漱石・アドルノ・ネオリベラリズム研究

 

否定的全体性における主体の変容:夏目漱石、テオドール・アドルノ、そして新自由主義の批判的交差

現代社会において、主体はいかにして自己を維持し得るのか。この問いは、明治という急速な近代化の渦中にあった夏目漱石と、アウシュヴィッツ以後の「否定的全体性」を凝視したテオドール・アドルノ、そして現代の「新自由主義(ネオリベラリズム)」という全域的な統治原理が交差する地点で、極めて切実な意味を帯びる。漱石が提唱した「自己本位」という概念は、単なる個人主義の称揚ではなく、外部から強要される「開化」に対する存在論的な抵抗であった 1。一方でアドルノは、交換価値が使用価値を圧倒する「交換社会」において、個人の内面すらもが商品の形式へと回収されていく「主体の液状化」を告発した 3。これらの思想的布置を現代の新自由主義的状況――自己責任(jiko-sekinin)が連帯を解体し、アルゴリズムによる監視が内面を管理する時代――に重ね合わせることで、我々は近代という「外部的開化」が到達した最終局面を浮き彫りにすることができる 4。本報告書は、漱石の文学的・社会批評的洞察とアドルノの批判理論を接合し、新自由主義がもたらす「負の全体性」を解剖するとともに、そこにおける主体の再構築の可能性を検討するものである。

外部的開化と交換社会の生理学:漱石とアドルノの歴史的接点

夏目漱石の思想的核心にあるのは、明治日本の近代化を「外部的開化(gaihatsuteki kaika)」として捉える冷徹な認識である。漱石によれば、西欧の開化が内発的、すなわち内面的な必要性に駆られて自然に発展したものであるのに対し、日本のそれは外部からの圧力によって「無理押しに押されて」達成された皮相的なものであった 6。この認識は、アドルノが『啓蒙の弁証法』や『否定弁証法』において、近代合理主義が自然支配の道具へと転落し、結果として人間自身を抑圧する「第二の自然」へと変貌したと論じた構造と深く共鳴する。アドルノにとっての「交換社会」とは、あらゆる特殊性が抽象的な交換価値に還元されるシステムであり、そこでは漱石が危惧した「中身のない模倣」としての近代化が、全域的な社会的現実として結実している 7

漱石の「自己本位」は、この外部的・皮相的な開化の奔流の中で、自己の存在の根拠を外部(国家、流行、西欧の評価)ではなく、自己の内面的な「鉱脈」に求める態度であった 1。これはアドルノが「非同一性(Non-identity)」と呼んだ概念、すなわち全体的な概念やシステムに回収しきれない「個別のもの」の尊厳を守る戦いとパラレルな関係にある 7。柄谷行人は、漱石の文学を「近代批判の視点」から捉え直し、そこに潜む言語的多様性や存在論的深みが、近代文学の枠組み自体を無効化する力を持っていることを指摘した 10


概念的対比

夏目漱石の視点

テオドール・アドルノの視点

近代化の性質

外部的開化(皮相的・他律的) 6

啓蒙の退行(道具的理性の支配) 11

主体の抵抗

自己本位(内発的な基準の確立) 1

非同一性(全体性への抵抗) 7

社会の構造

分業による人間の解体・片輪化 1

交換社会(抽象的な交換価値の支配) 3

内面の危機

神経衰弱・虚無(孤独の深化) 2

主体の液状化(文化産業による管理) 4

新自由主義という「負の全体性」とアドルノの批判理論

チャールズ・プルシックは、アドルノの批判理論を用いて、新自由主義が単なる経済政策や政治教義ではなく、現代の生を規定する「負の全体性(Negative Totality)」であることを明らかにした 3。プルシックによれば、新自由主義は資本主義がその本質を維持するために「絶えず変化し続ける」過程の一部であり、マルクスが分析した自由競争段階から独占資本主義を経て、さらに抽象化・金融化が進んだ「独占資本主義の変種」であるとされる 3。この段階において、交換原理は経済活動の域を超え、人々の「自己理解」「心理的状態」「思考プロセス」までもを規定するようになる 3

アドルノが予見した「管理される世界」は、新自由主義の下で「金融化」と「デジタル・アルゴリズム」を通じて完成される。ここでは、漱石が『現代日本の開化』で論じた「分業の加速による人間の片輪化」が、より高度な次元で進行している 1。従業員監視の高度化、消費活動のアルゴリズム化は、個人の自由な経験を「抽象的なデータ」へと還元し、主体をシステムの機能の一部へと溶解させる 4。これはアドルノの言う「概念的同一化」の極致であり、そこでは現実と概念の「非同一性」を隠蔽するための膨大なイデオロギー的努力が払われている 7

新自由主義的状況における「自己責任」のレトリックは、アドルノ的な視点で見れば、社会的な強制を個人の自由な選択として偽装する「同一性思考」の典型である。宮台真司らが指摘するように、本来の「自己決定」は他者との連帯や共同体の形成を排除しないものであるが、新自由主義下での「自己責任」は、失敗した者を排除し、切り離すための「排除の論理」として機能する 5。これは、社会的なセーフティネットの解体を、個人の意欲や能力の問題へとすり替える「社会的要因の不可視化」を伴っている 14

漱石の「自己本位」と新自由主義的「自己責任」の断絶

漱石が講演『私の個人主義』で語った「自己本位」と、現代の「自己責任」の間には、決定的な断絶が存在する。漱石の「自己本位」は、他者の「自己本位」を尊重することを前提とした「道徳的義務」を伴うものであった 1。彼は、金力や権力を背景にした自由が「義務心」を欠く場合、それは「単なる放縦」であり、社会を破壊すると警告した 9。これに対し、新自由主義の「自己責任」は、市場における競争を絶対化し、弱者を「自己責任」の名の下に切り捨てる「強者のための倫理」へと変質している 5

漱石の『野分』や『それから』に見られる金銭と職業をめぐる葛藤は、貨幣経済が個人の内面を侵食していく過程を鮮明に描き出している。漱石は、「食って行ければこそ、世の中に職業として存在している」という身も蓋もない現実を認めつつも、他人の思惑に左右されずに自己の道を歩むことの困難さを描き続けた 16。この「食うための職業」と「自己の誠実さ」の対立は、現代のギグ・ワークや不安定雇用に喘ぐ主体の状況に直結している。新自由主義は、あらゆる活動を「人的資本の投資」として捉え直させ、漱石が守ろうとした「趣味ではない職業的な誠実さ」さえも、市場価値という単一の物差しで測り直そうとする 2


項目

漱石の「自己本位」

新自由主義の「自己責任」

倫理的根拠

他者の承認と自己の誠実さ 9

市場における競争力と自己最適化 4

他者との関係

相互尊重と倫理的義務 1

排除と切り離しの論理 5

権力への態度

帝国主義・国家主義への抵抗 18

国家・資本の統治戦略への順応 15

自由の内実

義務心に裏打ちされた精神の独立 9

システムによるリスクの個人への転嫁 5

孤独の再生産と「文化産業」の深化

新自由主義は、人々の間に「孤独」を再生産し、それを新たな消費の機会として資本化する。アドルノが批判した「文化産業」は、今日ではSNSやストリーミングサービスといったデジタルプラットフォームへと形を変え、個人の「内面的な孤独」を「自己顕示的・ナルシシズム的な満足」へと変換・吸収している 4。自己撮影(セルフィー)や幸福そうな自己イメージの加工・発信は、本来の自己と「製造された自己イメージ」の乖離を招き、内面的な空虚さを隠蔽する「製造されたナルシシズム」を強化する 19

漱石の『こころ』において、先生が抱いた孤独は、近代的な「自我」の確立がもたらす必然的な帰結であった。しかし、現代における孤独は、SNSを通じた「切断の連鎖」によって、より深刻かつ構造的なものとなっている 20。デジタル画面を介したつながりは、本来人間が必要とする「対面的な接触」を代替できず、むしろ社会的孤立(SI)を深化させる 20。アドルノの視点に立てば、これは「主体の liquidation(液状化)」であり、主体が自らの感情や経験をシステムのフィードバック・ループに委ねることで、自律的な思考能力を喪失していく過程である 4

さらに、この孤独の再生産は「世代間のトラウマ」や歴史的な記憶の断絶とも関わっている 21。漱石が明治という時代の転換期に感じた「根無し草」のような感覚は、現代の「プレカリアート(不安定な労働者階級)」が抱く実存的な不安と呼応している。アドルノが「アウシュヴィッツ以後」の文化を「野蛮」として問い直したように、我々もまた、新自由主義という「負の全体性」の中で、いかにして「社会の批判的自己意識」を堅持し得るのかが問われているのである 22

否定的弁証法と抵抗の回路

アドルノの『否定弁証法』は、全体性に回収されない「非同一的なもの」に光を当てることで、システムの亀裂を見出す試みであった。新自由主義が「抽象的な商品形式」によって世界を均質化しようとするのに対し、批判理論は、その抽象化のプロセスそのものが孕む矛盾(例えば、資本の自己増殖が労働価値を破壊し、自らの利益源を損なう過程)を暴き出す 3。資本主義が常に危機から危機へとよろめきながら進む性質を、アドルノは鋭く認識していた 3

この数式における利潤率()の低下傾向は、機械化()の進展が価値の源泉である労働()を排除することによって生じる。新自由主義は、この危機に対する「資本の攻撃」であり、グローバル化と金融化を通じて搾取を強化する試みであった 3。プルシックによれば、この状況下で労働者の反乱を防ぐために「自己責任」という「大きな銃」が持ち出されたのである 3

漱石の文学は、このような「計算不可能な個の苦悩」を描くことで、経済的な合理性や国家の論理からはみ出す「非同一的な生」の領域を確保しようとした。彼の「自己本位」は、まさにシステムの「同一性」に対する「否定」の身振りであった。柄谷行人が指摘するように、漱石が作品の中で示した「他者としての私」という二重構造は、近代的な「統合された主体」という幻想を内側から崩壊させる力を持っている 10

結論:21世紀における「自己本位」の再起動

夏目漱石、テオドール・アドルノ、そして新自由主義の批判的検討を通じて明らかになったのは、現代の主体が直面しているのは、単なる経済的な困難ではなく、存在論的な「自己の剥奪」であるという事実である。新自由主義は、漱石が恐れた「外部的開化」が極限まで進み、内面さえもが「外部の論理(市場原理)」に占拠された状態を指している。

しかし、漱石の「自己本位」が示した「他者の自由を尊重しつつ、自己の義務を果たす」という個人主義の原点は、新自由主義の「排除の論理」を解体するための強力な武器となり得る 1。また、アドルノが説いた「社会の批判的自己意識」としての文化の自律性は、アルゴリズムによる管理社会に対する抵抗の足場を提供する 22

我々に必要なのは、新自由主義的な「自己責任」を内面化することではなく、漱石的な「自己本位」を、アドルノ的な「否定的全体性への抵抗」として再定義することである。それは、孤立した個人として市場で戦うことではなく、自らの「鉱脈」を見つめ直しつつ、システムの抽象化によって切り捨てられた「非同一的なもの」との連帯を模索する道である。近代が終わり、新自由主義がその限界を露呈しつつある現在、百年前の漱石の叫びと、戦後ドイツでアドルノが綴った断章は、暗い海を照らす灯台のように、我々が「私を生きる」ための確かな方向性を指し示しているのである 1

引用文献

  1. 夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集 - 角川新書 - KADOKAWA, 4月 6, 2026にアクセス、 https://www.kadokawa.co.jp/product/321512000335/

  2. 夏目漱石著、 小森陽一編 『夏目漱石、 現代社会を語る 漱石 社会評論集』 : 古びない〈文学〉的 こころざし|年間読書人 - note, 4月 6, 2026にアクセス、 https://note.com/nenkandokusyojin/n/n7f68bdb1b7aa

  3. Adorno and Neoliberalism, 4月 6, 2026にアクセス、 https://api.pageplace.de/preview/DT0400.9781350103238_A40075399/preview-9781350103238_A40075399.pdf

  4. 'Adorno and Neoliberalism: The Critique of Exchange Society' by Charles A Prusik reviewed by Iaan Reynolds, 4月 6, 2026にアクセス、 https://marxandphilosophy.org.uk/reviews/19255_adorno-and-neoliberalism-the-critique-of-exchange-society-by-charles-a-prusik-reviewed-by-iaan-reynolds/

  5. なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その7) - 寺子屋塾, 4月 6, 2026にアクセス、 https://terakoya-juku.com/blog/detail/20230529/

  6. 『夏目漱石、現代を語る』を読んで|一介の読書好き - note, 4月 6, 2026にアクセス、 https://note.com/lacoske/n/n350a959ab34b

  7. How to Look at Neoliberalism. Revisiting Adorno's Social Physiognomy - ResearchGate, 4月 6, 2026にアクセス、 https://www.researchgate.net/publication/320076246_How_to_Look_at_Neoliberalism_Revisiting_Adorno's_Social_Physiognomy

  8. Adorno and Neoliberalism: The Critique of Exchange Society 2020015229, 2020015230, 9781350103245, 9781350103238, 9781350103252 - DOKUMEN.PUB, 4月 6, 2026にアクセス、 https://dokumen.pub/adorno-and-neoliberalism-the-critique-of-exchange-society-2020015229-2020015230-9781350103245-9781350103238-9781350103252.html

  9. 『夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター, 4月 6, 2026にアクセス、 https://bookmeter.com/books/10886761

  10. Grokさん、柄谷行人の漱石論の間違っているところを教えて ... - note, 4月 6, 2026にアクセス、 https://note.com/kobachou/n/nb89077eaaafc

  11. 保守すべきものとしてのリベラル――シノドス国際社会動向研究所が目指すこと - SYNODOS, 4月 6, 2026にアクセス、 https://synodos.jp/opinion/politics/19328/

  12. Adorno and Neoliberalism | Semantic Scholar, 4月 6, 2026にアクセス、 https://www.semanticscholar.org/paper/Adorno-and-Neoliberalism-Prusik/44a11606954906b1c2e310a2262792fe9d8bd101

  13. 「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その1) - 寺子屋塾, 4月 6, 2026にアクセス、 https://terakoya-juku.com/blog/detail/20240412/

  14. 不健康の社会的要因と責任の所在, 4月 6, 2026にアクセス、 https://hodanren.doc-net.or.jp/books/hodanren17/gekkann/1712.html

  15. 現代の個人, 4月 6, 2026にアクセス、 https://stars.repo.nii.ac.jp/record/9500/files/001_%E7%AB%B9%E5%86%85%E7%9C%9F%E6%BE%84.pdf

  16. 夏目漱石 文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎 - 青空文庫, 4月 6, 2026にアクセス、 https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2681_6492.html

  17. 夏目漱石作品における金① 死ねるか、死に切れずに降参をするか。 - note, 4月 6, 2026にアクセス、 https://note.com/kobachou/n/neb1a05dee099

  18. 夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集, 4月 6, 2026にアクセス、 https://7net.omni7.jp/detail/1106653565

  19. Intercultural Mirrors - Brill, 4月 6, 2026にアクセス、 https://brill.com/display/book/9789004401303/9789004401303_webready_content_text.pdf

  20. Cloneliness: On the Reproduction of Loneliness 9781501344824, 9781501344855, 9781501344848 - DOKUMEN.PUB, 4月 6, 2026にアクセス、 https://dokumen.pub/cloneliness-on-the-reproduction-of-loneliness-9781501344824-9781501344855-9781501344848.html

  21. Cultural Complexes in China, Japan, Korea, and Taiwan: Spokes of the Wheel 9780367441043, 9780367441050, 9781003007647 - DOKUMEN.PUB, 4月 6, 2026にアクセス、 https://dokumen.pub/cultural-complexes-in-china-japan-korea-and-taiwan-spokes-of-the-wheel-9780367441043-9780367441050-9781003007647.html

  22. 『アウシュヴィッツ以後、詩を書くことだけが 野蛮なのかアドルノと〈文化と野蛮の弁証法〉 - 高崎経済大学, 4月 6, 2026にアクセス、 http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/46_4/hara.pdf

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