負債観念 (再掲)
「負債」の観念を抱かせることが、
社会全体を構成し、
安定的に維持するための
手段であるわけで、
交換とか経済的利益は
副次的な意味しかないわけです。
先ほどお話ししたように、
儀式に際して
各自の欲望機械を
一点集中的に活性化させますが、
この強烈な体験を
「負債」と記憶させて、
大地に縛り付けることが
社会の維持に必要なわけです。
現代社会にも
通過儀礼のようなものがありますし、
教育の一環として
意味の分からない、
理不尽に感じることさえある
躾を受けることがありますが、
それは、
この「負債」の刻印と
同根だということのようです。
「負債」の刻印が本質だとすると、
むしろ
下手に合理的な理由をつけずに、
感覚が
強制的に動員される、
残酷劇の方がいい、
ということになりそうですね。
<アンチ・オイディプス>入門講義 仲正昌樹 作品社 p.255
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