2024年2月23日金曜日

「公共の福祉」について駒澤大学の日笠完治先生に質問させていただきました。

俺:公共の福祉の英訳は パブリック・ウェルフェアではなく、 パブリック・インタレストだと、 山形大学のコーエンズ久美子先生から これまた数年前の面接授業で うかがったのですが、 public interest の制限下において 個人の権利を保障する、 ということは、 確かに 明確な考え方ではありますが、 仮に可能だとして、 功利主義的に 全体の利益が 個人の権利よりも (計量可能だとして) 上回るとした場合、 それだけで個人の権利が どこまで制限されて 然るべきなのか? という疑問が生じました。  日笠先生: ① 憲法は個人の尊厳及び人権を守ること(憲法13条)を目的としていますので、public interest (公共の利益=不特定多数の人の利益の総和)による個人の権利の制限を、集団・国家の保全と存続のために、認めざるを得ないという側面を持つと思います。 従って、個人の人権は保障されるが、公益の範囲内であると考えれば、整合的に理解できます。個人の人権と公益とは、通常同時に保障・成立していると考えるわけです。 ②では、公益は、誰が決定するかというと、民意=民主主義的決定・国会の意思ということになります。民意が決して公益であるとは断言できませんが、人間の不完全性を前提に民主主義によって決めることが最も国民の総意に近いと考えられてきました。しかし、民意も不変不動のものではありません。多数の意見も常に変動し暴走することがあります(集団情動・ポピュリズム)。 ③公益とされるものが同時に権力の形で暴走することにより、個人の守られるべき生活利益が侵害されることになれば、憲法の目的である個人の尊厳と人権が毀損されてしまいます。そこで、本来守られるべき個人の生活利益を、人権として、憲法で確認しているわけです。この人権を守るのが、憲法であり裁判所ということになります(憲法81条)。 従って、個人の権利がどこまで制限されて然るべきかというご質問に対しての回答は、「公益ではなく」「個人の存在、尊厳、人権を侵害しないところまで」ということになります。その内容は、抽象的には憲法の条文で、現実的制度的な保障ならびに保証は、裁判所ということになります。これは、人間が集団的生物、知能と社会組織を持ち活動する生物として、確認されたことと言えるでしょう。  (以下 google bard より回答) 公益と個人の権利:功利主義と憲法の視点から パブリック・ウェルフェアとパブリック・インタレストの区別、そして功利主義と憲法の視点から、公益と個人の権利の関係を深く掘り下げて考察することは非常に重要です。以下、論点ごとに詳細な解説と考察を加えます。 1. パブリック・ウェルフェアとパブリック・インタレスト 山形大学のコーエンズ久美子先生がおっしゃる通り、パブリック・ウェルフェアは「社会福祉」や「公的扶助」といった意味合いが強く、特定の集団や個人の幸福に焦点を当てます。一方、パブリック・インタレストは、「公共の利益」と訳され、不特定多数の人の利益の総和を指します。これは、社会全体の利益や秩序、さらには未来世代への責任も含めた広い概念です。 2. 功利主義と個人の権利の制限 功利主義は、最大多数の最大幸福を追求する倫理思想です。この考え方では、全体の利益が個人の権利よりも上回ると判断された場合、個人の権利が制限される可能性があります。しかし、個人の権利は人権という普遍的な価値に基づいており、安易に制限することは許されません。 3. 憲法の視点:個人の尊厳と人権の尊重 日本の憲法は、個人の尊厳と人権の尊重を基本理念としています。そのため、公益のために個人の権利を制限する場合でも、以下の点に留意する必要があります。 必要最小限の制限: 個人の権利を制限する際は、公益の実現のために必要最小限の範囲にとどめる必要があります。 合理的な関係: 制限と公益の実現との間に合理的な関係が必要です。 手段の適切性: 制限は、公益の実現に有効かつ適切な手段である必要があります。 人権の尊重: 制限は、人権の尊重と両立する必要があります。 4. 公益の決定と民意の限界 公益は、民主主義的な手続きによって決定されます。しかし、民意が常に公益とは一致するとは限りません。多数の意見が暴走し、個人の権利を侵害する可能性もあります。 5. 憲法と裁判所の役割 憲法は、個人の尊厳と人権を守るために存在します。公益の名目で個人の権利が侵害されないよう、裁判所は憲法に基づいて判断を下します。 6. 個人の権利の制限範囲:人権の侵害を許さない 公益のために個人の権利を制限する場合でも、人権の侵害は許されません。個人の存在、尊厳、人権を尊重することは、社会全体の持続的な発展にとって不可欠です。 7. 功利主義と憲法のバランス 功利主義は、社会全体の利益を考える上で有効な考え方ですが、個人の権利を軽視する危険性を孕んでいます。憲法は、功利主義の暴走を防ぎ、個人の尊厳と人権を守るための重要な役割を果たします。 8. 具体的な事例に基づいた考察 上記の論点を踏まえて、具体的な事例に基づいて議論を深めることが重要です。例えば、表現の自由やプライバシーの権利など、様々な個人の権利が公益のために制限されるケースがあります。 9. 結論:公益と個人の権利の不断の議論 公益と個人の権利の関係は、常に議論を続ける必要があります。社会の変化に合わせて、公益の内容や個人の権利の範囲を再検討していくことが重要です。 10. 参考文献 コーエンズ久美子. (2010). 公益と私益の境界線. 法学教室, 324, 4-16. 長谷部恭男. (2019). 憲法 第六版. 岩波書店. 11. その他 上記はあくまでも概論であり、個別の事例については詳細な検討が必要です。 本稿は情報提供のみを目的としており、いかなる法的助言も構成するものではありません。

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