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泉鏡花論 私信 (再掲)

 鏡花は文学史的には、 まずは「観念小説」に分類されるのでしたよね。 明治も半ばを過ぎて、 まさに資本主義の 合理主義、功利主義が 体制化されてゆく中で、 金銭や身分違い、 それをめぐって 掻き立てられる 欲望が 悲劇を招いてゆく 人間ドラマを、 しかしながら 自然主義的なドロドロした 醜悪な現実を 剔抉する手法とは異なって、 華麗な筆捌きで、 哀切感溢れる 昇華された人情の物語へ 仕立て上げているのが特徴、 といえばよいでしょうか。 (なにしろ鏡花は、 あの絢爛豪華な文体で 明治の人情世態を描いた 尾崎紅葉に入門したこともありました。) 特に 「夜行巡査」 「外科室」 などは、 社会の暗黒面 ーーいわば社会による疎外という テーマ性を有している点で 「観念小説」と呼ばれ、 このジャンルの代表作でもありますが、 上述のような 文体と作法を特質とするため、 小林くんの感じている 怪奇性やロマンティズムは 遺憾なく発揮されています。 この点を より発展させた大きな作品が、 『高野聖』『草迷宮』『夜叉が池』などで、 ここまでくれば 耽美的な「幻想文学」と称しても良いのでは、と。 「幻想」 は もちろん 人間の深層意識と不可分なので、 精神分析の手法を使いたくなるところです。 けっして 鏡花に詳しくはないので、 大きなことは言えないのですが、 とりわけ『高野聖』は、 人間が社会秩序に拘束され、 抑圧し続けている 「深層意識」を着眼点に、 日常 ー表層意識 対 非日常ー 深層意識 を機軸にして作品を読み解けば、 まさにテクストの 網目のようなものが 鮮明に見えてくる作品ではないかと思われます。 後には高僧となったという 若い日の「宗朝」が、 ふとしたことから迷い込んで、 一夜の宿りを求めた山中の一軒家は、 修行僧の日常が 抑圧してきた 彼の深層世界の現れ、 とでも言えそうです。 処女のような羞らいを見せるかと思えば エロティックな姐御の風貌も見せる 不思議な美女、 取り巻く猿や蟇の魑魅魍魎たち、 下僕のようでありながら 監視者でもあるような 「親仁」、 そして 心身の機能を奪われながら、 美女に かしずかれて 天上の声のような 清澄な唄声を響かせる 「白痴」。 お膳立ては十分、といった感じです。 そして、 この「白痴」を基点に、 この魑魅魍魎の山中の世界とは、 実は 近代国家によって 損傷され、周縁化された者たち ーー治療の過誤で不具にされてしまった者、 人間によって疎外された 動物たちこそが王座を占める、 日常の現実を反転させた 〈さかしまの世界〉 ではないか、と考えた時、 『高野聖』は、 単なる精神分析の対象を超えた、 一つの世界像として 見事に立ち上がってくるように思われます。 抑圧された者たちの、 いわば撓められた負のエネルギーが 一気に噴き出して 世界を反転させる時、 新たな世界の頂点は、 それまで最も抑圧されていた者たちによって 占められる‥。 ましてや、 上述のように きわめて両儀的な風貌を 見せる美しい女は、 名医とは名ばかりで 正しい医療知識とは無縁で、 今の「白痴」 ーー五体満足な少年の日の彼を 心身の機能の癒えた 「白痴」にしてしまった 藪医者の一人娘であったとなれば、 貧富や貴賤という 現実社会の権力関係が 反転した世界に於いては、 彼女は被害者 「白痴」 への人身御供的なポジションに あるのではないかといった 見立ても可能になってきます。 このように 山中一軒家の世界を、 近代化・文明化の過程で 抑圧されたものたちが徘徊する、 つまりはフロイド的な 「不気味なもの」 が何らかの機縁を以て 回帰してきた空間として、 明快かつ精密に読み解いた見事な論考に、 堀井一魔氏の 「国民の分身像ー泉鏡花「高野聖」における不気味なもの」 (『国民国家と不気味なものー日露戦後文学の〈うち〉なる他者像』、新曜社) があります。

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