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近代日本内閣史@神戸大学

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河島真先生の授業でした。文系がますます疎んじられる風潮の昨今、なかなか聴けない話を聴けて、大変貴重な経験でした。自分の頭のなかも、だいぶソリッドになってきたね。明治大正時代を、経済からも、政治からも見れる、というのは、大きな強味になる。翻って、森本先生のジェンダー論も、具体的な時代背景を踏まえた上で、説得力を持って感じられるようになった気がします。

「身近な統計」第8回

正規分布。グレート。ビビったぞ。かなり本格的な統計学の授業じゃねーか。こんなんが基盤科目でいいのか?後半はニッセイ基礎研究所の社長さんの話で、すげー納得した。自分みたいに、働きもしないで、年金も納めず、しかも障害年金もらってる奴って、はっきり言ってメチャクチャ迷惑なんだろうな。言い方は酷いけど、事実。そら自治体だって血眼になって就労支援するわけだ。

「身近な統計」第7回

確率ってそういうことか!やっとわかったわ!今まで騙されてた!エウレカ!エウレカ!高校数学の確率の教え方オカシイよ!真面目に考えれば考えるほどわからなくなるのも、当然だ!たったこれだけのことを知るのに、今までどんだけ無駄にカネ払ったと思ってんだ?!カネ返せ!!!!!

身近な統計

脳にかなり 空き容量が生まれたから、 放送大学の 「身近な統計」 の 授業を視聴してみました。 ただでさえ 数学が苦手なのに、 慶応で データ分析の授業が 自分の性に合わず、 データ分析とは 無縁の勉強を 続けてきたのですが、 一度 アタマをクリアにして 虚心坦懐に 放送授業を受けてみると、 基盤科目として、 柔道における データ分析活用例などを 通して、 全くの初心者だからこそ、 納得しやすい 授業内容となっていました。 自分が かなり 文系寄りの人間なのは 皆さんご存知のことですが、 内田隆三先生の 「ロジャー・アクロイドはなぜ殺される? 言語と運命の社会学」(岩波書店)を 読んでから、 確率、あるいは運命というものに 興味が湧いてきて、 さらには アマゾンやセブンイレブンなど、 現代のビジネスでは 情報が大事、 と言いながら、 具体的な中身について わかっていないこと、 さらには、 現代の市場型間接金融は 大量の個人データを 利用して 運用されている、 という ことは知りつつも、 具体的な スキームについて 何一つわかっていないことを 自覚し、 さらには、 井上俊先生の説く 「信用」と情報の関係性など、 自分がやってきた分野と あながち無縁でもなく、 一度ちゃんと 統計を勉強したいな、 と思っていたところでした。 この 「身近な統計」の 放送授業も、 何度も 視聴してみたものの、 途中で嫌気が差して 見るのを止めてしまった、 ということが 何回もあったのですが、 第一回の講義を 視聴して、 全くの素人の自分でも ついていけるように 工夫されているな、 と感じました。 今後 統計を 深く学べればいいな、 と思います。

金融経済論で聞いた話

うちらの親世代は、 子供、つまり うちら世代に 財を残すことが 出来て、 そこで ある程度 世代間ギャップを 埋めることも 出来たけど、 うちら世代が 子供に 同じこと出来るか、 って言ったら、 そこまで 出来る人は、 ごくごく一部 だよね。 だから、 若い人見ると、 覇気がねーな、と 感じることも あるけど、 親に頼れないんだから、 リスク取れないのも 仕方ないかな、 という気もする。

坂口安吾 三十歳 

勝利とは、何ものであろうか。各人各様であるが、正しい答えは、各人各様でないところに在るらしい。  たとえば、将棋指しは名人になることが勝利であると云うであろう。力士は横綱になることだと云うであろう。そこには世俗的な勝利の限界がハッキリしているけれども、そこには勝利というものはない。私自身にしたところで、人は私を流行作家というけれども、流行作家という事実が私に与えるものは、そこには俗世の勝利感すら実在しないということであった。  人間の慾は常に無い物ねだりである。そして、勝利も同じことだ。真実の勝利は、現実に所有しないものに向って祈求されているだけのことだ。そして、勝利の有り得ざる理をさとり、敗北自体に充足をもとめる境地にも、やっぱり勝利はない筈である。  けれども、私は勝ちたいと思った。負けられぬと思った。何事に、何物に、であるか、私は知らない。負けられぬ、勝ちたい、ということは、世俗的な焦りであっても、私の場合は、同時に、そしてより多く、動物的な生命慾そのものに外ならなかったのだから。

「魔の山」 下巻 トーマス・マン 岩波文庫 末尾より

さようなら、ハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子よ! 君の物語はおわり、私たちはそれを語りおわった。 短かすぎも長すぎもしない物語、錬金術的な物語であった。 (略) 私たちは、この物語がすすむにつれて、 君に教育者らしい愛情を感じはじめたことを 否定しない。 (略) ごきげんようー 君が生きているにしても、倒れているにしても! 君の行手は暗く、 君が巻き込まれている血なまぐさい乱舞は まだ 何年もつづくだろうが、 私たちは、君が無事で戻ることは おぼつかないのではないかと 考えている。 (略) 君の単純さを複雑にしてくれた肉体と精神との冒険で、 君は肉体の世界ではほとんど経験できないことを、 精神の世界で経験することができた。 (略) 死と肉体の放縦とのなかから、 愛の夢がほのぼのと誕生する瞬間を経験した。 世界の死の乱舞のなかからも、 まわりの雨まじりの夕空を焦がしている 陰惨なヒステリックな焔のなかからも、 いつか愛が誕生するだろうか? (おわり)

八戸サテライトで聞いた話+α

古代ギリシャでは 宇宙は無限と考えられていたが、 ユダヤ教や、 初期キリスト教では、 ヘブライズムの考え方で、 宇宙は 有限である、 なぜなら、 始めが あるものには 終わりがあるから、 という理屈で、 キリスト教神学と 古代ギリシャ哲学が 融合する過程で、 ヘブライズム的な 発想が 優位に立ったらしい。 日本人も、 今は 普通に 宇宙には 始めと 終わりが あると信じている。 ニーチェの 永劫回帰の思想は、 これを否定するものだが。 日本人の時間観念も、 明治以降 作り直されたものだろう。 それは、 原武史先生が 指摘するように、 明治天皇が、 時刻通りに 運行される 鉄道に乗って 行幸啓されたことや、 定刻通りに 行われる 軍事演習を 拝覧されることなどによって、 植え付けられたものだという。 夏目漱石の 「三四郎」でも、 運動会で、 野々宮さんが ストップウォッチで 時間を測るのを、 主人公が 忌避する 場面が ある、らしい。 そもそも、 運動会という 行事自体が、 「正しい」 体の使い方を 刷り込ませる 国の政策だった、と 言われている。

「金融と社会」質問と回答その5

質問 日経新聞朝刊2022/9/21の記事8面に、物価上昇でも現預金志向、と題して、米国では高インフレで預金から他の金融機関にマネーを移す動きがある。日本も株式投資や外貨預金を始める人が増えているが、多くは円預金や現金として滞留している。物価上昇が長引いたとしても、SMBC日興証券の丸山義正チーフマーケットエコノミストは「日本人は節約志向が強いので、物価が上がりそうだから早めに使うという考えにはなりづらい」と指摘しています。 ここで、私は以下のように考えました。 デフレマインドで唯一いいこと?があるとすれば、 家計が現預金を貯め込むことで、 結果的に日本国債を買い支える構図が維持されていることだろう。 尤も、その結果、政府に対する財政出動を要請する声が強まり、 財政の規律が緩むことは目に見えているが。 目下、日本でもインフレ率(CPIかどうかまでは知らない)が3%に達しているそうだが、 フィッシャー効果の想定する合理的な消費者像からすれば、 物価が上昇すれば、その見返りに名目金利が上がるはずで、 日本では日銀により名目金利が抑え込まれている以上、 その埋め合わせを、株なり海外資産への投資なりで行うはずだが、 日本の家計はそこまで合理的ではなく、 現預金を貯め込む、という方向に進んだようだ。 それはそれでいいだろう。 緩慢な死を迎えるだけだ。                             以上の見立ては、間違っているでしょうか? 回答 日銀が名目金利を抑えている点、にもかかわらず日本の家計が株や海外投資に向かわず預貯金へ、という点はそうだと思います。