質問:ミラーとモディリアーニによるMM理論によれば、税制その他の要因を無視して考えれば、企業が資金調達するに当たり、自己資本(株など)でも他人資本(金融機関からの借り入れ)でも差はない、とされますが、日本のバブル崩壊後の不況において、銀行がダメなら証券市場で資金を調達しよう、という論理にはならなかったのでしょうか? 回答:日本経済ではバブル崩壊後、とりわけ1998年頃から(I-S)+(G-T)+(X-M)≡0という恒等式において、(S-I)=(G-T)+(X-M)がプラスになっています。 これは資金貸借の面で、貯蓄のうち国内の民間では使い切れなかった貯蓄・投資差額を、財政赤字(GーT)分は政府へ、貿易黒字分(XーM)は海外に貸し付けていることを意味します。 これは本来、ありえない状況です。なぜなら「資本主義」とは、企業家が銀行から借り入れたり、株式を発行して他人資本を集め、不確実性に満ちた世界に挑む経済制度だからです。MM理論等はこうした状況を想定しています。ところが日本では、企業がカネを借りるのではなく貸しています。企業は銀行に「貸し剥がし」を迫られた四半世紀前から、内部留保を貯め込み自己資本で経営し、残ったカネは貸すようになりました。 日本の企業はバブル後に銀行離れを起こしただけでなく、ものづくりで稼ぐことからも離れ、証券市場から「借り」ずに「貸す」方に向いてしまったのです。これはものを作って稼ぐ自信(企業家精神)を失ってしまったことを指しています。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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