2023年5月28日日曜日
森本先生からお返事来たぜ!いえい!\(^o^)/
坊っちゃん、代助、と、「立ち退き場」を見出そうとしてはそれを切り崩されざるをえない男性主人公たち(「三四郎」の「立ち退き場」は田舎の「故郷」です)と、
マドンナを嚆矢に消費される商品であるが故にまた、男たちを翻弄し、その自我に揺さぶりをかける女性登場人物たち。
たぶん、漱石が親しんだ「漢文」帝国の崩壊を告げ知らせることになる「満州旅行」を体験し、立ち退き場を根底から根こそぎ奪われてしまったところから
『門』の宗助、『明暗』の津田といった、全く平凡で卑小でさえある男性主人公たちが新たに登場してくるのだと思います。
伴って、女性登場人物も『それから―門』に<藤尾―美禰子の死>を見るのは通説ながら、この系列が男性登場人物が地に足をつけてくるのに伴走されて現実化した姿は『彼岸過迄』の千代子、『明暗』のお延、と、まさしくラファエル前派の描く画中の女さながら、たくましささえ感じさせながら肉薄してくる濃厚なキャラクターに仕上がっています。
象徴交換の話や、啓蒙の弁証法、クリステヴァ――授業内容を敷衍しながら記してくれた現代思想系のコメントは、きちんと消化の上、こなれた形で漱石論へ溶かし込んでゆくことが出来ればと痛切に感じたところです。御礼申します。
一点だけ留保したいのは、「レポート予備」のご論とも関連して、漱石的「個」をどう考えるか、です。
ブログからの引用の「レポート予備」は、漱石的個における一種の自閉性を指摘しておられ、まさにそれは啓蒙的理性における自然の抑圧、クリステヴァの「アブジェクション」と関連してくるところで、とりわけ『それから』の「代助」の読みには綺麗に符合してきわめて有効でもあるのですが。
代助は、百合の香に全自己を放擲しながらも、それが官能のなせるわざであることに自覚的ですぐに醒めてしまいます。一方で、三千代との何度にもわたる邂逅においては、蒼白い三千代を想定する代助が赤い三千代に動揺し、時には揺れ、時にはそんな自分をどう落ち着かせるかに逡巡する様が丹念に描かれています。つまり他者との出会い=差異としての自己、への自覚です。これは少し前に世に出て大好評を博した野網摩利子氏の『夏目漱石の時間の創出』(東大出版)から学んだところですが、
「それから」の「それ」とは、まさに自他が出会い、その差異が現象する瞬間であり、幾つもの「それ・から」を描き、積み重ねてゆくのが『それから』というテクストなのだ、と。ロンドンで買い込んだ人文社会科学系の同時代書籍から学んだ「indivisual,independent」(尊厳ある独立的個)はその後の彼の人生を決するものだったような気がしてなりません。小林くんから頂戴したコメントと、どういった兼ね合いになるのか、良い課題を頂戴したと喜んでいます。
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