不寛容な社会 (再掲)
病院から出てきたばかりではまだすぐには状況が呑み込めなかったが、事態が呑み込めた時、俺は、正直絶望的な気持ちになった。
なんていう病気になってしまったんだ?!と。
正直、生まれてこなければよかった、とさえ思った。
毎日、畳に頭突きしてた。
その頃の俺にとって、生活保護は、まさに希望だった。
なんとか、生活保護を受給できないか、そればかり考えていた。
もちろん、両親が生きていたから、すぐには困らないわけだが、到底姉には頼れないだろう、と思っていたし、人間というのは、どうやったって、先の先のことまで考えてしまう動物だ。
もちろん、いま生活保護を受給しているわけではないが、障害年金は受給している。
確かに、精神障害者というのは、いろいろと手厚い保護がある。
さはさりながら、将来的に親からの支援を抜きにして、障害福祉だけで生きていけ、と言われたら、正直シンドい。
とてつもなくシンドい。
障害年金は、親兄弟から金銭的扶助があっても受給できるが、生活保護というのは、だれかから金銭的(に限らないかも知れないが)扶助があっても、受給を打ち切られてしまうのだ。
朝日訴訟というのがあった。
(朝日新聞とは関係ない。)
そして、生活保護の場合、自分の持ち家や、財産があっても受給できないのだ。
つまり、行政からなけなしのお金をもらって、それで家を借り、ギリギリの生活を続けなければダメなのだ。
なんとも苦しい話だ。
それでも、市役所には、生活保護を受給したくて、長蛇の列ができるらしい。
見たことはないが、ヘルパーさんが言っていた。
確かに、昨今の厳しい社会情勢では、そういう世帯が増えているのも、事実なのだろう。
さて、自分が受給している社会保障だって、確かに手厚い保護がある。
俺は生活保護のことはわからないが、生活保護だって、受給者本人以外の人によっては「オイシイ」と感じる人がいるかも知れない。
でも、俺は、そんなに生易しいものではない、と思っている。
みんな苦しいから、生活保護を受給したい気持は、わからなくもない。
繰り返すが、一時期の俺にとっては、しばらくのあいだ生活保護が希望だったのだ。
仙人でもない限り、生活保護を受給しながら、人間としての尊厳を保ちながら、生きていく、というのは、至難の業だろう。
(実際に生活保護を受給しているわけではないから、『だろう』と書いたが、間違いなく至難の業だ。)
自分だって、将来が不安だから、日々勉強している。
それだって、親からの有形無形の補助があればこそ、出来ることだ。
そして、俺が私立武蔵を卒業してようが、現役の慶応ボーイだろうが、どん底に落ちる時は、簡単に落ちる、ということを、身を以て知っている。
自分が、生活保護と無縁の人間だとは、思えなかった。
いまは、そういう意識はかなり薄れたが。
それは、長年勉強したおかげで、色々とカネを稼ぐチャンネルを確保しつつあるからである。
しかし、それだって、親からの扶助ありきだ。
言いたいことは、すくなくとも、かつて俺にとっては生活保護は希望だったし、そういう状況に陥る、ということは、案外簡単なことだ、ということだ。
だから、せめて同朋が生活保護を受給していることを、非難しないで欲しい。
それは、ただでさえ弱っている人を、さらに鞭打つような行いだ。
あなたが鞭打っているその人は、将来のあなたかも知れないのだから。
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