われわれは、現に、
時計の音を「カチカチ」と聞き、
鶏の啼く声を
「コケコッコー」と聞く。
英語の知識をもたぬ者が、
それを
「チックタック」とか
「コッカドゥドゥルドゥー」とか
聞きとるということは
殆んど不可能であろう。
この
一事を以ってしても判る通り、
音の聞こえかたといった
次元においてすら、
所与を
etwasとして
意識する仕方が
共同主観化されており、
この
共同主観化された
etwas以外の相で
所与を意識するということは、
殆んど、
不可能なほどになっているのが
実態である。
(59ページ)
しかるに、
このetwasは、
しばしば、
”物象化”
されて意識される。
われわれ自身、
先には、
このものの
”肉化”
を
云々することによって、
物象化的意識に
半ば迎合したのであったが、
この
「形式」
を純粋に
取出そうと試みるとき、
かの
「イデアール」な
存在性格を呈し、
”経験的認識”
に対する
プリオリテートを要求する。
このため、
当の
etwasは
「本質直感」
といった
特別な
直感の対象として
思念されたり、
純粋な知性によって
認識される
形而上学的な実在として
思念されたりすることになる。
(67ページ)
第三に、
この音は
「カチカチ」
と聞こえるが、
チックタックetc.ならざる
この聞こえかたは、
一定の
文化的環境のなかで、
他人たちとの言語的交通を
経験することによって
確立したものである。
それゆえ、
現在共存する
他人というわけではないにせよ、
ともあれ
文化的環境、
他人たちによっても
この音は規制される。
(いま時計が
人工の所産だという点は措くが、
この他人たちは
言語的交通という聯関で
問題になるのであり、
彼らの
生理的過程や
”意識”
が介入する!)
この限りでは、
音は、
文化的環境、
他人たちにも
”属する”
と云う方が至当である。
(70ページ)
一般には、
同一の語彙で表される対象
(ないし観念)群は、
わけても
”概念語”
の場合、
同一の性質をもつと
思念されている。
この一対一的な対応性は、
しかも、
単なる並行現象ではなく、
同一の性質をもつ
(原因)
が故に
同一の語彙で表現される
(結果)
という
因果的な関係で
考えられている。
しかしながら、
実際には、むしろ
それと逆ではないであろうか?
共同主観的に
同一の語彙で呼ばれること
(原因)
から、
同一の性質をもつ
筈だという思念マイヌング
(結果)
が生じているのではないのか?
(109ページ)
第二段は、
共同主観的な価値意識、
そしてそれの
”物象化”
ということが、
一体いかにして成立するか?
この問題の解明に懸る。
因みに、
貨幣のもつ価値(経済価値)は、
人びとが
共同主観的に
一致して
それに価値を認めることにおいて
存立するのだ、
と
言ってみたところで
(これは
われわれの第一段落の
議論に類するわけだが)、
このこと
それ自体が
いかに真実であるにせよ、
まだ何事をも説明したことにはならない。
問題は、
当の価値の内実を
究明してみせることであり、
また、
何故
如何にして
そのような
共同主観的な一致が
成立するかを
説明してみせることである。
この
第二段の作業課題は、
個々の価値形象について、
歴史的・具体的に、実証的に
試みる必要がある。
(164~165ページ)
(以下熊野純彦氏による解説より)
『資本論』のマルクスは、
「抽象的人間労働」
などというものが
この地上の
どこにも存在しないことを
知っている。
存在しないものが
ゼリーのように
「凝結」
して
価値を形成するはずがないことも
知っていた。
要するに
『資本論』
のマルクスは
もはや
疎外論者では
すこしもないのだ、
と廣松はみる。
労働生産物は
交換の内部において
はじめて価値となる。
とすれば、
交換という
社会的関係そのものにこそ
商品の
フェティシズムの秘密があることになるだろう。
関係が、
謎の背後にある。
つまり、
関係がものとして
あらわれてしまうところに
謎を解くカギがある。
商品の
「価値性格」が
ただ
「他の商品にたいする
固有の関係をつうじて」
あらわれることに
注目しなければならない。
商品として交換されること
それ自体によって、
「労働の社会的性格」が
「労働生産物そのものの対象的性格」
としてあらわれ、
つまりは
「社会的な関係」、
ひととひとのあいだの関係が
「物と物との関係」としてあらわれる
(『資本論』第1巻)。
ものは
<他者との関係>
において、
したがって
人間と人間との関係にあって
価値をもち、
商品となる。
(533~534ページ)
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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