日本の政府債務はGDPの2・5倍に達しているのは周知の事実である。財政の問題を論じるうえで論点となるのは、名目経済成長率と名目利子率のバランス(比率)である。分母が名目利子率であり、分子が名目経済成長率であることを考えると、今後、日銀が利上げの方向に舵を切るうえで、名目経済成長率の向上は、喫緊の課題と考えられる。これを踏まえたうえで、名目経済成長率を向上させるには、労働生産性の向上が避けて通れない。日本の雇用慣行は、長時間労働ありき、年功序列賃金、企業別労働組合の3つが相互に絡まり合っている。仮に、労働生産性を上げようとする場合、長時間労働ありきは、その阻害要因になる。なぜなら、より短い時間でより多くの付加価値を生み出せる労働者がいたとすると、長時間労働ありきの労働現場では、より多くの時間働かせようという発想が根深く染み付いているので、短時間でより多くの付加価値を生み出そうとすると、労働者は疲弊してしまう。したがって、労働者の合理的な選択として、一種の手抜きが行われることは想像に難くない。そうしなければ、疲弊してしまう。従って、敢えてでも労働時間の短縮環境を整備し、労働者各個人の自発的な労働生産性の改善を促す必要があると思われる。もちろん、これは労働者各個人の発想の問題なので、長時間労働が当たり前になっている労働者には、かえってモラルハザードを誘発させかねない。これが、長時間労働ありきが長年の慣行として染み付いた弊害の一つである。そして、その長時間労働ありきの労働慣行を助長してきたのが、年功序列賃金制である。長時間労働ありきの職場環境で、かつ年功序列賃金制である場合、低い労働生産性を労働者が強力に促進するモチベーションとなる。つまり、ダラダラ仕事して見せかけだけ働いて、時間を稼ぐ、という働き方が当たり前となる。そのようなインセンティブを与えている。最後に、企業別労働組合制は、労働者の企業に対する発言権を奪い、上述したような雇用慣行を温存させていることは容易に想像できることである。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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