貨幣文化の出現は
伝統的な個人主義が
人々の行動のエトスとして
機能しえなくなっていることを意味した。
「かつて諸個人をとらえ、
彼らに人生観の支え、
方向、そして統一を与えた
忠誠心がまったく消失した。
その結果、
諸個人は混乱し、当惑している」。
デューイはこのように
個人が
「かつて是認されていた
社会的諸価値から
切り離されることによって、
自己を喪失している」
状態を
「個性の喪失」と呼び、
そこに貨幣文化の
深刻な問題を見出した。
個性は
金儲けの競争において
勝ち抜く能力に
引きつけられて考えられるようになり、
「物質主義、
そして拝金主義や享楽主義」
の価値体系と行動様式が
瀰漫してきた。
その結果、
個性の
本来的なあり方が
歪められるようになったのである。
「個性の安定と統合は
明確な
社会的諸関係や
公然と是認された
機能遂行によって作り出される」。
しかし、
貨幣文化は
個性の本来的なあり方に含まれる
このような他者との交流や連帯、
あるいは
社会との繋がりの側面を
希薄させる。
というのは
人々が
金儲けのため
他人との競争に駆り立てられるからである。
その結果
彼らは
内面的にバラバラの孤立感、
そして
焦燥感や空虚感に陥る
傾向が生じてくる。
だが、外面的には、
その心理的な不安感の代償を求めるかのように
生活様式における画一化、量化、機械化の傾向が顕著になる。
利潤獲得をめざす
大企業体制による
大量生産と大量流通がこれらを刺激し、
支えるという
客観的条件も存在する。
個性の喪失とは
このような
二つの側面を併せ持っており、
そこには
人々の多様な生活が
それぞれに
固有の意味や質を持っているとする
考え方が後退してゆく
傾向が見いだされるのである。
かくしてデューイは、
「信念の確固たる対象がなく、
行動の是認された目標が
見失われている時代は
歴史上これまでなかったと
言えるであろう」
と述べて、
貨幣文化における
意味喪失状況の深刻さを
指摘している。
(「ジョン・デューイの政治思想」小西中和著 北樹出版 p.243~244)
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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