一つの簡単な答えは、
ヘーゲル的な意味での
統治は
不可能だ
ということです。
その代替案は
複数ありえますし、
フーコーは
その一つでしょう
(ただし、「知と権力」の
共犯関係が
いかなる統治を
具体化するのかは、
わたしには
理解しがたい
難しさが
あるように思えます)。
最も
わかりやすい代替案が
新自由主義の統治だといえます。
もしも
これを拒絶するとすれば、
問題は、
何らかの形での
ヘーゲル的な統治への回帰か、
神無き時代の連帯の
可能性の追求となります。
現代の
リベラルな政治理論は
だいたい
後者のさまざまな
バリエーションですが、
密かに
神が導入されている
可能性があるのものが多いので、
フーコーのような議論が
流行るのだと思われます。
鴎外については、
わたしにはコメントする能力はありません。
ただ、
そのような苦悩があるとすれば、
それは鴎外が
いかにヨーロッパ(ドイツ)文明に
拘束されていたのかを
示す
ことになるでしょう。
ただし、
そのような苦悩を
まったく抱かない
(ないしは、
そのような苦悩の可能性に思い至らない)
日本人よりは、
はるかにましな
精神性をもっていると思いますが。
明治日本は、
ある意味では、
神無しで
ヘーゲル的な全体性を
国家は維持できるのか、
という問いを
いち早く
突きつけられていた
ともいえます。
この問いへの回答の一つは、
現在でも、
「新たな神の創造」ですが、
そのような回答が、
必然的に
政治的に
悲惨なものになることは、
我々が
歴史から学んだことだといえます。
キリスト教文化圏では、
たとえ
神が死んだ時代でも、
この危険性が
よく知られていますが、
はたして日本ではどうでしょうか。
考えてみてください。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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