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教養のヘーゲル (再掲)

ヘーゲルが、国家と (市民)社会とを 区別して捉えたことが、 国家論の歴史において 画期的な意味を持つことである ということは すでに指摘した通りである。 その 国家と社会の分離の理由として、 ヘーゲルは、 市民社会には、 国家のはたすような 真の普遍を支える 能力がないから ということをあげる。 そこで、 市民社会の 私的利害に対応する だけのものである 「契約」 という概念によって、 国家の成立原理を説明する 「社会契約説」 に 厳しい批判を 浴びせることともなった。 しかし、 それだけではないはずである。 というのも、 国家と市民社会の 分離の把握 ということは、 市民社会が、 相対的にではあっても 国家から独立した 存在であることの 指摘でも あるはずだからである。 近代国家においては、 プラトンが掲げた 理想国家におけるのとは異なって、 国家が 個人の職業選択に 干渉したりはしないし、 その他の 個人の私生活に 干渉したりはしない。 同様に、 国家が 市場原理を 廃絶あるいは抑圧するような こともない。 そのように、 市民社会が 自分独自の原則に したがって存在し、 機能していることが 尊重されている ということが、 近代における 個人の解放という 観点から見て、 重要なことである はずなのである。 それは、 ヘーゲル流の表現にしたがうならば、 一方では、 近代国家なり、近代社会なりが 「客観的必然性」 によって 構成された 体制であったとしても、 他方では、 個人の 恣意や偶然を 媒介として 成り立つにいたった 体制だからだ ということになる。 (p.103)  (中略)  近代国家の原理は、 主観性の原理が みずからを 人格的特殊性の自立的極に まで 完成することを 許すと同時に、 この 主観性の原理を 実体的統一につれ戻し、 こうして 主観性の原理 そのもののうちに この統一を 保持するという 驚嘆すべき 強さと深さを もつのである。 【260節】  (中略)  国家が、 有機体として 高度に 分節化されるとともに、 組織化されているが ゆえに、 個人の選択意志による 決定と行為が 保障される。 個人は、 基本的には 自分勝手に 自分の人生の方向を決め、 自分の 利害関心にしたがって 活動することが許されている。 にもかかわらず、 このシステムのなかで 「実体的統一」 へと連れ戻される。 それは 強制によるものとは 異なったものであり、 あくまで 個人は 自己決定の自由を認められて、 恣意にしたがっている にもかかわらず、 知らず知らずのうちに 組織の原理に したがってしまう という 形を取るのである。 また、 個人の 自律的活動あればこそ、 社会組織の方も 活性化され、 システムとして 満足に機能しうる。 こうして、 有機的組織化と 個人の自由意志とは 相反するものであるどころか、 相互に 補い合うものとされている。 それが、 近代国家というものだと いうのである。 (p.104) 「教養のヘーゲル」佐藤康邦 三元社

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