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自由からの逃走 (再掲)

自由ってのは、政治哲学とか、カントの自由論とか、そういう話だと思っていたが、個々人のメンタリティーの問題でもあるらしい。 もちろん、エーリッヒ・フロムのように、ナチズムにおけるサド=マゾ関係を論じた著作もあるが、それにしても、やはり個人のメンタリティーと、それに接続する政治思想というのはある。 あるいは、丸山眞男のように、天皇制のもとで、自ら隷属状態に陥ろうとする人々の心性を論じた学者もいる。 我々は今、自由主義体制にあって、もちろん経済的な問題で、自由に生きられない人はいくらでもいる。 しかし、経済的問題に縛られていなくても、精神的隷属状態に自発的に入り込む人がいる。 ある系、それは家族でもいい、そういう系の中に、自分をはめ込んで、聖なる奴隷として生きる以外の生き方を知らない人がいる。 かといって、そういう系から全く自由な人があり得るか、と言えば、これもまた難問ではある。 そもそも、構造主義というのは、人間は、「構造」の中でしか存在しえないことを論じた思想だ。 現に、我々は、「国家」というフィクションの中で生きている。 社会契約論であれ、ヘーゲル主義であれ、天皇崇拝であれ、フィクションを、真実である「かのように」信じることでしか、我々は「国家」を前提として生きることはできない。 その「虚構性」が覆い隠されているのは、国家というフィクションが、単に概念上のものであるとしても、現実には、それに基づいて、強制力が我々に発動される、あるいは逆に、国家の成員であるということで、身分保障などの恩恵を受けられるからである。 しかし、だからといって、国家がなければ我々は自由か、というと、決してそうではない。 第一次大戦後のドイツのように、巨額の賠償金とハイパーインフレによって、国家の信用が崩れ、そのフィクション性が露骨に現れるようになると、国家社会主義労働者政党が現れ、没落した中流階級プロテスタンティズム的マゾヒズムと、ナチスのサディズムが、共犯関係を構築し、人々が進んでその「構造」に囚われるようになった、というのは、エーリッヒ・フロムが指摘したことである。 日本においても、丸山眞男が論じたように、天皇制のもとで、統治心性とフーコーが名付けたような、被統治的概念が、現実の制度に反映され、概念と制度、人々の心性が、相互に補完し合い、統治を強化し合う、という現象が起こる。 丸山眞男は「日本の思想」(岩波新書)で以下のように書いている。 しかしながら天皇制が近代日本の思想的「機軸」として負った役割は単にいわゆる國體観念の教化と浸透という面に尽くされるのではない。それは政治構造としても、また経済・交通・教育・文化を包含する社会体制としても、機構的側面を欠くことはできない。そうして近代化が著しく目立つのは当然にこの側面である。(・・・)むしろ問題はどこまでも制度における精神、制度をつくる精神が、制度の具体的な作用のし方とどのように内面的に結びつき、それが制度自体と制度にたいする人々の考え方をどのように規定しているか、という、いわば日本国家の認識論的構造にある。 これに関し、仲正昌樹は「日本の思想講義」(作品社)において、つぎのように述べている。 「國體」が融通無碍だという言い方をすると、観念的なもののように聞こえるが、そうではなく、その観念に対応するように、「経済・交通・教育・文化」の各領域における「制度」も徐々に形成されていった。「國體」観念をはっきり教義化しないので、制度との対応関係も最初のうちははっきりと分かりにくかったけど、国体明徴運動から国家総動員体制に向かう時期にはっきりしてきて、目に見える効果をあげるようになった。ということだ。 後期のフーコー(1926-84)に、「統治性」という概念がある。統治のための機構や制度が、人々に具体的行動を取るよう指示したり、禁止したりするだけでなく、そうした操作を通して、人々の振舞い方、考え方を規定し、それを当たり前のことにしていく作用を意味する。人々が制度によって規定された振舞い方を身に付けると、今度はそれが新たな制度形成へとフィードバックしていくわけである。(P.111~112ページより引用) こういうと、現代の我々は、そういう支配関係にいないから自由であるか?といえば、必ずしもそうとは言えない。 家族という、社会を構成する最もミクロな系においてすら、自ら進んで隷属状態に陥ろうとする心性が、存在する。 あるいはしかし、フィクションとしての家族関係があるにせよ、特に資本主義というシステムの中で、我々が矯正されている、という側面もある。 家族が、資本主義化された社会野全体の部分集合になっていて、社会的な諸人物のイメージが「父―母―子」の三角形に還元される、ということですね。「還元(縮小)される se rabattre」という所がミソです。資本主義社会全体が三者関係によって表象されるわけではなく、その一部だけが家族の中で二次的表象を作り出すわけです。家族は、資本主義機械によって植民地化されているわけで、「父」や「母」は資本主義機械の一部を代理して、「私」を躾け、飼いならすわけです。  「父―母」を「消費する consommer」というのは、家族の中で父や母によって子供としての私の欲望が充足される、ということでしょう。恐らく、社会機械と繋がっている人間の欲望の発展の方向性は元来かなり多様なはずなのだけど、核家族の中で育てられると、それはかなり限定的なものになっていく、ということでしょう。小さい私はもっぱらパパやママから与えられるものを消費する受動的な存在にすぎません。大人になって、「社長―指導者―神父・・・」等の職に就いたら、消費するだけでなくて、自らも生産活動に携わるようになるので、社会体に対して能動的に働きかけ、自己の欲望の回路を拡大できるようになるかと言えば、そうはいかない。子供の時に教えられたように消費しようとする。それが、エディプス三角形の中での「去勢」でしょう。 ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義 p.300~301 作品社 仲正昌樹

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