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行政法を学ぶ、ということ

初めて 行政法という 法分野に触れたのは、 慶応SFCで 位田央先生の講義でしたが、 およそ 慶応SFCみたいなところで 行政法の授業を 履修するような学生 というのは、 保険で 公務員狙いの層なので、 下手に 授業中に質問なんかしようものなら、 とてつもない 無言の圧を感じる羽目になるので、 結局 たしか 履修申告はしたものの、 ほとんど 授業には出席せずに もちろん 単位も取得できずに 終わりましたが、 それが 2006年のことで、 なぜか 自分には 行政法という分野が 面白く感じられて、 ちょこちょこ 勉強してきました。 放送大学の放送授業でも、 磯部力先生という 行政法学界の超大御所や、 北海道大学の 渡辺賢先生の 名講義などを聴いたものの、 単位認定試験が とてつもなく 難しく、 結局 行政法の単位は取得できずじまいに 終わっていましたが、 今回 郡山女子大学で 行われた 福島大学の垣見教授の 面接授業を 超少人数の対面授業で 受講できて、 細かい疑問点を解消したり、 あるいは 実際の 事例などを通して、 行政法の知見を深めることが できました。  行政法というのは、 非常に マイナーな法分野ですが、 実は 果てしなく 重要な、というか、 知っているのと 知らないのとでは 天地の差があると 言って過言ではないほどの 法分野だと 思います。  例えば、私は 精神障害者ですが、 行政から 障害者という 「枠」 で 括られることの メリット・デメリット、 強いて言えば メリットがあるからこそ 「障害者」という 「枠」 が あるわけですが、 それがどういう 重みを持っているか、ということを 改めて 実感いたしました。  私などは 狭い専門が 経済思想なので、 フワフワしたことを 語りがちなのですが、 それはそれで 大事だと 思うのですが、 だからこそ、 現実に 行政というのが どういう 法的建て付けで 動いているかを知る、というのは、 極めて 重要なことだと、 痛感いたしました。 行政から、行政に対して、 どういう 権利義務関係を 構築するのか、という 法的 建て付けを 知っているということは、 自由に生きたければ、尚一層 大事なことだと 思います。 場合によっては 行政を相手に ケンカをするにしても、 正しい ケンカの仕方を 知っているのと知らないのとでは、 大違いです。 そもそも、 行政法の知識が なければ、 行政を相手に ケンカする、などということが およそ ドン・キホーテな ことです。 そういう観点からも、 今回 行政法の授業を 集中的に 受講できたことは、 じつに 貴重な機会でした。 担当された 福島大学の 垣見先生には、 心より 感謝申し上げます。

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