2023年1月29日日曜日

感情・人格心理学

興味本位で 第1回を 視聴してみたら、 面白かった。 講師の方が 他にも 放送授業を 受け持って おられるようなので、 一気に 心理と教育コースの 単位を 稼げるかも。 第3回まで視聴。 ぜんぜん 聞いてられるね。 面白い。 第4回視聴。 主任講師が 臨床心理士の方だから、 何か 難しいことを 教えようというより、 これまで 生きてきた人生で 経験上理解できる話だな、 という感じがする。 心理学を学ぶにあたって、 自分にとっては 全く新しい分野だから、 つい 身構えてしまうけど、 科目によっては リラックスして 今まで通り 話を聞いていれば それで 大丈夫、 ということが わかってきた。 第6回まで視聴。 感情と脳の関係なんかを 聞くと、 ああ、そんなもんかもね。 と いう気がしてくる。 そういう仕組を知ってれば、 過去の些細なことで いつまでも 思い出して ムカつくことも なくなるかもね。 一眠りしてから、 第7回視聴。 放送大学すげーなー こんな話も聞けるのか。 第9回まで視聴。 心理学が 自分自身にとって これほど 役に立つとは 思わなかった。 第10回視聴。 人格の記述。 講義を聴きながら、 自分自身も 少しずつ 変わっていくような 気がする。 なんとか キリよく 今月中に 終わらせたい。 一休み。 第11回視聴。 人格の測定。 人格テストの話を延々と。 ちょっと退屈だった。 第12回視聴。 いよいよ 佳境に入ってきた。 次がひとつの 山場かな? 第13回視聴。 なかなか哲学的で 面白かった。 主任講師の 経歴を調べたら、 異色で面白かった。 ガチガチの理系から 臨床心理の道に 進まれたようです。 人生の貴重な時間を 割くに値する 内容です! 第14回視聴。 放送大学すげえ! こんな深い内容の話を 聞けるとは 思わなかった! 心理と教育コース を ナメてた! 心理学の敷居を ようやく 一歩 跨いだ、 といった 感じですね。 次で いよいよ ラスト! 全15回視聴。 名講義でした! ごちそうさま! 結局、 俺って なんか新しいこと 勉強してるときが 一番ハッピーで、 一生それを続けてくんだろうな。 それが出来るだけの 資源があれば。 完全に 心理学の 敷居を跨いだな。

2023年1月28日土曜日

日経新聞10面より 2023/1/28 実質金利とは?

名目金利が抑え込まれるなかで 期待インフレ率が上がれば、 実質金利は切り下がりやすくなる。 実質金利がマイナス圏だと、 景気を刺激する効果が増す。 お金を 国債などの 安全資産で運用しても 将来の物価上昇の 影響で 実質的に損失が 発生するため、 株や不動産などの リスク資産や、 設備投資などに 回るマネーが 増えるとされるためだ。

2023年1月26日木曜日

心理学概論

放送大学で トップクラスの 人気を誇る (らしい) 森津太子先生の講義ですな。 心理学へのいざないとしては、 非常に よく出来ていると思います。 心理を 単なる物理学的現象に 落とし込むのではなく、 その方面には しっかり 目配せをしながらも、 より 形而上学的な アプローチも感じられる。 もちろん両方の側面を バランスよく 取り入れている。 文系人間の自分には うれしい。 経済学も、 最近の潮流としては 明らかに 心理学的な側面を考慮に入れてるよね。 インタゲなんかまさにそう。 消費者の期待インフレ率に働きかけるってのも、 まさに 消費者心理の問題だからね。 デフレの始まりの頃は、 良い商品が安く手に入って 素晴らしい時代になった、 と 言っていたのに、 賃金が下がると、 デフレのせいだ、 と 言っていた。 だから、 その逆で 物価が上がるのがいい、 という ストーリーを信じている。 ところが、 いざ 物価があがると、 怨嗟の声があがる。 消費税で実質負担があがるのは 猛反対するのに、 円の価値が下落して 物価が上がるのは 賛成、という理屈は正直 よくわからない。 消費者からすれば、 賃金あがらないなら 同じじゃね?

2023年1月22日日曜日

対韓輸出規制という黒歴史ー大機小機 2022/5/20 より 抜粋

(前略) 日韓間の争点は多々あれど、 この機会に確認して おきたいことがある。 3年前(当時)に実施した 半導体材料の輸出規制は 失敗だったということだ。 2019年7月、 経済産業省はレジスト(感光剤) など3種類の半導体材料の 韓国向け輸出を制限した。 表向きは 「輸出管理に不適切な事案があったから」、 簡略化していた 手続きを以前の状態に戻す という決定であった。 当時の安倍晋三首相は 「元徴用工訴訟で対応を示さない 韓国政府への事実上の 対抗措置」 との 認識を示していた。 (中略) 直後に参議院選挙が 控えており、 有権者の「反韓感情」に 訴える狙いもあったことは 想像に難くない。 しかるに韓国の半導体産業が 受けた被害はさほどではなかった。 それどころか、 文在寅前大統領は 5月9日の退任演説において、 「日本の不当な輸出規制による危機を克服した」 と アピールしている。 輸出規制が「効かなかった」ことよりも、 相手国に道義的な 優位性を与えたことを 恥じるべきであろう。 日本の 通商政策の歴史における 「黒歴史」 というべきではなかろうか。 (以下略)

2023年1月20日金曜日

坂口安吾 三十歳

勝利とは、何ものであろうか。各人各様であるが、正しい答えは、各人各様でないところに在るらしい。  たとえば、将棋指しは名人になることが勝利であると云うであろう。力士は横綱になることだと云うであろう。そこには世俗的な勝利の限界がハッキリしているけれども、そこには勝利というものはない。私自身にしたところで、人は私を流行作家というけれども、流行作家という事実が私に与えるものは、そこには俗世の勝利感すら実在しないということであった。  人間の慾は常に無い物ねだりである。そして、勝利も同じことだ。真実の勝利は、現実に所有しないものに向って祈求されているだけのことだ。そして、勝利の有り得ざる理をさとり、敗北自体に充足をもとめる境地にも、やっぱり勝利はない筈である。  けれども、私は勝ちたいと思った。負けられぬと思った。何事に、何物に、であるか、私は知らない。負けられぬ、勝ちたい、ということは、世俗的な焦りであっても、私の場合は、同時に、そしてより多く、動物的な生命慾そのものに外ならなかったのだから。 https://www.youtube.com/watch?v=P0dTn1Ga818

2023年1月13日金曜日

プロフェッショナル

久しぶりに 見た。 校正者の 大西寿男さん。 自分も普段 こうして テキトーに 文章書いてるけど、 身が縮む思いがした。 単に誤字脱字を 正すだけじゃなく、 表現のひとつひとつ 細かいところから 立ち現れる イメージに、すごく こだわる。 英文法にも通じるところが あるような 気がする。 英文法を細かく詰めることで、 機械翻訳に英文を打ち込んで、 Deeplがうまく 日本語に訳出してくれない時、 冠詞を入れたり入れなかったり、 コンマを打ったり打たなかったりすることで、 機械翻訳が訳出する 日本語がガラッと 変わったりすることはよくある。 自分は到底 大西さんほど 言葉に細かくこだわれないが、 その姿勢は 日本語文化、ことばそのものの 質を維持していく上で、 このうえなく 価値が高い仕事だと思う。 明らかに そんなにカネになる仕事ではなさそうだったが。 ただ、姿勢は見習いたい。 背筋がただされる感じがした。 ナカマサ先生の最新刊で、 今まで読んだことのない 出版社の本だったけど、 かなり 校正が甘いな、と 感じた。 オスマントルコと書いてあるが、 中東の専門家から言わせれば、 オスマン帝国と呼ぶのが正しく、 オスマン・トルコ帝国と呼ぶのは 間違っているとか、 全体の中でかなり核心の部分 なのに、 句読点の打ち方が微妙で 意味がぼやけていたり、 あるいは、これは 単純に誤字脱字なんじゃないか? とか。 まあ、そういう部分で、 逆にさすがの ナカマサ先生も 神様ではないんだな、 生身の人間なんだな、 ということが わかったけど。

2023年1月12日木曜日

日本外交レポート予備

戦前の外交評論家、清沢洌は一国の外交は「国内政治の対外表現」であり、「国際政治の対内表現」でもあると論じた。危機の時代に国際政治と国内政治は強く共鳴する。 国際的危機が国内の分断を加速させることがあれば、政局絡みの対立が外交政策に表出することもある。とりわけ日中関係は自民党内の派閥対立としばしば結びついてきた。 日中国交正常化に始まる1970年代の日中関係がその典型例だ。佐藤栄作政権の後継を巡る自民党総裁選に出馬した田中角栄は、同じく候補者の三木武夫、大平正芳と中国政策を巡る「3派協定」を締結し、最有力候補の福田赳夫を破った。そして72年7月に首相となった田中は世論の支持を背景に一気呵成に日中国交正常化を成し遂げる。 しかし台湾切り捨てに反対する党内親台湾派の抵抗は激しかった。 日中国交正常化は、田中の決断と強力な政治力があったからこそ、党内の異論を封じて実現できたといえる。 戦後の日中関係では、問題が起きるたびに自民党内の派閥対立と結びつき、親中国派と親台湾派が激しく対立してきた。だが親台湾派に影響力を持つ福田が大局的見地から、自民党内をまとめて日中平和友好条約へ導いたことは、田中の国交正常化に劣らず、80年代以降の日中関係の安定的発展に大きな意味を持った。 自民党政権が40年近く続いた55年体制は派閥の全盛期でもあった。1993年の非自民連立政権への交代と96年衆院選での小選挙区比例代表並立性の導入を経て、派閥の役割が変質した。カネ集めやポストの分配といった機能は薄れた。 1つの選挙区でおおむね3〜5人が当選する中選挙区制と異なり、小選挙区制では各選挙区で1人しか当選できない。政党同士の対決の色が濃くなり、選挙区内で派閥は併存できなくなった。 党総裁を中心に選挙の公認権を握り、選挙応援も派閥から党主導になった。 小泉氏が進めた首相官邸主導の政権運営が党総裁への権限集中に拍車をかけた。主要派閥の領袖が分け合っていた権力は総裁に移り、派閥からは人事やカネ、選挙などを巡る力が徐々に奪われていった。 東大の谷口将紀教授は「小選挙区制になって派閥の政策面や資金面の求心力はなくなった。次の総裁候補がいないと結束は難しい」とみる。 (日経新聞2023/1/11より抜粋)

2023年1月9日月曜日

ポピュリズムレポート予備

「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に米国で反格差のデモが広がったのは2011年。怒りが新興国に伝播し、米国では富の集中がさらに進んだ。 米国の所得10%の人々が得た所得は21年に全体の46%に達した。40年で11ポイント高まり、並んだのが1920年前後。そのころ吹き荒れた革命運動の恐怖は今も資本家の脳裏に焼き付く。 私有財産を奪う究極の反格差運動ともいえる共産主義。17年のロシア革命の2年後に国際的な労働者組織である第3インターナショナルが誕生し、反資本主義の機運が世界で勢いを増した。 19世紀のグローバリゼーションは当時のロシアにも急速な経済成長をもたらした。しかし人口の大半を占める農民や労働者に恩恵はとどかず、格差のひずみが生じる。 さらに日露戦争や第一次世界大戦で困窮した。1917年、レーニンが率いる群衆が蜂起。内戦を経て22年にソ連が建国されると、富の集中度は20%強まで下がった。 1921年には「半封建、半植民地」脱却を掲げる中国共産党が発足。スペインやフランス、日本でも20年代に共産党が結党した。 そして現代。怒りの受け皿になっているのがポピュリズムだ。21世紀の世界も分断をあおるポピュリズムに脅かされている。米国のトランプ前大統領やハンガリーのオルバン首相は国際協調に背を向ける姿勢で世論の支持を集める。 なぜ人々は刹那的な主張と政策になびくのか。世界価値観調査で「他者(周囲)を信頼できるか」の問いに北欧諸国は6〜7割がイエスと答えた。北欧より富が偏る米国や日本でイエスは4割を切る。  (以下 「遊びの社会学」井上俊 世界思想社より) 私たちはしばしば、合理的判断によってではなく、直観や好き嫌いによって信・不信を決める。だが、信用とは本来そうしたものではないのか。客観的ないし合理的な裏づけをこえて存在しうるところに、信用の信用たるゆえんがある。そして信用がそのようなものであるかぎり、信用には常にリスクがともなう。信じるからこそ裏切られ、信じるからこそ欺かれる。それゆえ、裏切りや詐欺の存在は、ある意味で、私たちが人を信じる能力をもっていることの証明である。 (略) しかしむろん、欺かれ裏切られる側からいえば、信用にともなうリスクはできるだけ少ないほうが望ましい。とくに、資本主義が発達して、血縁や地縁のきずなに結ばれた共同体がくずれ、広い世界で見知らぬ人びとと接触し関係をとり結ぶ機会が増えてくると、リスクはますます大きくなるので、リスク軽減の必要性が高まる。そこで、一方では〈契約〉というものが発達し、他方では信用の〈合理化〉が進む。 (略) リスク軽減のもうひとつの方向は、信用の〈合理化〉としてあらわれる。信用の合理化とは、直観とか好悪の感情といった主観的・非合理的なものに頼らず、より客観的・合理的な基準で信用を測ろうとする傾向のことである。こうして、財産や社会的地位という基準が重視されるようになる。つまり、個人的基準から社会的基準へと重点が移動するのである。信用は、個人の人格にかかわるものというより、その人の所有物や社会的属性にかかわるものとなり、そのかぎりにおいて合理化され客観化される。 (略) しかし、資本主義の高度化にともなって信用経済が発展し、〈キャッシュレス時代〉などというキャッチフレーズが普及する世の中になってくると、とくに経済生活の領域で、信用を合理的・客観的に計測する必要性はますます高まってくる。その結果、信用の〈合理化〉はさらに進み、さまざまの指標を組み合わせて信用を量的に算定する方式が発達する。と同時に、そのようにして算定された〈信用〉こそが、まさしくその人の信用にほかならないのだという一種の逆転がおこる。 p.90~93  「エリートに対する人々の違和感の広がり、 すなわちエリートと大衆の『断絶』こそが、 ポピュリズム政党の出現とその躍進を可能とする。 ポピュリズム政党は、既成政治を既得権にまみれた一部の人々の占有物として描き、 これに『特権』と無縁の市民を対置し、 その声を代表する存在として自らを提示するからである。」 (「ポピュリズムとは何か」中公新書より)  「二十世紀末以降進んできた、産業構造の転換と経済のグローバル化は、 一方では多国籍企業やIT企業、金融サービス業などの発展を促し、 グローバル都市に大企業や高所得者が集中する結果をもたらした。 他方で経済のサービス化、ソフト化は、規制緩和政策とあいまって 『柔軟な労働力』としてのパートタイム労働や派遣労働などの 不安定雇用を増大させており、低成長時代における 長期失業者の出現とあわせ、 『新しい下層階級』(野田昇吾)を生み出している。」(「ポピュリズムとは何か」中公新書より)  富が集中するほど他者への信頼が下がり、「フェアネス(公正さ)指数」(日経新聞作成)が低くなる。同時にポピュリズムの場当たり政策に翻弄されやすくなる。   「国際都市ロンドンに集うグローバル・エリートの対極に位置し、 主要政党や労組から『置き去り』にされた人々と、 アメリカの東海岸や西海岸の都市部に本拠を置く 政治経済エリートや有力メディアから、 突き放された人々。 労働党や民主党といった、 労働者保護を重視するはずの政党が グローバル化やヨーロッパ統合の 推進者と化し、 既成政党への失望が広がるなかで、 既存の政治を正面から批判し、 自国優先を打ち出して EUやTPP,NAFTAなど 国際的な枠組みを否定する急進的な主張が、 強く支持されたといえる。」(「ポピュリズムとは何か」中公新書より)  人々の不満をあおるだけで解を示せないのがポピュリズム。不満のはけ口を外に求めた愚かさはナチスドイツの例を振り返っても明らかだ。  第二次大戦を教訓として、 ブロック経済が日独伊の枢軸国を侵略戦争に駆り立てた、 という反省のもとに、 GATT-IMF体制、いわゆるブレトンウッズ体制が確立された。 第四次中東戦争がきっかけとなり、 第一次石油危機が起こると、 中東産油国が石油利権を掌握し、 莫大な富を得るようになる。 そのオイル・マネーの運用先として、 南米へ投資資金が流入するが、 うまくいかず、 債務危機を引き起こした。 しかし、 債務危機が世界へ波及するのを防ぐために、 国際金融の最後の貸し手としてのIMFによる、 厳しい条件つきの再建策を受け入れる 状況がうまれたが、 これは、 国家主権を侵害しかねないものであり、 反発から、 南米では ポピュリズム政治がはびこるようになった。 自由貿易体制を標榜するアメリカも、 固定相場制により、 相対的にドル高基調になり、 日欧の輸出産品の輸入量が増大したことにより、 ゴールドが流出し、 金ドル兌換制を維持できなくなり、 ニクソンショックにより、 変動相場制へ移行した。 また、この背後には、アメリカが掲げた 「偉大な社会」政策による、高福祉社会の負担や、ベトナム戦争による、国力の低下も起因していた。 日米関係に眼を転じると、 日本からの輸出が貿易摩擦を引き起こし、 自由主義経済の盟主としてのアメリカは、 自主的に日本に輸出規制させるために、 日本は安全保障をアメリカに依存していることをテコにして、 日本国内の商慣行の改変、 たとえば中小企業保護のための大規模商業施設規制の撤廃など、 アメリカに有利な条件に改め、ネオリベラリズム的政策を受け入れさせた。 その一方、 日本企業は、アメリカに直接投資することで、 アメリカに雇用を生み出しつつ、アメリカの需要に応えた。 その後、更に国際分業が進展すると、 知識集約型産業は先進国に、 労働集約型の産業は発展途上国に、 という役割分担が生まれ、 グローバルサプライチェーンが確立されるなか、 国際的な経済格差が生まれた。 一方、 先進国でも、 工場を海外移転する傾向が強まる中、 産業の空洞化が進展し、 国力の衰退を招くケースも見られた。 経済の相互依存が進展し、 「グローバル化」という状況が深化すると、 アメリカのような先進国においても、 グローバル主義経済に対抗する 右派的ポピュリズム政治が台頭するようになった。(放送大学「現代の国際政治」第5回よりまとめ)  グローバリゼーションによって、世界の富の大きさは拡大したが、分配に著しい偏りが生じたことは、論を俟たない。 日本においても、新自由主義的な政策の結果、正規、非正規の格差など、目に見えて格差が生じている。   1990年代以降、企業のグローバル展開が加速していくのに合わせて、国内では非正規雇用への切り替えや賃金の削減など、生産コスト抑制が強まりました。大企業はグローバル展開と国内での労働条件引き下げにより、利潤を増加させてきたのです。しかし、その増加した利潤は再びグローバル投資(国内外のM&Aを含む)に振り向けられます。そして、グローバル競争を背景にした規制緩和によって、M&Aが増加していきますが、これによって株主配分に重点を置いた利益処分が強まり、所得格差の拡大が生じています。また、国内の生産コスト抑制により、内需が縮小していきますが、これは企業に対してさらなるグローバル展開へと駆り立てます。 このように、現代日本経済は国内経済の衰退とグローバル企業の利潤拡大を生み出していく構造になっているのです。1990年代以降、景気拡大や企業収益の増大にも関わらず、賃金の上昇や労働条件の改善につながらないという問題を冒頭で指摘しましたが、このような日本経済の構造に要因があるのです。 新版図説「経済の論点」旬報社 p.129より  そのような中で、経済的に恵まれない層は、ワーキングプアとも言われる状況のなかで、自らのアイデンティティーを脅かされる環境に置かれている。 エーリッヒ・フロムの論考を参考にして考えれば、旧来の中間層が、自分たちより下に見ていた貧困層と同じ境遇に置かれるのは屈辱であるし、生活も苦しくなってくると、ドイツの場合は、プロテスタンティズムのマゾ的心性が、ナチズムのサディスティックなプロパガンダとの親和性により、まるでサド=マゾ関係を結んだ結果、強力な全体主義社会が生まれた。 日本ではどうだろうか? 過剰な同調圧力が日本人の間には存在することは、ほぼ共通認識だが、それは、安倍のような強力なリーダーシップへの隷従や、そうでなければ、社会から強要される画一性への服従となって、負のエネルギーが現れる。 そこで追究されるのが、特に民族としての「本来性」という側面だ。 本来性という隠語は、現代生活の疎外を否定するというよりはむしろ、この疎外のいっそう狡猾な現われにほかならないのである。(「アドルノ」岩波現代文庫 73ページ) グローバリゼーションが後期資本主義における物象化という側面を持っているとすれば、グローバリゼーションによる均質化、画一化が進行するにつれ、反動として民族の本来性といった民族主義的、右翼的、排外主義的な傾向が現れるのは、日本に限ったことではないのかもしれない。 むしろ、アドルノの言明を素直に読めば、資本主義が高度に発展して、物象化が進み、疎外が深刻になるほど、本来性というものを追求するのは不可避の傾向だ、とさえ言える。 さらには、資本主義社会が浸透し、人間が、計量的理性の画一性にさらされるほど、人々は、自分と他人とは違う、というアイデンティティーを、理性を超えた領域に求めるようになる。 社会全体が体系化され、諸個人が事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど、それだけ人間そのものが精神のおかげで創造的なものの属性である絶対的支配なるものをともなった原理として高められることに、慰めをもとめるようになるのである。(「アドルノ」岩波現代文庫98ページ)  「それだけ人間そのものが精神のおかげで創造的なものの属性である絶対的支配なるものをともなった原理として高められることに、慰めをもとめるようになるのである」という言葉が何を表しているか、自分の考えでは、「社会全体が体系化され、諸個人が事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど」、(疑似)宗教のように、この世の全体を精神的な色彩で説明し、現実生活では一個の歯車でしかない自分が、それとは独立した精神世界のヒエラルキーに組み込まれ、そのヒエラルキーの階層を登っていくことに、救いを感じるようになる、という感覚だろうか。  「デモクラシーという品のよいパーティに出現した、 ポピュリズムという泥酔客。 パーティ客の多くは、この泥酔客を歓迎しないだろう。 ましてや手を取って、ディナーへと導こうとはしないだろう。 しかしポピュリズムの出現を通じて、 現代のデモクラシーというパーティは、 その抱える本質的な矛盾をあらわにしたとはいえないだろうか。 そして困ったような表情を浮かべつつも、 内心では泥酔客の重大な指摘に 密かにうなづいている客は、 実は多いのではないか。」(「ポピュリズムとは何か」中公新書より)

思秋期

ようやく、湿気が抜けて、カラッとした空気になりましたね。 一体いつまでジメジメしているのか、と思うと、それだけでだいぶストレスでしたね。 とりあえずあと数カ月は湿気からは解放される、と期待したい。 それにしても、イスラエル対ハマスの戦闘も、一応形だけは停戦合意に至ったのか、正直よ...