2024年12月5日木曜日
<近代>と周縁化 (再掲)
後期資本主義批判を
アドルノから荻野先生の社会学、
ゲーテを経て
漱石まで展開した動画を有り難う。
アドルノの後期資本主義批判は
しばしば読ませてもらっていたところですが、
今回は
荻野氏の「詐欺」論へ
連接させることで、
論がひときわ具体性を増し、
鮮やかな像を結んだように思います。
不確定性に賭ける「詐欺師」とは、
計量と数値化を旨とする
近代合理主義社会の、
いわば虚をつく存在。
資本主義社会の到達点ともいえる
「管理社会」への
批判的メタファーなのですね。
それが足を置く場は、
まさに
資本主義社会の
「市場」の余白とでも表すべき領域。
とすれば、小林くん講話の
後半部のキーワードともいうべき
「自然」が、
まさに
商品の
等価交換から成り立つ
「市場」の〈外部〉であることと
きれいに響き合っていることに、
つくづく感心しました。
そして、近代作家とは、
まさにその〈疎外〉感を以て、
同じく
近代が周縁化してしまった
〈自然〉
へ魅かれ、耽溺する者であるわけですね。
日本近代の場合、
より〈自然〉に親和的なのが自然主義作家で、
これをまさに
〈じねん〉
にみられるような
概念化への苦闘を経ることで、
欲望的な世界から
帰還してくるのが漱石、
ということになるでしょうか。
「ファウスト」こそ詐欺師では、
との小林くんの呟きにクスリとしながら
つい頷いてもいるのですが、
その葛藤が
〈魂の救済〉
なるもので終結するのは、
やはりなんといっても
キリスト教文化圏ならではの展開でしょう。
かの有名な
「疾風怒濤」期に
端的に現れる
ゲーテの自然観
(近代的「自然」の発見)は、
日本の場合、
漱石よりも、北村透谷を経た
自然主義文学への影響の方が大きそうです。
いささか余談ですが、
ゲーテも、漱石も、そして
ほとんどすべての男性・近代作家の描く異性愛の対象
ーー
〈女性〉
もまた
〈近代〉
が周縁化した存在なので、
なるほどテクストというものは
論理的かつ時代精神を
おのずから反映したものだ、
と改めてつくづく納得した次第です。
いつものことながら、感謝です。誠に有り難う。
今回、頂戴した小林くん講話に
これまで頂戴している
論考から得た知識を総合すれば、
資本主義-市民社会がもたらす
疎外、物象化に対する
苦悩という名の
徹底的相対化、
これこそが
漱石の文明批評の基盤であることが、
まさに
鮮明に図式化されて見えてくる感じです。
今回は
「ブログのハッシュタグ参照」とのことで、
アドルノとの関係への言及は省略されていましたが、
ここから展開してゆくのが、
何度か拝見させてもらった、
アドルノを援用した小林くんの
「それから」
論ですね。
主客分離から生じる疎外を批判し、
人間の自然
および身体の抑圧を論じながら、
原初的まどろみへの回帰は
徹底的に封じた
アドルノの論理展開が、
何と代助の解読に有効であるか、
は、つねづね痛感するところです。
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