衰退途上国家 (再掲)

  高崎駅の駅ビルのそじ坊で、そば喰ってきた。

精神錯乱してから22年のお祝いってことで。

(正直、そばだけかよ?とは思うが、面接授業もあるし、そもそももう、そんなに量を食べられない。こう見えて。)

22年か。

この22年にあったことは、やっぱり振り返れば辛いことだらけだったが、それでも学問的な積み上げは出来たと思う。

何もしなければ、そのままだった。

そういう意味では、この22年は、決して短くはなかったはずだ。

それなのに、22年前の記憶は、つい3日前のことのように、心身に染み付いている。

(そりゃあそうだ。)

それを思えば、正直もっと派手なお祝いが欲しいところだが、いまでも十分贅沢な暮らしをしているのだから、文句は言えない。

途中経過はやたら長く苦しいものだったのに、22年前、という「点」は、鮮明に覚えている。

記憶とはそういうものかも知れない。

子供の頃は、よく、大人になったら、昔のことは忘れてしまう、などと、共通認識のように思っていたが、いざ40代の中年になってみると、途中経過はすっ飛ばして、子供の頃の「点」のほうを、よく記憶しているものだ、と思う。

だから、若い諸君に言いたいが、若いから、で許されるようなことを、軽々しくやってはいけない。

時が経てば忘れる、なんてのは嘘だ。

傷つけられた側も、傷つけた側も。

特に、男は女の子を軽々しく傷つけてはいけない。

一生こころの傷として残る。

(・・・なぜ俺はまたこんな説教じみたことを言っているのだろう?)

まあ、どっちにせよ、人間というのは、栄光よりもどん底のほうをよく覚えている生き物なのではないか、と、思う。

つまり、貪欲ってことだ。

どんなに栄光に充ちた悦びよりも、どん底の記憶のほうが勝ってしまう。

だから、まだまだ足りない、と思ってしまうのだ。

それが身の破滅を招くとしても。

だから、「中庸」が大事と言われるのだろう。

しかし、中庸とは、平凡であることとは全く違う。

結局、酸いも甘いも噛み分けた人間だけが、やっぱりフツウがいいよね、と納得するのだ。

したがって、俺はもう辛いのは懲り懲りだが、度を越した恍惚というのにも、不感症気味になっている。

それでも、やっぱり貪欲だ。

既にあるものを当然とみなし、その自覚がありながら、日々ちょっとずつでも、もっといい思いをしたい、と思っているからだ。

そう。

人間の欲には、キリがない。

ジニ係数、という客観的な指標では、じつは、日本の経済格差は、欧米ほどには拡がっていないらしい。

しかし、エンゲル係数、という、これまた客観的な指標では、日本人の生活水準は、全体的に地盤沈下しているらしい。

つまり、格差は欧米ほどには拡がっていないのにもかかわらず、生活水準が全体的に下がっているから、みんな鬱憤が溜まっているのだ。

つまり、そこにポピュリズムがつけ込む土壌が出来上がっている。

案外、みんな貧乏だったら、受け入れられるものらしい。

(「人間にとって貧困とは何か」 西澤晃彦 放送大学教育振興会 第1章 参照)

みんな以前よりちょっとずつ生活が苦しくなっているから、ふつうに暮らしている人が、よけい妬ましく思ってしまうのだろう。

その心境は、わかる気がする。

単純に指標の問題以上に、我々の世代は、親世代の遺産を享受できる、最後の世代だったのだ。

(かく言う自分もそうだ。それは、幸運なことだ。)

今の若者は、我々世代が享受できたようには、親世代をアテにできない。

つまり、親のスネを齧れないのだ。

そういう意味では、やっぱり深刻な問題だ。

日本経済全体にしても、我々の親世代が貯め込んだ海外資産を、これから取り崩す段階に入る。

そうすれば、その海外資産からの利子・配当などの、いわゆる第一次所得収支が、将来的には縮小する。

貿易赤字が定着したまま、財政収支赤字と経常収支赤字が併存すれば、いわゆる「双子の赤字」となり、構造的に円安圧力が加わる。

・・・こんなことを考えていると、正直気が滅入ってくるが、しかしおそらく事実だ。

まあ、俺はラッキーな男だ。

働きもせず中年になり、こんなことも、言われなくてもわかるレベルの経済学の知識を身につけられたのだから。

たぶん、これからの日本経済は、だいぶキビシイ。

みんな薄々それがわかっているから、こどもを作らない。

だから、少子化が加速する。

完全に悪循環だ。

母親もいちおう要介護認定されているから、訪問リハビリの方が来るのだが、けっこう若い方が多くて、しかも結構な確率で、こどもを育てている。

所得それ自体があまり高くなくても、高齢者という厚い需要があれば、将来的な経済見通しがクリアになるから、おそらく子供を産み育てる、という選択を出来るのだろう。

そういう意味では、高齢者とは、単なる財政のお荷物ではなく、需要を創出している、とも言えるのではないだろうか?

(ある意味公共事業のようでもある。財政赤字は積み重なるが。)

若い世代が、祖父母世代の介護をすることで所得を得て、また次世代への種を撒く。

なんとも不思議な構図だ。

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