2023年7月27日木曜日

フーコー・コレクション6 ちくま学芸文庫 より (再掲)

こうしてわれわれは、 私が社会的整形外科と 呼ぶものの時代に入ります。 それ以前に知られていた 固有の意味での 刑罰社会に対して、 私が規律社会として 区別する社会の一タイプ、 権力の一形態のことです。 それは社会的コントロールの時代です。 先ほど引いた理論家のなかに、 ある種のしかたで、 この監視社会、社会的整形外科の 図式のようなものを 予想し呈示していた人がいます。 それがベンサムです。 (中略) われわれの生を 取り巻く 権力形態を 最も厳密に規定し 記述したのは彼なのです。 それに彼は 整形外科の一般化した この社会の、小さいけれども すばらしい、有名なモデルを 呈示しています。 あの一望監視装置(パノプティコン)です。 精神に働く あるタイプの精神の権力を 可能にする建築形態、 学校や病院、刑務所、感化院、養老院、工場にとって ものを言うにちがいない 一種の施設です。(103ページ) ベンサムによれば、 このちょっとした すばらしい建築学的からくりは、 一連の施設に使うことができるのです。 一望監視装置は 一社会のユートピアであり、 実のところ、われわれが 今経験している社会という 権力のタイプの、 実際に実現された ユートピアなのです。 このタイプの権力は 掛け値なく一望監視方式と 名づけることができます。 われわれはその 一望監視装置が 支配している社会に 生きているのです。(103ページ) 一望監視装置とともに、 まったく違った 何かが生み出されます。 もはや調査ではなく、 監視が、検査があります。 もはや出来事を 再構成することではなく、 何か、というより、 不断に、 すみずみまで 監視されるべき 誰か が 問題になります。 誰かが諸個人を 不断に監視し、 その誰かが ―教師、作業監督、医師、精神科医、看守長― 彼らの上に権力を及ぼし、 権力を及ぼすかぎりで、 監視するとともに、 監視される者たちについて、 彼からに関して、 知を構成するのです。 この知はもはや、 何かが起きたのかどうかを 決定するのではなく、 ある個人が しかるべく振舞うかどうか、 規則に適して振舞うかどうか、 進歩するかどうかを 見定めることを 特徴とするものなのです。 この新しい知はもはや、 「これこれが なされたか? 誰がそれをしたのか?」 という問いのまわりに 組織されるのではありません。 もはや、 いたとかいないとか、 あったとかなかったとかの 用語で整序されるのではなく、 規範を中心に、 正常かそうでないか、 適正かどうか、 なすべきことかいなか、 といったタームで 整序されるのです。(104ページ)

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