質問:確率と功利主義の関係性について教えてください。
確率と功利主義の関係性
功利主義は、倫理的な行動の正しさを、その行動がもたらす幸福・快楽の量によって判断する倫理学説です。功利主義者は、ある行為が最大多数の最大幸福をもたらすかどうかによって、その行為を善悪判断します。
一方、確率は、ある出来事が起こる可能性を表す数値です。確率は0から1までの値で表され、0は起こらないことを、1は必ず起こることを意味します。
確率と功利主義は、以下のような関係にあります。
1. 不確実性への対応
功利主義は、未来の不確実性を考慮した倫理学説です。私たちは、未来の出来事を完璧に予測することはできません。そのため、功利主義者は、ある行為の期待される効用を計算する必要があります。期待される効用とは、ある行為の各々の結果とその確率を掛け合わせたものです。
例えば、ある新薬が患者を治癒する確率が50%であり、治癒した場合の効用が100、治癒しなかった場合の効用が0だとすると、その新薬の期待される効用は50になります。
2. リスクとベネフィットの評価
功利主義者は、ある行為のリスクとベネフィットを評価する際に、確率を用います。リスクとは、ある行為によって悪い結果が生じる可能性を、ベネフィットとは、ある行為によって良い結果が生じる可能性を指します。
例えば、ある工場が操業を続けることで、周辺住民に健康被害を与えるリスクがある一方で、雇用を創出するベネフィットがある場合、功利主義者は、その工場の操業を続けるべきかどうかを、リスクとベネフィットの確率と大きさによって判断します。
3. 功利主義の批判
功利主義は、確率を用いることによって、不確実性を考慮した倫理判断が可能になりますが、以下のような批判もあります。
確率の恣意性: 確率は主観的なものであり、人によって異なる場合があります。そのため、功利主義に基づく倫理判断は、恣意的なものになってしまう可能性があります。
少数者の利益の軽視: 功利主義は、最大多数の最大幸福を重視するため、少数者の利益が軽視される可能性があります。
道徳的感情の軽視: 功利主義は、道徳的感情を考慮しない倫理学説です。そのため、功利主義に基づく倫理判断は、冷酷なものになってしまう可能性があります。
4. 結論
確率と功利主義は、倫理判断において重要な役割を果たします。しかし、功利主義には上記のような批判もあり、確率を用いることによって必ずしも倫理的な問題を解決できるわけではありません。
倫理的な問題を考える際には、功利主義以外にも、義務論や徳倫理などの倫理学説を考慮する必要があります。
参考文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9F%E5%88%A9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
https://toukeigaku-jouhou.info/2017/06/02/how-to-read-conditional-probability/
https://m.douban.com/book/subject/3072490/reviews
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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