松原先生と火花を散らしていたから、その疲れがちょっと出た。
やっぱりタンパク質は大事だ。
何ごとも身体が資本。
野菜ももちろん大事。
群馬学習センターで行われた
泉鏡花の面接授業、
欠席してしまったのですが、
群馬学習センターから
面接授業で使用した資料が
送られて来ました。
なぜ欠席したかというと、
学期始まって早々、
放送大学の「質問箱」を使った、
松原隆一郎先生との
経済学に関する質疑応答が
もりあがってしまって、
ちょっとそれどころではなかった、
というのもあるのですが、
何より、自分が日本近代文学の世界に
あまりにも疎いので、
ネットの情報だけでは、
果たして行く価値があるのか
(⇐大変失礼)
わからなかった、という次第です。
しかし、
送付されてきた資料を読むと、
<近代>への問い、というのは、
なにも
漱石に限った話ではないのだな、
と感じました。
今回は惜しいことをしましたが、
記憶では
市川祥子先生は
たびたび
群馬学習センターで
泉鏡花に関する
面接授業を
ご担当されているように思いますので、
また機会があったら
是非参加してみようと思います。
もう初夏の陽気ですね。
ファーストサマーウイカ。
自分が
森本先生と
ともに
練り上げた
「漱石ーアドルノ」の理論も、
当初の
グローバリゼーション批判というより、
学習センターから送られてきた
資料を見ると、
むしろ、
文学解釈理論として
自分のなかで
落とし所を見出したようで、
意外な結末に至った。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
コメント
コメントを投稿