第1節:
ホッブズ、ジョン=ロック、ヒュームに至る系譜は、
イギリスが
世界に冠たる資本主義国家としての
歩みと
平仄を合わせている。
ホッブズの時代には、英蘭戦争を戦い、
ジョン=ロックの時代には
プファルツ継承戦争とともに北米での
戦争を戦っている。
ヒュームの死亡年には、アダム=スミスが「国富論」を刊行している。
まさに
そのような時代状況の移り変わりの中で、
各々の思想家の理論が
展開されたのである。
ホッブズは、
機械論的自然観の曙光の中で、
国家を
まさに数学的厳密さをもって、その必要性を論証しようと試みた。
ジョン=ロックの時代には、
名誉革命が起き、
イギリス立憲主義的議会制民主主義が確立された。
また、1687年には、
ニュートンが「プリンキピア」を刊行している。
まさに機械論的自然観が、
実際の制度、科学の発展の端緒と歩調を合わせながら、
花開こうとしている。
ジョン=ロックのいわゆる「抵抗権」は、
現実の
めまぐるしく変わる政治状況のなかで、
政府というものが、
市民から「信託」を受けたものである、
という
ある種の
プリンシパル=エージェンシー関係にある。
Authorとしての国民が、
Artificial personとしての
リヴァイアサンに
主権の一部を放棄し、
authorizeする、とする理論とは若干異なる。
ヒュームは、
金本位制を擁護したことでも知られているが、
没年にアダム=スミスによる「国富論」が
刊行されていることからもわかるように、
まさに
イギリスが産業革命を成し遂げ、
世界の工場として飛躍していこうという
新世界の入り口に立っていた。
ヒュームは経済の論理を重視し、
特に経済的慣行の中で、
ひとびとが
繰り返し取引される中で生成される秩序に
着目したという点で、
保守主義者であったと
言われている。
ルソーの時代になると、
イギリスでは
エンクロージャーに代表されるように
農業革命も起こり、
ますます
近代資本主義が進展するとともに、
貧富の格差も生まれ始めた。
そのような状況のなかで、
ルソーは
己自身が己の主人であり、また奴隷である、
そのような状況のなかで、
人民が定期的に集まり
「一般意志」
を
形成することで、
だれも疎外されない社会が
生み出されると考えた。
カントは、
大陸合理論とイギリス経験論を総合したとして名高いが、
デカルト的理性主義から、
ヒュームの懐疑論によって
「独断のまどろみ」から目覚めたと主張したと
言われている。
カントの定言命法は
Aを求めるためにXをする、
というものではなく、
ただXをせよ、
という命令を自己に課し、
それが
社会の規範と齟齬がないようにせよ、と説くものであった。
己の倫理と社会の規範の緊張関係を
つねに意識することによって、
はじめて人間は未成年状態から脱することができる、
という
いわゆる啓蒙主義は、
のちの
ロールズにも受け継がれている。
ロールズは、
我々は
道徳について
多かれ少なかれ直観的な確信を持っているが、
それだけでは足りず、
反照的反復によって、
優先順位をつけなければならない。
それは、
カント的倫理観が
現代にそのまま通用するものではないことを
踏まえつつ、
現実と理念的正義の間を絶えず往復し、
絶対的な善というものが成り立ちえない
現代社会において、
公正な社会を実現するには、
公共理性に訴えかけるような
やり方を
しなければならない、
と説いた。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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