太陽誘電と
傘下の派遣会社の
例を
挙げたが、
よく考えたら、これって
一昔前の
男性と女性にも
当てはまるな、と
思いました。
今みたいに
女性にも
社会的進出の途が
曲がりなりにも
確保されている時代ならともかく、
いちど
男性と結婚して
家庭にはいった
専業主婦ならば、結局
夫の言うことには
従わざるを得ないのが
実情じゃないか?
いきなり
「私は
明日から
好きなように
働くから
アンタは勝手にしろ!」
なんて言える人
なかなかいないよね。
子供を産むリスクを
背負うのも女性だし。
確かに、これは
不公平といえば不公平だ。
なにしろ、夫に
足下みられたら、従わざるを得ないんだから。
それこそ、
親会社と、その傘下の
派遣会社の派遣社員みたいに。
そう考えたら、俺も
いざとなったら
不公平だのなんだの
四の五の言わず、働かなきゃ
いけないんだな。
自分がずっと勉強してきたことを
活かせる場が
高崎にあるだけでも、
ありがたい話だ。
・・・うーん、でも
今からそれを
死ぬまでやれってのは、キツいわ。
とてもサステナブルではない。
・・・ここまで来ると、
もはや自分の人生だから
力ずくで
どうにかしてやろう、というのが
無理に思えてくる。
むしろ、流れに任せたほうが
うまく
いくこともある、と
経験上わかっている。
(それも、ある意味では
それまでの生き方の延長に
あるものなのだが。)
夏目漱石のいう
「則天去私」とは
こういう境地のことを
いうのだろうか。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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