ほんの少し弱くなっただけ
行きたくないところには、行きたくない。
この判断が、最近めちゃめちゃ速くなった。
若い頃には、色んな可能性というか、選択肢を考えて、ひとつひとつ試してみたものだが、その実験結果から得られた経験則で判断しているのかも知れない。
あ、自分がこういう感覚に陥ったら、結局あそこに行くくらいなら、別の場所に行こう、という。
確か日経新聞のサイエンス系の記事にも、動物実験でそういう知見が得られた、と書いてあった気がする。
自分は、理数系がまったくダメなので、信憑性はないが。
つまり、論理で考えて、イヤだ、と思う前から、一度イヤな思いをすると、思考するまでもなく、あそこに行くことを考えると、なぜかどうしても身体が動かないとか、なんかウツになる、という、身体的反応が、すぐに現れるようになった。
それはおそらく、若い頃に経験したデータから、そこに行くことがイヤかどうかの判断が、あまりにも速くなりすぎて、文字通り「考える間もなく」くだせるようになってしまったのだろう。
小中学生くらいの子供の頃は、得てして、よく考えもせずに、なんとなくで嫌だとか好きだとか、好悪の感覚を頼りに、判断をするが、さすがに高校生・大学生、あるいは社会人ともなれば、単純に好悪の感覚だけで判断してはいられない。
でも、中年頃になると、ふたたび、好悪を基準に判断をするようになる、そんな気がする。
だから、ある意味、トシを喰う、というのも、強ち悪いことばかりではないのだ。
なぜなら、もう若い頃のように、イヤだけど頑張らなくちゃいけない、ということから解放されるからだ。
でも、気をつけなければいけないのは、だからこそ、イヤなのに、そこに通い続けなければ、生活できない、という、厳しすぎる現実に陥ってはいけない、ということなのではないだろうか。
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