父親 ―追悼― (再掲)
父親が亡くなってから、もうすぐ5年になる。
父親がこの世にいない、ということを、最近実感する。
つまり、父親という人間を、そろそろ客観的に追憶できるようになったということだ。
正直、自分は父親という人間を恨むという気持は、いっさいない。
なんだかんだ真面目な人だったし、鬼だと思うこともあったけど、自然的情愛を持っていた人だった。
いかんせん戦後すぐ生まれの団塊の世代だ。
(団塊の世代って、意味あってるかな?)
とにかく高学歴、大企業を志向していた世代だ。
そして、首尾よくそれが得られれば、後は組織のなかで、他人を押しのけて上昇すればいい、というある意味単純なゲームの世界だった。
政治的にも、いわゆるノンポリだった。
父方のおじさん(父親の弟)は、地方公務員だったが、父親とは若干タイプが違ったが、ある意味では父親以上にマトモな人なのかもしれない。
父方のおじさんは、父親とは対象的に、大学受験で、学生運動真っ盛りの早稲田大学を志望していたが、父親がぶん殴って無理やり慶応大学に行かせたらしい。
そういう時代だったのだ。
父方のおじさんは、それでも根が真面目なものだから、ちゃんと定年まで地方公務員として職責を全うし、悠々自適に暮らしているようだ。
結構上級職まで上り詰めたらしい。
(よく知らないが。)
自分は、母方は母方で真面目すぎるくらい真面目なのだが、父方は父方で、思いっきり真面目なのだ。
そういうのは、結構遺伝にもよるのかも知れない。
とにかく、父親は、組織のなかで生きることしか知らない人だった。
と、いうか、まず仕事ありきで、仕事が最優先で、そこからすべてを逆算して生きている人だった。
そういう生き方は、現代日本では、残酷なほどに時代遅れのライフスタイルになってしまった。
しかし、息子(自分)にも、同様の生き方を要求する人だった。
そこは正直辛かった。
でも、自分がどんなにバグっていても、結果さえ出せば、大目に見てくれる人だった。
それに、組織の中で生きてきた人だから、人間感情の機微がわかる人だった。
そして、時にはその人間感情の機微を、見て見ぬふりするくらいのズルさも、同時に持ち合わせていた。
しかし、それも、倫理的ではないとは言え、今から思えばそんなに酷いとも思わない。
(とにかく、自分は今までの人生のなかで、父親を恨む気持は、一度も感じたことはない。)
ただ、脳卒中で、いよいよ仕事から離れた時、やることがなくて株にハマっていた時は、正直理不尽だとは思ったが、いきなり組織から離れた時、それまでのライフスタイルから抜け出すなど、尋常な人間なら出来ないことは、正直仕方がない、と思う。
それで何十年も生きてきたのだから。
それに、本人も気付いていたのだろう。
でも、どうにも出来なかった。
糖尿病と高血圧で、最後は肺炎で一ヶ月入院した挙句、亡くなったが、最後の最後になって、地獄が待っていたのだ。
おそらく、死というものを、さんざん考えただろう。
そういうことを一切見て見ぬふりをして生きた人だったから。
そして、コロナ禍で完全隔離されている病院に、かかりつけ医がいるから、と、強引に入院したものだから、本来だったら、母親と自分で24時間体制でサポートしていたところを、一切の面会を許されずに、亡くなる前日になって、ようやく面会できたのだ。
どれほどの苦痛だったか、想像もつかない。
酸欠で亡くなる、ということが。
それにも増して、自分の死というものから、ひたすら目を背け続けて生きていた人が、最後になって孤独のなかで自分の死に向き合わされるということが。
それが、父親の人生だった。
父親は、おそらく天国には行けないだろう。
もし天国に行ったら、なんでアイツは俺よりもいい暮らしをしているんだ?と怒り始める。
間違いなく。
そんな人はそもそも天国に行ってはいけない。
かといって、地獄に行くかと言えば、そこまで酷くはないだろう。
それはあまりにも酷だ。
天国と地獄の間には、煉獄というのがあるらしい。
よく知らないが。
おそらくそこで、相も変わらず他人を押しのけることしか考えずに、永遠に暮らし続けるのだろう。
行路難し。
行路難し。
岐路多し。
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