2023年2月2日木曜日
過去ログより (再掲)
以下『世界の名著45 ブルクハルト』(中央公論社 1966年)所収「イタリア・ルネサンス文化」より。 歴代の教皇とホーエンシュタウフェン家との戦いは、ついにイタリアを、他の西欧諸国とはもっとも重要な諸点において異なるような、一つの政治状態の中に取り残した。フランス、スペイン、イギリスにおいては、封建制度は、その寿命が切れたのち、必然的に君主制の統一国家の中に倒れるような性質のものであり、ドイツにおいては、それはすくなくとも帝国の統一を外面的に保持する助けになったが、イタリアはその制度からほとんど完全に抜け出していた。 14世紀の皇帝たちは、もっとも有利な場合でも、もはや最高権者としてではなく、既存の勢力の首長や補強者になるかもしれない者として迎えられ、尊重されていた。しかし教皇権は、もろもろの道具立てや支柱をそなえているため、将来起ころうとするどんな統一でも妨げるだけの力はもっていたが、みずからの統一を作り出すことはできなかった。 その両者のあいだには、数々の政治的な形物―もろもろの都市と専制君主―が、一部はすでに存在し、一部は新たに勃興したが、その存在は純然たる事実に基づいていた。(*)それらにおいて、近代のヨーロッパ的国家精神は、はじめて自由に、それ自身の衝動にゆだねられたように見える。(p.64) (*)においてブルクハルトは、「支配者と、それに付随するものをいっしょにして、lo statoと呼ぶ。そしてこの名称はやがて不当にも、一つの領土全体を意味することになる。」と注釈を付けている。 以下、篠原一『ヨーロッパの政治―歴史政治学試論』(東京大学出版会1986年)より。 しかし政治史的にみた場合、16世紀が中世の構造に与えた最大のイムパクトは、国家形成=中央機構という現象であろう。この国家はのち、市民革命の発生とともに生まれた国民国家と同一のものではなく、国王を中心とした中央機構の成立を意味するにすぎないが、中世の世界と比較した場合、ともかく国としてのアイデンティティが成立した点で大きな意味をもっている。では、一般的にいってそれはどのような構造を有していたであろうか。(p.31) まず第一に、そこでは国王が恒常的に自己に従属する官僚集団をもつようになった。官僚を採用するためには国王はそれだけの収入をもっていなければならないが、しかしひとたび官僚制を導入すれば、国家機構が成立することによって、国民から効率的に租税を徴収することができるのみでなく、さらに16世紀のフランスのように、国債を発行するだけの力をもちうるようになった。第二に、常設の軍隊が創設され、国家が武力を独占した。当時の軍隊は主として傭兵からなり、この物理的強制力は、農村の叛乱に対する対抗力としての国家の効用を具現化するものであったが、同時にそれは、国家機構を維持するための租税の徴収のためにも欠くことのできない存在であった。第三に、このようにして成立した国家は、自己の正当性を主張するために、そのイデオロギーを創出した。(p.32) 丸山眞男は「日本の思想」(岩波新書)で以下のように書いている。 しかしながら天皇制が近代日本の思想的「機軸」として負った役割は単にいわゆる國體観念の教化と浸透という面に尽くされるのではない。それは政治構造としても、また経済・交通・教育・文化を包含する社会体制としても、機構的側面を欠くことはできない。そうして近代化が著しく目立つのは当然にこの側面である。(・・・)むしろ問題はどこまでも制度における精神、制度をつくる精神が、制度の具体的な作用のし方とどのように内面的に結びつき、それが制度自体と制度にたいする人々の考え方をどのように規定しているか、という、いわば日本国家の認識論的構造にある。 これに関し、仲正昌樹は「日本の思想講義」(作品社)において、つぎのように述べている。 「國體」が融通無碍だという言い方をすると、観念的なもののように聞こえるが、そうではなく、その観念に対応するように、「経済・交通・教育・文化」の各領域における「制度」も徐々に形成されていった。「國體」観念をはっきり教義化しないので、制度との対応関係も最初のうちははっきりと分かりにくかったけど、国体明徴運動から国家総動員体制に向かう時期にはっきりしてきて、目に見える効果をあげるようになった。ということだ。 後期のフーコー(1926-84)に、「統治性」という概念がある。統治のための機構や制度が、人々に具体的行動を取るよう指示したり、禁止したりするだけでなく、そうした操作を通して、人々の振舞い方、考え方を規定し、それを当たり前のことにしていく作用を意味する。人々が制度によって規定された振舞い方を身に付けると、今度はそれが新たな制度形成へとフィードバックしていくわけである。(P.111~112ページより引用) このように、国家は、支配者とそれに付随するもの、つまり国王と官僚制による徴税のシステムとしてスタートした。つまり、国民は政府によって作られるのである。大久保利通は、天皇の勅命が天下万民ご尤もと思われてこそ勅命である、という趣旨の言葉を述べたが、小野修三先生は、「大君のモナルキ」において次のように記す。 「大名同盟論」とは異なる「大君之モナルキ」がどのような政治制度なのかは、同書簡では説明されていないが、同じ慶應2年に出版された『西洋事情初篇巻之一』の備考の個所で福沢は「立君の政治に二様の区別あり」との説明を行っている。すなわち、「立君独裁」と「立君定律」である。後者は福沢も「コンスティテューショナル・モナルキ」とルビを振っているように、今日言う立憲君主制のことであった。それは「国に二王なしと雖も一定の国律ありて君の権威を抑制する者」であり、「現今欧羅巴の諸国此制度を用ゆるもの多し」、と。 モナルキには立憲独裁の場合もあるわけだが、独裁によって「文明開化」が進むとは考えられない以上、福沢の言う「大君のモナルキ」とは、当時の立君定律、今日の立憲君主制のことだったと言えよう。これは、法治主義を前提とした政治制度であり、封建契約の頂上に位置し、「王命を以て国内に号令する」大君であっても憲法による拘束を受け、その限りにおいて人治主義(大名同士カジリヤイ)たる封建制度を打破するものであった。 立憲制においては、地方行政が法に基づいて運営されることが肝心である。以下、一木喜徳郎・大森鐘一著『市町村制史稿』(明治40年)より。 地方村制は当時帝国の状況において行わるべき程度において自治(ゼルプストフェルワルツング)と分権(デツェントラリザチヲン)の二原則を行わんとせるものにしてしかも初めよりにわかに完備なる立法を望むべからざるをもってまずその端緒をなさんとするにありこの二原則を実行せんとするにはその地方の共同団体なるものは国家の分子にしてしかして自らを特別の組織を有し定限の職権を有し一個人と同一の権利すなわち法人たるの権を有し且これが理事者たる機関を存するものたらざるべからずその機関は共同団体の組織を整理するところの法律に依って生じその共同団体はこの機関によりて国体自己の意思を発表し且施工し得るものなり故に財産を所有しこれを授受売買し他人と契約して権利を領得し義務を負担しまたその区域内においては主裁権を以て自らこれを統括するものなり要するに共同団体なるものは行政上便宜のために設けたる区画にあらずして国家と雖もこれを侵し能わざるところの権力を有するものとす然れども一方より論するときは共同団体は国家の隷属にしてその主裁権に服従し国家を賛助してその任務を遂行せしめざるべからず(p.34)
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