2025年1月30日木曜日

渡る世間は鬼ばかり

まあ、姉は姉で、 ああ見えて 単純な人間なのだ。 いかにも 小市民的でありながら、 世渡りが上手いわけでもなく、 努力も しないくせに やたらめったら 嫉妬ばかりして、 ちょっとばかり難点を 見つければ、 それで 勝ち誇った気分に浸れる、という ご都合主義者でもある。 かといって、 徹頭徹尾うらむということも 知らず、 要するに、 単純で 幼稚で 浅はかなのだ。 それは 主に 世間を知らなさすぎるが ゆえに、 世間をナメていたからだ。 いつも 最後は 母親に泣きついた挙げ句、 逃げて 止めてしまうものだから、 結局は 切羽詰まる、ということが 今まで ほとんど 無かったのだ。 しかし、さすがに 東京に 一戸建てを建てて、 こどもを育てる、と なれば、 否が応でも 「世間」というものと 向き合わざるを得ない。 つまり、ようやく 「世間」というものに 船出をしたのだ。 とはいえ、さすがに 48年間も 生きてきたのだから、 それなりに 男を見る目はあったようだ。 あれだけ 穏やかで 従順な 義兄を見つけてきた、というのは なかなかの 美徳なのだ。 だから、俺は もう 会いたくもないし、しばらく 会ってもいないが、 どこか 少し 姉のことを、 愚かだが 憎みきれないヤツだと 思っている。 なぜかといえば、 アイツは 完全に心を閉ざして うわべだけの 知性で 世渡りできるほどには 賢くはないからだ。

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