自分が 経済学が 好きであると 同時に 文学や哲学が 好きなのは、 どっちとも 現世の人間が 対象だから。 経済学というと、 学者として 身を立てるには 複雑な数理モデルを 駆使しなきゃいけないんだが、 自分は 経済学っぽい 哲学に逃げてるんだけど、 でも、 結局は 経済学も、文学や哲学と 同様に、 現世を生きる 人間を扱っている。 つまり、経済学 というと、難しく 感じるけれど、 経済学が想定しているのは、 そこそこ 合理的だけれども、 本来は 経済学なんて全く知らない人が どういう (ある程度合理的な) 行動を取るか、っていうことだ。 だからこそ、 経済学はいまだに 文学や哲学と 繋がりが深い。 それで、と ここからは 少しだけ 専門的な話になるけど、 インフレになれば 賃金があがる、という 前提で インフレーション・ターゲティング政策を やったわけだが、 現実問題 インフレにはなったが、 名目賃金の伸びは 追いついていない。 ここらへんは 議論が錯綜するところだが、 そもそも インフレになったから 賃金があがる保障なんて、 根拠が薄い。 いま日本全体が 名目賃金をあげるって 大号令かけてるけど、 いくら企業が 従業員の賃金をあげた ところで、それは 単純に 三面等価の原則でいうところの 分配の話であって、 言い換えれば 所得の再分配をしているだけなのだ。 つまり、 経済成長していないのに、 所得の再分配をしただけでは、 あまり意味がない。 結局は、 バラッサ・サムエルソン仮説が 提唱するように、 付加価値が高い 財を輸出することで、 だんだんと 労働者全体の 賃金があがる、というのが 経済学的にいえば 本筋なのだ。 つまり、経済学に 魔法の杖はなくて、 経済成長をすれば、自然と 賃金があがる、という ある意味 常識的なことが 導き出される。 もう少し敷衍すると、 インタゲをやって、実際に インフレになったら、 (それが経済成長を伴わない場合、) 生活が苦しくなったぶんだけ、 減税やら 政府支出を増やすなり せざるを得なくて、 そうすると、財政が悪化するから、 最終的には 増税せざるを得ないって 話になるんだ。 つまり、結論としては 誰かが甘い汁を吸ってるとか ましてや 財務省が悪い、なんて 話では まったくなく、 日本は経済成長を まず 目指すのが、本筋である。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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