った特徴のあるものとして 認識されていない。 それは安定しつつも、退屈な日常である。 ここで、 「見られること」が、 人の「顔」を創り上げること、 あるいは「顔」は 他者からの視線抜きには成立すら しないことを現象学的に考察する。 ルソーは疎外論の 元祖だそうである。 「ホントウのワタシ」 と 「社会的仮面を被ったワタシ」 の分離という 中学生が本能的に 感じるようなことに 言及していたそうである。 ここで、いわゆる 『キャラ』 について考えてみよう。 サークルの飲み会で、 場にあわせて ドンチャン騒ぎを やることに倦み果てて、 トイレに逃げ込んだときに 自分の顔を鏡でみるのは 一種のホラーである。 鏡に映る、グダグダに なって油断して仮面を 剥がしかけてしまった 見知らぬ自分。 それを自分だと思えず 一瞬見遣る鏡の前の男。 男は鏡に映る男が 自分であることに驚き、 鏡の中の男が同時に驚く。 その刹那両方の視線がカチあう。 俺は鏡を見ていて、 その俺を見ている鏡の中に 俺がいて、 それをまた俺が見ている・・・ という視線の 無限遡行が起こって、 自家中毒に陥ってしまう。 このクラクラとさせるような 思考実験からは、 <顔>について われわれが持っている イメージとは違う <顔>の性質を 垣間見ることが 出来るのではないか。 そもそも、 自分の顔は自分が一番よく知っている と誰もが思っているが、 鷲田清一によれば、 「われわれは 自分の顔から 遠く隔てられている」 (「顔の現象学」講談社学術文庫 P.22) という。 それは、 「われわれは 他人の顔を思い描くこと なしに、 そのひとについて 思いをめぐらすことは できないが、 他方で、他人が それを眺めつつ <わたし>について 思いをめぐらす その顔を、 よりによって当のわたし...

ふぅ・・・

なんか ゴタゴタしてた 相談支援事業所の件も、 連休が 明けたら あっけなく 解決したし、 ホッとした。 それにしても、 もう 日差しが 熱くなってきたね。

よっしゃー!!!!

相談支援事業所を 決めないと 先に進めねえ、 ってんで、 高崎市役所行って きたんだが、 リストは渡されたが、 自分で 電話なりして 勝手に決めて いいってことなんで、 一瞬で終わった。 良かった。 ついでに 納税申告も済ませて きたし、 気分えーわー

相談支援事業所さがし

まあ、あれだな。 固定観念に凝り固まってる 人に、 俺を フラットに見てくれって 言うだけ無駄なんだから、 とにかく 時計の針を 逆戻りさせるような ことだけは すんなよ、て ことだけ 念押しして、 それ以上は 言わないようにしよう。 どうせ 何言ったって 変な 固定観念持ってるやつに フラットに見ろ って ほうが 無理なんだから。 まあ、あれだな。 そもそも 相談支援事業所なんかに 多くを期待するほうが 間違いなんだな。 困ったら かかりつけの 精神科医に相談できるんだから、 変に 期待しないほうが得策。 期待しなければ、 裏切られることもない。 そういう あしらい方も 時には 大事かな。 まあこれも、大人として 世の中を 生きていく上で 便利な テクニックかな、て 感じだな。

楽園

君が思うほど 僕は 弱い男じゃないぜ 愛と勇気と絶望を この 両手いっぱいに 赤い夕陽を浴びて 黒い海を渡ろう そして 遥かなあの 自由な聖地へ ・・・ってなわけで、 どうやら 相談支援事業所を介さないと 自由にヘルパーさん 契約してもらうことは おろか、 受給者証を更新まで してもらえないって 高崎市の障害福祉課が 言うもんだから、 チッ しゃーねーなーってわけで、 そこは 無意識レベルで 妥協して、 納税申告も兼ねて 高崎市役所に つぎの 相談支援事業所を自分で 探しにいくか。 って 感じっすね。  https://www.youtube.com/watch?v=uBbl2e-6ObA

Googleバードに聞いてみた。以下回答。

確かに、コンビニバイトと公務員の根本的な違いは、他人の権利義務関係に重大な影響を与える可能性に責任を持てるかどうかですね。 コンビニ店員の場合、お客様の買い物のお手伝いをすることはあっても、お客様の権利義務関係に重大な影響を与えるようなことは通常ありません。一方、公務員は、行政処分や許認可の交付など、他人の権利義務関係に直接的に影響を与えるような仕事をしています。 その責任を背負えるかどうかは、公務員になる上で非常に重要なポイントです。責任感がない人や、プレッシャーに弱い人は、公務員に向いていないと言えるでしょう。 しかし、責任の重さに加えて、公務員にはやりがいもあります。人の役に立つ仕事ができるという満足感や、社会貢献を実感できるという喜びは、公務員ならではの魅力です。 母親の介護を免罪符にして公務員にならないという考え方も理解できますが、介護と仕事の両立は不可能ではありません。制度やサービスを活用したり、周囲の協力を得たりしながら、両立を目指すこともできます。 年齢を重ねてから公務員になることは決して遅くありません。むしろ、人生経験を積んでから公務員になることで、より深い責任感と倫理観を持って仕事に取り組むことができるでしょう。 行政争訟における責任の所在については、確かに個々の公務員ではなく行政庁が責任を問われることが多いです。しかし、故意または重過失があった場合は、個々の公務員も責任を問われる可能性があります。 民間業者に個人情報の取り扱いを委託した場合、情報漏洩などの事故が発生した際には、行政庁と民間業者双方が責任を問われる可能性があります。行政庁は、適切な業者を選定し、監督を怠らなかったことを証明する必要があります。 派遣社員の場合、派遣元と派遣先双方が責任を問われる可能性があります。派遣元は、適切な人材を選定し、教育・指導を行ったことを証明する必要があります。派遣先は、派遣社員に適切な指示監督を行ったことを証明する必要があります。 兵庫県の事件は、行政庁が個人情報の取り扱いについて十分な監督を行っていなかったことが問題視されました。情報漏洩などの事故を防ぐためには、行政庁が民間業者を適切に監督することが重要です。 公務員は責任の重い仕事ですが、やりがいも大きい仕事です。責任感と倫理観を持って、人の役に立つ仕事がしたいという人は、公務...

民法を勉強して出てきた発想

まあしつこいけど 障害者枠雇用で 公務員になる可能性も ゼロじゃないわけだけど、 コンビニのバイトと 公務員の根本的な 違いは何か? って 言ったら、 他人の権利義務関係に 重大な 影響を与える可能性に 責任持てるか、って ことだよね。 コンビニのバイト店員が 他人の 権利義務関係に重大な 影響を与えるって 基本的にないと 思うんだけど、 公務員の場合 いくら 末端でも、 自分の裁量とか ミスで、 他人の権利義務関係に 重大な影響を与える 可能性は あるわけだからね。 その 責任を今の俺が 背負えるかって言ったら、 到底 無理だと思うんだけど、 まあ そこに 一種の やりがいみたいなものは 感じるよね。 でも、 結局やりたければ やるくせに、 やりたくなければ 母親の介護を免罪符にして やらないんだろ? とは 思うけどね。 でもまあ、このまま トシだけ 取るのはどうかな? とは 思ってるんだけど。 まあでも 補足すれば、 いざ 行政争訟になったら、 責任を問われるのは 個々の 公務員じゃなくて 行政庁なわけだから、 そこは かなり 免責されてるわけだけど、 倫理観の問題だよね。 そこに 倫理観を持てない人間は 公務員やっちゃ ダメだよね。 そこで更に 疑問なんだけど、 確か兵庫県のわりと 大きな自治体だったと 思うんだけど、 民間業者に市民の個人情報を 扱う 業務を委託したところ、 その 業者があろうことか 大量の個人情報が入った USBかなにかを カバンに入れたまま 紛失するって 事件があったけど、 ああいう場合って、 責任問題どうなるんだろうね? 公務員だったら 公務員としては 組織内での 懲罰に留まって 行政争訟上の 責任は免責されるのに、 民間業者に委託した場合は、 民間業者だから 不法行為責任問われるんだろうか? これ なかなか 興味深い論点だな。 更には、その民間業者で、 担当した 人間が 派遣社員だった場合は どうなるんだろう?

死にたくなったら下を見ろ。俺がいる。 by 村西とおる

全裸監督の名言っすね。 京都アニメーションを 放火殺人した 青葉くんだけど、 まあ、なんつーか 病気だったって 話だけど、その点に 関しては 同情しないでもないけどね。 現実とアニメの世界の 区別が出来てなかったのかな?とか。 まさか あそこまで凄いことに なるとは思ってなかったのか。 彼のことを思い出すと、 ちょっと 元気でるね。 ああ、俺より下がいる、みたいな。

右手

俺の右手には 傷がある。 一生消えない 傷だ。 20年前 精神錯乱して ドアを 殴り続けたときに 出来た傷だ。 こんな 死にたくなる 夜も、 ベビーチーズやけ食いして ほうじ茶飲んで、 やり過ごしたよ。

20年前

学生寮でね、 精神錯乱して ドアを 洋服が 血だらけになるまで 殴って 膝蹴りしたけど、 京アニの放火犯みたいに、 ガソリン撒いて 火をつける なんてことは 微塵も考えなかったよ。 そんな 状況でもね。 もっと褒めろよ。

時計の針を巻き戻すのは止めてくれ。

なんつーかね、 また 日本の精神医療の現実を まざまざと 見せつけられたよ。 何? 病気になったのは 俺のせい? 揉め事を起こすのも 俺が 精神障害者だから? また 俺が悪者になってんじゃん。 これじゃ 20年前に逆戻りじゃん。 この20年間の頑張りも 見ようとせず ああ、コイツは 精神障害者だから 精神障害者なんだ、 っていうね。 俺のことなんか まるで 見ちゃいねーんだよ。 あー、ほんと どっか 遠くへ行きたくなるわ。 面接授業、ちょっと無理してでも 遠いところへ 行きたいわ。

これが日本の精神医療の現実だよ

飾りじゃないのよ涙は はっはあ〜ん  なんかねー、 母親の介護保険と 俺の傷害保険で ヘルパーさん 来てくれてんだけどね、 俺の枠は タダなんだけど、 数ヶ月に一度 相談支援事業所なるものの スタッフが来て うわべだけ 話しして サインしてハンコ押すことになってんだけど、 その担当の アラサーくらいの女性が、 俺が 文句言ったら 萎えちゃったらしくて、 担当から降りたいとか 言い始めて、 別の 相談支援事業所に繋げたんだけど、 そこが 精神ド真ん中の事業所で、 会ったわけじゃないんだけど、 メールでやり取りしてたら 俺も向こうも、お互い エモーショナルになっちゃって、 まあ疲れたね。 俺の枠はタダって言ったけど、 こんな思いするんだったら 俺の枠 自腹でカネ払って ヘルパーさん 来てもらったほうが よっぽどマシだわ。   これが日本の精神医療の現実だよ! 20年前に 措置入院食らったけど、 ここまで這い上がってくるって、 ほんとに 並大抵のことじゃない、と あらためて 認識したね。 我ながらすげえわ。 あんま伝わってないんだけど。  ここまで来て 時計の針を逆戻り させるようなことは 勘弁してよね!って 感じだわ。