農業と政治

農協は ある意味では 既得権益、というか 少なくとも 政治的圧力団体 とは言えると 思われる。 しかし、だからといって 農家の既得権益を ぶっ壊せ!というのは 早計ではないのか。 確かに、 備蓄米を安く供給すれば 消費者は助かる。 しかし、新米の値崩れを 引き起こす可能性がある。 そういう意味では、今回の 農水大臣の交代によって、 自民党は 大票田である 農協からの支持を失う 可能性のある 大決断をした、と 評価していいのではないか。 もちろん、これは 米の生産者から 消費者へ 利益配分を移転させた、と 言えるだろう。 しかし、それが 必ずしも 「正義」だと言えるかは 疑問だ。 農業というのは 得てして 収奪的だ。 特に 日本においては、戦前、 小作農と 大地主、という 歴史上よくありがちな 構図が生まれ、 天候不順による凶作が原因で 社会不安にまで 至る 例があった。 あるいは逆に、「豊作貧乏」という 言葉があるように、 豊作によって逆に 農家の収入が減る、ということもある。 それは、誰かが仕組んだ仕業とかではなく、 単純に 例えば 米が例年の1・5倍収穫出来たからと言って、 消費者の米の消費量が 1・5倍になったりはしないからだ。 つまり、農家というのは 政府による 価格安定策がなければ、本来 非常に不安定な 職業である、ということになる。 もちろん、それが 国際競争力を削ぐ、という側面もあるが。 あまり物事を一面的に判断するのは 賢明ではない。 米農家にしても、戦後のGHQによる 小作農解放によって、 小作農が地主による収奪から 解放された、というのは 高校の日本史で教わる 基本的な事実だ。 それが米作の大規模生産を妨げている 側面もあるだろうが。 しかし、農家には農家の生活がある。 都市生活者が、自分の生活が苦しいからと言って、 農家の生活をむやみやたらと 不安定化させるのが 果たして「正義」なのか。 族議員という言い方をされることは 最近少なくなったが、 具体的な一般意志というものが 現実に 成り立ち得ない以上、 圧力団体の意向を無視した政治が 正しい、という理屈はおかしい。 本来、政治というのは 自分の支持母体の利益を代弁するのが 役割とすら言える。 見境無く 「既得権益」という概念を振り回し、 それを ぶっ潰せばいい、というのは 幼稚な発想だ。 ・・・とはいえ、農家の所得保障のため といって 漫然と 備蓄米を積み上げているにも関わらず、 需給が逼迫しているときに 高値でしか 放出できなければ、 いったい何のための 「備蓄米」なのか? という 疑問も当然ある。 米の価格が、有権者が納得感を 得られるまで 下がるかどうかは 現段階では不明だが、 まずは 米の市場価格が下がれば、 自民党にとっては ある意味 消費減税をしなくても済む 一番 手っ取り早い 選挙対策とも 言えるのではないか。

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