2023年5月13日土曜日

レポート予備

そもそもヒトは 単に信号を出しているのではなく、 「あなたに心があって、 あなたの心を読むことによって、 私はあなたの思いを共有している。 そして、 そういうことをあなたも分かってくれるから、 お互いに思いが共有できる」という、 この基盤がなければ 言語というものは実は働かない。 人間は社会的動物である。 仮に 眼前に他者がいないとしても、 それは 必ずしも 他者の <不在> ではない。 他者が眼前にいない時でも、 人は 他者とやりとりをしている。 言い換えれば、コミュニケーションをしている。 自分の発言を、相手はどう解釈し、 相手がどんな応答をしてくるか、 それに対して 自分はどう答えるか、 そんな 複雑な入れ子構造の往還を、 人は 無意識に行っている。 漱石の個人主義は、 まるで 原子核のように 硬い殻に閉じこもり、 独り 思考実験の檻に 苦しめられているように感じられる。 『それから』における、 代助が 百合の花にむせぶシーンが 象徴するように、 主観と客観の区別から 逃れ、そこに 純粋で平和な「自然」を 見出そうとしながら、 やはり 個人主義を手放せない 漱石は、 孤独な近代人の塑形であるようにも見える。 ジュリア・クリステヴァが論じたように、 近代は 主観と客観の区別の間にある abjectを 抑圧し、ないものとして 見做した社会なのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

曽根崎心中 (再掲)

愛という感情が日本の歴史上にも古くから存在していたことは、 源氏物語にも書かれていることで、わかる。 しかし、 日本の宗教観念には、愛を裏打ちするものがない。 改行(節目節目で改行がある方が効果的。以下、同じ。) 曾根崎心中は、 男が女郎をカネで身受けしようとするが、...